24. レオン・カーティスという少年 ライラ視点
この世間一般において、ヴィランのアジトとはどういうイメージだろうか。
薄暗い地下で怪しい儀式を行い、夜な夜な悪巧みをして高笑いする――そんなところだろうか。
そんな高笑いするくらい面白いことなんて、ないから。
残念ながら現実はもっと世知辛い。
「あーもう! なんで自分がこんなチマチマした書類仕事ばっか……!」
執務室の重厚なデスクで、アヅミが羽根ペンをへし折った。
これで今日、三本目だ。
「……アヅミ。文句を言う暇があったら手を動かしてくれないかな。他領との通商条約の再確認、今日中に終わらせないとボスの胃に穴が空くんだけど」
俺は書類を分類しながら、やれやれとため息をついた。
窓の外は曇天。だが、裁判から数日が経った今、この街の空気は以前よりも少しだけ軽く感じる。
「ライラさん……なんでこんな、役所仕事しなきゃなんねーんですかぁ〜ッ! 自分は特に、もっとこう……ボスと前線で暴れるほうが性にあってると思うんです!」
……また言ってる。
実際アヅミは内部抗争を経験したことがない。争いで忙しかった時代、ボスは人望を集めながらも武力を少々使って活躍していたが、アヅミはそれに憧れてしまっているらしい。
聞いて呆れる。
例の裁判から俺とアヅミは、幹部としての業務――山のような事務仕事に忙殺されていた。
ヴィラン族の長であるボス一人では、自治区の運営すべてをカバーしきれない。
だからこそ、側近である俺たちがこうして地味な裏方仕事を引き受けているわけだけど……。
「はいはい。暴れる相手がいなくて、平和なのは良いことだよ?」
俺は新しい羽ペンを魔法でアヅミの手に握らせてあげた。
アヅミは鼻を鳴らして書類を捲る。
「……ま、あの貴族たちが消えたのはせいせいするけどな」
視線の先には、一枚の報告書があった。
そこには、エリオット・グレイブ卿とその妹の逮捕、そして爵位剥奪と辺境への流刑が決定したと記されている。
「……濡れ衣をところ構わず着せたツケが回ってきた……ってわけだ」
アヅミは報告書をぺらりとめくり、また元の場所に戻した。乱暴なようで、その紙は一枚も折れていない。ほんとうに大切なものの扱い方を、この男は不思議と知っている。
「そうだね。英雄族も今回の件では対応が早かった。民衆の不満が爆発するのを恐れたんだろう」
俺は淡々と答えながら、ふと窓ガラスに映る自分の顔を見た。
ヴィランとしての尖った耳が、ガラスの向こうの白い光に縁取られている。
紫の瞳に、片目が隠れるほどの黒髪。
……かつて、貴族とヴィラン族の間に生まれた不義の子。
関わる者を不幸にする、呪われた妾の子として、どこからも追放された自分。
泥水をすすり、生きる意味さえ見失っていた俺を拾い上げ、居場所をくれたのがボスだった。
その日のことを思い返すとき……いつも最初に蘇るのは、匂いだ。
雨上がりの泥と、燃やした枯れ草の煙。それからボスの声――大きくも小さくもないまっすぐな声が、俺の名前を呼ぶんだ。
街一番のならず者とかつては恐れられていたアヅミも、境遇はだいたい同じ。
だからこそ、この平穏を守るためなら、こんな山積みの書類をかき分ける執務作業だって、泥にまみれる汚れ仕事だって厭わない覚悟がある。
そう。
俺たちの命はボスのためにある。
「……ハア……」
いや、そのはず、だったんだけどな。
手元の王都新聞に目を落とし、俺は自然と笑みをこぼしていた。
一面にデカデカと掲載されているのは、法廷でビシッと指を突きつけている少年の写真だ。
『英雄族の少年弁護士、歴史を覆す!』
『司法の革命児、レオン・カーティス!』
大仰な見出しが踊ってる。
「……ほんと、変わった子だよね」
英雄族でありながら、見返りも求めず、俺たちヴィランのために命がけで戦った。
契約報酬は「最低限の食料」だけだなんて、欲がなさすぎて心配になるレベル。
不思議な子。
先日、回廊で抱きしめた時のことを思い出す。華奢な身体と小さい子供のような熱い体温。それと、ふわりとしたシトラスハーブのような匂い―――。
その底知れぬ愛情の源泉は何なのか。時折見せる、年齢にそぐわない冷徹な思考は何なのか………ボスへの忠誠とはまた別の何かが、胸の奥でくすぶった。
俺は静かに新聞を折り畳む。紙の端をきちんと揃えて、机の隅に置く。それが何なのかを考えるのは、今日はまだやめておこう。
とその時。
ズズズズズッと地鳴りのような音が、塔の外から響いてきた。
アジトの防衛魔力センサーが反応する。壁の魔石がかすかに橙色に明滅した。外部からの接近を感知したサインだ。一定のリズムで点滅するそれは、しかし警戒色の赤には変わらない。敵意はない。……ただ、妙に多いな?
「あ? なんだ? もしや、英雄族の襲撃か!?」
アヅミがここぞとばかりに書類を放り出し、窓から身を乗り出す。そんなアヅミに俺はまたも呆れながら、続いて外を覗き込んだ。
眼下には、アジトへと続く一本道がある。そこを、豆粒のように小さな白い影が、後ろを時折振り返りながら、猛スピードで走ってきた。
そしてその後ろには、黒い蟻の大群のような人だかりが、土煙を上げて迫っている。
「……え、なに。あの軍勢」
俺が目を凝らした、瞬間。
バンっ!!
敷地玄関の大扉が、誰かのタックルによって勢いよく開かれる。あの扉がそこまで勢いよく開いたのを見たのは、初めてかもしれない。
「はあ、はあ……っ! た、助けてくださいぃ……!!」
転がり込んできたのは乱れた白金の髪に、涙目の小柄な少年。息が切れているのに、それでも鞄だけはしっかり両手で抱えている。中身を守る本能が、これほどのパニックの最中でも働いているらしい。
……噂の『司法の革命児』―――レオン・カーティスだ。
俺とアヅミは顔を見合わせ、急いで一階のエントランスホールへと降りる。レオンは俺たちの姿を見るなり、縋り付くように手を伸ばしてきた。
「ら、ライラさん! アヅミ! かくまってぇ……!」
「おいレオン!? どうしたんだ、その格好……もしや、敵に追われてんのかぁ!?」
アヅミが身構える。だけど、レオンの後ろから雪崩れ込んできたのは、武装した兵士でも魔物でもなかった。
「レオン先生! ここが噂のヴィランのアジトですか!?」
「そちらの美男子はお知り合いですか!? 関係性を詳しく!!」
「激写ァーッ!!」
パシャパシャパシャッ!!
一斉に焚かれるフラッシュの嵐。
映写機とメモ帳を持った記者たちが、アジトの敷居を余裕で跨いで押し寄せてきた。
「……は?」
アヅミがぽかんと口を開ける。
「ち……ちがうんですっ! 僕はただ……、裁判が終わったから弁護士契約の終了手続きに来ただけなのにぃぃぃ! なんでついてくるの、この人たちぃ!」
レオンが必死に叫ぶ。ふむ、真面目な顔で契約終了の判をもらいに来ようとした結果が、このパパラッチ襲来か。機密の塊である俺たちのアジトが、一瞬にして王都の観光地みたいだ……。
アヅミの顔色が、青から赤へと変わっていった。うわ〜、怖い。
「おい……馬鹿レオンぅぅぅ!!」
塔が揺れるほどの絶叫が響いた。
「何引き連れてきてんだァァァ!! ここをどこだと思ってんだてめーぇ!」
「ひえええっ、ごめんなさいぃぃ!」
怒髪天のアヅミと、縮こまるレオン。そして興奮する記者たち。
あまりのカオスっぷり―――
「……ぷっ、あははははは!」
こらえきれずに、吹き出してしまった。
腹の底から笑うのはいつぶりか。
アヅミが信じられないものを見る目でこちらを覗いていたが、残念! 俺はいま、それどころじゃない。
腹を抱えて笑う俺を、レオンが恨めしそうに見上げてくる。
「ら、ライラさん笑わないでくださいよっ」
「あはは、ごめんごめん。いやぁ、すごいねレオン。
きみは……本当に退屈させないな」
俺の過去も、重たい忠誠も、この子が来ると全部吹き飛んでしまう。ただ、あの泥水の味や、追放の夜の冷たさが、今は輪郭が遠くなる。
俺は笑い涙を拭いながら、レオンの腕をぐっと掴んだ。
「さあ、とりあえず中に入りなよ。記者たちは俺が追い払っておくから」
「あぁあ、ありがとうございます……! 用件済ませたらちゃんと、退散しますねっ!」
安堵の表情を浮かべるレオンに、俺はとびきりの笑顔で告げた。
「……この状況で、すぐ帰れるとは思わないでね?」
「へ?」
頷くアヅミと共に、俺は固まるレオンをアジトの奥へと引きずり込んだ。
「さて…――」
重厚な扉が閉まり、記者たちの喧騒が遮断される。
飛んで火に入る夏の虫……
いや、自ら檻に入りに来た可愛い弁護士様を、これからどうしてあげようか?
俺はにこりと笑みだけを浮かべて、レオンの腕を握る手によりいっそう、力を込めた。




