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33/50

33. 夜の時間は少し甘い?

 路地を抜けた先で、遠くに灯台の橙色が揺れている。どこかで野良猫が鳴いた。遠い声だ。

 ゼオスさんと部下が先を歩き、僕たちはその後を続く。足音が複数重なって、石畳に低く跳ね返ってくる。カイが一番後ろ、僕のすぐ前。ライラさんはカイの斜め左にいた。


「……まだ気配が残ってるかもしれねー」


 カイが低く言った。振り返らず、周囲の空気を読むように、少しだけ目を細めた。街灯の光がカイの黒髪をなぞる。後れ毛が一本、頬に張り付いている。


「今夜は散るな」


 その言葉に、ゼオスさんが頷く。

 僕はその間一度だけ北の方角を見た。夜の王都。重なり合う屋根の向こうに、灯りのついた窓がいくつか見える。

 弟たちが家の見張り番をして、夕飯を作っているはずの時間だ。

 今日は帰っちゃいけない。諜報員が後ろについている今、家に向かったら――僕の家族まで刺客に狙われる可能性が高い。それだけは絶対に駄目だ。


「今夜は、皆とアジトに残ります」


 言ってから、少し間を置いて。


「……その前に、少しっ」


 カイが目だけでこちらを見る。続けろ、という目だ。

 僕はポケットから折りたたんだ紙を出して、素早く携帯している万年筆で書きこんでから、ゼオスさんの部下の一人に差し出す。


「すみません。この住所に届けていただけますか。弟宛てです」


 部下の人は少し目を丸くしてから、受け取ってくれた。

 ――シェン、イリク。今夜は頼んだよ。アランはまだ小さいから、二人で母さんと一緒にしっかり面倒を見て。

 伝書にはそう書かれてある。

 僕はもう一度、北の方角を見てから正面を向いた。




 ◆◇◆




 アジトの扉をくぐったとき、アヅミが壁にもたれながら「あーもう足が死んでる」とぼやく。

 ライラさんが「お疲れ」と呟いた。ウィリアムとカイは廊下の角を曲がって見えなくなった。

 僕はゼオスさん率いる部下の案内で、宛がわれた部屋に入った。


 ランプの芯が小さく揺れている。僕はアジトの条約書類の束を広げた。ヴィランのことを把握するために、みんなからは閲覧を許可されているのだ。


 文字が並んでいて、インクの匂いがする。

 ポタっと、書類が滲んだような気がした。

 目が疲れているだけだろう。そういうことにしたい。


 また、届かなかったな。


 カチ、と音がした。ランプの芯が揺れる。扉が開いた。足音がない。


「……」


 入ってくる気配が先にあって、目を上げるとカイだった。

 陶器のカップを二つ持っている。

 一つを僕の机に置いた。湯気が立っていて、茶葉の香りがふわっと鼻に届く。

 カイが温かいものを持ってきた……? 信じられない、これは夢かな……?


 壁に背を預け、カイは腕を組んだ。自分のカップを片手で持ったまま、こちらを見ている。何も言わない。

 僕も、何も言わなかった。

 ランプの芯がまた揺れる。


「……えーっと、お茶、ありがとうございます」


 先に耐えきれなくなったのは僕のほうだ。カイは少しだけ視線を逸らす。それから、耳の先を指で掻いた。


「……お前、好きなもんとかねぇの」

「え?」


 唐突すぎて、書類を落としそうになった。


「……無理してんのわかるから。気晴らし探してやろうかと思って」


 カイがぼそっと続ける。


「……別に。心配してるわけじゃねぇけど」


 ……ええええ!?


 心配してくれてる? こりゃ心肺停止だ、なんつって。さっむ……落ち着け、まず質問に答えなきゃ。うーん好きなものか。ちょっと考えよ。

 本当のことを言うのが一番早い。


「強いて言えば……あなたですけど」


 カイが止まった。カップを持つ手が、かた、と微妙にぶれた。

 三秒、五秒、十秒と沈黙が長くなっていく。


「……は?」


 カイは首まで真っ赤に染め上げて、頬を手首で拭うような仕草だ。なんでそんなに驚いてるの? 珍しいなあ。


「好きなもの、ですよね?」


 僕は首を傾げた。

 変なこと言ったつもりはないんだけど。


「お前、意味わかって言ってんのか」

「はい?」


 あなたの狂信者、という事実なんですが……。


 カイは突然、僕の横方向にある机に手をついた。


「……好き、って」


 低い声が近い。灰色の瞳がこちらを見ている。僕はぽかんとしてしまった。


「……ファンとしてですよっ? カイさんが元気そうにしてくれてたら、僕それだけで頑張れます」


 にこっと僕は笑う。カイがゆっくりと目を細めた。何か言いかけた口が、閉じられた。


「……そういうの、さらっと言うな」

「さらっと?」


 何がさらっとなのか、よくわからん。本当のこと言っただけ!


「…………」


 カイが顔を逸らす。でも机から離れない。距離はまだ近い。僕は何となく動けなかったけど、カイをとりあえず覗き込んだその拍子に、上体が少し傾いて。


 こつん、っと額が当たった。


「……?」

「……」


 動きが止まった。自分の心臓の音がはっきりと聞こえて、他の音が全部消えたような錯覚にさえ陥る。

 カイがするりと先に離れていく。


「……もう寝ろ」


 ポスっと僕の頭の上にカイの手が乗った。掌の体温が、頭のてっぺんから染み込んでくるみたいだ……。


「無理すんな」


「はっ、はい……」


 どうしよ。推しの手がめちゃくちゃあったかいんだけど。さっきから至れり尽くせりだな……?


 そこで再び、扉が開いた。


「おー、まだ起きてる……って」


 ライラさんが顔を出して動作を止めた。

 髪で隠れていない方の片目だけで、僕の頭の上に乗ったままの手を数秒見つめる。


「……俺、邪魔?」


 ライラさんの口の端が上がってる。静かな声だけど、笑ってるのがバレバレだ。


「邪魔じゃない」


 カイが即答し、手が離れた。


「入れよ」


 ライラさんは「はいはい」と言いながら部屋に入ってきた。くすくす笑っている。


「顔、赤いよカイ様」

「赤くねぇ」


「赤いって絶対。鏡見る?」

「見ねぇ」


「見た方がいいと思うけど」

「うるせぇ」


 ライラさんがこちらを見た。紫の瞳が、面白そうに光っている。


「レオン、何言ったの?」


 えーっと。


「好きなものを聞かれたので、カイさんと答えましたっ」


 ライラさんは一拍止まってから、ぷっと吹き出した。


「ははははっ!」


「ライラ笑うな!」

「そんなっ、笑うなって無理だって」


 目に涙が浮かんでいる。カイはライラさんを睨みながら腕を組んで、明後日の方向を向いた。

 ひとしきり笑ったライラさんが、こちらに歩いてくる。


「レオン、きみ自覚ないの? それ爆弾だよ」

「爆弾?」


「心臓に直接くるやつ。ドカン……って」


 弾薬の話をしているわけじゃないのは分かる。でも肝心の何が。


「……ふむ、聞かれたから、答えただけなんですけどねぇ……」

「へえ?」


 ライラさんが腰を屈めて、人差し指ですい、と僕の顎を持ち上げた。紫の目が十センチ先にある。


「レオン。俺のことは?」


 ここで躊躇したら、推しへの礼儀に反するのかも?


「好きですよ?」


 僕は即答した。ライラさんが止まって、カイの舌打ちが小さく聞こえる。ありゃ、なんで怒ってんだろ。


「皆さんのこと大好きです。ファンなので」


 それでも僕は続けた。

 ライラさんがゆっくりと直立し指が離れ、顎の先に温度だけが残る。


「……困った子だね」


 笑っているが、目が少し違う色だ。小さい声で独り言みたいな言い方だった。

 ライラさんは羽織っていたコートを脱いで、こちらの肩にかけた。


「風邪ひくよ。薄着だから」

「あ、ありがとうございます」


 コートが厚くて、僕の肩が重くなる。

 カイが動いた。


「俺がやる」


 音もなく近づいて、コートを引き直して、ずれていた衿をさっと整える。


「はいはい」


 ライラさんが両手を上げた。降参の形だけど、にやにやしてる。


 部屋の中に、三人分の気配が満ちた。


 こういう夜が好きだなあ。

 肩の上のコートをそっと握った拍子に、窓の外で風が一度だけ強く鳴った。


 その方向へ僕は顔を向けた。


 理由はわからない。音が怖かったわけでもない。ただ、何処かで、なにか起こっているかのような。

 きっと気のせい。疲れているんだろーな。目も痛いし、そろそろ限界かもしれない。


 窓の外は、もう静かだった。


不穏な気配がしますね。

次回、英雄族の『蒼き誓約と王子の夜明け』攻略対象者サイドになります。

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