(16)必ず見つけるから
着替えたアデラを長椅子に座らせ、自分もその横に座った。
ふと、目が合うと柔らかに微笑む。
その表情がアデラには、やけに大人びて見えた。
アデラの手を握り引き寄せた。
アデラも抵抗せずそのままロジオンの肩に頭を乗せる。
自然とロジオンのもう片方の腕はアデラの肩を抱いていた。
こうすることが当たり前のように。
暫く、お互い黙って握っている方の手を弄んでいた。
何も知らない外部の人間が見たら、普通の恋人同士に見えるだろう。
「アデラのこと……好きだよ」
ロジオンが徐に告げた。
「知っていました」
アデラが拗ねたように答える。
そうだね、ロジオンが苦笑混じりに言った。
「僕が……あやふやな態度を取っていたのは……先程、アデラが言っていた問題だけじゃない……。──僕の中にいる『僕』達の想いが痛いんだ……」
「ロジオン様の中の……?」
アデラはそっとロジオンの胸に触れる。
コンラートとの戦いの時に明るみに出た、継ぎ接ぎの魂。
それは、過去にマルティンが創り出した魂の魔法。
ロジオンの中に幾つかの過去を持つ魂が合わさって、個々の自我を持っていると言う。
「普段は表に出てこないと……」
「うん……話し掛けても出てこないし、話し掛けられたこともない。でも──痛くなる。アデラを想うと同時……イゾルテ様を想う。『何故、マルティンの記憶を持つのに他の女を想うの』と言う感情が襲ってくるんだ……。マルティンはイゾルテ様一筋だったみたいだから……」
「そんな……! この身体も心もロジオン様の物ですよ! 過去の記憶が魂が何だと言うんです!」
ロジオンがアデラの頭を撫でる。
「僕は魔コウ熱が出た時、中の僕の一人と融合を果たした。『時が満ちた』らしい。彼はイゾルテ様以外の人を愛して子まで成してる。──だから、中の僕の想いに負けないわけじゃない」
──でも、とロジオンは続ける。
「『時が満ちた』と言うことは、僕の代でイルマギアが施行されるってことだろう……。その為に、残りの僕とも融合する……同時、マルティンの意識が強く表に出てくるだろうとも……」
「──!?」
アデラとロジオンの視線が絡む。
──ロジオンの自我が、マルティンの意識に消される?
「ロジオン様がロジオン様でなくなる……ってことですか……?」
アデラの声が震えた。
ロジオンは「分からない」と言いたげに首を振るが、弱々しかった。
前もこんな話をした、確か城下街で。
あの時のロジオンの冷静で落ち着いた様子とは違う。
憶測だったからだ。
どこかで『違う』と楽観視していたからだ。
──今は
確信があるんだ。自分が自分でなくなることに。
生きたまま、自分は消されてしまうことに。
(どうして?!)
震える口は声を出すことを憚れた。
「……アデラが好きだ。僕を好きだと言ってくれたアデラの気持ちが……とても嬉しい」
そして、アデラを頭から抱えるように抱き締める。
「アデラを抱きたい。自分の恋人にしたい。ずっと側にいて欲しい。誰にも渡したくない……そう思ってる……。だけど歳を重ねて、中の僕と融合して僕じゃなくなって……その時、アデラを見る僕が、アデラを傷付けてしまうのが……怖くて、悲しい……」
「ロジオン様……」
「諦めなくちゃ、そう思っても……僕の身体なのに、心なのに……どうして過去の僕やマルティンの想いに左右されなくちゃ……ならない? 人を好きになることくらい自由にさせてよ──アデラを愛しても良いじゃない……。でも、駄目だ──その繰り返し……その度に僕はアデラを振り回す。諦めと嫉妬に執着に……どうして良いか分からなくなる。忙しい時は良い。大変だけど……あっという間に一日が終わる。自分のこと、アデラのこと……考えなくて済むから。間に時間が空くと……もぅ……」
ロジオンの声が、段々とか細くなっていった。
ロジオンの想いが、アデラを抱き締める腕に詰め込まれて切ない。
どれ程沢山の重圧を抱えているんだろう。
これがイルマギアを持つ、マルティンの魂を抱える者の使命なのだろうか。
彼の代で蘇らせなくても良い。
──でも
もっと長く長く待ち望んでいる人がいる。
知っているから 余計に
縛られる──。
「ロジオン様……」
アデラも負けじと自分の想いを託すように、ロジオンを抱き締める。
「アデラは、例えロジオン様がお隠れになっても見付けてみせます。私がお慕いしている人です、すぐに分かります。──ロジオン様も、ロジオン様でいられるよう私を見ていてください」
ロジオンの手を握りそっと自分の頬に当てる。
「……私に触れて、愛して──」
「……アデラ……」
二人、共に流す涙が重なる。
濡れた唇が触れ、お互いの意思を確認するように鼻を擦り合い、唇が重なった。
ただの主従関係には戻らない──。
照らす冬の日溜まりが、二人を静かに見守っていた。
**
目立つわ、この人──。
周囲より頭一つ分も背が高く、全身黒の出で立ち。
紅い瞳は濁ること無く煌々と放つ。
容姿も去ることながら、何処かの国の王者たる立ち振舞い。
そして、決して媚びること無い表情には惹き付ける影がある。
「ロジオン」
「ドレイク」
うちのお坊っちゃまと、親しげに呼び合い話をしている。
魔法関係の人よね。
ルーカスさんやゲオルグさん、それにハインさんまでいるってことは、魔導術統率協会の人かしら?
「あの人誰?」
って仲間に聞いたらビンゴ!
「毎年来てるわよ、陛下に挨拶してさっさと帰っちゃうけど。今年は長居してるわね」
だって。
(こんな上玉見逃していたなんて!)
**
「ユージンのことですか?」
「と、言うより……彼の子孫のこと」
ロジオンは宮廷の自室にドレイクを招いた。
舞踏会会場にいると人がワラワラ寄ってきて、おちおち話も出来ない。
──ここでも紅茶を煎れてくれたラーレが、熱視線をドレイクに送っているが……。
「……知ってどうするのですか?」
紅い瞳を薄く開きカップの中の紅茶を見つめている姿は、過去の一場面を鮮明に思い出しているように見られた。彼にとって気持ちの良いものでは無いだろう、ロジオンは思う。
イル・マギアを思い出すことが叶わず、その手で殺めてきた──次の転生を早めるために。
「ユージンが知りたいと言ったんだ……融合する前に……」
ドレイクの持っていた紅茶のカップが乱暴に卓に置かれた。
紅い瞳が大きく開き、ロジオンを見つめる。
『視てる』
そして眉を寄せ瞳を閉じた。
「そろそろ協会に戻らないと……。ロジオン、途中まで宜しいですか?」
突然帰り支度を始めたドレイクに、ロジオンは焦ること無く頷いた。
残念そうにしているラーレを尻目に、二人は居住区の方陣に出向き離れ家まで移動した。
宮廷内はどうしても人目が付く。
中に入りランプを灯した。
何か飲む? と聞いてきたロジオンに、何もいらないとドレイクは首を振る。
じっとドレイクはロジオンを見据えた。
「魔コウ熱が出た際に、融合をしたわけですか」
「うん……その時に融合した『僕』が『ユージン』だと初めて名前を告げた」
「それでか」
ドレイクの口から溜め息が漏れた。
「……融合して間もない貴方は、ユージンの人格の影響が出ています」
「そう……? 気付かなかったけど」
「ユージンは、只人を愛しました。魔法の使い手として生きるより、何も持たない自分を選んだのです。只人の女性と生きる為に」
ドレイクの手が、ロジオンの頬に触れた。
「ロジオン、元々貴方は只人のアデラを好いている。その感性がユージンと似ている。貴方がアデラと一線を越えたのも、その影響があるからです」
「──」
そこまで視たのか、つーか、そこまで視るな──ロジオンの頬が染まる。
「これから融合する度に、その相手の影響が出てきますから気を付けなさい」
ドレイクの手がロジオンの頬から離れた。
「……僕にはアデラが必要だから」
「貴方が本当に彼女を必要としているのか……違うかも知れません」
ドレイクの言葉に、ロジオンの眉尻が上がった。
嫌みじゃない。叱咤じゃない──彼の、静かで淡々とした口調が物語ってる。
しかし、ロジオンには聞き捨てならない言葉だった。
「僕が……逃避の材料としていると?」
違う──ドレイクは首を振った。
「アデラは只人なのに、只人と違う何かを持っています──それは、私もイゾルテ様も感じています。ロジオン、貴方も感じていないわけはありませんよね?」
「だから、何?」
ドレイクの人差し指が、ロジオンの胸を指す。
「──マルティン様……かも知れません」
その言葉にロジオンは驚愕し、自分の胸を押さえた。
「……有り得ない。だって彼は──」
「貴方はマルティン様がどういう方なのか、まだ知らない、これから知ることになるでしょう……」
ロジオンの言葉を遮り、ドレイクは告げた。
「魔導師認定考査を受けるそうですね。楽しみにしていますよ」
そう言う割りには表情の無い彼に、口を曲げロジオンは睨む。
「……それよりさ、僕が尋ねたこと全部スルーしてない?」
「まさか」
ドレイクの口角が僅かに上がった。
「フェザークと言う名の魔法の使い手のことは、確信が持てないので今は言えません。……ユージンは相手の姓を名乗りました。『メイヤー』です。産まれた子は男の子。残念ながら母親似でした」
「……奥さん残念な顔立ちだったの?」
微妙な顔をするロジオンに「そう言う意味ではありません」とドレイクは付け加えた。
「魔力はありましたが、魔法は習いませんでした。母親が否定したのです。そして子も否定しました。……仕方ありませんが」
ドレイクが自嘲するように微笑んだ。
「魔法を使えるから私に殺された、と思っていましたから」
暫く静寂が起きた。
「……今は曾孫の代になっております。女の子です」
「そう……今は何処に?」
ドレイクは意味深に微笑むと
「近いうちに分かります」
とロジオンに告げる。
「創った魔法の書類期限は、初雪の月の十日までですよ。お忘れなく」
そう言って、常闇の中に消えたドレイクにロジオンは
「……謎かけだけしてさっさと帰った……」
と、呟き、悩む内容が増えただけに腹ただしく空を蹴りあげた。
──あっ、と、ロジオンはもう一つ、ドレイクに尋ねるのを忘れていた名を思い出す。
「ジーアのこと……どうしよう……」
少し考えて、まあ良いやとランプを消す。
今度会った時にでも聞いてみよう、ロジオンはそう考えながら離れ屋の施錠をした。




