その二
七年前、私は小学三年生だった。
今の私が高校一年生であることを考えれば、私が留年することなく小学校も中学校もきちんと卒業してきたことの証明にもなるが、まあ、そんなことはどうでもいい。残念ながらそれは自慢話にはならないし、もしかしたら、理由如何によって、留年している方が自慢になるかもしれない話だ。
これは自慢話ではなく、ただの悔恨。
私にとってその頃は、これまでの半生の中で最も殺伐とした日々だったのだ。
人生の荒み加減で言えば、友人を誰一人作ることができなかったその後の七年間の方がもっと荒んではいたのだが、業の深さという意味では、やはり小学三年生という学年に収まっていた一年間が、私にとって最も甚大だった。
私は、その時期に初めて気づいたのである――――あれ? 人生が難しいぞ? と。
気が小さいからなのか、それとも単なる性格のせいなのかわからないが、その頃の私はとかく『否定』というものが大っ嫌いだった。人が人を否定する時の苦い顔が嫌いだった。人が人に否定された時の寂しそうな顔が嫌いだった。あるいは、たまにいる得意気に他者を否定してくる人の笑顔も、気味が悪くて大っ嫌いだった。否定というのは、他者を殺すことなのだと思っていた。消し去ることなのだと思っていた。他者のすべてを滅することなのだと思っていた。
そんな残酷なことなど、ない。
だから私は他人を否定しないようにし、そして他人に否定されるようなことを言わないように努めた。それは私にとって、意外と簡単なことのように思えた。人に何を言われても愛想笑いをしていればいいし、自分が何かを語る時も、誰にも覆せない客観的事実にのみ基づいて話せばいい。何かと何かがぶつかっている時も、さらりとそれを無視すればいいだけだ。少し頭を働かせば、それくらいは小学三年の私にもできたのである。
しかし、それは心地のいい生き方ではなかった。
そう。私以外のみんなは勘違いしていたのだ。誤解していたのだ――――世界の中心は自分である、と。
だから、私がどんなに頑張って客観的に正しいことを述べても、他者は簡単にそれを『否定』してくるのだ。「それは自分とは違う」と。「自分からしたらそれは間違っている」と。そんな不明瞭なことを言ってくる。そんな不可解な事を言って、私を消そうとしてくるのだ。私を殺しにかかってくるのだ。私を死滅させようとしてくるのだ。
意見がぶつかるたびに、私は詮無く仕方なくそれを無視した。無視し続けた。私の丸顔を『否定』された時も。私の身長が低いのを『否定』された時も。私の尊敬する人を『否定』された時も。私の初恋の人を『否定』された時も。見ないふりした。聞かないふりをした。思わないふりをした。苦しくても。寂しくても。泣きたくても。そしていつしか、クラスメイトと交わす言葉が極端に減り――――私の周りから、人がいなくなった。
私はそれでも、殺されるよりはいいと思った。
だから私は、家を出ると無言で学校へ向かった。無言で自分の席に着いた。無言で授業を受けた。無言で休み時間を読書に充てた。無言で給食を食べた。無言で昼休みに昼寝をした。無言で教室の掃除をした。無言で下校した。無言で一人部屋にこもり、無言で時間を潰した。
その三年後、思春期がそろそろ終わるという頃合いでようやく私は改心し、ある程度の『否定』を受け入れることにした。一年間みっちりかけて、どうにかこうにか人並みに『否定』を混ぜた会話はできるようになった。できるようにした。
しかし、それは遅かった。
三年という歳月は、小学生にとっては膨大な時間だったのだ。その間に失ったものは、いつのまにか土の下に埋もれていた。もう掘り返せなくなっていた。再びそれを手に入れることは、残念ながらできなくなっていたのだ。
私のことを「すーちゃん」とあだ名で呼んでくれる人はいなくなっていた。
私の名前を忘れている人も何人かいた。
教師ですら、必要外で私に話しかけてくる人は誰もいなかった。
中学に行っても、状況はまったく変わらなかった。なんせ、同級生の半分は同じ小学校の出身なのだ。私の立ち位置というのは勝手に確立されていて、クーリングオフは効かなかった。未経験かつ興味がないにも関わらずわざわざ人数の多いテニス部に入ったというのに、相変わらず他人は他人だった。全員が他人だった。わずか三カ月で退部届を提出してしまうほど、居心地の悪い場所しか私には提供されなかった。
だから私は、高校進学の際、自分の進路には細心の注意を払った。そして、県内の中で最も知り合いが少ないこの『那頭奈学園』へ進むことに決めたのだ。
そこで私は、柊粉雪君と出会ったのだ。
出会えたのだ。
もしこんな荒んだ七年間を送っていなければ、恐らく私はこの学園には来ていなかっただろう。来ようとすら思っていなかっただろう。存在すら知らなかったかもしれない。だからこそ、この時初めて私は、この七年がまったく無駄なものではなく、むしろこんな出会いを生み出してくれた、この上なく愛しいものだと思えるようになり――――――自分の人生を素直に『肯定』することができたのだった。




