48. 僕の気持ちは少々メタい
「ちょっ」
カイは言葉もなく僕を強引に馬車へと押し込める。
小一時間後。
降りるなり、ノクス領の辺境にある廃城――その階段を早足で手を繋いだまま上らされた。繋がれた右手が熱い。カイの手のひらから伝わる体温と、引かれる力に抗えずつんのめりそうになる。
「こんなとこで引っ張らないでくださいっ」
走りながら僕は後ろからずっと前の男を見つめていた。月明かりが時折、階段の隙間から差し込み、前を行く黒い髪を青白く照らす。汗ばんでいたが、それでも気持ち悪さなんか一切感じさせない。それにクールで骨格が鋭利とも言える横顔だ。
一段上るごとに太ももの筋肉が悲鳴を上げる。僕は荒い息を吐きながら、前を歩く広い背中に声を絞り出した。
「……頂上に何かあるんですか?」
「なにもないけど。でもお前、ずっと休む暇ないだろうし」
カイは振り返りもせず、一定のペースで階段を蹴り続ける。その声に疲労の色は全くない。……休ませようと、してくれてる?
考える気力も尽きかけ、ただ引かれるがままに重い足を動かした。
ようやくたどり着いた最上階。ここは見晴らし台か。視界を遮る壁が突然途切れ、四方から強い風が吹き込んできた。石造りの床には枯れ葉が散らばっている。
熱を持った頬に、夜の冷たい空気が触れた。汗ばんだシャツが肌に張り付いて、少し肌寒い。
繋いでいた手をぱっと離された。その反動で僕は数歩よろけて、膝に手をついて肩で息をした。
いやあ体力ないのに高い塔を登りきるなんて、僕すごい。
でもそこまでして登らせるんならさ……
「転移魔法使ってくれたらいいのに」
「自分で出来ないんだから甘えんな」
「うぅ~……」
それはごもっともです。
「ほら、見てみろ」
そう言われて息も絶え絶えにふと顔を上げると、ノクス領の明かりが一面に広がっていた。
「うわっ」
月光に照らされた石造りの屋根が幾重にも重なり、蒼く瞬く魔導灯と窓辺の明かりが白い吐息みたく揺れる夜の街。
「………きれい」
反射的に出た言葉だった。
この景色も、現実なんだ。
振り返ると、真顔の推しに見つめられていた。
一歩、音もなく距離を詰めてくる。
突然何の前触れもなく、ぐっと強い力で引き寄せられ、気づけば僕の体はカイの腕の中にすっぽりと収まっていた。
「え……っ」
声がうまく出ない。肩口に触れる腕の重みが、思っていたよりずっしりと現実的で、逃げ場をふさぐみたいにしっかりしている。見上げると、整った顎のラインと、わずかに伏せられた睫毛がすぐ目の前にある。
これは、どういう。
「いつもさ」
「……は、い」
頭の上から降ってくる声は、鼓膜を直接震わせるほど低い。僕の首元にカイは顔を埋め、くぐもった声で話し始めた。呼吸が首筋に当たり、そこから体温がじんわりと広がっていく。
「ずっとなんか無理してるし、何考えてるかもわかんねーし、泣いたと思ったら普通に笑ってるし。ムカつく」
回された腕の力が少しだけ強くなる。布越しに、カイの心音がトクン、トクンと規則正しく伝わってきた。
「それって僕のことですか、無理はしてませんよ」
両手をカイの胸元に当てて、少しだけ距離を取ろうと試みた。
「してるし。だから――」
当てた手を無視して、目の前の気だるげな男は耳元に顔を寄せてきた。
それから、ささやいた。
「俺のこと好きなら、俺自身が気晴らしになればいいと思って」
吐息が熱い。頭の芯が痺れるような感覚がした。
「はっ」
は、え、それって。
思考が完全に停止した。風の冷たさも忘れてしまいそうだ。
「えっとだから、あれはファンとしてって言ってるじゃないですか」
声を上ずらせながら反論する。
抱きしめてくる体を離そうとじたばた身をよじるが、カイは一層強く僕の背中に手を回してくる。
「ファンでも、なんでもいいけどさ」
「へ、あ」
「こうされてまんざらでもない顔してるけど」
長い指が伸びてきて、僕の顎を軽く持ち上げる。グレーの瞳と目が合う。頬が熱くなっているのが、バレた。
「いや、そのっ、違うから」
言葉が口の中でつっかえる。視線を逸らそうとしても、顎を固定されて動けない……!
「ふーん。じゃ、確かめるか」
カイはほの暗く口の端を上げて僕の顎を引き寄せた。
「え、それ、ってどういうことです……!」
カイと目が合ったまま僕は声を絞り出す。目の前の男は不機嫌そうに腰に手を回してきた。
「お前さ」
「はい?」
「俺らがお前のことどう思ってるか、今になっても気づいてないのか?」
「え、」
それは。
「それはその―――」
「気づかないふりだろ。またとぼけようとしても、遅いぞ」
カイが僕の言葉をさえぎって、唇を大きな手でふさいだ。
「ふ、ふぐぐ」
「いいか。俺らは、お前のことが」
「っ」
「……なんでもない。詳しくは、色々落ち着いて全員集まってからにしよう。お前、覚悟しといたほうがいいから。記憶に残しとけよ」
「……わ、わかりました」
カイは僕を腕から離して、夜景を見つめた。しかし、僕は―――
「あの」
ぽろ。
涙が一粒、頬を伝った。
「……おい」
カイが驚いたように振り向く。
「え、あれ」
自分でも驚いた。なんで泣いてるんだ。
嬉しいはずなのに。推しと二人きりで、こんなに近くにいられて。
でも。
吹き込んでくる夜風は冷たいはずなのに、首筋にはじっとりと汗が滲んでいた。
息を吸おうとしても、喉の奥がひゅっと鳴るだけで空気がうまく入ってこない。無意識のうちに足がすくみ、石の床を擦るようにして半歩だけ後ずさった。
「……っ」
ぽろぽろと、止まらなくなった。
「ちょ、待てよ、なんで泣いて……っ、今度はホントか?」
カイが慌てて僕の肩を掴む。その手が、少しだけ震えていた。
「わ、わかんないです」
僕は両手で顔を覆った。指の隙間から、また涙が零れる。
止めようとしても、止まらない。
カイは何も言わずに、ただ僕の頭にそっと手を置いた。大きな手のひらの温度が、じんわりと伝わってくる。
「……泣くなって」
「そう、言われても」
僕は顔を覆ったまま、声を絞り出した。
「まだ、そのっ」
唾を飲み込む。
「正直、あなたがたが僕自身に何を感じているかが、実感できなくて」
頭に乗せられた大きな手のひらから、規則正しい脈の温度が伝わってくる。指の隙間から恐る恐る見上げると、月光を反射した灰色の瞳が、まばたきもせずにこちらへ向けられていた。その透き通った色の中に、涙でぐしゃぐしゃになった不格好な僕の顔が映っている。
ぎゅっと目を閉じ、その重たくて温かい手から逃れるように、わずかに首をすくめた。
「あはは……ヘンですよね。相手の気持ちの深ーい所が分からないし、受け入れられないんです。向き合えないのかもなあ~」
濡れた頬を手の甲で乱暴に拭い、ひくつく口角を無理やり引き上げる。目の前に立つ彼から視線を外し、遠くで蒼く瞬く街の灯りへと顔を向けた。吹きすさぶ風が、熱を持った目元を冷やしていく。
石造りの冷たい手すりに両手をかけ、指の関節が白くなるまで強く握りしめた。
「ヴィランたちがこうして生きてるだけでも、僕にとっては目から鱗なのになー」
「それ、さ」
しかし寸前で、目の前のヴィランは口をつぐんだ。
「いまだにあなたがたと出会えたことが……嬉しくってしょうがないんです。でも、それ以上いくと、追い付かないです」
数秒の沈黙。
風が、僕ら二人の間を吹き抜けた。
目の前の推しは、ゆっくりと口を開いた。
「……俺らが生きてるだけで、お前は満足なのか」
声が、低かった。
いつもの気だるげな声じゃない。
「え」
「生きてるだけで、いいのか」
目の前の顔を月光が照らす。
「……俺は、それじゃ足りない」
その言葉が夜の空気に溶けた。
僕は息を呑んだ。
「カイっ?」
「もういい。今日はこれで終わりな。馬車で待ってる」
結んだ黒髪のヴィランは踵を返して、階段へ向かって歩き出した。
「ま、待って」
手を伸ばしかけて、止めた。
届かない距離だった。
僕はその背中を見つめることしかできなかった。
風がまた吹いて髪が顔に当たる。夜景の明かりが揺れていた。
それじゃ足りないって……何がだろう?
――この時、僕はミナの裁判後にあんな目に遭うなんて、考えてもいなかった。




