25. 契約解除は命がけ!
わちゃわちゃ回となります。
窓の外では、大勢の新聞記者がすごすごと帰っていく様子が見えた。
そう。パパラッチは撒けたはずなんだ。
しかし、黒い石でできた高い塔の廊下を僕は全力で駆け抜けていた。
「はあ、はあ……っ…いや僕はぁ……、仕事のけじめをつけに来ただけだってば……!」
奥から、革靴の足音がふたつ聞こえてくる。一方は規則的で静か、もう一方はすこし荒い。それでライラさんとアヅミだと分かってしまうのは、もう慣れた証拠だと思う。
あのままエントランスで捕まっていたら、何故か危険な気がした。ライラさんの腕を振りほどこうとしたら、ものすごく時間がかかったし……。
廊下の両脇には等間隔に燭台が並んでいる。昼間なので火は入っていない。それを風のように追い越しながら、ひたすら走る。
僕は最上階にあるヴィラン族のボス――ゼオスさんの執務室へシュルっと滑り込んだ。
扉を閉めた瞬間、廊下の足音が遠ざかる。これで安心……。
息を整えながら室内を見回すと、天井近くの窓から光が差し込んでいた。積み上げられた書類の山が、その光を受けて白く輝いている。
「ぜ、ゼオスさん! 約束通り、裁判が終わったので……っ、この顧問契約書に完了の判を!」
机に両手をついて、僕は息も絶え絶えに書類を突き出した。
執務机で書類仕事をしていたゼオスさんは、目を丸くして僕を見つめた。
「三日ぶりだね、レオンくん」
「ですね。こんにちはっ」
僕が遅れて挨拶をすると、ゼオスさんの手に持っていた羽根ペンがケースに戻された。
「そうだねぇ……もう、そんな時期だ。職務おつかれさま」
ゼオスさんは微笑んで、引き出しから重厚な印章を取り出した。朱肉の匂いが微かに漂ってくる。
あぁ、なんて物分かりのいい人……! ヴィランたちはこんな理想の上司がいて幸せだなあ! 良かった良かった。
安堵したのもつかの間、印章が書類に触れるその寸前。
朱色が紙に触れる、その何秒かの間に空気が変わった。執務室に差し込んでいた陽光が、何か大きなものの影に遮られた気がした。
スッ……。
開いていた執務室の窓から、黒い影が滑り込んできた。石畳の床に着地した音すら、聞こえなかった。
「え?」
僕が声を上げた時にはもう遅い。
無造作に結んだ黒髪を揺らした気だるげな青年――
カイが、僕とゼオスさんの間から書類を抜き取っていた。
「あ、あれ。カイさん??」
「……」
カイは無言で書類を揺らし、グレーの瞳で僕を見下ろしてくる。
ひらひらと白い紙が、カイの長い指の間で無造作に揺れる。その指はひどく綺麗で、無駄な動きが一切ない。書類が風に煽られて端がめくれ、さらさらと乾いた音を立てた。相変わらず顔が良いねぇ。……じゃなくて!
「ちょっと、返してくださいよぉ!」
僕がぴょんぴょんと跳ねて書類を取り返そうとした。カイは特に避けることもせず、ただ腕をすっと上げた。それだけで、僕の指先は虚空を掴む。身長差というものが、こんなにも理不尽に感じられたのは初めてかもしれない……!
その時、背後から冷ややかな声が響いた。
「カイ様ぁ……、ずいぶんと、野蛮な真似をしますね?」
振り返ると、どこから湧いて出たのか、ウィリアムがいた。おなじみの皮肉屋だ。
レンズ越しの目が細められている。口角は少し上がっていて、それが『正しいことを言ってやる』という確信の形をしていた。
「契約をそのままにして、レオンさんを縛り付けるような行為は良くないですよ。……さ、その書類をこちらに渡しなさい」
ウィリアムは理路整然と正論を吐いているように聞こえる、けど。
その手にはなぜかライターのような魔道具が握られてる。ちっ、ちっ、ちっ、と親指で火打ち石を弾く音がした。
絶対それ、受け取った瞬間に燃やす気満々ですよね……?
カイは面倒くさそうに目を細め、首をゆっくりと傾けてウィリアムを見下ろした。言葉の代わりに纏う威圧感が、部屋の温度を下げていってる。ゼオスさんが書類の端をそっと押さえたのは、もしや気流が乱れたせいかもしれない。
そして低く凄んだ。
「あ?」
「何ですか。文句があるなら言葉でどうぞ」
バチバチバチッ!
今、稲妻走ったよね? 推しと推しが僕の目の前で火花を散らしてる! 眼福だけど命の危機を感じるぅ!
「……やってんなぁ」
「ね。俺も加わって、ほかの書類ごと丸焼きにしちゃおうかな?」
声がした入り口のほうを見ると、ドアの隙間から緑の目と紫の目がのぞいた。
ライラさんとアヅミだ。二人とも表情は違うのに、覗き方のシルエットが揃ってる。どれだけ一緒にいたら、こんなふうに動きが似てくるんだろ。
アヅミが即座に「それはやめといたほうが良いです、塔が火事になる」とツッコミを入れている。いやほんと、的確に止めてくれてありがとアヅミ!
このままじゃやばい、執務室が戦場になっちゃう。
僕は慌てて二人の間に割って入った。
「だ、大丈夫ですよ! 二人とも、落ち着いて!」
僕が両手を広げて叫ぶと、カイとウィリアムがぴたりと動きを止めた。
よし、ここは僕が安心させてあげないと。彼らはきっと僕みたいな、そこそこできる弁護士を手放すのが不安なんだあ!
「僕は、あなたがたを守るのが仕事なもんなので! 契約が終わっても、遠くから皆さんの動向をずーっと観察しときますからっ!」
胸を張って、とびきりの笑顔で宣言してやった。我ながら完璧な提案ぅ。膝が少し震えていたのは、さっきまで走っていたせいだ。絶対そう。
またこの人たち冤罪かけられる可能性高いしさ! 遠くからそっと見守り続けるのが、正しい箱推しファンのあり方でもあるから。
これで、彼らも安心して僕を解放してくれるはず―――。
「「…………」」
あれ?
おかしいな。
カイとウィリアムが冷めた目で僕を見てる。二人の視線の温度が、さっきまでと違った。互いを睨んでいた目が同じ方向を向いたとき、なぜだか連帯感が生まれていた。その矛先が僕だというのが、なんか腑に落ちない。
それから二人して深ぁーい溜息をついた。
「……お前、ほんと……そういうことじゃねえ」
カイは呆れ果てたように髪をかきむしり、ウィリアムは「本当にバカ……」と頭を抱えている。
えなんで。
書類を持ったまま、二人の足音が廊下の奥へ遠ざかっていく。カイの靴音が先で、ウィリアムがその後を続く。二人は、なぜか息を合わせて執務室から消え去った。
「あれ? ちょっと待って! 書類は……!?」
呆然とする僕の肩に、いつの間にか近づいてきたアヅミがポンッと手を置いた。労るような、励ますような、何とも言えない力加減……。アヅミはそのまま横に並んで、虚空を見つめる僕と一緒に、同じ方向を向いた。
「……ドンマイ」
「……えええええ!? なんで僕が慰められてるのおおお!?」
僕の声が、アジトの最上階にむなしく響いたのだった。
今日の夜あたりにもう1話更新です!




