(8)茶番
「離しなさい! 何て無礼な!」
争う二つの影のうち一つは、声からシュティルゼーナだと分かった。
しつこく絡む方はシュティルゼーナより大きい。男性だ。
──まさか、エアロン?!──
自信を付けるための暗示が、暴君に変えてしまってる?
アデラはロジオンに顔を向けると、ロジオンは言いたいことが分かったのか首を振った。
「暗示はかけてないんだ」
「──えっ?」
「暗示をかけた振りをしただけ……。元々帝王学学んで、刷り込みが入ってるはずなんだもの。エアロンの兄上に足りないのは……ほんっと『自信』だから。思い込めばきっとシュティルゼーナ様の前でも……怖気付かないで振舞えるだろうと思ったわけ」
暗示は慣れた人がやらないと危ないんだよ、とロジオン。
「……じゃあ、エアロン様では無い……?」
「……自信付いちゃって暴走してなきゃ違う……と思う」
男性が発した言葉で違うと分かり、二人胸を撫で下ろした。
「何すかしてるだよ、聞いてるぜ? お国では何人も愛人はべらせてるんだって? 最近景気良いんだろ、うちの国からぶんどった領地のお陰でさ! 婚約者放っておいてこっち来てまで好き放題で」
「知りません! 知っていても、貴方には全く関係無いでしょう!」
パンッと切れの良い音が響いた。
思わずしゃがんで隠れた二人は、垣根の間からその様子を見ていた。
「……助け船をお出しになった方が、よろしくないですか?」
「でも……シュティルゼーナ様一人でも平気そう……」
相手の男性は酔っぱらっているのか、シュティルゼーナの連続ビンタのなすがままにされていた。
時々「不埒者!」とか「アル中!」など男性に対し暴言付きだ。
「あのお方、フォート伯爵のご次男のジョナサン様じゃないでしょうか?」
夜目の利くアデラには、男性の顔がよく見えるらしい。
「知らない」
きっぱりと自信を持って言い切ったロジオンに、アデラは説明する。
「あまり目立たないご実家です。堅実・実直を家訓にしていて、代々王国軍の仕官として籍を置いていますね」
「じゃあ……アデラの元上官?」
「王国軍でも隊が別れていますから、直接の上司ではありませんでしたけど、確か『次男が親の金ばかり当てにして困ってる』とぼやいているとかで……」
ビンタの応酬どころか、蹴りまで入りそうな勢いのシュティルゼーナに、ふらつきながら抵抗を試みているジョナサン。どう見ても、シュティルゼーナの方が優勢である。
「……止めようか。シュティルゼーナ様の方を……」
「はい……」
二人、やれやれと立ち上がろうとした時──。
「ふざけんな! 調子に乗りやがって!」
ジョナサンの平手が、シュティルゼーナの腕に当たった。
男女の力の差だろう。
キャッ! 短い悲鳴と共にシュティルゼーナが、芝に吹っ飛ばされてしまった。
「三十路過ぎの傲慢ババアなんて誰が本気で相手にするかよ! 金目当てに決まってるだろうが! エアロン王子だって、幾ら美人でも美貌が衰えて、取り柄の無くなってきたあんたなんかお払い箱さ!」
だからさ──ジョナサンが、衝撃で動けないシュティルゼーナの前に立ちはだかる。
「俺が相手にしてやるって……。俺に少しお金を落としてくれれば良いんだからさ」
──まずい!
飛び出そうとしたアデラを「待って」とロジオンが押さえた。
「ロジオン様……!」
くい、とロジオンの視線と共に顎が動いた方角にアデラは顔を向けると、見覚えのある風体が駆けてきている。
追い付いた刹那、ジョナサンの身体が宙に飛ぶ。
「シュティルゼーナ! 怪我は無いか?!」
「……エアロン様……」
エアロンは軽々と彼女を抱き上げると、尻餅を着いて呆然としているジョナサンに鋭い眼差しを向けた。
「婚約者のいる者を拐かすだけでなく、乱暴な行いをするとは……! 卑劣極まりないぞ!! しかも、レスパノ公の公女に何と無礼な! 厳重な処罰があると思え!」
エアロンの怒りの言葉に、ジョナサンは尻餅を着きながらも
「悪いのはそちらの公女様ですよ! エアロン王子と婚約中の身でありながら、母国で愛人は作るし、こちらに来ては来たで目ぼしい相手を見付けようと躍起になっているんですよ? ──俺だって誘われたから!」
と、言い訳を始めた。
「……!」
「 貴方なんか誰が誘いますか!」
顔をしかめたエアロンを見て、ジョナサンはニヤリと邪に口を上げた。
「いくら公女様だとしても、結婚は伸ばされた上に、我が儘好き放題。その上、男まで作ってるんですから! その辺の女の方がまだ節度があるってものです。エアロン様もいい加減──」
「──黙れ」
「……へっ?」
いい気分でヘラヘラと喋り続けていたジョナサンだったが、エアロンの初めて見る怒りの表情に、ようやく顔を青くし、口を閉ざした。
「これは僕とシュティルゼーナの問題だ。端にもかからないお前が噂に便乗し、しゃしゃり出て来ることではない! これ以上下世話なことをすると、お前の父の職も失うこととなるぞ!!」
激しい恫喝にジョナサンは「ヒイッ」と情けない声を上げながら、走り去っていった。
エアロンはシュティルゼーナを近くに設置してあるベンチへ座らせると、自分が付けていた短いマントを肩から被せる。
「腕……痛みませんか?」
いつもの穏やかな、そして心配する音が入ったエアロンの声。
シュティルゼーナは、びくり、と反応し自分の腕を抱え身を縮める。
「直ぐに治癒師か医師の元へ行きましょう」
「わたくしは平気だから放っておいて!」
苛立っているのか、エアロンに当たるような怒鳴り声に、一瞬手を引いたエアロンだったが
「そんなこと出来ませんよ。貴女は僕の婚約者だ」
と、穏やかに言い返す。
シュティルゼーナの自分の腕を掴む指に力が入っていく。まるでこの苛立ちの吐き出し場所を求めるように。
荒い呼吸に、必死に泣くのを堪えているのが目に見えて分かった。
「怖い思いをさせてすまなかった……。今後は、貴女がこんな目に合わないように警備をもっとしっかり──」
「──ないわ」
「何がです?」
言葉を遮り、シュティルゼーナの低い澱んだ言葉にエアロンが反応する。
──はっ!
と、投げやりな声が続き、シュティルゼーナは闇の向こうを凝視しながら吐き出した。
「もう来年からここに来ることは無いの! 婚約解消になるのよ! 譲渡された領地は返還、わたくしは修道院入り。 清々するわね、エアロン様おめでとうございます。これで貴方様は御自由の身。自分の好みの若い方達を、好きなだけお選びになれましてよ? 」
「何を言っているんです? 僕は貴女との婚約を解消する気ありませんよ?」
飄々と言ってのけたエアロンにシュティルゼーナは一瞬、唖然としたがすぐに眉がつり上がり、エアロンを見上げた。
「貴方! わたくしの噂を知らないの? 知らないわけ無いわよね? あんな何処ぞの見かけない貴族までも知っていると言うのよ! もう、こちらでも問題になっていてディリオン殿下が酷く立腹のご様子だと! 大使から覚悟なされよと言われたのよ!」
「──でも、『噂』でしょう?」
エアロンから再び視線を闇に向けた。見抜いている彼から逃げるように。
「貴女がそのような行為をしないことを、僕はよく知っています……今でも、誰よりもバハルキマ殿下──エリオン兄様を愛しているから……」
視線が絡む。
驚愕して見開いていた瞳が、輝きを無くしゆっくりと塞がった。
「……何のことかしら? 当の昔に解消した婚約者のことなど……何とも思っていないわ」
力の無い答えだった。
「では何故、ユリオンの寝室に? エリオン兄様と同じ才を持つあの子なら──と思ったからではないのですか?」
「──違うわ! わたしくはもう、こんな茶番を止めたいからよ!!」
「茶番って……シュティルゼーナ──」
エアロンの言葉が途切れた。
シュティルゼーナの閉じた瞳から、涙が止めどなく流れては溢れていた。
シュティルゼーナ──エアロンは胸元のハンカチーフを差し出したが、手で払われて虚しく地へ落ちた。
以後不定期になりますがエアロンが求婚中なので、明日は更新したいと思ってます。




