(2)エアロンの婚約事情
「──だけど結婚をごねてるのです」
と、ラーレ。
別の場所で待機しているエアロンの護衛の所まで、アデラが彼を送っていった。
その間にラーレが、侍女達からかき集めてきた話をロジオンに報告していた。
噂好きで『コイバナ』が好きな女性は、身分の上下関係なくいる。
それにラーレは普段侍女として働いているので、アデラよりその辺りの話は収集し安かった。
「『わたくしの夫になるのなら、まず華麗なダンスをわたくしと踊り、それからわたくしが納得する求婚の台詞を頂戴』とのことで……」
「それで……求婚から、かれこれ十年目に突入しちゃったわけ……気の長い方だね……シュティルゼーナ様は」
感心しているロジオンに何言ってんですか、とラーレは片眉を上げる。
「シュティルゼーナ様はプライドが物凄く高い上に、我が儘で有名なんですよ。エアロン様が大人しい方だから、婚約が続いているともっぱらな噂なんですから。自分の身丈に合うまで結婚は無しよ―って意味です。エアロン様は気が弱いから、何も言い返せないし行動に移せない、最初せっついていた両国も彼女の気が済むまでやらせようって放置しているんです」
「エアロンの兄上とやっていけるの……? 聞いてるだけで凄く気が強そうだし、どの辺りに惚れてるんだか分からないんだけど……」
「でも、惚れ込んでらっしゃるんですよねー……回ってきたから仕方なく、って言う訳じゃないんですよ。訪問の日程が決まる度に、そりゃあもう嬉しそうにメニューをお考えになってるし」
──たで食う虫も好き好き──
ロジオンの脳裏に、そんな語源が浮かんだ。
「今までこうやって秘密にダンスの練習に付き合ってきたけど……決して下手じゃないよね、エアロンの兄上」
「上がり症なんですよ、エアロン様。シュティルゼーナ様の前だと凄く緊張しちゃうみたいで足踏みまくりみたいです」
「上手くやろうと思って……気が急いちゃうんだろうね。──それで、ちょっと間違えちゃうと頭の中……真っ白になっちゃうんだろうな」
うーん、と唸るロジオンにラーレは、ちょっと眉を下げ彼に近付いた。
何?と訝しげるロジオンの顔の近くで声を落として、こそりと告げる。
「……どうやらシュティルゼーナ様には、お国の方に愛人がいるようなんです」
「──えっ?」
「結構長い付き合いのようだと聞いております。もしかしたら、それで結婚を先伸ばしにしているのかも……」
ロジオンは腑に落ちない顔をラーレに見せた。
「そう聞いたんです!」
「ラーレを疑ってるんじゃないよ……。それはレスパノ国の不評を買うし、国間問題になりかねないから……。下手すれば婚約破棄でシュティルゼーナ様は国で処罰されるよ?」
あまり好ましくない噂は噂で止めておかないと──そう言うニュアンスのロジオンに、ちょっとふてくされながら
「分かりました……その噂の出所も調べておきます」
と返事を返した。
「──さすが……言わなくても、こちらのして欲しいこと分かってるね」
瞳を細め微笑むロジオンの姿が大人びた雰囲気で、初めて胸が跳ねたラーレだった。
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「すまないね。ロジオンばかりでなく、君達護衛や専属侍女にまで夜遅くまで付き合わせて……」
申し訳ない、と謝る腰の低いエアロンにアデラは驚いた。
確か第一王妃の嫡男達であるディリオン・エリオン・アリオン、そしてエアロンは帝王学を学んだはず。勉学は勿論だが、思想に振るまいなど王に必要な事全てを叩き込まれる。
その中に『下々を労っても、へつらってはならない』
──労い、行いを褒めても礼を言っても、簡単に頭を下げたりおべっかを使うな──と言うことも習う。
それを見事に身に付けているディリオンとアリオン。
エリオンのことはよく知らないが、二人ほどではなく物腰は父陛下に似ていると言う。
エアロンは「果たしてきちんと教育されたのか?」と疑問視されることが、しばしばだそう。
幸か不幸か、それが親しみ感があり接しやすいと評判の王子だが一方で、王家に近い家門の者には馬鹿にする者もいると言う。
アデラはロジオンで初めて王家に直接関わりを持ったので、噂程度しか聞いていなかったし、興味もなかった。
確かに彼を見ると、とても上の兄達と同じ教育を受けたとは思いづらいが、ロジオンを先に見ているので違和感はあまり無い。
(──返ってエアロン様の方が接しやすい)
侍女含む、宮廷で働く者達に人気があるのも頷ける。
「私達は大丈夫です。身体が資本の職ですから。──エアロン様こそ、昼間は舞踏会のメニュー作りの他にも、会場の装飾も担当なさっておいででしょう? お疲れではございませんか?」
「僕の仕事は、もう粗方片付いているから」
平気だよ──そう答え、燭台の明かりが燈る廊下を歩いていく。
「ロジオンにも迷惑掛けちゃってるなあ……。でも、相談出来そうなのあの子しかいなくて」
「殿下やアリオン様だって親身に聞いて下さいましたよ、きっと」
──いや、とエアロンは項垂れるように首を振り、否定した。
「殿下に相談すると、陛下の耳にはいるし、逆もそうなんだ。アリオン兄様は秘密にすること出来ない人だしね。特に殿下は……」
暫し沈黙が続いた。
手を後ろに組んで歩くエアロンの姿が、どこか憂いを帯びていて、アデラはむやみに励ますのを止めた。
殿下に何か言われているのだろうか?
──もしかしたら、それで相談出来ないでいたのか──
と、唸った話が、後からラーレから聞いたアデラであった。
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聖燭の月も残すところ、今日を入れて後六日。
今日から宮廷から招待を受けた各国・各地の代表が、贈呈品を抱えやって来る。
舞踏会は明日から。その前に陛下の御前にて挨拶を終わりにしたい。
交通費、宿泊費は全て国負担だが、それに胡座をかいてられない。陛下に忠誠心を見せ、そして少しでも良い印象持たれ蜘蛛の糸ほどにも繋がりを持ちたい。
―─故に、どれだけ早く陛下の御前に向かい、どれだけ陛下が気に入る品を贈呈できるかに掛かっている。
この日、夜も明けないうちから四つの門は、多くの馬車や馬達でごったがえをしていた。
勿論宮廷内も、下から上まで忙しく動き回る。
──ロジオンも例外ではない。
今年は筆頭厳命で皆、宮廷指定の制服を着用していた。
ただ他の部署と違うのは色。
催事用の制服があり、騎士は生成、王国軍は黄緑、保安警護部隊は青、魔法管轄はグレー。
この日は、魔功防コーティングされた黒のマントも支給された。
「今日から八日間……聖燭・祝賀の宴が開かれます。今年は、全員警備にあたってもらうことになりましたが……僕は宴の方に出席しなければなりません」
ブーイングの嵐に合うロジオンだった。
「良いなあ、王子! 俺も出席したい!」
調子こいた魔法使いの一人の台詞にロジオンは
「……代わりに出席してくれる……? 『なりすまし』出来る?」
と、やけに暗い表情で尋ねた。
その暗い表情と声にブーイングしていた魔法使い達が皆、黙った。
「ねえ……『なりすまし』出来るの?」
シーンと静まり返った会議室。ロジオンの声が低く、くらーく響いた。
「ねえ……?」
ロジオンの目の前で野次を飛ばした魔法使いの青年に、とばっちりが行く。
「『なりすまし』は、じ、時間が少々……。で、でも素振りや口調でバレますって」
きらんっ、とロジオンの瞳に生気が宿る。
「大丈夫だよ! 陛下や殿下や家族達は、そこまでじっくり相手を見てる暇無いから!」
「えっ? えっ? まずいですよ、それはヤバイですから!」
卓越しに詰め寄り、魔法で自分に成りすませと言う上司に、魔法使いの青年は焦り、思いっきり拒絶した。
「今夜の晩餐会は仕方ないとして、明日の舞踏会は出れるよね?! 大丈夫! 今からダンスのステップを覚えれば良いよ!」
「いやいやいや! 無理です! ごめんなさい、俺が悪かったです!」
必死に変わってくれと頼むロジオンに、今年の宴は王族に何か不吉なことが起きるのか? ──と、皆、一斉に引いた。
「明日の舞踏会、五時間はゆうに躍り続けなくちゃいけないんだよ……!! 半分で良いから代わって―!!」
「──五時間?!」
目だけではなく口も開いて唖然とする。
「明日は社交界デビューってことで、王族と踊って、親族と踊って、まだ、婚約の決まってない子女と踊らなきゃいけないんだよ! 足もたないよ! つーか、その間中笑顔を作って踊れって新しい拷問か! やっぱりやだー! 失踪したいいいいい!!」
卓上に突っ伏して喚きだしたロジオンに、控えていたハインもどうしようも出来ずおたついているだけだ。
中のロジオンの喚きに驚いて入ってきたのはアデラとルーカスだった。
「何やってんだ? ロジオン」
「外で待ってろと言われて待ってれば……。さっさと先進めろよ」
そしてルーカスの後ろから、白髪混じりの短髪を掻き、かったるそうに喋りながら入ってくる中年の男一人。
顎に短い髭を生やし、鷲鼻の彫りの深い男性である。
特に印象なのは、大きい瞳から放たれる強烈な眼光である。
生力みなぎる様子は目元だけでなく、肩幅のある精悍な身体付きからも伺えた。
「ロジオン様、宴のダンスの件については、陛下と何度も話し合われて納得したことでしょう?」
アデラが突っ伏したロジオンの後頭部を、何度も撫でながら諭す。
「……そうなんだけど、このまま行ったら……知らない間に婚約者が出来そうで……こわっ」
「陛下は約束を翻したりはしませんよ。大丈夫です。明日と初雪の月の二日の二日間だけです。後は、倒れていても雲隠れしていても死んでいても構わない、と仰ってくれたではありませんか」
──どんな親子の話し合いだ──
そこにいた誰もがそう思った。
次は15日(金)の予定。




