その一
本作品は、一応のところ拙作『閉鎖インサイド』の番外編という位置づけではありますが、これを読んでない人も楽しんでもらえたらいいなあと思いながら書きました。
自分が世界の中心ではない、と心の底から理解して生きている人を、私は本当にすごいと思う。
私には到底無理だ。
例えば占い番組を見る時だって、私は自分の星座の結果にしかまったく興味が沸かない。あるいは、天気予報を見る時だって、自分が住む地域の予報にしか注意を向けない。あるいはあるいは、試験の順位表だって、自分の番号以外の文字列はただの模様にしか見えない。
いつだって、自分に関する情報が一番大事だ。
そこから、世界の色が変わっていくのだ。
私自身、それが普通なのだとずっと思っていた。だって、私の周りのクラスメイト達をぐるりと見渡してみても、自分の成績がどうだったの、自分の今日の運勢がどうだったの、あるいは今日のこの町の天気はどうだのと、そういったことばかり話している。そういったことにしか親身にならない。それ以外の事象は、すべて世界の外側の話なのだ。
世界はそういう人間ばかりで成り立っていると、私はずっと思っていた。
だから、私が柊粉雪君に初めて出会った時、まるで世界がひっくり返ってあたしの頭上に落下してきたような、そんな衝撃を受けた。
出会った初日こそ、私は彼のことを、単なる無気力人間なのだとか、感情を表すのが下手なのだとか、クールな生き方が格好いいと勘違いしているのだとか、そんな評価しかしていなかった。事実、第一印象だけで見れば、彼と同様の空気を持った男の子など、クラスにも五、六人はいたものだ。背も高くなく低くなく、太ってもなく痩せ過ぎでもなく。前髪が少し長めで伏し目がち。目立った特徴は何一つない。私が高校入学後最初の話相手に彼を選んだのも、彼がクラスメイトの中で唯一、一人ぼっちで暇そうにしていた人だったからという、それだけの理由だった。
私が彼を特別視し始めたのは、入学式から二日たった日の放課後のことである。
校舎を出て寮へと向かっていく生徒諸子の波の中、彼はぼーっと昇降口の前に立ち尽くし、校舎の額にかかった時計を見上げていたのだ。時折、彼を不審がって視線を向けながら通り過ぎていく人もいたにはいたが、粉雪君はそんな人達のことをまったく気にしていなかった。まるで自分のことを草むらに忘れ去られた野球ボールだと認識しているかのように、ただただそこに存在していたのである。
つられて、私もその時計を見上げてみた。
しかし、それはまったくもっておもしろくもない、世の中に何千個と出回っていそうな、普通で普遍な時計だった。おもしろくないどころか、つまらないとも思わない。それが当たり前で、当然で、それを問題視する方が間違っていると――――そう思ってしまうような時計だった。
しかし、彼はそれをずっと眺めている。
私はちらりと、その視線を盗み見てみた。
驚くことに、そこには感情という感情が何も映っていなかった。どんな意志でもって、どんなモチベーションでもってその時計を見上げていたのか、それすらも読みとれない。時刻を知りたかったのではなく、その時計の造形に興味があったわけでもなく、あるいは何かのスケジューリングをしているわけでもなく――――強いて言えば、「時間が過ぎていくなあ」と思っているような視線だった。
時間は、誰かのためにあるものじゃない。
当然、自分のためにあるものでもない。
時間というのは、そんな次元で移ろっていくものではないのだ。時間が経つのが早いとか遅いとか、そんな表現はナンセンスだ。お前が勝手に時間というものを語るなよ。そんなのは思い上がりもいいところだ。時間ってのは勝手に移ろうものなんだ。世界ってのは勝手に回っていくものなんだ――――もちろんこれは私の勝手な推測に過ぎないけれど、きっと粉雪君はそんな哲学に基づいて生きているんだと、そんな予想を抱いた。
私は、その空気に魅せられた。
その視線に魅せられた。
その哲学に魅せられた。
彼が時計をぼーっと眺めているように、私も彼のことをぼーっと眺めてしまった――――眺めながら、私は七年前のことを思い出していた。