1DAY
深夜3時、東京の夏は夜でも蒸し暑い。
この蒸し暑さになれたのは、上京してから何年目からだろう?
そんなことも思い出せないくらい、私の体は東京の暮らしに慣れきってしまっていた。
消灯された廊下を自販機がぼんやり照らしている。
静かな病棟にガコンと缶コーヒーの落ちる音が響く。昔は全然飲めなかったブラックコーヒーが、今はそれがステータスになっている。
「新垣先生、どちらへ?」
コーヒー片手に廊下を歩いていると、看護師に声を掛けられた。
「落ち着いたから、ちょっと外の空気吸ってきます。何かあったら連絡ください。」
この病院に勤めて四年…まだまだ医者としては新米だけど、今の職場はスタッフもいい人が多くて嫌いじゃない。
大きな窓ガラスから月明かりが照らす待合室を横切る。
(今日で何日目の泊まりだろう…お風呂に入りたい…)
この仕事にオーバーワークは当たり前。この時間になると頭も動かない。
自分の欲求だけが、意識を支配しようとしてくる。
救急外来の出入口から庭へ出ると、生暖かい風が吹いていた。
お気に入りのベンチに座り、深く息を吐いた。
(疲れた…)
後ろで一つに結んでたシュシュを取り、軽く頭をふった。昔は短かった髪も美容院に行けないから、かなりほったらかしに伸びている。
もうすぐ三十路になる女の髪型じゃない。
この歳にもなると、地元の友達や大学時代の同級生からの、結婚や子供ができたなどの報告が多くなってきた。
最近じゃ、晩婚も高齢出産も珍しくないし、同僚のスタッフもまだ独身が多い。だからってわけじゃないけど、特に焦ることもしてない。
ポケットから携帯を出して、画面を見るとメールの着信を知らせるライトがピカピカ光っている。受信箱を開くと、新着メールが3件入っていた。
まず、1件目。地元の友達の咲恵。彼女とは小学校からの付き合いで、今や二児のママだ。私の一番の親友で、よき相談相手。
『忙しい?ちゃんと食べてる?今年の誕生日は帰ってこれそう?返事待ってるよ☆』
メールと一緒に、子供の写真が添付されている。真っ青な空の懐かしい故郷が背景で、海をバッグに二人の子供が満面の笑みでピースしていた。
フフッと笑みがこぼれた。
「誕生日かぁ…帰りたいなぁ。」
呟いた声が、儚く消える。忙しいことを理由に、医者になってからはほとんど誕生日に帰ってない。
2件目のメールを開く。健人だ。学生時代から付き合っていた元カレ。嫌いじゃなかったけど、お互いに仕事が忙しくなり自然消滅した。今じゃ、ただの飲み友になっている。
『よぉ!相変わらず忙しいか?時間できたら、飲もうぜ!』
(最近、飲んでないなぁ…)
3件目はお母さんだ。
『チケット届いてたから、送っておきました。忙しいのは分かるけど、たまには帰ってきなさい!お父さんも心配してるから。』
(チケット…?)
メールの内容からして航空券だろうか…。何のチケットか分からず、連絡したくても時間が時間なので諦めるしかない。しかも、病院に泊まり込んでるから、きっと自宅のポストはいっぱいになってるだろう。
携帯画面から目を外して、夜空にぽっかり浮かぶ月を見てふと思い出した。
―もし、十年後お互いまだ結婚してなかったら、その時は俺と結婚して?―
あの夏の日、彼から言われた誓いの言葉。
あの時の私は、その言葉を信じる勇気も、ずっと待ってる強い心も持っていなかった。
そういえば、もうすぐ彼と出会ってちょうど十年後だ。
あれ以来、私から連絡を取ったこともなければ、彼から連絡もない。でも携帯番号を変えることもできない、ズルい女だ…
あの時も綺麗な月が出ていた。
*********
高校最後の夏休みを目前に、終業式が終わったばかりの教室内は早くホームルームが終わらないかと騒ついていた。担任の香ちゃん…童顔で背も低いから、クラスの皆からそう呼ばれてるんだけど、もちろん親しみの意味も込めてね。その香ちゃんが静かにしてと叫んでいる。
教室の窓からは、澄み切った青空。真夏の太陽の日差しがコバルトブルーの海に降り注いでキラキラ輝いているのが見える。
たまに海風が私の肩まで伸びた髪を撫でていくのが心地いい。
沖縄より南にあるこの島の、私はこの景色が大好きだ。
(いい天気だなぁ…)
なんてことぼんやり考えてたら、スカートのポケットの中の携帯が鈍い音を立ててメールの着信を知らせている。
『学校が終わったら、すぐ帰ってきてね!』
お母さんからのメール。
『分かった!』
…と、メールの送信と同時に、香ちゃんが受験生なんだからくれぐれも羽目を外すなと釘をさして、ホームルームは終わった。教室内の空気は一気に夏休みへの解放感で満ち溢れ、皆それぞれこれからの予定を話すのに夢中だ。
「明希〜!これから進路指導室に行かなくちゃいけないから、先に帰ってて。」
窓側の席の私に向かって廊下側の席から親友の咲恵だ。一緒に帰る約束をしてたから、申し訳なさそうに顔の前で手を合わせている。
「いいよ〜。私も早く帰れってメールが来たから、すぐに帰らないといけないし。」
「民宿、忙しいの?それじゃあ明希、またメールするね。」
家は民宿を営んでいて、夏場は私も手伝っている。
「ちょうど今日から長期の滞在のお客さんがあるからじゃないかな。咲恵も進学でしょ?お互い頑張ろうね。」
またねと手を振り、おだんごヘアを気にしながら廊下を走っていく咲恵を見送り、私もカバンをさげて教室を出た。
「新垣さん!ちょっといいかな?」
廊下に出ると、香ちゃんに呼び止められた。
新垣 明希
これが私の名前…ちょっと呼びにくいんだけどね。単に好きでこの名前になったわけじゃなく、これにはちゃんと理由がある。
それは私が養子だからだ。実の母の妹、つまりは私の叔母にあたる美佐さんに小さい頃に引き取ってもらった。民宿も叔母さん夫婦が経営している。
「新垣さん。この前の進路希望なんだけど…親御さんも知ってるのよね?」
ヒールを履いてるのに、私より少し背が低い香ちゃんは私を見上げて話を切り出した。
「…知ってるよ。」
この場合の親御さんは、叔母さん夫婦のことになる。ちなみに香ちゃんは、私のこの事情を知らない。
(その話か…)
心の中でため息をつく。
私の進路はお母さん達にも報告済みで理解も示してくれている。問題は、先生達にあんまりよく思われてないということ。ここが田舎の離島で、ほとんどが地元で就職するか家業をそのまま継ぐのが一般的なのだ。進学するとしてもせいぜい沖縄の大学か良くても九州の大学が主だ。
そんな割合の中で、私は先生達から見たら異例中の異例なのだろう。
「じゃあ本当に東京の大学が第一志望でいいのね?そうなるとかなり頑張らないと難しいよ?ちゃんと対策も考えないといけないし…」
香ちゃんの顔は、私を説得しようと真剣だ。
「うん、分かってるよ。でも志望校は変える気ないし、ちゃんと難しいのも分かってるから。」
私の決意が固いのを察したのか、これ以上の説得は無理だと思ったのか、香ちゃんは納得したというよりは諦めた感じだ。
「…そう、分かったわ。夏休み中も私や他の先生もいるから、困ったことあったらいつでも相談してね。それから夏期講習には必ず出てね。」
「香ちゃんに?それはまた心配だな。」
冗談めかしに言うと、言ったなぁと頬を膨らます香ちゃんにさよならをして、下駄箱へ向かい、校舎を出た。
「明希〜!もう帰るのか?」
照りつける太陽の下、グラウンドを通り過ぎてると後ろから声をかけられた。
幼なじみの航太だ。野球部だけに相変わらずいい感じに日焼けしてて、1ヶ月前は五分刈りだった髪がソフトモヒカンくらいになっている。
「うん、お母さんが早く帰ってこいって。咲恵も進路指導だし。航太は?」
ちなみに咲恵と航太は、私が養子だと知っている。
「ふ〜ん。俺は今から野球部に顔出してから帰るよ。」
「引退したのに好きだね〜。いくら就職するからって遊んでると咲恵に怒られるよ?」
航太と咲恵は高校一年の時から付き合っている。咲恵が受験に忙しいのをいいことに、就職組の航太は部活を引退した後でもよく遊びに行っているのだ。
「うっせぇよ。それよりあの話知ってるか?」
「話??」
「なんだ、咲恵から聞いてねぇのかよ。この島を舞台にしたドラマの撮影で神谷晴人が来るらしいぜ。」
「え?!神谷晴人が?本当にぃ?」
あまりに非現実的な話で、航太を見る目が厳しくなる。
「お前その目は信じてねぇだろ!」
「当たり前だよ!だってあの神谷晴人だよ?こんな島に来るわけないじゃん。」
神谷 晴人…結婚したい芸能人、抱かれたい芸能人等々で常に上位をキープし、活動は歌にドラマにCMにと幅広くその甘いマスクに落ちない女はいないと謳われるほどの超人気イケメン芸能人だ。
「それがマジなんだって!お袋が言ってたから間違いねぇよ!」
「おばさんが?」
やけに自信満々に言いきる航太に圧倒されつつも、航太のおばさんは役場勤めだ。その筋からの情報なら本当かもしれない。
「信じる気になったか?」
「信じるも何も、本物見たら信じるよ…って携帯鳴ってるからまた今度ね。」
またもやスカートのポケットの中で震えてる携帯。
「なんだそれ。なら、賭けようぜ。」
「はぁ?賭け?」
かなり自信があるのか、航太は神谷晴人が来る来ないを賭けると言い出した。
そんな中でも私の携帯はまだ震えている。
「そう!神谷晴人が来るに、俺は賭ける。」
「…馬鹿馬鹿しい。」
付き合ってられないと思って、航太を無視して帰ろうとする。
「明希、逃げんのか?」
「…何それ?誰が逃げてんのよ。受けて立つわよ!」
ニヤリと航太は笑った。私の負けず嫌いな性格を知っているのだ。
「じゃあ決まりだな。俺は来る、おまえは来ないに賭けろ。」
「で、何を賭けるの?」
「そうだな〜、お互いの家で1日バイトするってのは?」
「私が酒屋で、航太が民宿ってこと?いいよ。」
上手く口車に乗せられて賭けは成立。負ければ、航太の家の酒屋さんを手伝うことになった。
「それじゃあな!」
負ける自信が余程ないのか、野球部が練習し始めているグラウンドへ走って行ってしまった。
まだこの時は、賭けを本気にしてなかった私は後で後悔する羽目になる。
走っていく航太を見送り、ふぅっと息をついて私も家へと歩き出した。いつの間にかバイブが止まった携帯をポケットから出して不在着信を確認する。
(知らない番号…)
すると、また着信がある。不在着信と同じ番号だ。出ようか迷っている最中も、まだ鳴っている携帯。
仕方なく通話ボタンを押して耳に携帯をあてる。
「…もしもし?」
「もしもし?出るの遅いよ!それより今どこ?」
(間違いかな〜。知らない人の声だし…っていうか何で私が怒られてるの?)
「…あの誰かと間違えてないですか?」
「…え?これって山崎の携帯じゃないの?」
「違いますけど…」
「…あ〜、ゴメンね。急いでたから間違えたみたい。本当にゴメンね。」
私の耳に無機質なツーツーという音が響く。相手はよっぽど急いでたのか最後のほうは早口で聞き取れなかった。
「今時あるんだ、間違い電話…」
暗くなった画面を覗きこんで思わず呟いてしまった。
これが、彼と私の出会いだ…というよりは、会話だった。
*********
学校から海岸線をひたすら歩いて家に着く。
「ただいま〜。」
「明希、おかえり!頼みがあるからすぐきてちょうだい!」
お母さんの声が台所から、帰ってきたばかりの私を急せる。
「何?手伝いなら夜からでもいいでしょ?着替えくらいさせてよ。」
一般家庭より広めな玄関で靴を脱いでると私以外に男物の靴が三足あるのに気付いた。
(もうお客さん来てるの?)
チェックインの時間までにはまだ時間がある。
曾祖父の代から民宿を営んでいて、島内じゃ老舗の民宿だ。宿はそんなに大きくないけどアットホームが売りで、毎年夏場は海水浴客や観光客でいっぱいだ。
私も休みの日は手伝っていて今夜から…というより今からはバイト扱いだ。
入り口から廊下突き当たりのドアを開けて母屋の台所へ。お客さんの料理もここで作っているから、かなり広い造りになっている。
「もうお客さん来てるの?」
カバンをテーブルに置き、冷蔵庫から麦茶を出しながら、昼食の準備をしてるお母さんに聞く。
「そうなの、例の長期滞在のお客さん。予定よりも早く着いちゃったみたいで…それで、明希に頼みがあるのよ。」
「ふ〜ん。何?頼みって?」
「そこのお茶をお客さんとこに出してきてくれない?お父さんが今チェックインしてるから。」
「えっ!まだ制服なのに?」
「気にしないでいいわよ。私、今手が離せないから。お願いね。」
お母さんがニッコリ微笑みながらグッと親指を立てている。微笑むというより含み笑いに近い感じで、何か企んでるようにも思えた。
私の喉を麦茶がゴクっと音を出して通り過ぎる。いつもならお母さんの担当なのに…と不思議に思いながらも、お客さんを待たせるわけにもいかず、渋々麦茶の入ったグラスを三つお盆に乗せて台所を出た。
階段を上がって二階の客間へ。
コンコンとノックをして声をかける。
「失礼します。お茶をお持ちしました。」
「はい、どうぞ。」
お父さんが中からドアを開けてくれた。けどやっぱり制服のまま接客するのが気が引けて、
お父さんに任せようかとお盆を渡そうとした。
「お父さん、これお母さんが…」
「明希、ちょうど良かった。今日から滞在されるお客様なんだけどね。長期滞在だから挨拶していきなさい。」
「え?今?」
思わぬ展開に動揺して、お盆の上の麦茶が揺れる。
「後じゃダメかな?制服はさすがに嫌なんだけど…」
「そんなこと気にしなくていいから、さぁ早く。」
大らかというより乙女心に鈍感なお父さんは、急かすように背中を押してドアを閉めた。
さっきのお母さんといい、今のお父さんといい何か引っ掛かる。いつもなら制服で客前には出さないし…
それにこの急ぎ様…そんなに大事なお客さんなんだろうかと、頭の中に?マークが飛び始めた。
「すみません、お待たせして。」
お父さんが襖を開けて和室の部屋の中に入る。
「いえ、気にしないでください。」
部屋からはちょっとしゃがれた男性の声が返ってきた。この時期に珍しくおじいさんの声だ。
「ちょうど娘がお茶を持ってきたので、ご紹介します。入りなさい。」
(マジで嫌なんだけどなぁ…えぇい!)
部屋の外でため息をついて、仕方ないと目を瞑り意を決して部屋へ入る。
「失礼します。」
「君が明希ちゃん?」
「えっ?」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれて私は目を開け、目の前にいる人を見た。
「…!!」
開いた口が塞がらないとはこのことだと思った。
私の瞳はその人から逸らせないでいる。
三人の男性客、私はてっきり大学生の観光客だろうと思っていた。
一人目は白髪の顎髭の生えたおじいさん。ラフな格好だがどことなく気難しそうな感じが見てとれる。
二人目は二十代前半くらいの流行りのカットで眼鏡を掛けてインテリっぽいけど、ちょっと遊んでそうな感じ。しかもなぜかスーツだ。
そして私の名前を呼んだのは三人目、あの神谷晴人だ。歌を知っているから聞き覚えがあるのも無理はないし、ゆるフワの髪に二重の切れ長の瞳、凛とした鼻筋に薄い唇…間違えるわけがない!正真正銘テレビでしか見たことのない神谷晴人だ。そんな人が私の目の前に座っている。
しかもこっちを見てにっこり微笑んでいる。
ついさっき航太と話してただけに驚きすぎて体が動かない。
息をするのも忘れるくらい、時間が止まったかと思った。
「な…?!」
なんでここに?って言いたいのに、あまりに驚きすぎて言葉にならない。
お盆の麦茶を落とさなかったのが奇跡なくらいだ。
口を開けて固まっている私を見兼ねたお父さんはお盆を奪い、すみませんと言いながら平然と麦茶を出している。
お盆を取られた私の両手はまだお盆を持ったままの形だ。どれくらい固まってたか分からないくらい、私はその場で立ちすくんでいた。
そんな私を現実に戻したのは彼の、神谷晴人の笑い声だった。
「アハハハハ!」
しかもお腹を抱えて笑われている。
「いいね〜、その反応。」
「晴人さん、失礼ですよ。」
神谷晴人より若めの眼鏡の男性は彼を嗜み、私にごめんねと謝っている。
神谷晴人はやっと笑うのを止めてくれた。それでも私がかなりのツボに入ったのか彼の綺麗な瞳は涙に潤んでいる。
ハッと我に返った私は笑われていることにとにかく恥ずかしくなって、思わず俯いた。自分でも顔が真っ赤になっていくのが分かる。
そんな中、お父さんが麦茶を配り終わり私を紹介してくれた。
「娘の明希です。まだ話していなかったので、すみません。さぁ挨拶しなさい。」
ポンと背中を押され、一歩前に踏み出してしまい余計に恥ずかしくなってしまった。
が、今のお父さんの話でモヤモヤしていた変な態度の訳が分かった気がした。もう頭の中はパニックだ。
「…よっよろしくお願いします。」
緊張と恥ずかしさのせいで口がうまく動かずつい声が裏返ってしまう。
穴があったら入りたいともこのことだと思った。
とにかくこの場所から一秒でも早く逃げたい衝動に駆られて…
「しっ失礼しました!」
「明希?!」
お父さんの声が後ろで聞こえたが、バタンとドアを閉めて一目散にお母さんがいる台所へ走った。
その時、彼が私を見ていたのも気付かずに…
「すみません、説明しておけば良かったんですが…」
「いえ、あんまりにも可愛い反応だったので。つい…僕が悪いですから。」
目に溜まった涙を拭いながら俺はちょっと罪悪感にかられた。
今まで自分が芸能人っていうのもあって、色んなファンや業界人にも会ってきた。けど、あんな風に素直に驚かれたのは明希ちゃん…って勝手に呼んでるけど、その明希ちゃんが初めてだった。
娘さんがいるとは聞いていたけど、まさか女子高生とは思わなくて。
パッチリ二重の大きい瞳が俺を捕えた瞬間さらに大きく見開いて、ふっくらした唇が何かを言いたげに開いたままだ。
セーラー服のスカートからスラッと伸びてる細い脚も微動だにしない。
その姿があんまりにも可愛いくて、思わず本音が出ちゃったんだよね。
「これからお世話になるんですからちゃんと後で謝ってくださいね、晴人さん。」
確かにその通りだ。明希ちゃんを傷つけたのは間違いない。
「そうだぞ、神谷くん。おかげでこちらも自己紹介が出来なかったからな。」
それもそうだ。本当ならお互いに挨拶して、今頃は明希ちゃんも笑ってたかもしれない。
「娘には私から言っておきますから。では夕食は19時に用意しますので、食堂までお越しください。それまではゆっくりしてくださいね。」
とにかく謝らなきゃと思った。
なんて会話がされてるとは知らない私はお母さんに詰め寄っていた。
「お母さん!どういうこと?」
昼食の盛り付けをしていたお母さんは私を見るなり大笑いしている。
「ゴメンゴメン。ちょっとしたサプライズよ〜。それより見た?話した?神谷晴人!カッコいいよね〜。」
「サプライズ?!」
まさかそんな言葉が出されるとは思ってない私の頭は完全にフリーズしてしまった。
「そう、サプライズ!明希、神谷晴人のファンでしょ?知らない方がビックリするし、それに楽しいじゃない?」
怒っている私をよそにお母さんはケラケラ笑っている。
…忘れていた。そう、お母さんは楽しいこと好きで、さらにサプライズも大好きだということを…
これまでに誕生日に同じ手に引っ掛かってきたことを思い出した。
満面の笑みを浮かべて楽しそうにしてるお母さんに、いつも私は何も言えなくなってしまう。でもさすがに今回のは黙ってられなかった。
「お母さん…私、恥ずかしくてもう死にそうだよ〜。神谷晴人に大笑いされたんだよ?」
今までの出来事を全て話した。極度の緊張に耐えていた私の足は力が抜けて私は椅子に腰を下ろした。ついでにテーブルに顔を伏せた。
「だからゴメンってば!ほらご飯できたから機嫌直して。」
「そういう問題じゃないし!!それに、神谷晴人のファンなのは春生のほう。もう、これから1ヶ月もいるのに初対面がアレじゃ、どう顔合わせていいのよ。」
そう!これが彼と私の出会いだ。こんな恥ずかしい出会い方をした私は恥ずかしさのあまり泣きそうになった。
「明希〜、あ〜きちゃん。ほらご飯食べて機嫌直して、ね?」
お母さんもさすがに笑われるなんて思っていなかのだろう。テーブルに伏せた私の頭を撫でてご機嫌取りに必死だ。
キュルルル…
私のお腹の音…KYにもほどがある。
お母さんの顔を盗み見みると、笑いをこらえている。そんな顔を見ていたら、なんだかいじけている自分がバカらしくなってきた。
「ほら、ご飯食べて元気出しなさい。」
もう一度頭を撫でられる。
「いただきます。」
手を合わせて、お昼ご飯の炒飯を食べ始める。すると、お父さんが客間から戻ってきた。手には宿の台帳とお盆を持っている。
「明希、さっきは悪かったな。」
お父さんは、私を見るなり謝ってきた。しかもお母さんと違ってかなり深刻そうに…
「もういいよ、お父さん。私気にしてないから。」
全く気にしてないというのは嘘になるけど、そう言わないとお父さんが気にしてしまうのだ。
「ほら、明希もこう言ってるんだし。大丈夫よ」
「美佐…元はと言えばお前が悪いんだろう。内緒にしとくとか言うから。」
と、お母さんにブツブツ言っている。そんなお母さんは笑いながらゴメンと言っている。
うちはいつもこんな感じだ。お母さんは割と大雑把で細かいことも気にしない。気にしすぎなお父さんはそんなお母さんに振り回されてる。私はこの掛け合いは嫌いじゃない。
「でもマジで神谷晴人がいるんだもん。誰でもビックリするよ。なんでうちにいるの?」
炒飯を食べ終わり、麦茶を飲んで一息つく。
「ドラマの撮影でね。なんでもこの島が舞台らしい。」
お父さんが炒飯を食べながら説明してくれる。
「じゃあ航太が言ってたのは本当なんだ…」
「航太が?」
「うん、航太が…って、あー!!!」
「なんだ!どうした?」
二人が私の大声にビックリしている。
「航太と賭けしたの忘れてた!」
両手で頭を抱える。そう、神谷晴人に会えたはいいが、会えたのに驚いていて賭けのことをすっかり忘れていたのだ。
「賭け?」
お母さんが聞いてくる。
私が負けて、航太の家の酒屋を手伝わなければならないということをため息まじりに説明した。
「だって来るなんて、これっぽっちも思わないじゃん。」
「なるほどなぁ…確か役場が町起こしの一環でテレビ局に頼んだのが切っ掛けだから情報が漏れたんだろうな。航太は確信犯だな。」
笑いながらお父さんが残念だったなと肩を叩いてくる。
「うちの宿が選ばれたのは、静かなのと海が近いからだそうだ。それと、さっき部屋にいたおじさんが神谷晴人さんの事務所の副社長さんで、若い方がマネージャーさんだ。」
話を聞いていると、ドラマの撮影自体は来週からで主演の神谷晴人は休養も兼ねて先に現地入りしたらしい。本来なら最終の便で来るはずが、予定が早く終わった為に午前中の便で来てしまったのだという。
こんな有名人がプライベートで泊まりにくるなんてバレたら大騒ぎになるということで、お父さん達は今日まで内緒にしてたみたいだ。
それで本当なら私は学校から帰ってきたらこの事をお父さんから聞く予定が、どうやら早く到着してしまったので言いそびれてしまった為に、ならこの際サプライズにしようとお母さんが思いついたみたいだ。
思いつくのは自由だが、私にしてみたらいい迷惑だ。
一通りの説明が終わって三人でテーブルを囲んでると、玄関から大声が聞こえ何事かと思い席を立った。
「かっ神谷晴人?!」
台所から駆け付けると、玄関の引き戸を開けたままで、さっきの私みたいに固まって大声を出したのは、弟の春生だ。…私は声も出なかったけどね。ちなみに弟と言っても正確には従弟だ。私と同じで中学生の春生も今日から夏休みで民宿の手伝いをすることになっている。
この状況から察すると、春生も知らなかったみたいだ。
おそらく玄関を開けた所で鉢合わせたのだろう。神谷晴人含め三人は靴を履いて出かけるところみたいだ。
「なんでここにいるの?!」
春生は神谷晴人に指をさしてまた叫んだ。その頬は興奮しているのか真っ赤だ。
「春生、おかえり。今日から1ヶ月滞在のお客様だよ。挨拶しなさい。」
お父さんが間に入り声をかける。
「俺、すっごいファンなんです!CDも持ってるし!ドラマも見てます!」
多少顔は強ばってるが、大ファンの神谷晴人が目の前にいるから、テンションが上がりまくっている。
「君が春生くん?それはありがとう。今日からお世話になります。神谷晴人です。よろしくね。」
神谷晴人がにっこりと微笑んでとても優雅に春に手を差しだした。春生もそれに応えた。
「よっよろしく!」
春生のそこそこイケメンだから、がっちり握手してる二人は写真に収めたいくらいやたら絵になった。
「こら春!よろしくお願いしますでしょ?」
お母さんが怒る。
「いいですよ、僕も気楽なほうがいいですから。」
と言いながら、神谷晴人が振り向いた。その後ろでは春生がほらみろと言っている。そして神谷晴人は台所のドアの前で立っている私とお母さんを見つけた。
「明希ちゃん!」
「は、はい?!」
まさかまた名前を呼ばれるとは思ってなかった私はまた声が裏返ってしまった。
履いてた靴を脱いで神谷晴人は私に向かって歩いてくる。さっきの場面がフラッシュバックされて、思わず体が固まってしまう。私は咄嗟にお母さんのTシャツ袖を掴んだ。
「ゴメン!」
「え?」
一瞬何が起きたか分からなかった。私の目の前で神谷晴人が頭を下げているのだ。
お父さん、お母さんに春生も何事かと驚いている。
「あ、の…?」
その行動が理解できなくて、何て言えばいいのか分からない。
私が戸惑っているのが分かったのか、神谷晴人は顔を上げて私を見つめた。
「さっき笑っちゃって、ゴメンね!失礼だよね、初対面の女の子に。本当にゴメン!傷つけちゃったよね?」
一瞬何のことか理解できなかった。それもそのはずで私は確かに笑われたが、傷つけられたなんて思ってなかったからだ。
「あの…こちらこそ失礼なことしてすみませんでした。」
私も頭を下げた。
「えっ?」
今度は神谷晴人がポカンとしている。
「どうして明希ちゃんが謝るの?何も失礼なことしてないよ?」
「いえ、あの、なんて言うか…挨拶もまともにしなかったから…」
「明希姉、またドジしたの?」
神谷晴人の後ろで、春生がニヤニヤ笑いながらこっちに野次を飛ばしている。
「またって何よ?それにドジじゃないし!」
つい言い返してしまう。
「コラ!やめなさい、二人とも!お客様の前で!」
お母さんの仲裁が入る。これもまた新垣家の日常茶飯事だ。春生が私にちょっかいを出して、お母さんが間に入る。いつもならスルーしてるが、今日はつい言い返してしまった。
なぜなら神谷晴人にドジだと思われたくなかったから。
ふと視線を感じて辿ってみると、神谷晴人が口とお腹を手で抑えて肩を震わせている。
「あの?」
「…アハハ、本当に面白いね。仲のいい姉弟だね。」
そう、何が面白いのか分からないけれど、またツボにはまっていたのだ。
仲のいい姉弟…私と春生は彼の目にはちゃんと姉弟に見えてるようで、どうやら私たちは気に入ってもらえたみたいだ。
「僕にも姉がいるんです。明希ちゃんと春生くん見てたら思い出しちゃって、つい…」
二人を見てたら嫁いで行った姉を思い出した。
こんなに素直に笑ったのはどれくらい前だろう…って考えるくらい、
最近は笑ってなかったことに気付いた。もちろん仕事で笑うことはある。マネージャーや副社長も一緒にいるけど、今は全くのプライベートだ。
明希ちゃん…会って数分で俺を二回も笑わせてくれた子。こんなに興味をそそられるなんて初めてだった。
「神谷くんがこんなに笑うのは初めて見るな。」
と、白髪の叔父さん。この人が副社長さんだ。
「そうですね、副社長。」
今度はマネージャーさんも頷いている。
「えっ!そんなに笑ってない?」
そんな二人の言葉に神谷晴人が驚いて笑っている。
その笑顔に私は違和感を覚えた。どこかで見たような気がしたから、遠い昔に…
「そうそう、紹介が遅れたんだけど、こちらがうちの事務所の副社長の安西さんと僕のマネージャーの山崎くん。」
簡単に神谷晴人が後ろの二人を紹介してくれ、よろしくと声をかけてくれた。
(山崎?どこかで聞いたような…)
どこかで聞いたことある名前に、私の頭の記憶を辿るが思い出せないでいた。
「明希ちゃん、というわけで1ヶ月お世話になります。」
神谷晴人が手を差し伸べている。どうしようか戸惑っていたら、お母さんがほらと肩をたたいてきた。私もおずおずと手を出した。
ギュッ
固く握手された私の手は強く、それでいて優しく男の人の手に包まれていた。異性と握手するなんて初体験だ。
その初めてが神谷晴人で夢じゃないかと思うくらいの出来事だった。思わず顔を見てポーっとしてしまう。
「明希ちゃん?」
でもその時の彼女の笑顔は心の底から可愛いと思った。
とりあえずお互いのわだかまりが溶けた所で俺たち三人は外へ出た。彼女の笑顔に見送られて…
私も彼らを見送り、制服から着替える為に部屋に向かった。お父さんから手伝いは夕方からでいいと言われたので、それまで部屋で休もうと思った。
制服からTシャツとショートパンツに着替えた私はベッドにゴロンと横になる。
ベッド脇のサイドテーブルには昔に撮った家族写真が飾ってある。その写真に向かってその日の出来事を話すのが日課だ。
私はうつ伏せになり写真を手に取った。
「ママ。今ね、スゴい人に会ったの。誰だと思う?芸能人の神谷晴人だよ!ホントにビックリだよ。まさか芸能人に会えるなんて思わなかったよ。」
写真の中で、麦わら帽子をかぶってピースサインをしている小さい女の子二人と、真っ白いワンピースに女の子と同じ麦わら帽子をかぶって寄り添って優しく微笑んでいる女性。私のママと妹だ。目元が姉妹だけあってお母さんに似ている。小さい頃にこの島に遊びに来て撮った写真、私のお気に入り。
「そう!それにね!神谷晴人と握手しちゃったんだ。私、男の人と握手したの初めてだよ。…ママは、いつ初めて男の人と握手したのかな?」
写真を持ったまま寝返りをうって仰向けになる。ベッドの上の窓から風が入りカーテンがなびいていた。
*********
コンコン…
「ん…」
コンコン…
誰かがドアをノックしている。私は微睡みの中にいた。どうやらあれから寝てしまったようだ。写真たてを元の場所に戻して、ベッドから体を起こす。
「明希?入るぞ?」
お父さんが部屋に入ってきた。
「なんだ寝てたのか?」
「…そうみたい…」
まだボーっとしている頭をふる。
「それで何か用事?」
「あっ!そうだった。酒屋に行ってコレ買ってきてくれ。」
はい、とかお父さんにメモを渡された。
「分かった。ついでに咲恵の所に寄ってきてもいい?」
「いいけど、神谷さんのことはまだ言うなよ!それと夕食まで時間ないから早くな。」
お父さんにくれぐれもと言われて、私は外に出た。
夕暮れ前だというのに太陽は燦々と輝いている。
うちの民宿から15分くらい歩いた所に咲恵の家がある。彼女の家は居酒屋を経営していて、うちに泊まるお客さんも利用している。
ガラっと入り口を開けると、咲恵のおじさんがカウンターで支度をしている。
「おじさん、こんにちは。咲恵いる?」
「おぅ、明希ちゃん。咲恵なら上にいるよ。」
ありがとうとお礼を言って、私はサンダルを脱いで二階の階段を上った。
コンコン
「は〜い。」
「私。入るよ?」
ドアを開けると咲恵はベッドに寝転がって雑誌を読んでいた。
「明希、いらっしゃい。何か飲む?」
そう言うと、ベッドから出て私の方へ歩いてきた。
「ううん、いらない。これから航太のとこに寄ってお酒もらわなくちゃいけないから、すぐ帰らなくちゃいけなくて。」
「そうなの?残念。」
そう言って肩をすくめる。
「咲恵、どうだった?進路相談。」
私達はベッドに座った。
「今のところ、合格圏内だって。」
咲恵は、沖縄の大学に進学する予定だ。
「そっかぁ…いいなぁ。」
思わず本音が漏れる。
「明希は?」
「かなり頑張らないと厳しいって。」
咲恵は私が東京の大学に行きたいのを知っている。
「そっかぁ、でも明希なら大丈夫だよ。一緒に頑張ろう?」
咲恵はいつも私が自信がない時にこうして励ましてくれる。私のかけがえのない親友だ。
「そういえば、明希。30日はちゃんと空けといてよ?」
30日…私の誕生日だ。咲恵が企画してくれて毎年楽しみにしている。
「うん、大丈夫。お母さん達には言ってあるから。」
「17時にはうちに来てね。」
「分かった。楽しみにしてるね。」
私と咲恵はお互いの顔を見て笑い合った。
「それじゃあ、帰るね。」
そう言い私は咲恵の家を出て、航太の家が経営する酒屋へ急いだ。
**********
「こんにちは〜。」
島の商店街にある酒屋は夕暮れの買い物客で賑わっている。
「よう、明希。買い出しか?」
店の奥から私を見つけて航太が声を掛けてきた。
「航太、これある?」
お父さんからのメモを航太に渡す。
「あるけど…お前これ歩いて持って帰るのか?」
「えっ?なんで?」
「なんでって、これ七本って書いてあるのに。お前歩いてきてるから。」
私達はお父さん手書きのメモを見た。1か7か正直、私はずっと1だとばかり思っていた。だから歩いてきたのだ。
「…お父さんに確認してみる。」
ポケットから携帯を出してお父さんに電話をかける。するとほどなく繋がった。
「もしもし?どうした?」
「もしもし。メモのお酒の本数だけど…一本?七本?」
「あれ?七本って書いてなかったか。」
「…」
「明希?どうかしたか?」
「あっ、ううん。何でもない。それじゃあ。」
電話を切って航太のほうを振り替える。
「どっちだって?」
「七本だって…」
ずっと一本だと思ってた分、凄い恥ずかしい。
「アハハ!お前たまにドジするよな!」
航太がお腹を抱えて笑っている。今日は凄く笑われる日だ。
「でもどうしよう…七本も持って帰れないよ。」
そう一本ならまだしも一升瓶を七本も持って歩けるほどの力は私にはない。
「仕方ねぇなぁ。俺が持ってってやるよ。」
「マジで?助かるよ、ありがとう。」
「親父!ちょっと明希んちに配達してくる。」
レジにいる叔父さんに声を掛けると航太は自転車の荷台に酒瓶をくくりつけた、私たちは並んで歩きだした。
「そう言えば、賭けの話なんだけど…」
「そういや、お前進路決めたのか?」
私の言葉を遮って、航太が唐突に切り出した。まだ航太には言っていなかった。
「賭け?あぁ、昼間の?それよりおまえの進路だ。決めたんだろ?」
「…」
航太に進路の話をしたくなかったから、急いで話題を変たかったが無理みたいだ。
「お前、咲恵には言えても俺には言えないのかよ。」
ジロリと睨まれる。航太の言葉に胸が痛い。航太には言い出しにくい理由があった。
「あの航太、私…」
「あれ?明希ちゃんじゃない?」
商店街を抜けて海岸沿いの通りを歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。この声には聞き覚えがある。
振り向くと、数メートル後ろをTシャツにジーパンとキャップを深く被ったラフな格好の神谷晴人が一人で歩いている。
そう、私が彼を見たのは昼過ぎで三人で出かける所だ。その時とは服装も違うし、雰囲気も…なんていうか気取ってない感じだ。
私を見つけた神谷晴人は私だと分かると駆け寄ってきた。
「か、神谷さん?なんでこんな所に?」
「やっぱり、明希ちゃんだ。良かった、間違ってなくて。今ちょっと散歩してたとこ。」
隣を見たら航太がビックリしている。
「なんで?神谷晴人が?」
航太が驚いている間に、神谷晴人は私たちの目の前まで来ていた。
私は航太にどうして神谷晴人がここにいるのかの事情を話すと、航太はほらみろと私を睨んでいる。
「なら俺の勝ちだな!俺の言葉に嘘はなかっただろ?」
「なに?何の話?」
会ったばかりで神谷晴人事態どんな人か分からないが、人見知りをしないのとかなり気さくな人なのは確かだと思う。
私ならまず無理だ。特に年上の男性なんて、何を話していいかも分からないから緊張してしまう。
「実は…」
と、神谷晴人が来ると噂になっていて、航太と賭けをしていたことを説明した。
「で、明希ちゃんが負けたの。ふ〜ん。あっ!だからあんなにビックリしたの?」
ニヤリと笑われながら顔を覗きこまれる。目の前に神谷晴人の格好いい顔があって、またビックリする。
私には、彼氏がいた経験がない。要は男友達程度なら航太もいるから免疫はあるが、友達でも家族以外の男の人には免疫がないのだ。正直、今もここから逃げたいくらいだ。
「…そうです」
「何か、あったのか?」
航太に話すと笑われるから、何でもないとごまかす。
「それじゃあ、え〜っと…」
「航太です!金城航太!」
自転車を押しながら航太は張り切って答える。春生といい航太といい、芸能人相手に緊張はしないのだろうかと思った。
「航太くんね。俺がここにいること、黙っててくれない?」
変わったお願いに、私と航太は目を合わせる。
「撮影が始まれば嫌でも目立つと思うんだけど、それまではオフだからゆっくりしたいんだ。だから、今の俺は芸能人の神谷晴人じゃなくて、ただの神谷晴人ってこと。」
シーっと形のいい唇の前に、これまた綺麗な長い人差し指が内緒ねと言ってくる。
うんうんと首を縦に振ってる航太も私と同じことを思ったに違いない。
そんな私達を見てから、神谷晴人が切り出した。
「ところで、航太くんは明希ちゃんの彼氏?」
見事な直球の質問に、航太と顔を見合わせる。同時に笑いも込み上げてきて我慢できない。
「「ないない!絶対ない!」」
二人して、手を振って否定する。
「航太はただの幼なじみです。」
「ただのって何だよ?」
「そうなの?仲良く歩いてるから恋人同士かと思っちゃった。」
「違いますよ。ホントに幼なじみです。それに航太はこれでも彼女いるんですよ。」
私は航太を指さして捕捉する。
「お前、これでもって何だよ?」
「航太がこれでもじゃないなら何だっていうのよ!」
神谷晴人が隣にいると言うのに、私達は売り言葉に買い言葉でギャーギャー騒いでいる。
「ハハ…若いっていいな〜。俺も学生時代に戻りたいな。」
その言葉に言い合いを止めて神谷晴人の顔を見ると、瞳は遠くを見ていてどことなく寂しげだ。
それでも格好いいと思うのは、彼が芸能人だからだろうかと思った。
「神谷さんだって、十分若いじゃないですか?」
珍しく航太が相手を気遣っている。
「俺?」
コクンと二人で首を立てに振る。
「君達から見たら、もうオッサンだよ。今年で34だし。」
「えっ?!」
思っていた年齢よりかなり上だったので、ビックリして声が出てしまった。だけど、叫んだのは私だけだ。航太は叫んだ私にビックリしている。どうやら神谷晴人の年齢を知らないのは私だけみたいだ。
「知らなかったのかよ、明希…」
呆れた感じで私を見る航太の視線が痛い…
「…うん。28くらいかと…ていうか、なんで航太が知ってるのよ?」
失礼かと思って、航太とコソコソ小声で話す。
「お前、女のくせに雑誌とか見てないのかよ。年齢隠してないから、プロフとかにちゃんと出てるぞ…」
「だって、神谷晴人なんてそこまで見ないし…」
そう、私は神谷晴人というよりはそういう情報まで興味がないのだ。
神谷晴人は、ちゃんとお手入れをしてるのか、ベビーフェイスだからか見た目ではかなり若く見える。
相手が有名人で現代がネット社会なだけに、自分が知らないのはなんか複雑な気分だ。しかも本人が目の前にいれば尚更だった。
「それは残念。俺もまだまだ頑張らないとね。」
ハハっと笑う神谷晴人に、私は苦笑いしかできなかった。
そんな他愛ない話をしていると、あっという間に民宿に着いた。
航太が荷台からお酒の入ったケースを下ろす。
「明希、これ裏口でいいよな?」
「うん、お願い。お父さん、厨房にいるから。」
おぅ、と返事して航太はお酒のケースを持って裏へ回ってしまう。
「…幼なじみかぁ…」
「え?」
その声に振り向くと、神谷晴人の顔はなぜか悲しそうだ。
「あの?どうかしましたか?」
私の言葉に我に返った様子の神谷晴人は、またにっこりと笑顔を浮かべて、何でもないと言ってきた。
「そうですか?」
何でもないようには見えないが、そこまで親しくない以上、本人が何でもないと言うからには私も何も言えない。
「ここの海はキレイだね。」
うちの民宿からはどこからでも海が見える。それを眩しそうに眺めて神谷晴人が呟いた。
「はい。私は大好きです。」
明希ちゃんの大好きという言葉に海から視線を外すと、彼女も海を眺めて幸せそうに微笑んでいる。
「こんな所で育った明希ちゃんは幸せだね。」
「…そうですね。」
見逃さなかった。明希ちゃんの一瞬の暗い顔。でもすぐに元のお日さまみたいな笑顔に戻った。
「そういえば、もうすぐ夕食ですよね?早く中に入りましょう。」
なんだろう?このモヤモヤした感じ。俺は明希ちゃんのことが初対面の時から気に入ってるのは確かだ。
その明希ちゃんの笑顔が今は痛々しく見える。明希ちゃんのその笑顔の裏には何かが隠されている。
「…そうだね。歩いたからお腹すいたよ。」
ここはスルーしよう。今はまだ聞いてはいけない。その方がいいと感じた。
すると明希ちゃんはニコッと笑ってくれた。俺の知ってる太陽のような笑顔で。
神谷晴人はそれじゃあと言って、部屋に戻って行った。私はそのまま台所へ。
台所へ行くと、お母さんと春生が料理を盛り付けていて、航太がお父さんから伝票にサインをもらっていた。
「はぁ…」
思わずため息が漏れる。
私に気付いた三人がおかえりと声をかけてくれた。
「何?ため息なんかついて。珍しいわね。」
お母さんが手を止めて私を見る。航太もお父さんも春生も。その視線に耐えかねてわけを話した。
「なんか色々あって疲れちゃって。芸能人ってもう少し気取ってるのかと思った。神谷晴人ってなんていうかイメージと違う…」
春生がニヤニヤ顔で私を見ている。
「何?ニヤニヤして?」
「明希姉さぁ…一目惚れでもしたの?」
「ひっ、一目惚れ?!」
自分でも考えてなかった言葉にビックリする。
「何?図星?」
「はぁ?そんなわけないじゃない。」
春生の言葉を一喝して、私も民宿の名前が入ったエプロンを手に取ってつける。
「確かにイケメンよね、神谷さんは。明希が本気なら、お母さん応援するわ。」
「はぁ?お母さんまで何言ってんの?そんなの違うって言ってるでしょ?」
もうっ!と怒って、私も盛り付けを手伝い始める。
「明希、いくら彼氏いないからって現実見ろよな。賭けのこと忘れんなよ!じゃあ、帰るわ。」
気分良く手伝いたかったのに、航太の言葉にカチンとくる。しかも、いい逃げだ。信じられない…
「明希、手伝いはほどほどにして勉強しろよ?」
お父さんはなだめるように話し掛けてきた。
「うん、コレやったら部屋に戻るよ。」
**********
俺は明希ちゃんと別れて部屋に戻った。広くはないけど、琉球畳の和室は上京したばかりに住んでたアパートを思い出す。
客室の窓を開けると、夏の風が入り込み一面の海が見える。
俺は一目でこの景色を好きになった。
コンコン
「は〜い。」
ドアを開けるとマネージャーの山崎くんが申し訳なさそうな顔で立っている。
「あの晴人さん、お話が…」
「どうしたの?」
あんまりにも不安な表情にこっちが逆に不安になる。
「実は、一度東京に戻らないといけなくなっちゃって…」
「えっ!俺?」
「いえ、僕だけです。」
その言葉を聞いてホッとする自分がいるのに気付く。
訳を聞くと、どうしても事務処理をしなくちゃいけないらしく東京に戻れと言われたらしい。俺は一応休暇という扱いだから、そのまま残ってもいいらしいんだけど、あんまり目立たないようにとのこと…こういう時、自分の職業が恨めしく思う。
「そういうわけで、副社長の明日帰京に合わせて僕も帰ります。ので!くれぐれも目立つ行動は避けて下さいね。」
「はいはい。」
「晴人さん、返事は一回で大丈夫です。あと呑み過ぎにも注意してください。」
今年の春に俺の担当になった山崎くん。まだ26歳なのに、俺より人間が出来ている。こんな風に気遣ってくれると、俺の彼女みたいだとたまに思う。でもそれもマネージャーの仕事の内なんだけどね。
「分かってるよ。撮影もあるんだし、羽目は外さないよ。」
「約束してくださいよ?」
俺の私生活が不摂生なのを知っている彼の目は、疑り深く俺を見ている。
「約束するよ。」
そう言うと、彼の顔に笑顔が戻った。
その後、副社長を部屋に呼びに行き夕食を食べに下の階の食堂へ行った。
食堂へ着くと、テーブルに伝統の郷土料理が並べられていた。
席につくと、奥から美佐さんが泡盛を持って出てきた。
「これ、美味しいんです。どうぞ飲んでみてください。」
「そんな気を遣わないでください。」
と、副社長。でも顔はまんざらでもない感じだ。その満足気な顔を見て、美佐さんも水割りを作り始める。
俺は、周りに他のお客さんもチラホラいるなかで、ご主人と春生くんの姿はあるが明希ちゃんがいないことに気付いた。
そうそう、他のお客さんがなんで俺に気付かないかというと眼鏡をかけてるから。これだけでも案外バレない、複雑だけどね。
「美佐さん、明希ちゃんは?」
「明希なら、部屋で勉強してますよ。」
「勉強?」
「あら、言ってなかったでした?明希、ああ見えて受験生なんですよ。」
「え?そうなの?」
それは大変だと、副社長や山崎くんは首を立てに振って頷いている。
てっきり夕食時にはまた会えるだろうと思っていただけに、ショックを受けてる自分がいる。自分でもここまで明希ちゃんを気にしてる理由がよく分からないでいた。
「なんだ、神谷くんはあの子がお気に入りみたいだな。」
水割りを飲みながら目ざとく副社長が聞いてくる。
「珍しいですよね、晴人さんが会ってすぐの子を気に入るなんて。」
今度は山崎くんだ。
「そう?」
自分で言うのもなんだが、俺はそこそこ格好いいからファン層も女の子のが多い。遊ぶだけの女なら、コネを使えばいくらでもいる。だからいつもは初対面の女の子にはあんまり興味がない。
でも、二人が言ってたように当人の俺でさえ明希ちゃんを気に入ってる理由が分からない。だから何て答えていいか分からなかった。
「女将、あの子をスカウトしたらだめかね?」
副社長が突然切り出した。確かに明希ちゃんは、そこら返のアイドルよりは可愛いし、身長もあるからスタイルもいい!芸能界に入れば売れると俺も思う。
でも…
「いいお話ですが…どうでしょうか?」
美佐さんが困った顔をしていて、その顔は見るに明らかだ。芸能界に入れるつもりはないと言っている。
「良かったら本人と話をさせてください。彼女なら売れること間違いない。」
副社長がまだ引っ張っている。あながち冗談で言い出した訳じゃないらしい。
「ですが…」
「まぁまぁ、副社長。話が急ですし、今日の所は飲みましょうよ。」
困り果てた美佐さんを見兼ねて助け船を出した。
渋々納得した副社長は箸を手に持ち郷土料理を食べ始めた。
向かいの席の俺と山崎くんはホッと息を吐いた。
「それじゃあ何かあれば声かけてください。」
そう言って美佐さんは奥の台所へ戻っていく。
俺たちも美味しい泡盛と料理に舌鼓を打ち、その日の夜はふけていった。
**********
机に広げた問題集から目を外して時計を見たら、夜の11時を回っていた。夕飯を軽く済ませただけの私のお腹は何か食べたいと鳴っている。背伸びをして固まっていた筋肉を伸ばすと、背骨がポキッと軽い音を立てた。
「…お腹減ったな。」
階段を降りて台所へ。
冷蔵庫を開けると小さめのおにぎりが二個入っていて、ラップにメモが貼ってある。
『お疲れさま』
お母さんの文字ににっこり笑ってしまった。
私が夜、勉強をするようになってからの夜食には、必ず一言添えてくれる。
レンジで温めてる間にコップに麦茶を注ぐ。
ふと後ろで空気が動いた。
ポンっと肩を叩かれ、持っているコップを落としそうになった。
「!!」
振り向くと、春生となぜか神谷晴人まで一緒にいる。
「何してんの?明希姉。」
今日何回目のビックリだろう…驚く私を余所に二人はキョトンとしている。
「な、何って、お腹すいたから夜食を食べようと思って…春生は?それに何で神谷さんまで?」
春生だけならまだしも、神谷晴人までいると変に緊張してしまう。
「俺も腹が減ったから降りてきたら、晴兄に会ったからさ。」
…晴兄??
「実は俺も小腹がすいちゃって。コンビニにでも行こうとしたら、春生くんに会ってさ。カップ麺なら作れるって言うから、ついてきちゃった」
ついてきちゃったと可愛く言われると、自分だけおにぎりを食べるのが気が引ける。それに、一応お客さんの夜食にカップ麺なんか出せない。
「…何か作りましょうか?」
「やったね、晴兄!」
「明希ちゃんの手料理かぁ、楽しみだね。」
と、二人は仲良くガッツポーズしている。何だか本当に兄弟に見える。
棚の中に沖縄そばのインスタントが入っていたのでそれにする。鍋に水を入れて火にかけた。
「それなら少し待っててください。ところで、春生。晴兄なんてお客様に失礼でしょ?」
春生をジロリと睨む。
「なんで?晴兄がそう呼んでいいって。」
そう自慢げに言ってくる。聞くと、夕食の時に二人は意気投合して春生が、兄ちゃんがいたら神谷さんがいいという一言から始まったらしい。
「だからって…」
「いいんだよ、明希ちゃん。これから1ヶ月もお世話になるわけだし、俺も堅苦しい敬語とかは苦手だしね。良かったら明希ちゃんも、晴兄って呼んでよ。」
「…いや、それはちょっと…」
私の言葉を遮って、神谷晴人が言う。本人から言われると、私も反論できない。でも、私は春生みたいに神谷晴人を晴兄と呼べなかった。
沖縄そばを作り終わると、二人は仲良くテーブルに座って待っている。
「はい、どうぞ。」
テーブルの上に沖縄そばを二つ置く。
「わぁ、美味しそう。いただきます。」
そう言って神谷晴人は麺をすする。春生はすでにガツガツ食べていた。その様子を見て、私もおにぎりを食べる。「そういえば、晴兄聞いてよ。」
「何?」
「明希姉がね、一目惚れしたんだってさ。」
ゴホっゴホっ!
春生の言葉にビックリして、飲んでいた麦茶が変な所に入ってむせた。
「春生!」
「明希ちゃんが一目惚れ?誰に?」
神谷晴人は興味津々だ。
「それはね〜…」
意味深に春生が私を見る。その春生を睨んだ。
「春生!」
「誰?誰?」
私を余所に二人はすごい盛り上がっている。
一目惚れなんかしてないけど、その相手が神谷晴人だと言われたらどうなるか知れたものじゃない。こうなったら、最後の手段だ。
「春生。それ以上言ったら、真由ちゃんにあんたの一番恥ずかしい話バラすわよ?」
「え?!それはやめてよ!明希姉!」
春生の顔色が変わる。これがいつも春生を黙らせる手段だ。ちなみに真由ちゃんは春生の彼女だ。
「なら、さっきの話もナシよ。大体一目惚れなんてしてないって言ったじゃない」
「え〜。聞きたかったのになぁ…」
神谷晴人は本気で残念がっている。
「そもそも一目惚れなんてしてないですから!」
「もしかして、俺だったりして?」
神谷晴人がおどけて言ってくる。ドキッと心臓が嫌な音を立てたけど、悟られるわけにはいかない。
「…まさか、芸能人相手に一目惚れなんてしないですよ」
「…」
一瞬、神谷晴人の顔が曇った。
しまった!と思っても、つい出てしまった本心は時すでに遅かった。
「だよねぇ?冗談だから気にしないで。」
いつもテレビで見ていた笑顔で冗談だと言う神谷晴人。その笑顔とは裏腹に声は少し切なく聞こえる。
「…すみません。」
多分、傷つけた。いくら恋愛経験がなくてもそれくらいなら私にでも分かる。
でも、この時はなぜ傷ついてるのかという理由を私はまだ分からなかった。
なんとなく気まずい雰囲気になった中、神谷晴人は片付けると言ってくれたが相手はお客さんだ。片付けなんてさせられないから、大丈夫だと言って部屋に戻ってもらった。
彼は、ごちそうさまと言って渋々だが戻ってくれた。
神谷晴人が台所を出たことを確認すると、春生が謝ってきた。さすがの春生もしまったと思ったのだろう。
「明希姉、ゴメン!」
私も春生に悪気はないことは分かっているが、ついため息が出てしまう。
「いいよ、春生が悪いわけじゃない。」
「明希姉…」
「ほら、早く片付けて寝よう?」
暗い顔をした春生を促す。私は食べ終わった器を流し台へ持っていく。
「そういえば、明希姉。バイトの話聞いた?」
「バイト?」
二人で並んで片付けをしていると、春生が思い出したかのように話しだした。
「明希姉が今年は受験で忙しいから、夏の間だけ雇うって話だよ。」
「え!そうなの?」
神谷晴人の分の器とおにぎりがのってたお皿を洗っていた手が止まる。
「…私、いつも通り手伝うつもりだったのに…」
「明希姉?」
つい、呟いてしまった言葉に春生が心配そうに顔を覗きこんでくる。
「ううん。なんだ、バイト雇うならちょっとは遊べるね。」
「遊んでないで勉強しろよ。」
なんて冗談言いながら、今日は終わっていった。
**********
ピピピピピ…
枕元で目覚ましが鳴っている。私は手を伸ばしてそれを止めた。薄ら目を開けると、時計は午前五時をさしている。正直、昨日は色々なことがあってすぐ眠れなかった。
モソモソと起き上がってカーテンを開けると、目の前の海はすでに朝日で輝いていた。今日も天気はいいらしい。胸一杯に朝の空気を吸い込む。
(さてと…)
私は着替えて台所へ向かう。お客さんの朝食作りを手伝うのが私の朝の仕事だ。
「おはよう。」
すでに台所に立っているお父さんとお母さん、それと朝食だけ作りに来てくれる離れに住んでるお祖母ちゃんに声をかける。
「おはよう。」
と、お父さん。
「おはよう、明希。」
と、お祖母ちゃん。お祖母ちゃんはお父さんのお母さんで、私とは血が繋がっていない。だけど、本当の孫のように可愛がってくれる。
「おはようって、明希クマができてるよ?寝れなかったの?」
「えっ!ウソ?」
お母さんに言われて、つい目の下を触ってしまう。
「そんな気にしなくても、明希は可愛いよ。」
とお祖母ちゃんがフォローしてくれる。
「お祖母ちゃん、手伝うよ。」
お祖母ちゃんの隣に立って、料理の盛り付けを手伝うとお祖母ちゃんはニッコリと笑ってくれた。
「そうだ、お父さん。」
「何だ?」
魚を焼きながら返事だけが返ってくる。
「バイト雇うの?」
「あぁ、明希にはまだ言ってなかったか?今年は勉強しなきゃいけないだろ?母さんと話して夏の間だけ雇うことにしたんだ。」
「うん、春生から聞いた。」
「なんだい?浮かない顔して。」
お祖母ちゃんにはお見通しのようだ。見るとお父さんもお母さんも心配そうにこっちを見ている。
「ううん、何でもないよ。」
「そうか?今日の昼には着いて明日から働いてもらうから、明希も勉強に集中できるぞ。」
「…そうだね。」
笑いかけてくるお父さんに、私は何も言えなかった。
私だってバイトが来てくれるのを嫌がってる訳じゃない。
私が本当の家族じゃないから、負い目を感じさせないように皆が私を一番に考えてくれていることはよく分かっている。
バイトのことも、私の受験がすごく難しいから勉強に専念できるようにと配慮してくれたことも、言われなくても分かっている。
でも、それが逆に辛いというか…気を遣わせすぎてる感じがして嫌に思う自分がいるのだ。
「明希、言いたいことがあるなら言わなきゃ伝わらないよ?」
お祖母ちゃんが優しく声をかけてくれる。その言葉に涙が出そうになる。
「何だ?何かあるのか?」
お父さんがキョトンとした顔で聞いてくる。
「あの、バイト雇っても…朝の手伝いは続けたいんだけど…」
「だけど勉強も大変なんだろう?大丈夫なのか?」
「うん!大丈夫!ちゃんと夏期講習も行くし、遊ばずに勉強するから」
「そこまで言うなら…」
私の勢いにお父さんはちょっとビックリした様子だったが、了解してくれたみたいだ。
お祖母ちゃんがこっそりよかったねと耳打ちしてくれた。
**********
朝七時。
ぐっすり寝れたかと聞かれると寝れなかった…
なぜなら、明希ちゃんの一目惚れの相手が誰か分からなかっだ。
あれから、一人部屋に戻って考えて見たけど、春生くんの口振りは自惚れじゃないけど、俺だとばかり思ってた。だからまさかあんなこと言われるなんて考えてなかった。大抵の女の子なら俺が気になって仕方ないはずなのに…こんな感じで考え込んでたら、何時の間にやら寝てしまったらしい。
それでもいつもより目覚めがすっきりしているのは、ここが東京じゃなく青い海に囲まれた離島だからだろうか…なんて、朝から物思いに耽っていると、誰かがドアをノックしてきた。
「晴人さ〜ん、起きてますか〜?」
やっぱり山崎くんだ。
「起きてるよ。」
と言いながらドアを開ける。すでに身支度を終えた山崎くんがトランク片手に立っている。
「朝食はできてるみたいです。僕と副社長は朝食を食べたら帰ります。晴人さんはまだゆっくりされてます?」
「ん〜、どうしようかな?」
正直少しゆっくりしたい気分だ。だけど、上司が帰るのを見送らない訳にはいかない。これでも雇われてる身だしね。
「一緒に食べるよ。」
また二人で食堂へ降りる。すると、彼女の姿がそこにあった。朝から明希ちゃんの姿を見れたのが嬉しいのか、喜んでいる自分がいるのに気付く。
明希ちゃんは、お客さんに朝食のお膳を出していて、俺たちに気付くと、困ったようににっこり笑って声をかけてくれた。
どうやら、昨日のことを気にしてるみたいだ。
「おはようございます。」
明希ちゃんのその表情は、朝から変な考えを起こしそうなくらい俺には可愛くて仕方がなかった。
「おはようございます。」
隣で丁寧に挨拶している山崎くん。
「お、おはよう。」
自分でもおかしいんじゃないかと思うくらいなぜだか緊張している。別に女に免疫がないわけじゃないのに、明希ちゃんに対してはかなり神経過敏になっている自分がいるのだ。これじゃ、俺が一目惚れしたみたいだ。
(……一目惚れ?俺が?)
「晴人さん?どうかしました?」
山崎くんの声で、自分の世界から帰ってこれた。
「なんでもない。」
有り得ない。一目惚れなんて…俺は、雑念を振り払った。
「おはよう。」
後ろから副社長がやってきた。
「今、ご飯持ってきますね。」
明希ちゃんはそう言って奥へ入っていった。
ここの食堂…というよりは畳が敷いてあるから大広間って感じなんだけど。ガラス戸がないからすごく解放感に満ちていて、海風も入ってくるから気持ちいい。
そんな中で三人席に座って間もなく明希ちゃんと美佐さんが朝食のお膳を持ってきてくれた。
「わ〜、美味しそう。」
昨日の夕食も思ったけど、ここの料理は最高だ。
「そういえば、女将。昨日の話は娘さんにしてくれたのかな?」
副社長が美佐さんに聞いている。どうやらスカウトは本気らしい…
美佐さんは困った顔をしているし、明希ちゃんは多分聞いてないのだろう。何?って顔で美佐さんを見ている。
「お母さん、何の話?」
「それが…」
「それならちょうどいい。明希くん、芸能界に興味ないかね?」
「は?」
昨日から明希ちゃんのビックリした顔を見るのは何回目だろう。大きな瞳がさらに大きく開いている。
「あの?芸能界って?」
「そのままの意味だよ。うちの事務所に入って活躍してみないかい?君ならモデルでも女優でも、十分に売れる素質はある。ちょうど夏休みなんだし、大学なんて行かずに受験なんかやめて、今からでもモデルくらいからやってみないかい?」
副社長の強引な勧誘に、山崎くんと俺は口が出せないでいた。悪い人じゃないが、芸能事務所も言わば商売、利益に関しては貪欲なのだ。
一瞬、明希ちゃんがうちの事務所に入ったら東京でも会えるかも…なんて考えてたら、明希ちゃんの一言でこの夢は消え去った。
「…興味ありませんから。」
考える素振りもなくそれだけ言い残し、明希ちゃんは足早に行ってしまった。去っていく時の表情からは何か怒っているように思えた。
副社長もさすがにここまで拒否されるとは思っていなかったのか、驚きを隠せない様子で、隣では山崎くんがオロオロしている。
美佐さんもすみませんと言って明希ちゃんの後を追っていった。
「副社長、さすがに強引すぎなんじゃ…」
「神谷くんだって、あの娘のこと可愛いって言ってたじゃないか。」
「確かに言いましたけど、それとこれとは違うような…それに本人が嫌なら仕方ないんじゃ。」
副社長はかなり本気みたいだ。こう熱くなられると、他人の話に聞く耳を持ってくれない。
「私は東京に戻らなくてはならないから、神谷くん。」
「はい?」
「彼女の説得頼んだよ。」
「え!?俺が?」
思わず、声が大きくなってしまった。
「山崎に任せたいが、そうもいかないしな。大丈夫だ。神谷くんが笑って誘えばオッケーが出るだろう。彼女なら売れること間違いない。」
やけに自信たっぷりな副社長は俺に全てを託し、朝食を食べ終えると山崎くんとタクシーに乗り帰っていった。
俺が笑って明希ちゃんがなびいてたら苦労はしてない。
(俺、休暇なのになぁ…)
ため息が出そうなのを抑えて開け放たれた縁側に座って、ぼんやり海を眺めていた。
(明希ちゃん、怒ってたしなぁ…)
**********
無性にイライラしていた。
お客さんが食べ終わった器がガシャン、ガシャンと音を立てて食洗機に入っていく。
「明希は、何かあったのか?」
「それがね…」
流し台に立つ私の後ろで、テーブルに座ってお茶を飲みながら、遅めの朝食を食べてるお父さんとお祖母ちゃんがお母さんに聞いていた。
「スカウトされたぁ?明希が?」
お父さんが驚いてる。
「明希は可愛いからね〜。」
お祖母ちゃんは染々頷いている。
「それで何で機嫌が悪いんだ?」
「それは…」
「あの人、受験なんかって言ったの!受験なんか辞めて芸能界に入れって!」
お母さんの言葉を遮り、大声が出てしまう。手にも力が入って、更にガシャンと音が出た。
私の言葉を、困り顔で三人共黙って聞いている。皆私のやりたいことを知っているからだと思う。
「向こうも悪気があったわけじゃないんだ。それに今日はもう東京にもどるはずだから、明希が断ったなら問題ないだろう。」
お父さんが私をなだめる。
「そんなこと分かってるよ!」
最後の器を食洗機に入れ、ほぼお父さんに八つ当たりして、部屋に戻った。
ベッドにうつ伏せになって、枕に顔を押しつける。
副社長さんに悪気がないのは分かっている。
だからって言い方というのもある。生半可な気持ちで大学受験する人なんていないはずだから。
確かに芸能界に憧れてる女の子は、この世の中にたくさんいるだろう。でも私はちゃんとした夢があるから、そんな世界なんかでもいい。人にはそれぞれやりたいことや夢があるのだ。そんなことも分からない人に、私の夢を「なんか」程度に言われて腹が立たないわけがない!
この苛立ちは中々消えてくれなかった。
咲恵に話したくても、神谷晴人のことが内緒になってるから言えないし、かと言って航太には大学受験事態が内緒になっているから無理だし…
でも誰かにこのイライラを何とかして欲しかった。
携帯でアドレスを見ていても、適当な人間がいない。
「はぁ…」
ため息しか出てこない。携帯を放り出し、ゴロンと仰向けになって天井を見た。
でも一向に気分が晴れることはなかった…
(…散歩でもしてこよう)
気分を変えないと、勉強にも手がつかなかった。
タンクトップの上にパーカーを羽織って部屋を出て玄関へ。サンダルを履いていると、春生が寝呆けた顔して階段を降りてきた。今まで寝ていたようだ。
「明希姉、どっか行くの?」
欠伸をしながら聞いてくる。
「…散歩。」
行ってらっしゃいと見送られて外へ出た。
太陽の光が目の前の海をキラキラ照らしていて、私のくすんだ心も洗ってくれるようだ。
民宿の目の前には海水浴場がある。
まだ朝が早いせいか、運良くそんなに人はいなかった。
ちょうど砂浜とアスファルトの区切り部分に椰子の木が植えてある。その木陰に座ってコバルトブルーの水平線を何も考えずにただボーッと眺めていた。
どれくらい時間が経ったのか、誰かに声をかけられた。
「彼女、一人?」
あまりにボーッとしていたせいか、現実に戻るのに時間がかかる。
声のした方を振り向くと、知らない男が二人、私を見ていた。
(誰?)
「彼女、さっきからずっと一人だけど?」
「なんなら、俺達と遊ばない?」
イライラが少しずつ解消されていたのに、せっかくの気分転換がまた台無しになってしまった。男達をよく見れば顔も格好もチャラチャラしていてすごい軽い感じだ。おそらく観光客だろう。こんな南の島まで来てナンパしなきゃいけないのかと心底思った。
ため息をついて立ち上がり、お尻についた砂をパンパンと払う。そのまま無視して民宿に戻ろうと思い、回れ右をして歩きだそうとした。
「おい、シカトかよ!」
「可愛いからっていい気になるなよ!」
男達が騒ぎ始めた。それでも無視して歩こうとすると、ガシッと手首を捕まれてしまった。男の手を振りほどこうとする。
「離して!」
「いいから俺達に付き合えよ。」
そう言って男は掴んだ手首を勢いよく引っ張る。私はその力によろめいてしまった。そこをすかさずもう一人の男が私の両肩に手を置いた。男達はニヤニヤと私を見て笑っている。
その顔を見ていたら、ひっぱたいてやりたくて仕方がなくなってきた。捕まれていない反対の手に力が入る。
「いい加減に…!」
「この子、俺の連れなんだけど。勝手に何してんの?」
「えっ?」
私の後ろから、別の声がした。私はこの声が誰だか知っている。神谷晴人だ。
私は振り向いて彼を見た。昨日同様にラフな格好でキャップを被っているだけだ。キャップを深く被っているせいで、表情までは読み取れない。
男達も見ているが、芸能人の神谷晴人だと気付いてないみたいだ。
「その手、離してくれない?」
今まで聞いたことない威圧的な声だ。
「なんだ?お前!」
男達は、突然現れた神谷晴人が気に入らないのか今にも殴りかかろうとしてる感じだ。
「かっ…」
神谷さんと言おうとしたら、手で制されてしまった。
「だから、この子の連れだからその手を離してって言ってるんだけど。」
にっこり微笑んでいるが、声にはやっぱり威圧感がある。
「はぁ?!」
神谷晴人の言葉にムキになったらしく、私の肩を掴んでいた男の手が離れた。
「走って!!」
「えっ!?」
その瞬間にグイッと私の手が引っ張られた。神谷晴人だ。彼が男に捕まれていない方の手を握って走りだそうとしている。あまりに咄嗟のことで男が手を離し、その反動で足がよろめいてしまうが何とか走り出すことができた。
「おい!」
「神谷さん?」
「いいから、今は逃げるが勝ちだよ!走って!」
走り出した神谷晴人に手を引かれて私も走り出す。後ろを向いたら男達も追ってきている。
「神谷さん、後ろ…」
「分かってるよ。」
どんどん景色が横に流れていく。今にも角を曲がりそうになっているが、あそこは行き止まりだ。ヤシの木の木陰から走りだしたはいいが、神谷晴人はどこに行っていいか分からない様子だ。それもそうだ、彼もある意味観光客だった。
「こっちです!」
彼を抜かして逆に手を引いて走る。とにかく走った。
ここら辺は海水浴場に平行に道路が走ってるだけで、あとはうちの民宿と数軒の民家しかない。
かといって民宿に逃げるわけにもいかないし…なんて考えながら後ろを振り向くと、まだ男達は追ってきている。
(しつこいなぁ…)
グイッ!
「えっ?」
神谷晴人だ。彼が私の手を引っ張り、民家と民家の小さな路地に入り込んだのだ。少し影になっているせいか、男達は気付かず通りすぎて行った。
「…もう大丈夫だろう。」
男達が見えなくなるのを確認して、ハァ〜と息を吐いて彼はしゃがみこんでしまった。けっこう走ったからか、神谷晴人は肩で息をしている。
「あの、大丈夫ですか?」
「…うん、大丈夫。いつ振りだろう?こんなに走ったの。明希ちゃんはさすが若いね、息切れてないもんね…」
ハァハァと息を整えながら、キャップを取って汗を拭きながら苦笑いしている。一方の私は汗はかいているが、息は切れてない。なんか若いのが申し訳ない感じがして私も苦笑いになる。
「あの、すみませんでした…」
一息ついた所で謝った。スカウトの話も断ってるのに、何でどうして彼に助けられたのか頭が理解できてない。
「明希ちゃん、違うよ。」
彼はにっこり笑って立ち上がる。すごく優しい表情だ。
「えっ?」
「すみませんじゃなくて、ありがとうだよ。」
「…ありがとうございます?」
「どういたしまして。」
ギュッと手を握られて、今でも手を繋いでいることを思い出した。パッと手を離す。
「あ〜あ、残念。」
手を離したことに残念がっている神谷晴人は冗談なのか本気なのがよく分からない。
「明希ちゃん、ちょっと散歩しない?」
「はぁ…」
路地から出て、特に目的もなく歩きだした神谷晴人に後ろからついていく。
「あの、さっきどうして助けてくれたんですか?」
逃げて来た道を戻りながら、気になっていたことを聞いた。
「…」
私の言葉に驚いたかのように、神谷晴人はキョトンとした顔で後ろからついてきている私を見た。
「?」
私は、何で驚かれてるのか不思議で彼を見た。
「…明希ちゃん。」
「はい?」
「それ、無意識?」
「は?」
神谷晴人の言ってることが、分からなかった。
何が無意識なんだろう?何かを無意識にしてたのだろうか…考えても思い当たらない。
「…ううん、今の忘れて。ゴメン、変なこと言っちゃって。」
「はぁ…」
にっこり笑っている神谷晴人にポンポンと頭を撫でられる。何か変な気分だった。
「さっきの質問の答えは、明希ちゃんがナンパされてて凄い嫌そうな顔して、助けてって聞こえたから。」
思わず自分の顔に手をあてる。
「そんなこと…」
「すっごい顔してたよ。ここに皺寄せて。」と、自分の眉間を指で指してる。
「明希ちゃんは、可愛いんだから注意してないとダメだよ?」
サラリと凄いことを言われた気がした。今までお祖母ちゃんや咲恵くらいにしか言われたことがない。身長があるからか、男の子からはそんな風に見られたこともなし、春生からは少しは女らしくしたらなんて言われてるくらいだ。
「か、可愛い?誰が?」
目がパチクリしてしまう。
「誰って、明希ちゃんが。凄い可愛いじゃん!」
肩をガシッと捕まれて、急に力説された。
「あの?」
「あっ、ゴメン!」
パッと肩から手が離れる。神谷晴人は、また歩き出した。
「ところでどうしてあそこに居たの?」
「…ちょっと気分転換に…」
よく分からない話から逸らされたのはいいが、そこの副社長に気分を害されたからなんて話せない。けど、あからさまに不機嫌な態度をしたのは謝らないといけない。
「神谷さんはどうしてあそこに?」
「…ちょっと気分転換に外出たら、明希ちゃんがナンパされてて、つい…」
どうやら、民宿から出てきたら私の声に気付いて助けてくれたようだ。
「…ありがとうございます。」
にっこり微笑んだ神谷晴人は、またポンポンと私の頭を撫でた。
「可愛い女の子が困ってるなら助けないとね。」
と、そんなセリフにウィンクまでされるとやっぱり芸能人だと思った。私が可愛いというのも、きっと社交辞令で、色んな人にも言っているに違いないって、そう思うとなぜか胸が苦しくなった。
俺はどうかしてしまったのだろうか?
今、目の前で可愛いと言われて困ったような照れてるような顔をしている明希ちゃんを、ものすごく抱き締めたいと思っているのだ。
(落ち着け、俺!)
ただでさえ明希ちゃんは可愛いのに、本人がそれを自覚していないなんて今時の女子高生に限ってあり得ない話だ。
ここが、都会じゃなく離島だからか?それとも計算でそう振る舞っているのか?…いや、明希ちゃんの態度からして全く自覚がないんだと思った。彼女はおそらく凄く純粋だ。そんな彼女を俺はどうして気に掛ける?これじゃあ、俺のが一目惚れだ。確かに今まで俺の周りにはいなかったタイプだ。でもだからって一回りは違うのに、いい歳して女子高生に一目惚れ?…まさかね。
「神谷さん?どうかしましたか?」
「え?」
頭の中で自分と葛藤していたら、明希ちゃんが話し掛けてきた。不思議そうに俺を見ている。
「ううん、何でもないよ。それよりお腹減らない?」
「なら、民宿に戻りますか?そろそろお昼だし、ご飯あると思いますよ。」
「そうだね、宿のご飯美味しいから。戻ろうか?」
「それじゃあ、こっちですよ。」
そう言って、今度は明希ちゃんが俺の前を歩いていく。デニムのショートパンツから健康的な二本の脚が後ろ姿からでも、彼女のスタイルの良さを輝かせている。副社長じゃないけど、本当に芸能界に入れば売れると思うのに…
「神谷さん。」
「え?」
ボケっと後ろ姿を見ていたら、明希ちゃんがくるりと振り向いて、俺の歩幅に合わせてくる。
「何?」
「…あの、朝のことなんですけど。副社長さん、帰ったって聞いて…」
「うん、仕事があるからってもう帰ったよ。」
「それで…その…」
どうやら明希ちゃんも朝のことを気にしているようだ。
「朝はゴメンね。ビックリしたでしょ?」
「え?いや、私の方こそ失礼な言い方してすみません。」
俺に向かってペコっと頭を下げる。こういう言い方は失礼かもしれないけど、まだ高校生なのにしっかりしていると思った。
「ハハ、俺達会ってから謝ってばっかりだね。朝のことは副社長も強引すぎたと言ってたから、明希ちゃんは気にしなくていいんだよ。」
俺は笑って明希ちゃんの頭をポンと撫でた。
「でも…」
「この話はおしまい!ね?あ!そうだ。俺、これから撮影始まるまではオフなんだ。良かったらこの島を見て回りたいんだけど、明希ちゃん案内してくれない?」
「案内ですか?私に?」
神谷晴人の提案に少し驚いた。なんで私なんだろう?春生だっているのに。
「そう、明希ちゃんに。」
にっこり笑いかけてくる。ご指名は有り難いかもしれないが、受験を控えてる私にはそんな遊んでる余裕は正直ない。
「あの、春生じゃダメですか?」
「うん、明希ちゃんがいいんだ。自分でもよく分からないけど、明希ちゃんとなら仲良くなれそうな気がするんだ。」
「仲良くですか?」
まさかそんなことを言われるとは思ってなかったから、神谷晴人の顔をポカンと見てしまう。そんな視線に気付いたのか、彼は私を見てにっこり笑っている。
「そう、友達として。あっ!おかしいかな?いい歳してこんなこと言うの。」
「…おかしくはないと思いますけど…」
芸能人に友達になってくださいなんて、私の人生にないと思ってた。そもそも芸能人なんて無縁だと思っていたからだ。
「神谷さんなら友達たくさんいそうですけど…それに私、歳が離れすぎてるし。」
本気なのか冗談なのかが分からない。神谷晴人から見ればただの女子高生だ。友達を探すなら芸能界にもたくさんいるはずだし…
「歳なんて関係ないよ。確かに友達はいるけど、せっかくこうして会ったんだもん。俺は明希ちゃんとも仲良くなりたいんだ。」
真面目な顔でそんなことまで言われると、断りづらくなってしまう。
なぜかは分からないが、神谷晴人は私の中にストンと入ってくる。咲恵でも航太とも違う感覚で。
「…友達はいいですけど。案内はできないかもしれないです。」
「本当?ありがとう!」
ガシッと私の両手を神谷晴人の両手が握り締めて、ブンブン立てにふっている。すごい無邪気な笑顔で。こんな顔はテレビでも見たことがない。なんていうか…子供っぽいとかじゃなくて、少年みたいだ。航太でもこんな風に笑わないと思う。純粋に友達になれたことが、嬉しいんだと感じた。引き込まれた…その無邪気な笑顔に。
「明希ちゃんが受験で忙しいのは知ってるからね。時間が空いた時にでも案内してくれたら、それでいいよ。」
ハッと我に返り、両手を離す。なんだろう?今のぼんやりした感じ…
「明希ちゃん?」
うわの空の私に心配そうに声を掛けてくる。
「な、なんでもないです。それより、どうして私が受験すること知ってるんですか?」
「美佐さんが言ってた。」
「お母さんが?」
「うん。でも俺が聞いたことだから、美佐さんがペラペラ話したわけじゃないよ?」
「…知ってます。お母さんはそんなことしませんから…」
「大好きなんだね。お母さんが。」
お母さん…実際には叔母さんだが、お母さんには本当に感謝している。言葉ではいい現せないくらいに…そんなことを考えてたら、目頭が熱くなってきた。神谷晴人にバレないように、私はにっこり笑った。
「はい、大好きです。」
そんな話をしていたら、民宿が見えてきた。少し歩みを緩めて神谷晴人が言った。
「そっか、俺のお袋は死んじゃっていないけど。明希ちゃんは、お母さんのこと大事にしてあげるんだよ?」
「えっ?」
死んじゃってという響きに胸が苦しくなる。
「どうかした?」
返事がない私に、声をかけてくる。
「お母さん亡くなられてるんですね…」
「明希ちゃんが暗い顔しなくてもいいんだよ。お袋が死んだのもけっこう前だし。」
「…そうなんですか。」
「うん。だから変な話だけど、俺の分までお母さん大切にしてあげてね?」
その切ない言葉に、私はもう笑うことしかできなかった。
それから民宿までの数メートル、私は何も話すことができなかった。
**********
「今日はありがとう。また話そう?」
民宿に着くと、神谷晴人は手を振り部屋に戻っていった。私もそれを見送ってから部屋に戻る。
羽織っていたパーカーを脱いで、ベッドに座る。この短い間に私の中にある芸能人、神谷晴人の印象がガラリと変わった。
テレビのイメージは大人の男の人で、キレイ目な顔立ちのからかクールな印象だった。
だけど話してみて感じたことは、その親しみやすさだった。自分でも不思議なくらい神谷晴人のことを知りたいと思っていた。
「明希、いるか?」
「いるよ。何?」
お父さんが、ドア越しに呼んでいる。私は立ち上がってドアを開けた。
「どこ行ってたんだ?さっき来たらいなかったぞ。」
「気分転換に散歩してたの。それで何か用?」
「そうだった!朝話してたバイトが来たから、下に降りてこい。」
「分かった。」
そのままお父さんと一緒に行こうとすると、ちょっと待てとベッドの上に脱いであったパーカーを渡された。
「いいよ、暑いもん。」
「駄目だ、傷が見えてる。」
そう言って、お父さんは私の右肩を指差した。
「本当?この服見えないと思ったのにな。」
私は部屋の角に置いてある鏡で確認する。お父さんの言ってた通り、少し見えていた。
私の背中には右肩の付け根くらいから背骨の中心にかけてちょっと大きめの古傷がある。大きいといっても目立つほどじゃないけど、やっぱり年頃になってくると気にはなってくる。
言われた通りにパーカーを着た。そんな私の背中をポンポンと優しく叩き、お父さんは先に下へ降りていった。
食堂に行くと、大学生っぽい人たちが二人いた。てっきりバイトは一人かと思っていたら、二人もいたから驚いた。しかも男女の二人組。
その二人とテーブルを囲んで、うちの家族が座っている。どうやら私が最後みたいだ。
「明希、こっちにいらっしゃい。」
私に気付いたお母さんが声をかけてきた。
「さっき話した娘の明希です。」
お父さんが、私をバイト二人に紹介する。
「はじめまして。」
ペコっと頭を下げる。そこで改めてバイトに来た二人を見た。
男のほうは、いい感じに日焼けした肌に短い茶色の短髪で、奥二重の大きい瞳がイケメンを象徴している。どちらかと言えば草食系。
でも、神谷晴人同様芸能人でも通用するくらいだと思う。
女のほうは、男とは真逆で色白だ。今まで雑誌の中でしか見たことないくらいに、胸元まである明るい茶色い髪がフワフワに巻かれている。
いわゆるお嬢様系な顔立ちで、二重の大きい瞳はアイメークと付けまつげによってさらに大きくなっている。自己紹介がまだだったみたいで、お父さんがどうぞと促している。
「佐野 徹です。横浜の大学に通ってます。これからお世話になります、よろしくお願いします。」
ニコッと笑う顔は、爽やかすぎてガムか何かのCMみたいだ。その笑顔が眩しすぎるくらいだ。
佐野さんは、来年から就職活動に忙しくなるからと今年の夏は前からやってみたかったリゾートバイトに応募したらしい。
「大原 美央です。東京の美大に行ってて、ここにいる間に絵を描きたいと思ってます。もちろん、しっかり働くので、よろしくお願いします。」
声優さんかと思うくらいの、可愛らしい声で話す大原さん。その外見から美大なのは意外だと思ったけど、今年四年で卒業制作の為にもこの島に来たかったみたいで、どうせならバイトも…という感じらしい。
私と春生も二人によろしくお願いしますとお辞儀した。
「それじゃあ、仕事内容は電話で話した通り宿泊客のご飯の世話と、掃除が主です。時間はとりあえず10時から働いてもらいます。休憩は皆で交代制、それじゃあ短い間だけど、お願いしますね。今日は来たばかりで疲れてるだろうから、ゆっくり休んで明日からきっちり働いてもらうからそのつもりで。」
二人がはい、と返事をするとお父さんが、二人を部屋に案内していった。
「神谷さんも、もちろんカッコいいけど、あの佐野くんもイケメンね!」
三人が出てった後に、お母さんがうっとりした顔をして私と春生に話した。
その顔に呆れてしまう。
「お母さん、お父さん聞いたら悲しむよ?」
「それとこれとは別よ!」
母親の慌て振りに、私と春生は笑ってしまう。
「さぁさぁ、お昼にしましょう!手伝ってちょうだい。」
パンパンと手を叩いて、私と春生を台所へ急かす。
「えー、何それー!」
二人で笑いながら、お母さんから背中を押されて台所へ入った。
**********
私とお母さんが、並んで昼食の支度をして、春生はテーブルに肘をついて、テレビを見ている。すると、勝手口が開いてお祖母ちゃんが入ってきた。この時間は離れにいるから、こっちに顔を出すのは珍しい。
「明希、ちょうど良かった。これ。」
私を見つけるなり、本屋の紙袋を渡してきた。見た目からしてかなり大きい。
「何これ?」
「さっき、仲里先生のとこに行ってきてら、明希に渡してくれって。」
「先生が?なんで?」
私はとりあえずそれを受け取った。ずしりと重い。
仲里先生は、近所で町医者をやっている。お祖母ちゃんもうちの家族も常連さんだ。
何々?とお母さんも春生も私の肩越しから覗き込んでくる。袋を開けると、分厚い医学書とセンター受験用の問題集が入っていた。
「まぁ!先生にお礼言わなきゃね!」
「何だ、参考書じゃん。」
春生はつまんないと言ってまたテレビを見始めた。
お母さんはお祖母ちゃんと、何かお礼しないとと話始めた。
「ちょっと待ってよ!私、先生に話してないけど…」
本をテーブルの上に置いて、盛り上がってる二人に割って入る。
確かに、東京の大学に進学して医者になりたいというのが将来の夢だ。でも、この話は家族と咲恵と学校にしか話していない。だから、仲里先生から本をもらうなんておかしな話だ。
「お祖母ちゃんが話したんだよ。」
「お祖母ちゃんが?」
意外な犯人にビックリした。
「こないだ行った時にね。お祖母ちゃん、勉強のことはよく分からないけど、明希の応援したくてね。先生に相談したんだよ。」
「お祖母ちゃん…」
一筋の涙が頬を伝った。
「明希、頑張りなさいね。」
お祖母ちゃんのしわしわの手が、涙を拭ってくれる。私の右手をギュッと優しく、でも力強く両手で包み込んでくれた。
「…うん、うん。」
もう涙が止まらなかった。とめどなく溢れてくる涙で、何も見えない。
お母さんが、肩を優しく抱いてくれて、頑張りなさいと言ってくれる。
本当の孫でもない私に、ここまでしてくれるお祖母ちゃんにありがとうと言いたいのに、泣いているから思うように喋れない。
「明希の気持ちは、お祖母ちゃんちゃんと受け取ってるよ。」
お祖母ちゃんは、また優しく手を握ってくれる。
うん、うんと頷くことしかできない私を、春生がからかいにやってくる。
「ホント、明希姉は泣き虫だな。」
「…うるさい。」
その言葉で涙が引っ込んでしまう。左手で涙を拭う。
「こら、春!いい雰囲気を壊さないの!」
お母さんが春生を怒るが、怒るポイントがズレている…お祖母ちゃんもそれを分かっているのか、クスクス笑い始めた。私もそれが移って笑う。
「なんだ?皆して笑って。いいことでもあったか?」
お父さんが、不思議な顔をして台所へ入ってきた。
「お父さん!見てみて?これ!」
そう言ってお母さんは、もらったばかりの分厚い本二冊を抱えてお父さんに見せている。
「どうしたんだ?その本。」
「仲里先生から頂いたのよ。明希にって。」
「先生が?明希に?それまたなんで?」
「私が先生に明希のことを話したんだよ。力になれないかって、そしたらこれをもらったんだ。」
「そうか、良かったな!明希。」
話を聞いたお父さんも、私に笑顔で頑張れと肩を叩いてくれた。
一人ぼっちになった私を、暖かく迎えてくれた家族に本当に感謝した。
「ありがとう!私、頑張るよ。」
改めて意気込みを伝えると、皆が応援してくれた。
お祖母ちゃんが離れに帰り、お父さんは帳簿をつけている。春生は、携帯画面を見てニヤニヤしている。おそらく真由ちゃんからのメールでも来たのだろう。自分の弟ながら、まだ中学生なのに彼女がいるなんて、羨ましい…それを眺めながら、さっきもらった医学書と参考書を見ていた。
お母さんが、出来たお昼ご飯をお皿に盛り付けて完成。午前中に走ったせいか、私のお腹はペコペコで、お腹が鳴るのを我慢するのに必死だ。
「さぁ、これ神谷さんに届けてきて。」
はい、とお皿を持たされる。
「何で、私?」
「明希が一番暇そうじゃない。」
お母さんが皆を見渡してニコニコ笑っている。
「暇じゃないし…」
お父さんはまだ帳簿とにらめっこしていて、春生は何時の間にやらいなくなっていた。
「ほら、ほら、お客さん待たせないの!」
「えー。」
口を尖らせて文句を言うが、聞き入れてもらえなかった。
「ていうか、なんで神谷さんは部屋で食べるの?食堂じゃダメなの?」
「あぁ、頼んだんだよ。撮影始まるまでは目立つことさせないでくれって、マネージャーの山崎さんから。それに、新しくバイトも入ったから騒がれるのもなんだし、と思って。だから、しばらくは部屋で食べてもらうことになったんだよ。」
お父さんが答える。そういえば、昨日も航太にそんなようなことを話していたっけ?
「ふ〜ん。分かった。」
料理が載ったお盆を、両手で持ってソロソロと階段を上がる。二階の客室の一番角が神谷晴人の部屋だ。この民宿で一番見晴らしがいい部屋。
ふぅっと呼吸を整えて、ノックをしようとお盆をバランスよく持とうとした。だけど、中々上手くいかずてこずっている。ようやく片手が開いて、ドアの前に拳をもっていって叩こうとすると…
ガチャっ
「おわっ!」
「っ!!」
神谷晴人がタイミングよく中からドアを開けた。お互いビックリして、その場で固まってしまった。
「明希ちゃん?」
ノックしようとしていた、拳をパッと下ろす。その反動でお盆がグラッと揺れてしまった。
「わっ!」
慌てお盆を支えようと手を伸ばす。間一髪の所で、ご飯が台無しになることは免れ、ホッと胸を撫で下ろす。
すると、自分の両手に温もり感じて、手の方に視線を移した。
神谷晴人も危ないと思ったのか、彼も両手でお盆を持っていた。思わず、両手を離してしまった!
「わぁっ!」
「おっと!」
私が手を離してしまったせいで、今度は彼がバランスをとっている。
「ふぅ、セーフ。」
ニコッと笑って、私の方を見る。
「ご飯持ってきてくれたんだね。ありがとう。」
「あっ、そうです。」
神谷晴人は、お盆を持ったまたクルッと振り返って部屋の中に入って行く。急に手持ちぶさたになった私は、入ろうか迷っていると、中から声が聞こえてきた。
「明希ちゃんも、入って。」
「…失礼します。」
おずおずと中に入る。昨日の恥ずかしいことが甦るが、フルフルと頭を振った。
ガチャガチャとお盆からお皿を出す音に、我に返ると神谷晴人がテーブルにお皿を並べていた。
「美味しそう〜。」
ニコニコしながら、料理を見ている。
「あっ!お茶入れますね。」
「おかまいなく〜。」
その返事に、笑ってしまった。
「お客さんだから、かまいますよ。」
「あっ、そうか。」
そんなトボけたやり取りに、二人してクスクス笑いあう。私は、部屋に常備してあるお茶セットからお茶を作って、彼に出した。
「どうぞ。」
「ありがとう。それじゃ、いただきます。」
パンと手を合わせる姿を見て、芸能人でもちゃんとするんだなぁと感心してしまう。
神谷晴人も食べ始めたことだし、私のお腹も我慢するのは限界に近かった。
「それじゃあ、またお皿取りに来るんで失礼しますね。」
「えっ?明希ちゃん、帰るの?」
立ち上がろうとする私を、ビックリした顔で神谷晴人が見ている。
「はい、ご飯届けにきただけなんで。」
「えー。一人で食べても寂しいじゃん。」
(…じゃん?)
いい歳した大人が、一人でご飯食べるのが嫌で駄々をこねている。
「プッ。フフフ。」
その光景が何だかおかしくて、つい笑ってしまう。
「あ、笑ったね?俺が大人気ないとか思ったんでしょ?」
「いや、そんなことないです。」
考えていたことが、見透かされたみたいで慌てて首を振る。それがいけなかったみたいだ。
キュルルルルル
我慢も限界に達した私のお腹が、いい加減にしろと言わんばかりに豪快に鳴った。
「!!」
その音の大きさに恥ずかしくなって、お腹を押さえた。
「アハハハ!」
次は私が豪快に笑われてしまった。余計に恥ずかしくなる。
「明希ちゃんも、お腹すいてるならそう言えばいいのに。一緒に食べない?」
「えっ?」
いくらお腹が減ってるからって、神谷晴人とご飯なんか食べたら緊張してしまって食べるに食べれない。
「いや、いいです。下に用意してあるし。」
「えー。いいじゃん、一緒に食べようよ〜。」
なおも引き下がらない神谷晴人。
「でも…」
パンっ
突然、神谷晴人は箸を置いて両手を鳴らした。
「じゃあこうしよう!俺も下で食べる!」
これがアニメか漫画ならきっと、彼の頭の上にキラーンと光った電球の絵が、載っているのだろう。いかにも閃いた的な感じで、ニコニコしながら神谷晴人は私を見ている。が…
「それはダメです!」
一瞬、それならいいかという考えが頭を過ったけど、そうはいかなかった。