39. 油断したね
今回は法廷回です! 楽しんでいただけたら嬉しいです。
弁護とは、真実を語ることじゃない。
真実が見えるように場を整えること。
今日の法廷で僕がやることもそれだけ。
大仕事の二回目が、こんなに早く訪れるなんてなあ。
午前の光が眩しい。
ワイシャツのボタンを一つずつ確かめながら歩く。
ヴィランがまた冤罪に巻き込まれるというのは、あり得ないことはないと思ってた。にしても前回の裁判から半年だって経っていない。
ふたたび、僕の出番が来たのだ。
上着の内ポケットに手を当てると、小さなガラス瓶の感触がある。
これが今日の切り札だ。
前世の法廷で、こんな武器が必要になったことは一度もなかった。
王立刑事裁判所の扉を開けると、廊下に詰めかけていた記者たちがどっと動いた。
「レオン先生! 今日の勝算は!」
魔導石のフラッシュが弾ける。マイクが腕ごと飛んでくる。
「えへへ、失礼しまーっす」
コメントする気はないないっ。
裁判は口じゃなくて中でやるもの。僕は視線を前に向けたまま、人垣を割るように歩く。温度のある感触を受け流して、ペースを落とさなかった。
ヴィランたちはパパラッチに巻き込みたくなかったため、今回先に法廷の傍聴席に行ってもらった。つまり別行動である。
扉が閉まり、フラッシュの残光が瞼の裏に白く残る。一歩入ると、廊下の騒音が遠ざかった。
まず僕は目線で傍聴席全体を見やった。
「!」
王家専用の上座に、アレクシス王子が座っていた。
蒼い目がこちらを見て、うすーく笑った。
うっわ。
その隣に、ミナがちょこんと座っている。
両手を重ねて、指先を動かさずにいた。
「……」
真っ黒な瞳が、一度だけ僕の方に向いた。二秒だけじっと見られた後、すぐ逸らされた。
ミナは兄の裁判を最前列で、王子の隣から見ている――。
でも、分析は後回しだ。今は仕事。ミナのことは今日の最後に考えよう。
そこから目をすべらせると、王子の控えに三人いた。
「っ!?」
―――英雄族攻略対象。
まじか。
なにげにアレクシス王子以外で見たの初めてなんだけど!
プラチナシルバーの短髪が特徴的な書紀が、羊皮紙の束を手にしたまま、表情を一切動かさずに正面を見ていた。整然とした印象をさらに強調している。
あれが攻略対象の書紀エルドか……。
隙、が、ない。
人間ってそんな完璧に静止できるっけ? 呼吸はしてるよね?
ゲームの掲示板で『崩れた時がやばい』と言われていた理由が、生で見ると少しだけ分かった気がする。壁がこんなに分厚いんだ。
攻略対象二人目、護衛騎士のジオは腕を組んで壁に背を当てていて、濃い橙色の髪から若草色の目がのぞいていた。
そして別ラインの傍聴席を一瞥して、鼻を鳴らす。ヴィランを見る目じゃねーか。
その目がまっすぐこっちに来た瞬間、背筋が伸びた。
コワイッ……。
ゲームでは『終盤に誠実さがどかんと来る』と言われていたけど、今このリアルな眼光を受けると、終盤まで生きていられる気がしない。頑張れ僕。
三人目の攻略対象、王子に仕える側近のフィンがエルドの隣で、深い色の金髪を指でくるくるといじりながら笑っている。
あの目の奥が笑顔じゃない。
ゲームで成功ラインを外れた途端に詰みになるルートってどういうことか、今ならわかる。
ふと、フィンの指が一瞬だけ止まった。
んん?
視線を追うと、検察のメリューが書類の最終確認をしている。ただそれだけの光景だけど、なにか引っかかった。
まあ考えすぎだ。
カイにアヅミ、ライラさんとゼオスさん、グルムは傍聴席の別のラインにいた。
僕は順番に目を送る。
ライラさんの微笑みは、法廷にいても花屋の店先にいるのと同じ顔だった。場所を選ばない人というのが、世の中にはいる。
アヅミが前のめりになる角度は、興味の高さに比例している気がする。今は約十五度くらい。
グルムは腕を組んだまま微動だにしなかった。目だけが、法廷をゆっくりと動いている。
カイとゼオスさんは、それぞれ腕を組んだりメモ帳を用意したりと、父子といっても動きは似ないらしい。
そして、端の列に三人分のホワイトブロンドが並んでる。
末の弟アランが僕を見つけた瞬間に精一杯大きく手を振った。小さく頷き返すと、アランがぱっと顔を輝かせた。
うちの弟たちは今日もかわいい!
隣のイリクが「静かにしろ」という顔で腕を引っ張る。一番端のシェンは腕を組んで正面を向いていて、目が合うと小さく頷いた。
周囲の傍聴人の視線がアランに向いた。
英雄族の子が、ヴィランの味方をする弁護士に手を振っている。そういう目だ。僕のことをよく思わない人だって、英雄族の中には居るんだ。
……ごめんね、アラン。君まで変な目で見られてしまうのは、僕のせい。それでも来てくれていることを嬉しいとしか思えない自分が、少しだけ情けない。
ひとしきり確認した後、僕は真ん前にある被告人席を見た。
ウィリアムは振り返りながらこちらを見ていた。上着の衿の線が真っ直ぐで、整えたんだろうか。
「……頑張りましょうか」
わかった、絶対ね。返事は声に出さない。代わりにまっすぐ目を見た。信じてくれている人間を、裏切る気はない。
検察側の席に座るツリ目の女性は、書類の角を親指の腹で丁寧に揃えてから、法廷全体を一度だけ見回した。
向こうも万全だ。それはわかってて来た。
ドキドキ。
積み上げてきたものがあったとしても、心拍数は上がるんだよな……っ。
裁判長は目を細めてから、ガベルを静かに手に取った。
「では。
被告人ウィリアム・ロス=アルナスに対する違法奴隷契約主導ならびに不法契約に係る公開審理を、これよりはじめます」
カンッ、と鳴った。法廷がしん、と静まり返る。
「メリュー検察官、起訴状を読み上げてください」
呼ばれたツリ目の女性検察官は立ち上がり、書類を取って口を開く。
「被告人、ウィリアム・ロス=アルナス。職業、ヴィラン族自治区記録管理士。
被告人は、自身の勝手な金銭欲しさから、大勢の不法な奴隷売買を計画・主導した。
一連の行為は、王国の奴隷契約管理制度の根幹を著しく損なうものである。
以上の罪状に基づき、王国検察局は被告人に対し、違法魔法契約罪ならび人身売買罪として、断罪を求める!」
ようするに。
ウィリアムが違法奴隷契約を単独でやったって言いたいんだね。
冤罪もいいとこだ。
裁判長がウィリアムに目を向ける。
「被告人、この起訴状の内容については」
ウィリアムは片手で髪をかきあげてから、静かに口を開いた。
「――認めません」
その声が、静まり返った法廷に落ちた。
英雄族の傍聴席の幾人かが顔を見合わせた後前を向く。不信と嘲りが半分ずつ混ざったような表情だ。
認めないなんて当たり前だよ、やってないんだから。
僕は書類に目を落としながら、ペンの先でかすかに一点を叩いた。
確認。準備はある。
「ひとつめの証拠を提示します」
メリューにより契約管理ログの魔法陣が空中にボウッと展開されて、文字が浮かんだ。
『奴隷契約管理担当者:ウィリアム。
登録時、操作魔力波形:一致。』
僕は立ち上がった。
「ログの更新時刻が、被告人の操作時刻とズレています。これは」
「公式記録の誤差範囲内です。魔導監査院が認定しております」
「しかしこのズレの幅は」
「却下します」
裁判長がガベルを一回鳴らした。僕は座った。椅子の背が腰に当たる。書類の端を親指で叩いて、次のラインへ頭を切り替えた。
ようするに第一の証拠はこういうことだ。
『ログの操作時刻がズレてますよね。誰かが書き換えたかもしれません』
→『それ誤差の範囲です、公式機関が認めてます』
→おしまい。
想定内。次いこ。
第二の証拠は魔力一致。九十八・四パーセント。これも本物だ。
「波形の一致率についてですが、誰かが同環境で操作した場合はっ」
僕の言葉はメリュー検察官に遮られた。
「魔導監査院の認定済みデータです。反論の余地はありません」
はい却下。ですよねー。
言いたかったのは『あなたの魔力のクセが現場に残ってますよ』ってやつを、
『違う人間の可能性も無きにしもあらずじゃない??』って、
ダメもとで反論したかったんだけど、
『でも九十八パーセント一致してるってちゃんとした機関が認めてます』で封じられた。
わかった。
……正直に言うけど、ちょっとやばい。
「もう勝負はついてるんじゃないの」
「司法の革命児、負けるか……いい気味だ」
ひとつ傍聴席から声が漏れると次が続いた。
そこでメリューが、書類を一枚手元に戻しながら口を開いた。
「なお、認証鍵ログの提出は不要です。管理記録と波形、この二点で立証できます」
『当たり前だろう』とでも言いたげな声だ。
うん、そうだね。
その二点で、証拠はあっちからしたら十分なんだ。
三点目が、こちらからしたら無罪を主張するのに必要だったんだけど……
王家と検察側は開示をしてくれないし。僕は書類をめくりながら、ひとつ息を吐いた。
ちらっと傍聴席のカイを見た。腕を組んだまま、眉だけかすかに寄っていた。
ウィリアムは被告人席で、膝の上に両手を重ねたまま、目を伏せていた。
――大丈夫。まだ終わっていない。
僕はそれだけ確認した。
検察のメリューが立ち上がる。追加として、ウィリアムの過去の勤務記録が展開された。
「ヴィラン族の中でも、被告は特に知識に長けた人物です。その能力が、このたびの違法操作を可能にした――」
ウィリアムの奴隷市場の管理区画への立ち入りタイミング。
操作された端末。
書類が一枚ずつ、空中に展開されていく。
傍聴席の英雄族民衆が、ざわつき始めた。
「これで証拠が四点目か…」
最初は囁き声だった。声が確実に広がっていく。
「こんな判決見え見えの茶番、いつまで続ける気だ」
「弁護士気取りの小僧が。だいたい、人身売買したヴィランに肩入れするなんて……」
裁判長がガベルを打って「静粛に」と言う。
しかし、声は完全には止まらない。
いや、なんでそうなるの。
僕にヘイト向くって、よっぽどヴィランに味方する奴が憎いんだね。
裁判に私情挟むなし。
もう、こういう時だけは論理が整っていないこの世界が嫌になる!
「そもそも、あの弁護士は英雄族の恥なんだよ」
「ツケが回ってきたなぁ、いい気味だ」
傍聴席の声が大きくなっていった。
声が重なる。罵声に対する規制が前世の世界ほどない。感情が剥き出しで飛んでくる。
ウィリアムは被告人席で目を伏せていた。
メリューは書類を静かに捌きながら、口の端だけ笑っていた。
傍聴席の怒声を背景のように受け流しながら、全部が予定通りだとでも言うように書類の角を一枚一枚丁寧に揃えている。
イリクの膝の布包みを握る手が白くなった。シェンは腕を組んだまま、ただ僕を見続けていた。
言葉が刺さる。
傍聴席の声が壁に反響し、二重に三重になって、一つの言葉が滲んでいく。
『この、ヴィランに寝返った裏切り者が』
ちらりと、アランを見てしまった。
肩が、縮こまっていた。
ああ。
ごめんねアラン。
また、謝ってしまった。
今まで、頑張ってきていたのに。
お願いだから。
ヴィランたちのことも、僕のことも、そんなふうに言わないで。
内ポケットに手を伸ばして、一瞬だけ、
目を書類で隠した。
そのままふらつく足で立ち上がる。
「被告側より、陳述があります」
法廷が一瞬、呼吸を止めた。
認めちゃ、だめ。
そもそもウィリアムはやっていないのに。
でも、楽になる可能性は、―――
瞳が滲む。
ぽろ、と涙が一筋頬にまっすぐ下りてきた。顎の手前で止まったのか、そのまま落ちたのか、自分ではよく分からない。
一秒。二秒。
僕は、口を開いた。
「……被告人ウィリアムはっ……契約管理操作を、行いました」
声が震える。
さっきまでの怒声が嘘みたいに石の壁に吸い込まれていく。
「……は?」
誰かが漏らした声がよく響いた。アランがイリクの袖を引いた。
「レオンにいちゃん、泣いてる……」
イリクは答えなかった。膝の上の布包みを抱え直した。シェンの腕がゆっくりとほどけた。
カイが立ち上がりかけ、隣のアヅミが反射で腕を掴んだ。
アヅミが困惑気味に唇を噛んだ。ライラさんの袖を、わずかに引いた。
「……これ、どういうことですか。レオン、なんで急にありもしないことを認めて」
こちらにも届く声だった。
ライラさんは答えない代わりに、アヅミの肩に軽く手を置いた。
カイは半身だけ浮いたまま、弁護人席に立つ僕を見ていた。
裁判長が僕に確認する。
「今なんと」
「ウィリアムは、契約管理操作を行いました……」
僕は繰り返した。視線を感じたが、僕はウィリアムを見なかった。
傍聴席が動いた。
「本当か」
「弁護士が認めやがった」
「これで確定だろ!!」
そこでメリューが、書類を手にしたまま動いた。
口元を引き締めながらも、油断するように目の端が笑っている。
「被告側代理人。被告人の弁護を放棄する、ということでよろしいでしょうか?」
「………ひ、うぅ」
僕はまぶたをこすりながら、否定も肯定もできなかった。
「……では。被告側がそれを認めるのであれば、より完全な記録として、追加の書類――認証鍵ログを提出いたします。裁判長、よろしいでしょうか。
念のため、証拠として完全な形を残しておきたいと思います」
「許可します」
書類が提出された。法廷がざわついた。
「司法の革命児、負けたか」
「期待したこっちが、バカだったか」
壁の石が空気を全部吸ったみたいに、温度がひとつ落ちた。
傍聴席で、ミナの震える唇がかすかに弧を描いてる。
傍聴席の誰も、あの表情に気づいていないだろう。気づいているのは、たぶん僕だけだ。
その時、裁判長がガベルを打った。
「……事態の整理のため、一刻の休廷時間となります」
音と同時に、傍聴席が動く。
僕は弁護人席から静かに立ち上がった。
廊下に出ると、喧騒が石の壁に吸われてすこし遠くなる。
後ろは見なかったけど、一人分の足音が追ってくる気配がして――僕は腕を掴まれた。
「!?」
ダンっと壁に背が当たる。
「何のつもり?」
灰色の瞳の中に、僕の顔が映っていた。
「カイ……さ」
「答えろ」
カイが腕を壁につき、僕を挟んでいた。
「言え、ない」
「……あっそう。お前から言うことは、何もないっていうのか?」
「はい」
カイは何も言わなかった。腕を下ろさなかった。
手が離された。背を向けて戻っていく。
カイは振り返らなかったけど、廊下の途中で足音が止まった。
「…………………お前、泣くなよ」
そう言って、また歩き出した。
声がさっきよりも一層低かった。怒っているのと、違う。なんだろう。
足音が石畳に規則正しく響いた。一歩ずつ、一定のペースで遠ざかった。
廊下の奥、人通りが途切れた角で、控室のドアを開ける。
今日は負けた日だ。証拠を提出されて、どちらも正面から崩せなかった。
傍聴席の空気は完全に検察に傾いて、弁護人が追い詰められているように見えただろう。
そう、見えただろうね。
僕はうつむいて、口の端を上げた。
一人になったので、壁に背を当てて息をついた。
カイにだって、言えるわけないでしょ。事が終わるまでは、ね。
内ポケットから、ガラス瓶を取り出して残量を確認する。もう中の液体はそこまで残っていない。
あ〜、今日のために市井の薬屋で購入しておいてよかった。
「……みんな、上出来だよ」
今までの僕の混乱、ホントだと思った?




