36. 僕と君らの宣戦布告
眼鏡が下がったままの顔で、それでも笑ったウィリアムの顔が、頭から離れない。
アジトの門前に止まった馬車の扉が開く。
眩いほどの金髪が、朝の風に揺れてふわりと流れた。その蒼い瞳には温度がなく、まるで硝子玉のように周囲の景色だけを反射している。
「アレクシス王子……」
僕は思わず呟いた。
白いマントが朝の光の中で、いやに鮮明に見えた。蒼い目がアジトの門を一瞥して、それから僕たちに向く。
次に降りてきたのは、ミナだ。
真っ黒な瞳と目が、合った。少女は僕から視線を逸らさなかった。ミナの目に光がないのは気づいていたことだけど。でも今日は特に、その黒さが深い気がする。
ウィリアムの言葉がまた耳の奥で鳴った。それだけじゃない。目の前の、この真っ黒な瞳をしたまま、僕の前に立っているミナのことも。
「認証ログは王城が主に管理している。よって王家は奴隷契約の訴訟の関係者でもある。だから僕が、起訴状と書類を代表して渡しに来た。そしてこの子は僕の補佐として、同伴させた」
王子の声は穏やかで、芝居掛かっていない。
ミナがお前の補佐? 笑わせる。
そんなんで、僕たちが過ごした時間を否定できると思っているの?
人をイラつかせるその言葉を聞き流しながら、衛兵が差し出した書類を、僕は受け取った。
「公判は三週間後だ。……ああ、それと」
アレクシスはそこで初めて、僕を真正面に見た。
「君に会いたくてね。ふふ、良い顔してる」
アレクシスは冷たく笑った。
もしや王家の代表者とかは建前で、こちらがどんな顔をするか、見たかっただけなのか?
僕は今、どんな顔をしているんだ。
……ろくでもないなぁ、この王子。
「それだけですか」
「そうだよ」
アレクシスが、視線を外した。用は終わったという動作だ。
衛兵たちが気を付けの姿勢を取る。踵を返しかけた、その直前。
「せいぜい頑張ったらいいよ」
振り向かず、地面に落とすような声だった。
「まあ。無駄だろうけど」
煽りじゃない。本当にそう思っている声だ。どうせ変わらないという確信が、温度のない言葉になって出てきている。
それで思い出した。
僕は前世でも〝無駄だ〟と言われた案件を、引き受けたことが何度もあることを。
「あ」
そっか、そういうことか。
アレクシスが『無駄』と言うのは、「今まで誰もできなかった」という意味だ。でも『今まで』の中に、弁護士として戦ってきた前世の僕はいない。
じゃあ、勝つ根拠は。
整理できた、ぜんぶ。
「く、ふふふっ」
石畳に笑いが響いた。
誰の笑い声だと思う?
「……あははっ! 言ってくれますね、殿下」
遠ざかっていたアレクシスの足が、止まった。
ヴィランたちが、同時にこちらを見た気配がした。でも今は関係ない。
笑い声の主は僕だ。
胸を張って、言葉を紡いだ。
「僕はウィリアムさんも、ミナも」
真っ黒な瞳がこちらを向く。
一拍だけ間を置いてから、はっきり言った。
「まとめて、連れ戻してみせます」
ミナは肩を落として一転して口元を震わせた。そして僕の顔を見て、まるで何か違ったかのように目を伏せ、ふいと顔をそらした。
「へえ、そう」
王子は横目で僕を見てからゆっくりと踵を返す。
「周りを傷つけたとしても、まだやるんだ。……ふうん」
最後ぽつりと言って、白いマントが空気を切り裂くみたいな音を立てた。
二人の足音が石畳から遠ざかる。馬車の車輪の音が、徐々に朝の街に溶けていく。
振り返ると、カイがいた。珍しく正面から僕を見ていた。腕を組んで、いつもより少しだけ眉が下がっている。
僕が目を合わせると、カイは視線を逸らした。
ライラさんが「そっか」と静かに言って、目が少し遅れて笑っていた。
「なあ、レオン。なにからやるんだ。なんとかなるんだろ、なあっ」
アヅミが前のめりに踏み出してきた。
「落ち着いて」
「落ち着いてるしっ」
素直じゃないなあ。
「レオン、くん」
ゼオスさんは額に手をやっている。
「ありがとう」
そして深く息を吐いた。
「え?」
「断言してくれて……。君のおかげで、なんとかなるかもしれないと……そう、思えた」
ここで一番偉いはずのお方は、ここで誰よりも屈託なく顔をほころばせた。
僕は、膝に手をついているゼオスさんの肩に手を置いた。
「……ええはい。こんなの、朝飯前ですっ」
それからゼオスさんの肩越しに、僕は高く澄み切った朝の空を仰ぎ見た。
三週間、か。上等だよ。
◆◇◆
一人だけ報告しておかないといけない人間がいる。
あれから六日後、ノクス領のイーゼルハイムにて。僕は丸メガネをかけてハンディング帽子を深々と被っていた。
ヴィラン自治区はまだ、パパラッチが広めた僕の噂で持ち切りだ。
なので変装することにした。なんか、芸能人になった気分……。
露店と屋台が複雑に入り組んでいて、法的にはグレーゾーンが多い場所でもある。だからこそ情報が集まりやすい。
グルムはたいてい奥の屋台裏に居る。
露店と資材置き場の隙間、日当たりが悪くて少し薄暗いところ。そこで、占い師のフリをして情報を集めているんだ。
「……目が淀んでいますよ、坊ちゃん。おいくつで?」
やや上品な偽造口調だ。客の外見から深刻な悩みを先読みする、それなりに熟練した占い師の顔をしていた。
ほほお、今日はこんな感じね。変装してるから気づいてないみたいだし、ここはちょっと乗ってやろう。
「そーですね……最近頭が重くって。わかるんですか?」
「ええ。タロットがソードの三を告げています。何かおありで?」
「うーん、ウィリアムさんが逮捕されたこと、ですかねぇ」
「……はっ?」
ごめんね、前置きしなくて。
「――占い師まだやってるんですか。僕飽きましたよ」
「……なーんだよ、弁護士サマか」
グルムは例のごとくマントをバサリと脱いで、台座にドンっと頬杖をついた。
「で、何があった。順番に話してくれ」
「ええとですね」
ウィリアムさんが逮捕されたこと。起訴状の中身。証拠が本物であること。公判があと二週間後に迫っていること。
順番に短く告げていく。
「……あの市場での契約解除で、か」
「はい」
「やばいな」
「やばいです」
外した鼻眼鏡を布で拭きながらグルムは頷く。
「こっちで何かできることはあるか?」
いつもなら頷いていた。
頼めることがあれば、遠慮なく頼んできた。
でも。
「今回はいいです」
グルムはすこし半目になる。怒っているわけじゃなくて、意図を読んでいる顔だ。
「あなたの協力は、今回要らないと思ってます。敵の証拠が本物だから」
石畳の方を見ながら、言葉を続ける。
「外から情報を持ってきても、証拠の構造そのものは変わらない。だから今回は、違う手を打たなきゃいけないなって」
グルムはしばらく僕の顔を見た。
「……あんたは怖くないのか?」
「いろいろ背負うことですか? 怖いですよぉ」
グルムが少し笑った。苦いやつだ。
僕は頭の中を整理する。
証拠は崩せないなら、崩さなくていい。事実を、そのまま使えばいい。方向性はそこで、既に何をするかは頭の中で組み立っている。
「……僕には、新しい策があるんだ」
独り言みたいな言い方になった。でも確かに、相手に向けて言うった。グルムは顔を上げる。
「どんなだよ」
「まだ言えないですね」
「……そうか」
太眉の男はそれだけ言った。
信じる、とも少し違う。詮索せずに受け取ってくれる、グルムのこういうとこが好きかもなぁ。
市場区画を出ると、正午の光が石畳を白く染めていた。誰かの荷車が横から来て、軽くかわす。
ウィリアムは今、どこにいるんだろ。
王城の拘置所か、監査院の施設か。
通りの角、荷車の陰に入ったところで、少しだけ空を見上げた。昼の光が眩しいなか、僕は歩き出した。
「よう、遅かったなレオン」
「やっほ、アヅミにライラさん、カイさんっ」
カランコロンとドアベルが鳴ってから、僕は店員さんの案内で、アヅミが手を振っているテーブル席に駆け足で座った。イーゼルハイムのカフェは、ライトアップが暗めでちょっとシャレオツな雰囲気だ。
「で、俺たちを呼んだのは?」
ライラさんはミルクティーをかき混ぜながら言った。カイは眠そうな眼でストローに口をつけている。
「そうですねっ、例のごとく状況整理、といきたくて」
僕は頭をかいて、ふふっと笑った。
レオン、巻き返してきましたね。




