41. 勝負後の夜風ってさむいんだよ
その後、僕は判決書や物的証拠の整理など一通りの仕事を終えて、裁判所を出た。
ほっと、息を吐いたら白くなった。
法廷の熱気が体にまだ残っているうちは気づかなかったけれど――広場を歩く人々の声が、いつもより低いな。
「認証鍵は王家と宰相くらいしか持てんだろう」
「だとしたら、いったい誰が……」
声を潜めた会話が、すれ違う度にちらりと耳に入ってくる。裁判前から漂っていた不穏さが、今日の判決で形を持ち始めた感じがした。
僕は少し足を止めて、広場の遠い方を眺めた。
外の空気はずいぶん冷えている。もうあたり一面が真っ暗で、星がじんわりと輝いている。裁判所近くの広場には、仕事終わりの人々がちらほら行き交っていた。
とりあえずは勝訴した。
そう頭の中で繰り返すと、ウィリアムが顔を隠した、あの一瞬が脳裏に浮かんだ。
「……はは」
声に出したら、また息が白くなった。
革鞄を肩に掛け直して、石畳の上に立ったまま建物を振り返る。荘厳な扉の向こうで、まだ傍聴席の騒ぎが収まっていないんだろうな。あの熱気の中にはもう少し戻りたくなかった。
外は、静かだ。
風が一度だけ吹いて、前髪が揺れた。寒い、と思った瞬間――
「ちょっと待て! 置いてくな、レオン!」
アヅミの慌ただしい声が後ろから聞こえた。
「無断で先に出てる!!」
「ご、ごめんよ」
振り返ると、多忙なため先に帰ったゼオスさん除く、ヴィラン四人が裁判所の扉から出てくるところだった。
あ、僕の仕事が終わるまで中で待機してくれてたのね。こりゃ申し訳ないことをした。
アヅミが小走りで追いつき、その後ろからライラさんが悠然と歩いてきて、ウィリアムが眼鏡を押し上げながらついてくる。カイが最後で、特に急いでもいない歩き方だった。
全員が外に出た。
全員が、ほぼ同時に止まった。
そして、ほぼ同時に僕を見た。
「……寒そうだな」
カイが最初に言った。
「寒そう」
ライラさんが続いた。
「末端から体温が奪われていますね」
ウイリアムが最後に言った。
僕が「そう、かな」と言いかけた瞬間だった。
するり、と肩に重みが乗った。
ライラさんが何も言わずに、自分のコートを僕の肩にかけてくれていた。
「え、ライラさん」
振り向いた瞬間、反対側から手袋が突っ込んできた。
「手、冷たいだろっ! ほらっ、これっ!」
アヅミが片手に手袋を持って、力ずくではめようとしてくる。
「あっ、あっ、ちょ、アヅミ」
「じっとしろ! 逃げんな!」
「逃げてない!」
もぞもぞと手袋と格闘していると、ウィリアムが書類を脇に抱えたまま歩いてきて、「失礼」と言いながら僕の手に何かをすっと押しつけた。
「この冷え込みでは体温が奪われますよ。適切な対処ってわかります?」
皮肉気味に言われたが、やってることは別だ。
手のひらの上にある小さな丸い魔道具が、じんわり温かい。
ライラさんのコートが肩にある。アヅミさんが手袋をはめようとしている。ウィリアムがカイロを持たせてくれた。
三方向から同時に囲まれて、僕は身動きが全くとれない状態になっていた。
「あれ」
ふと気づく。
「カイさんどうしたの?」
少し離れた位置で、カイだけが全員の様子を眺めていた。腕は組んでいない。ただ立ってる。表情が読めない……。
カイが間を置いて、それから無言で近づいてきた。
ぽん、と。
肩に片手が乗った。
重い手のひらの体温が、コートの上からでも伝わってくる。
「……あったかい~……」
思考より先に口が動いた。このヴィラン体温高いのかな……?
するとカイが微妙な顔をした。
「あっそ」
小声でそれだけ言って、手を離した。
……なんで、離したんだろう。疑問が来た時には、もうカイはそっぽを向いていた。
推しは、こういう時、なんで離すんだろう。せっかく手も乗ってて暖かかったのに! 純粋に疑問であるな。
その時。
「……弁護士サマと、幹部の人たちだー」
グルムが扉を開けて、外に出てきた。
「お、グルムさんじゃないですか」
僕は手を振る。
「……弁護士サマ気づいてるか? 奪い合いになってるけど」
グルムは呆れたように額を掻いた。
「えっ? 何が?」
『おい』
全員が口を揃えて言った。
奪い合い。
何のだろう。
「まあ、いつか分かる」
グルムが肩をすくめた。
カイは鼻を鳴らして、そっぽを向く。
「べつに。気づかないほうが、楽でいい」
誰にとって、とカイに聞こうとして、やめた。
カイって、ああいう言い方をする時、大体それ以上説明する気がないやつだ。
言葉で説明しないというか、できない人なんだよなぁ。そんなとこも可愛いんですけどね。さすが推し。
ライラさんは前髪を指で払いながら、小さく息を吐いた。
「……まあ、焦ることもないか」
アヅミは両手で顔を覆った。
「なんで気づかないんだよ!!! なんで!!!」
ウィリアムはすっと目を細めた。
「……自覚していただく方向で、手を打ちましょう」
ええ、僕が自覚していないこと、あったっけ? もしや次の案件に備えろ、弁護士として自覚しろってこと?
僕は疲れ気味に目を瞬かせながら、ちらりと宴会会場の方向を見た。
にぎやかな声が遠くから漏れてくる。頭がそちらにシフトした。
打ち上げ、か。
息をひとつ吐いて、正面を向いた。
「僕、すぐ帰ります」
アヅミとライラさんがピタッと止まった。
え、まさかこの後行くつもりだったの?
「まだ、何も終わってない。ミナのことも解決できていない。証拠の設計者も誰だか把握できていないうちは、油断しない方がいい……」
声に出すと、思ったより冷静な声が出た。
ヴィランたちが黙っている。
誰かが何か言おうとした、かもしれない。でも言わなかった。
ライラさんがほんの少しだけ眩しそうに目を細めた。アヅミが、言いかけた言葉を飲み込んだ。カイが気だるげに頭を掻いた。ウィリアムが書類を抱え直した。
グルムが鼻を鳴らして「そうだな」とだけ言った。
夕風がまた吹いた。
手のひらの中の魔道具がじんわりと温かかった。
ライラさんのコートが、風でわずかにはためいた。
推しに借りたコートを着たまま帰るのは少し気まずいけれど、それより先にやることがある。
起こるかもしれない次の裁判。証拠の設計者。ミナのこと。
――推しを、守り切るまでが仕事だ。
ま、コートと魔道具は次会ったときに返しに行けばいいか。
◆◇◆
「レオン、さま」
広場の外れにある石柱の影に、ワンピースの裾が収まっていた。
ミナはレオンを、じっと見ていた。
勝訴した直後に、打ち上げを断った。そうして一人で、まっすぐに前を見て。
ねぇ、追いつめられてたんじゃないの。
あの方はすこしも変わらない、勝っても何をしていても、たとえ窮地でも。それが、どうしようもなく―――
このままだと、眩しいまま遠のいているだけだ。
何かを言おうとして、口が開かなかった。
「行くよ」
外套を被ったアレクシス王子が声をかけた。
ミナは一度だけ広場の方を振り返って、それからかぶりを振った。
あの方が完膚なきまでに叩きのめされれれば。
それで初めて、この手がちゃんと届く気がする。
―――レオンさま、待っていて。
あなたの可愛いミナが、あなたの光をかならず壊してあげるから。
ほのかに、笑った。




