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40/50

40. 目薬です!

 液体が入ったこの小瓶の値段は銅貨三枚だ。


 元が取れたかどうかは、午後の法廷が答えを出してくれる。


 休廷中の廊下は、嵐の『後』みたいな静けさだった――ただし、ホントの嵐はこれから始まる予定なのだけど。


 僕が法廷に入ると騒ぎが引いて、全員がどこか腫れ物に触るような空気になる。腕を組んでいる者、膝に手を置いている者などさまざまだ。


 裁判長のガベルが鳴り、開廷時間になった。


「弁護人より、追加の陳述があります」



 裁判官が声を上げる。立ち上がった僕は、書類を手に取った。


「ウィリアムが契約操作を行ったことは、事実ですっ」



 僕は冷静に、するっと書類をめくった。傍聴席がざわつく。 


「――それは午前に認めましたが」

「はい。そのうえで」


 裁判長の言葉に、僕はにっこりと顔を上げた。




「解除と、再登録は、別の操作ですね?」




 法廷の声がいちど消えた。二拍か三拍か。メリューの書類を持つ手が止まった。


「……弁護人。意図を、もう少しはっきりさせてもらえますか」


 では。

 タネ明かし……といこうか。

 僕は指を折った。



「皆さん、おさらいといきましょうか。契約魔法のログは三つあります。

 一つめは操作記録。

 二つめは魔力署名。

 そして。」


 操作記録とは、操作されたそれぞれの時刻と操作者の名前だ。


 次が魔力署名。操作者が残した魔力波形の照合データのこと。


 はじめ検察が提出してきたのは、この二つだけだった。


「三つめが、再登録時の上位承認、認証鍵ログです」



 僕は続けた。『認証鍵ログ』とは誰が最終的に再登録を承認したか、その情報が残る仕組み――



「この認証鍵の権限者は、王家もしくはそれに準ずる者のみ」


 上座で、金色の髪が少しだけ揺れた。視線の方向は変わっていない。ただ、膝上の指が、わずかに伸びた。



 僕は書類をもう一枚開いた。


「さらに。

 ログの反映に遅延が確認されています。

 この遅延が、単なる誤差なのか遠隔操作の痕跡なのか。

 それを判断するためには認証鍵ログが必要でした。そして今しがた、提出していただきました」




 僕は書類を高くかかげた。


 視線が一点に集まり、かかげた書類の端に窓からの光が当たる。



「提出されたこの実物をご覧ください。

 更新時刻は、被告人ウィリアムが操作をした時刻の、三十分後になっています。

 さらに、更新した主は王家の紋章名義になっていて、詳しくは記録されていません。


 このことから読み取れるのは――

 王家の権限を持つ誰かが、事前に細工してウィリアムの痕跡を残存させるよう仕組んで。

 被告人ウィリアムが契約解除操作をしたあと。

 遠隔で認証鍵を使うことによって、被告人名義で再登録の操作を行っています」





 傍聴席で誰かが「え」と声を漏らした。





「検察さん……。


 僕の涙で油断して追加の証拠を出していただき。


 ホントに、ありがとうございます。

 被告人ウィリアムの罪状に対する真否については、この追加書類を見ていただければ、一目瞭然ですねっ」



 僕はニコッと言った。頬が熱い。きっと上気していることだろう。


 午前の涙は、自分の元の気持ちすら呼び起こして、特定の感情を引き出すメソッド演技ってやつ。

 カイとセリーヌの裁判の時に、僕は気づいた。

 この世界は法廷での規制は大変ゆるく、罵声だって歓声だってライブ会場のように盛り上がって次々に上がってしまうのだ、と。


 噛み砕いて言うと、そんな民衆の糾弾を利用して、さもこちらが追い詰められているように見える状況を作った。

 それから僕という弁護士みずから、ウィリアムを裏切ったように見せたんだ。

 そうして、敵の気が緩むように誘導した。


 検察は自分たちがいかに致命的なミスをしたかを、身をもって知っただろう。


 そして僕は内ポケットから、ガラス瓶を取り出した。


「法廷で泣くのは初めてでしたが。意外と使えますね、この手」




 これは目薬。




 僕は完璧な俳優ではないから声は震わせられても、涙までこぼせるかは怪しかった。だからいちおう、これの力も借りたのだ。


「えへへっ」




 その時、誰もが静止した。


「なっ」

「まさか」


 傍聴席からかろうじて二つ三つほど声が上がる。


 メリュー検察官の顔がみるみる赤くなった。


「そ、それは、」


 手の中の書類が小さく震えていた。




「……そういうことかよ」


 カイの呟くような声がこちらまで反響してくる。


「えっ、え、」


 涙を手の甲で雑に拭っている赤髪のヴィランが一人。


「なんでっ、なんで泣いてんだ自分!?!?」


 自分でびびってる……

 ちょっと待って、アヅミかわいくない?


 ほんの少し小さく、ふっと笑みが漏れた。


 そんな僕を見たアヅミは一瞬固まって、みるみる耳まで赤くなった。


「な……なんでこっちに笑いかけ……! てか笑うな!!」


 全力で怒られた。


 ライラさんが弁護人席の僕を見て、「信じてたよ」と言うように微笑んだ。


 ゆっくりと腕を組み直したグルムは、全員より早く親指を立てる。


「……ま、そうだろうなっ!」


 最初から疑っていなかったような顔だ。あいつ、ずっとわかってたんだろうな。

 ゼオスさんがにっこりメモ帳を閉じた。パタン、という音が妙にきっぱりしている。


 ―――ミナは傍聴席の片隅でうつむいていて、かすかに何か言った。

「なんで」なのか「くやしい」なのか、こちらからは区別がつかない口の動きだ。

 それから、一瞬だけアレクシス王子を見た。


 気になったのはミナだけじゃない。ミナが見た方向だ。

 冤罪を組み立てた証拠の設計者が誰かを、僕はまだ知らない。


 アレクシス王子は、隣のミナを一瞥してから正面を向いた。



 エルドは音を立てずに書類をサイドテーブルに置き、ジオはさっきまであった眉間の皺が、いつの間にか消えてる。フィンは髪を巻きつけていた指を止めて、斜め下をじっと見た。何かを考えているのか、計算しているのか、こっちからは分からない。

 


 きっと王子だけじゃなく、あの三人も証拠の設計に関わってる――


 その時、弟たちの列でアランが声を上げた。


「よかったあ、にいちゃん!」


 もう……まったく。


 つい、ほほ笑んでしまった。




「――被告人ウィリアム・ロス=アルナスを、無罪とする!!」



 裁判長がガベルをカンカンっと鳴らした瞬間、傍聴席の声が歓声と罵声の二種類に割れた。

 どちらも大きかったけど、僕には関係なかった。


 内ポケットの中にある小瓶が、ほんのり温かい。


「あはは……」


 涙がこぼれていたときより、視界の解像度がすうっと上がったみたいだ。

 まあ気のせいだっ! 全部、ちゃんと見えてたよ?


 前世と違って、今は周りがうるさくて、まぶしくて、まったく落ち着かない……それが不思議と、悪くない。

 

 傍聴席の騒ぎが収まらない中で、僕は被告人席を見た。


 ウィリアムは口角を上げながら僕を見て、照れたように顔の半分を片手で隠したのだった。


 さ、分かったかな?

 僕の〝新しい策〟というのは、これのことだ!



 ◆◇◆



 法廷に続く廊下の影に、漆黒のエンパイアドレスを身にまとった公爵令嬢がいた。


「フフフ、予想通りでしてよ。レオン」


 その視線の先では、少年弁護士が目薬の瓶をポケットに戻すところだった。


 公爵令嬢は踵を返した。


 法廷を横目に見て、顔を扇で抑える。ドレスの裾が、石畳の上を静かになぞった。


「……………ふふ」


 今度の笑いは、さっきと少し違った。

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