(5)噂の出所
ラーレは不思議に思った。
どうしてロジオンの寝室に、ユリオン王子とエアロン王子がいて
──ロジオンが続き部屋の長椅子で寝ていることに──
それから朝昼兼用で、ロジオンの部屋で食事を済ませるロジオン、ユリオン、エアロン。
三人喋ることもせず、静かに黙々と食事をしている光景は、何処か憔悴感漂うものだった。
特にその空気をいっぱいに放出しているのがエアロンだ。
三人黙ったまま食事を終え、それぞれの支度のために席を立った。
今日はロジオンの、正式な社交界デビューである。
五時間は余裕で踊り続けなければならない舞踏会は夜。
それまでに自分の部署に行き、最低限の仕事をこなす。
「支度がありますから、次の休憩時間には戻ってきてください」
そうラーレに言われたロジオンだったが、すぐに戻ってきた。
面食らうラーレに
「連絡と報告だけだから……前筆頭と前々筆頭に称号持ちがいるし……大丈夫」
そう、気だるそうに言うと「休憩まで寝てる」と意味不明な台詞を吐いた。
「ロジオン様?」
「寝不足で……やばいから寝かせて。頭回らなくて……良い考えが思い付かないし」
そう言って寝室に入っていった。
**
「起きてください! お支度の時間です!」
ラーレに、抱え込むように被っていた掛け物を剥ぎ取られた。
「もう少し……」
「ギリギリまで寝て頂いたんですよ!」
寝台から出ないロジオンにラーレは痺れを切らせ
「こちらに!」
と外にいた侍女達に合図をかける。
──四人がかりで運ばれた風呂桶。
あっという間に湯が注がれ、石鹸やら海綿やら入浴の道具が並べられた。
「……えっ? ちょっと? 待って! 自分でやるよ!!」
寝ぼけ眼で見ていたロジオンだったが、侍女達に詰め寄られ寝着まで剥ぎ取られた所ですっかり覚醒した。
以前もやられた覚えがあるロジオン。まるで自分が芋のような扱いであって、彼女達の容赦無さは彼にとって恐怖であった。問答無用である。
「いいえ! 洗い残しの無いよう隅々まで清めなければ!」
「今夜は、ロジオン王子のデビューでございますのよ!」
「数ある淑女達と踊るのです、不快な臭いを放たれては王家の沽券に関わります!」
「大人しくなされますよう!」
腕の見せどころだと言わんばかりに、ロジオンに襲いかかる八本の腕。ヤル気満載の四人からロジオンは逃れる術を失った……。
**
四人の侍女は凄腕であった。
侍女歴の長い敏腕な者達が集い、己の矜持にかけてロジオンを装う。
今夜の夜会のために仕立てられた、薄い菫色の夜会服。
特徴ある青銀の髪は少し後ろへ長して、明かりに照らされると神秘的に輝く。
彼の性格を表すかのように装飾品は腰帯だけ。フリルなどは無しで。
靴は白で甲までの物。金のバックル付き。
侍女達は満足げな顔をして、下がっていった。
「流石でしたわね、この道二十五年のベテランの方々の腕捌きでした」
ラーレが感嘆の息をつきながら、ロジオンの前に簡単な食事を並べる。
この後、踊り続けて飲み食いできなくなる可能性があるので、先に取って貰うためだ。
はあ……と、露骨に溜め息を付いて炭酸水に手を伸ばしたロジオンに、ラーレは手慣れた仕草でナフキンを首に掛けてやる。
「夜中に何があったんですか?」
後ろに回りナフキンをゆっくりと結びながら尋ねてきた。
「……もう、話が出回ってるんじゃない?」
「又聞きなので。裏を取らなければ」
にこりと、屈託の無い微笑みを向けられるロジオンだが、この裏にどんな邪気が含まれているのだか──と、苦笑してしまう。
「その又聞きの内容と…言うのは?」
ローストビーフとピクルスが、たっぷりと埋め込んだサンドを頬張りながらラーレに内容を聞く。
「さる方の婚約者がユリオン王子の寝室に入り込んだと。それに気付いたさる方が、お叱りに向かいましたところ、逆に怒った婚約者が追い出したそうですよ。怒った理由が、たまたまユリオン王子は留守にしていたそうで、襲い込みに失敗して恥ずかしいやらで腹が立っていたみたいだと」
「……その、さるお方の名前まで……もう広まってるんだろうね」
「口にするのは憚れますから、皆、出しませんけれど──ね」
昨夜、あれ程広げるなと厳重に勧告したのに。他に見ている者がいたのだろうか?
──女はくちさがないな、全く──
合ってます? ラーレに問われ、次の一切れに手を伸ばしながらロジオンは
「大体ね」
と答えた。
「この話は陛下や殿下のお耳にも届いているご様子です」
「早くない?」
驚くロジオンに向かって、更に言葉を重ねる。
「特に殿下は御立腹されてますね。婚約破棄もありそうな勢いだそうですよ」
「どうしてディリオン殿下が怒ってるんだろう……? 普通なら父親である陛下の方じゃない?」
「陛下は色恋沙汰には達観してしまう方ですからね。余計な口を挟んだら、お立場上大事になりますし」
「……陛下は大事にはしたくないって、ことだよね……それ」
「──そう、ですよね……」
ラーレの紅茶を入れる手が止まった。騒ぎ過ぎてるかも、と反省の色を見せる。
「殿下が怒って騒いでるなら……もう周囲の口は閉ざせないよ。後はエアロンの兄上に頑張って貰うしかないね……」
飄々と言いながらロジオンは紅茶を飲む。
「本当に……。心が通じると良いのですけど」
沁々と言った後、ラーレは
「心が通じあっていると思いきや、全く前進していない二人もいるし……。難しいものですこと」
と、ジッとロジオンを凝視する。
その何か言いたげな視線にロジオンは、ぐっ、と根野菜の素揚げを喉に詰まらせ、水で流し込んだ。「……何?」
「エアロン王子に比べたら、恵まれておりますのよ? ロジオン様?」
回りくどい言い方だが、言いたいことは分かる。ラーレの姉で、護衛のアデラとのことだろう。
途端、ロジオンは口角を下げムスリとしながら
「今は僕のことより……エアロンの兄上のことだよ」
と、ラーレに言った。
「ええ、エアロン王子はロジオン様にとっては兄で身内ですものねえ? ──でも、私にとっても姉は身内ですから。心配度は身分も裕福さも違えど同じですの」
「しょうがないじゃん……アデラの方から一線引いているんだもの……」
お節介で容赦無いなあと、煩わしくなってきたラーレにロジオンは吐き捨てるように呟く。
それに目を見開いて驚いたのはラーレだった。
「えっ……? 姉が? 嘘? 」
「そーなの!」
「だって、普通に会話してますよね?」
「うん」
「たまに冗談言って笑ってますよね?」
「うん」
「真面目に護衛してますよね?」
「? うん」
「それがいつもの普通の姉ですよ?」
「……はっ?」
どう言う意味だか掴めないロジオンは、眉を潜め首をかしげた。
「姉は仕事とプライベートをしっかり分ける人なんです。きっちり私情は閉じて真面目にこなします。その生真面目さがうりで周囲に信頼されているんですよ」
なので宮廷内の噂話やスキャンダルにも疎いわけです、とラーレ。
「えーと……じゃあ、何? 一線引いた態度のアデラが普段の勤務中の態度なわけ?」
「一線って、例えばどんな風なんですか?」
「僕の誘いに乗らなくなった……と言うか、以前はそう言うことに赤くなったり青くなったり表情があったんだけど……今は『あー、はいはい』みたいに冗談だと切り返されたり、諌められたり……とか」
あー、とラーレが頷いて見せる。
「完全に仕事モードです」
「でも……以前は……」
納得いかない様子のロジオンにラーレが畳み掛けた。
「ロジオン様のペースに慣れたんじゃないですか?」
そう断言したラーレが、気を使ってそう発言したものではなさそうだ。
「……まあ、今は僕のことよりあっちの方の心配だから……」
話を元に戻され、不満そうなラーレにコホンと一つ咳払いをする。
「それはそうと……あの婚約者の噂の出所って掴めた?」
ラーレはさっぱり、と首を振る。
「辿っていっても、途中でプチンと切れてしまうんです。自国の使者とか、その線も辿ってみたんですけど……」
「どの辺りで切れてしまうの?」
「それもよくは……その噂の話をしていた侍女達に尋ねても『そう言えば、誰からだっけ?』と」
「ふー……ん」
顎に手を刷り寄せ、ロジオンは考えに耽り込んでしまった。
次回は6/22を予定。




