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34. 完璧すぎる罠 ――Side英雄族

 王城の地下へと続く廊下。


 地上から三層分を降りた先。石壁が左右にぴたりと詰まっていて、人と人がすれ違うには体を横にしなければならないほどの幅しかない。


 揺れる松明の火が足元を照らし、光が黒石の壁に反射して、廊下全体をわずかに赤く染めている。それでも暖かくはなかった。石の冷気が地面から這い上がり、靴の底から爪先へ、爪先から足首へと滲み込んでくる。


 扉の前に立つと、音が消えた。

 一歩踏み込むごとに、城内の喧騒が遠ざかる。魔力遮断の結界が、声も足音も、あらゆる振動を吸い込んでいく。


 その扉の向こうが会議室だった。


 室内に窓はない。

 換気の魔道具が小さく唸っているだけで、空気の出口がどこにもない。燭台が三か所に置かれ、その光が円卓の上に広げられた書類を照らしている。白いはずの紙が、炎の色に染まって少しだけ黄ばんで見えた。


 『蒼き誓約と王子の夜明け』の攻略対象である三人は、均等な間隔をあけて座っていた。示し合わせたわけでもないのに、誰も互いの隣には座らない。


 王子の側近であり書記のエルドは、書類を見ていた。


 正確には、書類の一点に目を落としている。ページをめくる動作だけが一定のリズムで繰り返されていて、感情を持たない指先が紙の端をそっと押さえた。長身に似合う、削ぎ落とされた静けさだった。プラチナシルバーの短髪が、燭台の光を鈍く受けている。


「……奴隷市場の件は、予想以上に整った」

 

 声が室内の空気をわずかに割った。怒りも熱もない。ただ事実を確認する声だ。それが余計に重い。


 側近二人目のフィンは頬杖をついていた。


 はちみつ色の癖がついた髪をくるくるといじりながら、肘を卓上に乗せて、指先で自分の頬を軽く押し上げている。唇の端はほんのり持ち上がっているが、目はどこかを漂っているような、焦点の定まらない色をしていた。手元の書類をめくる動作が、やけにゆっくりしている。読んでいるというより眺めているのだ。


「魔力波形も一致してるし~、ログはもう完璧ぃ。……まぁ」


 一拍。フィンの視線が、書類のある一点で止まった。


「完璧すぎるくらい、だけどねぇ〜」


 語尾が間延びして、軽薄に空気に溶ける。しかし薬指の先が、書類の端を一度だけ、軽く叩いた。その手が、静かに止まる。


 エルドがフィンを見た。一秒に満たない視線で、何も言わない。そしてページをめくる。


 王子の護衛騎士であるジオは腕を組んで、背もたれに体を預けていた。椅子が少し小さく見える体格だ。眉間に縦皺が刻まれており、怒っているのではなく――何かを持て余した種類の苛立ちが、その皺に凝縮されていた。


「……さっさと裁いてしまえばいい」


 腕の力が、わずかに強くなる。


「表向き、眼鏡のヴィランが人身売買に手を貸したとなる。罪を都合よく着せられるチャンスが来た。それだけだ」


 火が誰も動いていないのに揺れた。

 フィンは脳内で一瞬考えをめぐらせた。


 ――誰かがこの計画を作っている。


 このログの完成度は、現場で起きたことを後から整えた精度じゃない。

 最初から、こうなるように動いていた誰かがいる。


 フィンの視線が、書類の右下に押された王家紋の上で止まる。アレクシスから提供されたこの記録。異常なまでに整合の取れた魔力波形。


 ……まあ。

 フィンは軽く息を吐いて、その考えを思考の隅に追いやった。埃を払うように。

 その時、扉がノックされた。

 三人の動きが、同時に止まった。



 扉の隙間から差し込んできたのは、廊下の空気だった。土と石の匂い。会議室の紙とインクと蝋燭とは、まるで違う匂い。

 それから、声が入ってきた。


「あ、えっと……ここ、第三会議室ですよね? オレ、場所間違えました……?」


 高くて丸い声だった。会議室の空気と全く釣り合っていない。

 扉の隙間から顔を出したのは、小柄な人影だ。

 王城に仕える側近の補佐として、働くこの少年は――『蒼き誓約と王子の夜明け』の主人公ノアルだ。

 明るいストロベリーブロンドの髪が、廊下の松明の光に照らされて柔らかく光っている。困ったように首を傾けながら、三人の間に視線を行き来させた。

 三人は無言だ。


「あはは……お邪魔でしたか? でも、正しい方向に向かってるならオレは信じますので。えっと、頑張ってください」


 気まずさを散らすような、明るい笑い方だった。ぺこりと頭を下げて、扉が静かに閉まる。足音が廊下に遠ざかっていく。軽くて、明るい。

 三人はしばらく動かなかった。


「……あの無垢な御方を守るためにもねぇ」


 フィンが口を開いた。先ほどと変わらない、軽薄なトーン。しかし声量がほんの少し落ちている。


「こっちは頑張らないといけないわけだ」


 ふふ、と笑う。口元だけで。


 書類に目を戻した瞬間、また引っかかった。


 王家紋。アレクシスから提供されたこのログの、異常なまでに整合の取れた魔力波形記録。ノアルは何も知らない。だからこそ笑える。だからこそ「信じます」と言える。それは正しいはずだ。


 ――設計している誰か、か。


 フィンは、その考えを思考の端に追いやった。


「ターゲットは、ヴィラン側の頭脳と名高いウィリアム。まずあいつから潰す」


 エルドが言った。温度がない。怒りも憎しみも含まれていない。それがかえって重い。


 エルドは書類の最後のページをめくった。

 一度だけ目を止める。何かを確認するわけでも、迷うわけでもない。ただ、最後の確認だ。

 インクの小瓶を引き寄せ、ペンを取る。

 静かに迷いなく手が動き、紙の上にサインが下りていく。

 インクが紙の繊維に沈んだ。

 ジオが立ち上がり、指の関節を鳴らす。フィンは丁寧に、角を揃えて書類を閉じた。


「市場の解放時、ウィリアムが自ら端末を操作した事実は記録されている。それがそのまま、不正契約再登録の証拠として機能する。つまり―――奴隷契約を結んだ黒幕は、あいつということになった」


 ジオの拳が、静かに卓上を押した。

 フィンは三日月のような形に唇を曲げた。


「くく」

「あはは!」

「ふっ」


 エルドとフィン、ジオの三人は笑った。


「これで、罪を(こうむ)っていただく準備は整った」


「懸念すべきはあの、奇妙な少年弁護士だが―――」


「どうせ、大したことはないでしょ~っ!」


 泥にまみれた小さい弁護士がどれほど足掻こうと。

 我らが紡ぐ神聖な『真実』には、太刀打ちできない。


 三人の笑いはそんな確信に満ちていた。


 燭台の炎が、また揺れた。

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