31. たしかな収穫
遠くに聞こえる怒号が遠のいていった。市場の騒ぎはもう峠を越えた。
グルムは別件の仕事があるので、すぐ帰っていった。意外に忙しいのかあの人。
ウィリアムは僕の傍でずっと黙っている。壁際に背を預けて、腕を組んで何か見ているような、遠い目をしていた。
僕は声をかけようとしてやめた。妹が王子に連れていかれたその事実を、彼は今飲み込んでいる最中なのだろうと思ったから。
「……はあ」
路地の端で、膝に手をつく。
体力なんて元からない。それでも頭だけはずっと動いてた。ミナの足取り、王子の影――ぐるぐると脳内で処理し続けて、さすがにそろそろ限界だ。
なんかもう、すごく疲れた。
こめかみがズキズキしている。息を吸うたびに肩が上がって、うまく深呼吸できない。
そんな僕の背中に、ぽんと大きな手が乗った。
「……レオンくん」
低く静かで、全部包み込むような声だ。
「無事でいてくれてよかった」
振り返ると、ゼオスさんが少し眉を下げながら立っていた。そのまま、何も言わずにふわっと引き寄せられる。
「ゼ、ゼオスさんっ」
「うん」
「あの、えっと……」
「よく頑張ったね」
革の匂いがする。
ゼオスさんの腕の中で、僕はしばらく固まった。
このヒトってほんと聖人だな……三秒だけ堪能してから両腕を上げて、そそくさとゼオスさんから離れた。ちょっとばかしはずいのでね。
胸の奥にあったかいものが灯った気がするぜ。ミナはいなかった。王子に攫われた。それは事実で、変わらない。でも今この場所に、ちゃんと来てくれた人間がいる。
それも事実っ。よし。
ざっと石畳に叩きつけられる複数の靴音が響く。
カイがゼオスさんの部下を連れて、路地に入ってきた。
「市場は制圧済み。解放した奴隷たちは安全なルートで移送完了。全員無事」
短い。でも必要なことだけ全部言っていた。
カイは今日、いつもと違う格好だ。黒地に細かい銀の刺繍の入った外套で、細身の足がすらっと伸びている。
これ『蒼き誓約』の通常スチルにもあった衣装だ。
普段の動きやすさ重視のルームウェアとは、ぜんぜん違う。余計に映えてるな……って違ぁう!
思考を現実に引き戻そう。今は、ミナのことが先だ。推しの姿に目を奪われている暇なんて、一秒たりともない。
僕は小さく頭を振って真顔を作る。
カイはそれだけ告げてから、路地の奥をすっと流し見た。
「尾けられてたな」
「……はい。
カイさんも、気づいてましたか」
僕も同じことを感じていた。
周囲の人影の動きが変なんだ。野盗じゃないし、自警団でもない。
王子がミナを買ったのは昨日以前だろうが、市場に近づいた僕たちの動向を観察しようとしている、というのは考えられる。
尾けられている、と感じたのは、たぶんそれも頭にあったせいだ。
「アレクシス王子の手の者じゃないかと思います。動き方が統率されてる。個々に動いてる感じじゃなくて、合図を待ってるみたいな……それに、動向を窺われているような気配を感じます」
口の周りに手をかざして僕は小さく告げる。
ゼオスさんの眉の形が険しくなった。
「なおさら気になるね……」
僕たちが話し込んでいた時、路地の入口から駆け足で二人、飛び込んできた。
「遅れましたぁ! すんませんすんません!!」
息も絶え絶え、転げ込むようにアヅミが現れた。赤髪が乱れている。少し後ろから、紫の瞳を持つライラさんが涼しい顔をして、ゆっくり歩いてきた。
「アヅミのほうが俺より早かったかぁ」
「へへへ……お手のもんです……」
ぜいぜいしながらアヅミは呟く。ライラさんは特に気にした様子もない。
そんなアヅミは僕を見つめてから、ぱっと袖を引いてきた。
「なあ、レオン。ミナは……どうだった?」
返事まで少し間が空いた。
あの男の子の顔が頭をよぎる。
「……王子に、買われた」
アヅミは目を見開いた。
それから誰もすぐには喋らなかった。
アヅミだけじゃなくて、カイも、ライラさんも、ゼオスさんも。ウィリアムに至っては最初から口を閉ざしたままだ。
石畳の上に、夕方の光がなだらかに伸びた。
それぞれが行動する中で、ミナがアレクシスに連れ去られたことは理解していたのだろう。
だけど言葉になってしまうと、やっぱり違う。
分かってたことと、受け止めることは別の話だから。
ぺたんっと間の抜けた音がシンとした路地に広がった。
「えっ、アヅミ?」
「…………やっぱ、腰が……」
「抜けてる場合じゃないよ!? 立って立って!」
ひとしきりの混乱が落ち着いたところで、全員が路地の壁際に寄って集まった。
今回の『ミナ奪還プロジェクト』、まずは一応の成果確認をする。
「そっちはどうだった?」
僕は声をかけ、アヅミは弾かれたように顔を上げた。赤髪をぐしゃっと掻いて、大きく息を吸ってから勢いをつけて立ち上がる。
「魔力痕跡は、アジトから倉庫街のほぼ手前まで辿れた。転移魔法の跡で一回散らばっていたけど……方角は間違いなくこの港側だった」
「合ってる。実際、市場は港の地下だしねっ」
「だろ!?」
アヅミが誇らしそうに鼻を鳴らす。
「それで、ライラさんは?」
僕は話を振った。片目隠しの優男ヴィランは静かに息をついてから、流れるように口を開く。
「聞き込みでね、複数人から証言が取れたよ」
壁に背を預けながら、ライラさんは三つ指を立てた。その立ち姿が絵になりすぎている。
「共通していたのは、くすんだ髪の少女が……金髪の高貴な男性と一緒に馬車に乗っていたってこと。こちらから誘導したわけでもないのに、全員が口を揃えて言ったんだ。男性の顔が、氷みたいに儚くて綺麗だったって」
「……アレクシス王子を、裏付ける証言ですね」
そこで、ずっと黙っていたウィリアムが低く呟いた。
ライラさんは神妙な顔で頷く。
「もうひとつ。その馬車の後ろを、徒歩の兵が数人、等間隔について歩いていたらしい。市民に紛れようとしていたけど……明らかに素人じゃないね。王家の諜報員かなあ?」
「今俺らを尾けてる連中と、同じかもな」
カイの言葉に全員が察する。
「えと。皆さん、ありがとうございます。とりあえず成果、ありです」
僕のほうは正直、あまり胸を張れる結果じゃない。でも何もなかったわけでもない。
「こちらでも元奴隷の男の子から、証言は取れています。ミナの現在地は割れましたねっ。おそらく王城。アレクシス王子は直接足を運びに来るという、行動の理解もしました。あと」
ウィリアムに目を向ける。彼は静かに補足した。
「契約魔法の仕組みが、一部把握できました。解除の際に赤黒い光が出ましたが、それについては引き続き調査します。ただ知れただけでも意味がある」
彼はそう言って、ふわりとした髪を耳にかけた。
市場から走り出た人たちの顔を思い出す。泣きながら「ありがとう」って声を絞り出した人たちを。ミナの黒い瞳も。それから、女の子の手を取ったウィリアムの横顔も。
一個ずつ。
「……僕には、全員を幸せにする義務があります」
顔を上げた。
「ミナについては一朝一夕でなんとかできる問題じゃない、とわかりました。無理をここで通すのは駄目ですね。王家にコンタクトを取るにしても、今日はアジトに帰って身体を休ませてからにしたほうが、ずっと懸命です」
僕の言葉に、ゼオスさんが人差し指を顔に添えてこちらを見た。
「判断ありがとう」
先導されてカイとライラさんが歩き出す。僕たちも続く。
すると、そこで周囲の気配がうごめいた。
路地の奥に武器を持った人影が複数、こちらに向かってきている。石畳を踏む音もない。
カイの手が、迷いなく剣の柄へ向かった。
「……来た」
目の前の刺客は三人。
黒い外套のフードを深く落として、顔が見えない。でも腰に帯びた短剣の鞘、その隅に刻まれた意匠が一瞬夕闇の光に照らされた――王家の紋章が僕の目に映る。
ここまで僕たちを尾けてきた諜報員だ。
肩の落ち方、足の置き方ぜんぶ、訓練された人間の動き方である。
僕は刺客を見定めた。
いったい何が目的なのか。
それは武器を持って奇襲することで、僕を消しにかかっている……
もしくは、僕たちがどう出るか試している。
その、二択だろう。




