37. 身長は変えられないもんで……
カフェは煙草の煙とコーヒーのにおいが混ざっていた。
昼過ぎの時間帯、席はほどほどに埋まっている。会話の声で僕たちの話がちょうど溶け込む。意図してこの店を選んだわけじゃないけれど、結果的に都合がよかった。このテーブルも奥側の人目につかない位置にあって、仕切りで周りが囲われているしね。
広げた書類の山を、もう一度最初から見直す。
証拠記録。法廷提出分のコピー。ウィリアムさんの勤務記録。奴隷市場の契約魔法ログ。抜き書きした条文。それから、僕が独自にまとめた対照表。
全部で、三十枚近くある。
「……多いね」
向かいに座ったライラさんが、テーブルの端をとんっ、と叩きながら言った。特に責めているわけじゃない、ただそういう事実を確認しているような声だった。
「多いです」
「きみ、昨日寝た?」
少し間を置いた。
「……寝ました」
「何時間」
「ええっと、三時間? くらい?」
ライラさんはかぶりを振って、眉を下げて笑った。
敵側の証拠はこう。
ウィリアムが奴隷市場で契約解除の操作を行ったこと。その操作者として彼の名前が管理ログに残っていること。解除時に使われた魔力の波形がウィリアムのものと九十八・四パーセント一致していること。
どれも偽造じゃない。改ざんでもない。
本来なら『奴隷を解放した』という行為が『違法な契約操作を主導した』という罪状に化けている。その変換がどこで起きているのか、僕には大体見えている。でも、『見えている』と『崩せる』の間には、今、途方もない距離がある。
「ここだろ、おかしいのは」
カイが書類の一点を指した。
爪が綺麗に切りそろえられていて、少し骨張った手だ。カイはめんどくさがりなのに綺麗好きでもある。ぼんやりと、そういうことを考えた。
「契約の再登録ログ、反映が微妙に、ウィリアムさんが解除した時間とズレてますねー。でも……」
言葉がそこで止まる。
カイが僕を見た。灰色の瞳が、半開きのまま、静かにこちらを向いている。
「でも、なんだ」
「……このズレだけじゃ、何も言えないんですよね」
口に出したら、改めて重かった。
「公式記録の誤差範囲内って言われたら終わりで。そこを突いても、検察は魔導監査院の公式ログだって一言で押し切れる」
アヅミがテーブルに頬杖をついて、まずそうな顔をした。
「つまり今、手詰まりってことかよ」
「今は、そうです」
僕が言うと、アヅミが頬杖ごとずるっとテーブルに沈んだ。
「なんとかなるんじゃないの……」
「今回は、ちょっとわかんないです」
カイが何も言わずに、僕の側にメロンソーダを押した。
頼んでいないやつだった。いつの間に注文していたんだろう。カイを見たけど、もう視線はそらされていた。
契約魔法のログには、層がある。
書類を眺めながら、もう一度それを確認する。
一番上の層が操作記録。解除と再登録、それぞれの時刻と操作者の名前。次の層が魔力署名。操作者の魔力波形の照合データ。
今回、検察が提出しているのはこの二層だ。
そして、もう一層ある。
契約魔法の再登録には上位の承認が必要で、その承認の記録は『認証鍵ログ』として別に保管される。誰が最終的に再登録を承認したか、その鍵の情報が残る仕組みだ。
書類を全部ひっくり返して探したけれど、それはどこにもなかった。提出されていない。
ということは。
認証鍵ログの閲覧権限が、僕たちに届かない高い側にあるということだ。
『管理責任者:ウィリアム』と書き換えた、その痕跡が残っているとしたら。
手元にない書類は、使えない。
そんな都合よく、向こうが出してくれるわけがないんだけどね。
「……レオン?」
ライラさんの声で、顔を上げた。
「考えすぎて煙出てるよ」
「出てないです」
「比喩」
「あー……」
手元の書類を伏せた。今は使えない。だから考えるのをやめる。そういう判断っ。
「そういえば、ちょっと聞いていい?」
ライラさんが唐突に言った。
「レオンって、何センチ?」
「……急ですね」
「急じゃなくて、ずっと気になってた」
カイとアヅミが同時に僕の方を向いた。続きを待っているような顔をしてる。
「…百五十四、です」
少し間を置いてから答えた。別に恥ずかしくはない。事実だから。
「あらあら」
「あらあらじゃないですよ。普通です」
ライラさんが楽しそうに首を傾けた。
「普通かなあ。カイ様とかアヅミ、ウィリアムくんと並ぶと……」
「言わないでください」
アヅミがにやにやしていた。カイは飲み物を口に運びながら、視線だけこちらに向けていた。否定しなかった。
「ふたりとも頷かないでください」
声が少し大きくなった。ライラさんがくすくす笑った。
「かわいいじゃん、レオン」
「かわいくないです」
「え、かわいいけど?」
カイとアヅミがまた頷いた。
なんで今日、こんなに三人の意見が一致するんだろう。
顔がぼっと熱くなった。書類に目を落として、それを隠した。
……なんか、みんな。ちょっと、変だな?
何に対して変なのかは、うまく言語化できないけど。
書類の文字を目で追いながら、その感覚だけがしばらく残った。
夕方に解散してカフェを出る際にドアを開けると、煙草のにおいが体から剥がれて、夕暮れの冷たい空気に変わった。
◆◇◆
二週間後、裁判の前日。
ヘーベオ領の図書館から家に帰って扉を開けると、廊下の奥からパタパタと小さい足音がした。みるみる近づいてきて、アランが角から現れた。
「にいちゃんおかえり! ご飯できてるよ」
「ただいまぁ。いいにおいする〜」
「今日も書類いっぱい持ってるね。重くない?」
「重いけど慣れたよう〜」
台所の方で、母が鍋をかき混ぜている音がした。体調がいい日は、夕飯を作る。それが定型的なパターンだ。
シェンが椅子に座って本を読んでいた。僕が入ってきても顔は上げなかったけれど、「おかえりぃ」と低く言った。
イリクが振り返って「何か食べてきた?」と聞いた。
「昼は少し」
「少しって何」
「……コーヒー」
イリクが「ちゃんと食べてよ」という顔をした。口には出さなかった。
いつもの家だ。アランの声と、鍋の音と、シェンのページをめくる音。その中に、僕がいる。テーブルに僕たちはそれぞれ座り、向かい合った。鍋の匂いが部屋のすみずみまで満ちていた。
「にいちゃん、明日、がんばろうね」
「ぼくたちも見てるから」
「……ちゃんと弁護士してる兄ちゃん、早く見たいなあ」
アラン、イリク、シェンが順番に声を上げる。
弟たちは明日傍聴席に座るらしい。
三人の中で一番年上のシェンが、傍聴するにあたって同伴する保護者代わりになるとのこと。そこまでして見たいの? と数日前に聞いたら「家族である自分たちが活躍を見られないのは不公平」とイリクに代表して言われたのだ。
弟たちの応援に、僕は真剣に頷いた。
夜にみんなが寝静まってから、もう一度書類を広げた。ランプの明かりが手元だけ切り取って、書類の文字を白く浮かび上がらせる。部屋の隅は暗くて、隣の部屋から家族の寝息が聞こえた。
前世の日本だと公判までに何ヶ月かは空くけれど、がばがばなこの世界では日をまたがずに裁判開始なものだから、準備期間は短い。
それにさ。僕の〝新しい策〟は、成功するまで誰にも言えないんだよねぇ。
なので愛しのヴィランたちにも秘密だ。内容を漏らさない形でしか、実現できない策である。
渦巻いているであろう陰謀を、僕は処理しきれるかわからない。知らない変数がまだ、どこかに潜んでいる気がしてならない。
でも勝ち筋はある……それだけ、頭に入れた。
もうすぐ法廷パートです!
次回、ウィリアム視点を挟みます。明日更新です。




