2DAY
「えっ、なんで?」
拒否されるとは考えてもなかったのか、神谷晴人の切れ長の瞳が私の方を信じられないといった目で見ている。
「なんでって…神谷さん、お客さんでしょ?」
「うん?」
私の答えがよく分かってない様子だ。
これが友達なら、何も思わず一緒に台所で食べようという気にもなるのだが…相手はお客さん。いくら神谷晴人でも家の中に入れるわけにはいかないのだ。
「だから、お客さんがうちの台所でご飯食べるのは、ちょっと…」
「あ、そういうことか…」
神谷晴人は、やっと意味が分かったのか、ポンと手を叩いて納得している。
「そういう訳なので、私は失礼します。」
お腹も我慢するのが、限界に達しそうな私は足早に部屋を出ようとした。
「あ、明希ちゃん!ちょっと待って!」
ドアをすでに開けている私を神谷晴人が呼び止めた。
「何ですか?一緒にご飯は食べませんよ?」
空腹のせいか、ちょっとイライラしてきた。
「違うよ。恭一さん、呼んでくれない?」
恭一とはお父さんのことだ。
「お父さんを?」
何でこんな展開になったのか分からないけど、お父さんを呼ぶということは何か粗相でもしただろうか?と、思いが過る。
「あっ!そんな暗い顔しないで。ちょっと相談したいだけだから。」
どうやら、暗い顔をしてたらしい私を神谷晴人はバッチリ見ていたらしい。慌てた様子で理由を言ってきた。
「相談ですか?」
「うん、相談。急ぎじゃないから、恭一さんが暇な時にって伝えてくれる?」
「分かりました。」
そう言って部屋を出た。
(何だろう、相談って?)
*********
台所へ戻ると、お母さんとお父さんとさっきのバイト二人がご飯を食べていた。
「遅かったわね。」
私に気付いたお母さんが、ニヤニヤしながら言ってくる。そんなお母さんをジロリと睨む。
「仕方ないじゃん。お茶入れてきたんだから!」
つい、ムキになって言い返してしまう。この反応を楽しんでいるのが、お母さんは意味深な顔して、ふ〜んとまたニヤニヤしている。
「明希も、ご飯食べなさい。」
そんなお母さんにお構い無しなお父さんは、ホントにマイペースだ。
「もう、ペコペコだよ。」
台所に入ってから、キュルキュル鳴りっぱなしの自分のお腹を撫でながら、ご飯が用意してあるテーブルについた。
「いただきまーす。」
手を合わせてご飯を食べようとすると、伝言を頼まれてたのを思い出した。
「そういえば、神谷さんがお父さんを呼んでたよ?」
向かいに座っているお父さんが、何だろうなと首を傾げている。
「さぁ?でも急ぎじゃないって。」
二人して首を傾げる。とりあえず顔を出すと言って、お父さんは席を立つ。
「あの、神谷さんて?」
大学生の佐野さんが聞いてきた。
話していいのか迷い、お母さんの顔を見る。
「昨日から1ヶ月滞在のお客さんなの。」
私に変わって、お母さんが説明をしている。
「1ヶ月も?確かにここならそれくらい泊まっていたいかも。」
佐野さんが目を輝かせている。
「佐野くん、私たちもそれくらい泊まるじゃない。」
ピシャリと佐野さんの隣で、可愛らしい声が響くが美大生の大原さんは、見かけによらずかなりドライな感じだ。
「あっ、そうですね。」
的確な指摘に、佐野さんはアハハと笑いながら頭をかいている。
(…この人、天然なのかな?)
なんてことを考えてたら、大原さんは、ごちそうさまと言って席を立って、台所を出ていった。
それに習ってか、佐野さんも急いで残りのご飯を口に入れている。
「そんなに、慌てなくてもまだ大丈夫よ。」
お母さんが、佐野さんに声をかける。
ふと時計を見ると、まもなく13時になろうとしていた。
今日は、土曜日。まぎれもなく忙しい。もう少ししたら、泊まりのお客さんも来る頃だろう。
私も、ご飯をかきこんだ。
佐野さんも台所を出ていき、流し台にお皿を片付けにいく。
「お母さん、昼から出かけてきていい?」
「いいけど、どこへ?」
お皿を片付けながら聞いてくる。
「仲里先生んとこ。」
「なら、ついでにコレ持っていってちょうだい。」
はいこれ、と山ほどのおかずが入ったタッパを渡される。
「何コレ?」
「たくさん作りすぎたから、お礼を兼ねたお裾分けよ。ちゃんと、お礼言うのよ?」
「子供じゃないから大丈夫だよ。」
お母さんが、タッパを袋に入れて渡してくれた。
**********
玄関を出て、脇に止めてある自転車の籠にタッパの袋を入れる。ガシャンと鍵を外して、サドルにまたがると声をかけられた。
「明希ちゃん。」
この声は、神谷さんだ。
振り向くと、真上に太陽があるからか眩しそうに目を細めている。
「明希ちゃん、出かけるの?」
「はい。神谷さんもですか?」
「俺?俺は明希ちゃんが見えたから降りてきたんだ。」
「…」
「明希ちゃん?顔赤いけど、大丈夫?」
気付くと神谷晴人が、私の顔の前で手をヒラヒラさせていた。しかも、神谷晴人に言われた通り自分でも顔が赤くなってるのが分かるくらい、頬っぺたが熱い。
「な、何でもないです!」
慌てごまかす。自分でも何で赤くなってるのか分かる。神谷晴人に嬉しいことを言われたからだ。本心かどうかは分からない。けど、あんなことを言われると、正直照れてしまう。
「そう?まだ顔赤いけど?」
そう言う神谷さんの顔は、私がどうして赤くなってるか分かっているかのようだ。それが、なんだか悔しいと感じた。
「もう、からかわないで下さい!」
「ハハっ、ゴメンゴメン。それより明希ちゃんどこ行くの?」
「…えーと、ちょっとお裾分けに。」
さすがに、医院に行くとは言えない。
苦しいごまかしをしてたら、玄関がガラっと開いて春生が出てきた。
「あっ!いた。はい、これ!」
私を見つけるなり、タッパを渡してきた。
「何コレ?」
「これも先生に渡してって。あれ、晴兄も行くの?」
「そう、俺も行くの。」
「えっ!?」
神谷さんを見ると、私の方を向いてにっこり笑っている。
「あ、コレは冷凍しておいてって。それじゃあ気をつけてね。」
そう言って、さっさと中へ入っていく春生。
「…」
「で、どこ行くの?」
せっかくごましたのに、春生のせいで振り出しに戻ってしまった。
ニコニコした顔で、迫ってくる神谷晴人。
「…」
「あ・き・ちゃん。」
「ごめんなさい!」
自転車に乗ってたのが幸いした。神谷晴人を押し切って、ペダルをこいだ。
後ろで名前を呼ぶ声が聞こえる。少し罪悪感があるけど、さすがに仲里先生の所には一緒に行けない。
(本当に、ごめんなさい!)
**********
民宿から10分ほど自転車をこぐと、仲里先生の医院がある。島内でも数少ない、町医者なせいかいつも外来の時間はいっぱいだ。
ガラス戸を開けると、正面の受付に看護士の夏実さんが座って、カルテの整理をしていた。
「こんにちは。」
「あら、明希ちゃん。いらっしゃい。どうかした?」
私に気付くと、顔を上げて笑ってくれた。趣味がサーフィンなせいか、今年もすでにいい感じに焼けていて、ナース服の白色がよく映えている。
「先生、いますか?」
「先生なら今、金城のおばあちゃんのとこに診察に行ってるのよ。でも、もうすぐ帰ってくると思うわよ。」
壁にかかってる時計を見ながら説明してくれる。
「なら待ってますね。あ、それとコレ。お母さんから。」
夏実さんにギッシリおかずが詰まっているタッパを渡す。
「わぁ!いつもありがとうね。おばさんの料理、私好きなのよね。」
タッパの蓋を開けて、夏実さんはにっこり笑っている。
「先生が帰ってきたら頂くわね。」
そう言いながら、夏実さんは受付の奥にある冷蔵庫にタッパを入れている。
「そういえば、明希ちゃん。医者になるんだって?」
受付に戻らず、麦茶を持って来てくれた夏実さんが聞いてくる。
ここじゃ、何でも筒抜けだ。嫌なわけじゃないくど、思わず苦笑いになってしまう。
「なれたらいいなって思ってます。」
私の隣に座った夏実さんが、私の手をギュって握る。
「大丈夫!明希ちゃんは要領がいいもの。きっといいお医者さんになるわ!」
「夏実さん、ありがとう。」
頑張るのよ、とさらに手に力を込めてくれた。
「夏実さんは、どうしてわざわざここに来たの?」
ふと、気になっていたことがあったので聞いてみる。
夏実さんは地元出身でもないし、ましてや本島の出身でもない。生まれも育ちも横浜だ。歳も、まだ30歳前だし…
「あー、そうきた?」
麦茶をゴクっと飲んで、何か考えてる様子の夏実さん。単純に好奇心から質問したことだけど、一瞬の沈黙が聞いてはいけないことだと分かった。
「ごめんなさい!夏実さん、今のナシ!」
私が急に謝ったせいで、夏実さんは目をパチクリさせている。
「ううん、気を遣わせちゃってこっちこそゴメンね。ただ、明るい話じゃないからどうかなと思って。」
麦茶のグラスを両手で持て余している夏実さんは、困った表情をしている。
そんな夏実さんに、何て声をかけていいか分からずにいると、ガチャっと入り口のガラス戸が開いて仲里先生が帰ってきた。
「ただいま〜。」
「おかえりなさい、先生。」
夏実さんは立ち上がって、先生が持っている昔ながらのお医者さん鞄を受け取りに行った。
私も立ち上がって、入り口に向かう。
「こんにちは、先生。」
「あれ?明希ちゃん?どうかした?」
私がいるなんて思ってもみない先生は、かなり驚いている。
色褪せたTシャツにダメージジーンズ…というより、ダメージしちゃったジーンズの方が正しいかもしれない。ちょっとほったらかし気味の髪の毛はもうすぐ肩につきそうだ。いつも思うけど、まだ40歳なんだし、ちゃんとしてれば多分イケメンだ。それこそ、神谷晴人ばりの。
服装なんてちっとも気にしてない先生は、眼鏡のズレを直している。白衣を来てないと、到底医者には見えない。それが仲里先生だ。
「差し入れ、持ってきてくれたんですよ。」
「わざわざ?ありがとう。」
眼鏡の奥で、ちょっとたれ目な瞳がさらにたれ目になった。
「いえ、それより先生。ありがとうございました。お祖母ちゃんから、本もらいました。」
ペコっと頭を下げた。
「あー、そのことか?役に立つかは分からないけど、参考にはなるかと思って。」
ポンポンと頭を叩かれる。
「さぁ、立ち話もなんだから、明希ちゃんもほら。先生もご飯食べましょ。」
鞄を診察室に置いてきた夏実さんに、グイグイと背中を押されて、診察室を通りすぎ先生の家の居間へ。
ちなみに、仲里医院は先生の自宅もくっついている。
「おじゃまします。」
はい、どうぞとお茶を出される。
手伝うと言ったら、夏実さんに座ってなさいと言われて、広いちゃぶ台の前にチョコンと座っている。
「はぁ、お腹ペコペコ。」
白衣を脱いだ先生が、お腹を擦りながら座る。
夏実さんが隣の台所で、タッパの中の料理を暖め直していた。
「ところで、明希ちゃんはどうして医者になりたいと思ったの?」
お茶を飲もうと手を伸ばしたら、先生が聞いてきた。伸ばした手を引っ込めて、膝の上に戻した。
「言いにくい?」
「いえ、そうじゃなくて…」
私が医者になりたい本当の理由は、咲恵と家族しか知らない。
私が、医者を志す理由は小さい頃に死んだ父が関係している。私が養子だと知らない先生に、何から話していいか分からなかった。
「言い出しにくいなら、いいんだよ。ただ、僕も医者だから一応言っておこうと思ってね。」
にっこり笑っているけど、なんとなく気迫が籠もってて怖いと思った。
体に力が入る。
「ハハ。そんな身構えなくて大丈夫だよ。」
「はい、すみません。」
まだ力が入ってる私を見て、先生はそのまま話を続ける。
「明希ちゃんがどんな理由で医者になろうとしてるか分からないけど、生半可な気持ちでなってほしくないんだ。」
いつもニコニコしている先生が、真面目な顔でこっちを見ている。
「医者というのは、見てくれはカッコよかったりするけど、いつもいつでも命と向き合わなくちゃいけない仕事だ。病気や怪我だけじゃなく、心とも向き合わなくちゃいけたい。すごいシビアな世界なんだよ。だからこそ、生半可な気持ちで医者にはなってほしくないんだ。」
先生の言葉が胸に響く。似たようなことを、昔言われた。
「はい、分かってます。憧れとかでなりたいわけじゃありません。命の重さも、医者の仕事が大変だということも。」
私の顔を見ていた先生が、にっこりと笑った。
「そう、ならいいんだ。ただ、明希ちゃんの目指すものが僕と同じものだから、少しでも先輩として言っておきたくてね。明希ちゃんなら大丈夫だよ。きっとい医者になれるよ。」
「フフ。さっき夏実さんにも同じこと言われました。」
「えっ?そうなの?」
「はい。」
二人して全く同じことを言われたから、クスクス笑ってしまった。
「何?何の話?」
お昼ご飯を持った夏実さんが入ってきた。
それから、先生と夏実さんに色々話を聞いて医院を出る。
分からないことがあれば力になると言ってくれた二人の為にも、頑張らないとと小さく意気込んで、自転車にまたがった。