三味の音が不気味に響き渡る
この江戸怪奇譚集もようやく10作目となりました。
これからもマイペースで続けていくと思います。
ご一読よろしくお願いします。
一
文化の中頃。竈河岸(現在の中央区日本橋人形町二丁目)の話である。
この竈河岸に幾つかの三味線教室の長屋が在った。
三味線は当時、其れなりに裕福な家庭の若い女性が手習いの一つとして習うもの。
若い女性が一人前の三味線弾きと長唄が出来れば、色っぽいとされ、好い嫁ぎ先に恵まれるからだ。(もっと上流の家庭の女性が習うのは琴だが)
そんな訳で、この長屋に住む三味線のお師匠たちの元に、江戸の若い女性たちは三味線と長唄を習いに訪れていた。
柄出吉なる四十代後半のお師匠がいた。
柄出吉は特に名人として知られ、若い女性たちでなく、後進となる弟子も多く育てていた。
だが、この頃の柄出吉の元には殆ど習いに来る女性はいない。
精々、名人となり若い女性に教えたい男の弟子に教えるくらい。
彼の嘗ての弟子である蘭二郎の元に若い女性たちはこぞって通っていたからだ。
蘭二郎はこの頃、二十代前半。
柄出吉の元から独立して三年と経っていない。
何より蘭二郎は三味線の腕だけでなく、美しい容貌の持ち主。
若い女性たちが蘭二郎の元に群がるのも当然だろう。
そのような訳で、柄出吉の元に通う女性は、蘭二郎独立後めっきり減ってしまった。
二
「そうではない! 何度言ったら分かるんだ、お前は!?」
その怒鳴り声の後に拳骨の音が鳴る。
十年以上前。
蘭二郎が十歳の頃。
彼が柄出吉の元に弟子入りしてから一年程。
柄出吉の教えは手厳しく、この様に手を挙げることしばしばであった。
蘭二郎も気の強い性分である。
ある日、柄出吉から注意を受けると、彼は手にした三味線を下に叩き付け、三味線は激しい音を立てる。
「ガシャン!」
「馬鹿者!」
この時ほど柄出吉が蘭二郎に暴力を振るったことはない。
蘭二郎の三味線を拾い、柄出吉はそれを蘭二郎に突き付けながら言う。
「いいか、この三味線とはここの竈河岸に住む職人たちが精魂込めて作ったものだ! そして三味線とは文字通り生き物。それを粗略に扱えば、その生き物の祟りが起こるのだ!」
この言葉が効いたのかどうかは不明だが、以降蘭二郎は真面目に練習に取り組み、柄出吉の元から独立し、彼自身の三味線の教室を開くようになる。
だが、人の性根とはそう変わらない。
強気で自身の美貌を誇っていた蘭二郎は、独立直後から柄出吉の元に通う女性を次々と勧誘し、柄出吉の元に習いに来る女性が居なくなる原因となる。
三
「蘭二郎め……、俺を恨んでのこの所業か……」
この日。誰も柄出吉の元に通うものは居なく、柄出吉は無聊をかこつ。
一端の師匠ともなれば、長屋とはいえ、それなりに広い部屋に住む。
嘗ては朝から日が暮れるまで。
朝五つ(おおよそ午前九時)から昼七つ(おおよそ午後四時)まで、二刻(おおよそ一時間)ごとに五人を相手に教える盛況ぶりだった。
少し離れたところで、三味線の音と嬌声が起こっている。
蘭二郎の教室だ。
柄出吉と蘭二郎の住むところは三十間(おおよそ55メートル)も離れていない。
そして、夜ともなれば、蘭二郎はほぼ毎日吉原へ通うのが常だった。
彼の懐はそれほどまでに温かい。
ある日。
柄出吉と蘭二郎は出会う。
柄出吉はなるべく蘭二郎に会わないように行動しているが、住まいが近い分、如何しても会ってしまう。
そして、出会えば蘭二郎から散々嫌味を言われるのが常であった。
「おやおや、柄出吉の師匠。お弟子さんにお稽古はつけないんですか? 俺は今日は休みですよ。毎日毎日稽古だと身が持たないですからねぇ」
妖艶な笑みを浮かべながら蘭二郎は話す。
「……」
柄出吉は怒りから声が出ない。
弟子時代の蘭二郎相手だったら、即座に手が出ただろうが、今では立場と云うものが逆転している。
長屋の部屋に戻ると、柄出吉は遂にこの状況に耐えられなくなり、蘭二郎へ制裁を加えることを決意する。
四
ある夜。
例によって吉原夜見世が開くと蘭二郎は長屋を出てずっと不在。
この夜に柄出吉は蘭二郎に制裁を加える行動に出る。
その制裁とは何と蘭二郎の三味線の破壊。
蘭二郎の三味線は彼がここ竈河岸の職人に特別に作らせたもの。
故に金も作製期間も通常の三味線より桁違い。
蘭二郎の長屋に忍び込んだ柄出吉は蘭二郎の三味線を手にして外に出る。
時刻は暁八つ、丑三つ時(おおよそ午前二時過ぎ)。
柄出吉は蘭二郎の三味線を掲げて、弾き始める。
撥を持たず、左手で棹の糸を抑えながら、右手で棹の糸を爪弾く。
高速で行われる柄出吉の両手の運指は神がかり的で、周囲の住民はこの三味の音で起きるも、ただ布団の中で聞き惚れるだけ。
「ドリデデ♪ ドリデデ♪ ドリデ♪ リレリレ♪ ドリュラ♪ ドリュラ♪ ドリ♪ ドギュギ♪ デュララ♪」
「表現できたぜ、この俺の怒りを! 万雷の拍手を送れ、世の中のボケども!」
すると柄出吉は三味線を地面に叩き付ける!
「ギャーン! ガシャーン! ズギュ~ン!」
何度と叩き付けられた三味線は無惨に破壊され、柄出吉は最後に胴の皮をこれでもかと踏みつける。
踏みつけた際にひときわ異様な音が鳴る。
「ニ、ニャ~ゴ!」
その音を聞いた柄出吉は嘗て蘭二郎を叱った時の言葉を思い出す。
「いいか、この三味線とはここの竈河岸に住む職人たちが精魂込めて作ったものだ! そして三味線とは文字通り生き物。それを粗略に扱えば、その生き物の祟りが起こるのだ!」
五
翌朝。
帰宅した蘭二郎が、自身の破壊された三味線を発見して、愕然とするのも当然。
蘭二郎の脳裏には師の柄出吉の顔が思い浮かぶが、三味線を粗略に扱わないことだけは尊敬し、其処だけは師の教えを今でも守っていたので、「違う、そんな訳はない!」と首を振る。
蘭二郎の三味線教室は、彼の新たな三味線が出来上がるまで休業となり、蘭二郎の元へ来ていた女性たちは柄出吉の元へ赴く。
こうして柄出吉の教室は再び活況を呈するようになる。
ある夜。
柄出吉は寝苦しさを覚え、目を覚ます。
時刻は暁八つ、丑三つ時。
柄出吉は仰天する。
彼の枕元に巨大な化け猫が居たからだ。
化け猫は人語を発する。
「お前は儂を粗略に扱った。故に制裁を科す!」
化け猫は柄出吉を掴み、まるで柄出吉を三味線のように構えて持つ。
「ニャリデデ♪ ニャリデデ♪ ニャリデ♪ ニャレニャレ♪ ニャリュラ♪ ニャリュラ♪ ニャリ♪ ニャギュギ♪ ニャデュララ♪」
柄出吉の部屋から、猫の鳴き声と三味の音が混ざったような異様な音が発せられ、又も周囲の住民は起きるも、今度はその不気味な音から、布団の中で身を震わせるのみ。
翌朝。
柄出吉は死体となって発見された。
全身を巨大な爪の様なもので肉や骨に達するまで引っ掻き回され、夥しい出血が柄出吉の部屋中にまみれている。
岡っ引きたちは近辺の住民を中心に調べるも、あの夜に不気味な三味の音が響き渡っていたことしか供述を得られない。
何より、殺害方法が匕首などの刃物でもなく、鈍器のようなものでなく、何の凶器を使ったらこんな無惨な殺され方をされるのか、と手がかりすら得られないので、その内この捜査は打ち切られる。
さて、長い時間を掛けて、漸く三味線教室を再開させた蘭二郎。
師の惨死が契機か如何か不明だが、彼の人柄は丸くなり、遊びを控え、老若男女問わず広く教える。
特に、多くの名人と謳われる師匠たちを、世に送り出した名人中の名人として、蘭二郎の名は語り継がれるのであった。
三味の音が不気味に響き渡る 了
途中からギャグっぽくなってしまいました。
去年の夏のホラーを真面目に書いた反動でしょうか?
ところでAI画像を貼った場合は「AI利用状況」はどうなるんでしょうか?
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