第24話「灰のあたたかさ――“灯が残した跡”」
朝、砦の空は灰色だった。風が弱く、旗は動かずに垂れている。
昨日まで確かにあった光の名残――王都の方角に見えた橙の灯――は、今は霞に溶けて、見えなかった。
私は〈未来の欄〉を開き、昨日の記録〈灯を渡す〉の隣に丸をひとつ描き、「跡」と書き添える。灯は渡った。ならば次に残るのは、跡だ。
そのとき、窓口の布が揺れた。風のない朝に、不自然な揺れ。誰かが来たのだ。
扉を開けると、そこに立っていたのは王都の文官――かつて“灯を運んだ”若者だった。衣の裾は灰にまみれ、顔にうっすら煤がついている。
「……王都で、灯が一つ……消えました」
声は掠れていたが、沈んでいない。
「火事では?」とハーゼが問う。
「違います。灯を守る番が、手を合わせて吹き消した。――“次へ渡すために”と」
私は胸の奥で、何かが静かに動くのを感じた。
「……消したのに、怖くないのですか」
文官は微笑んだ。「はい。灯の場所に灰が残っていました。触れると、温かかった」
灰のあたたかさ。
それは、燃え尽きた証ではなく、“燃やさずに残した跡”。
私は机に戻り、記録帳の余白に小さく書く。〈灯の跡=灰〉。
レオンが隣から覗き込み、「灰は、燃えた“あと”じゃなく、“続き”だ」と言った。
「燃えることと、残ることは別です。――恋も同じかもしれない」
彼の声が低く、柔らかく、少し笑っている。指輪が光る。光は灰のように淡く、けれど確かな熱を持っていた。
昼、台所の煙突から煙が一本まっすぐに上がった。マルタが言う。「火床の灰をどうするか、相談しようかと思って」
「そのままでいい」とヘーデが答えた。「灰が残ると、次の火が柔らかく着く」
ミーナが見守り札を撫でる。「――怖いも、灰になれば触れるんですね」
私はそれを聞きながら、ふと思い立った。
「灰を、灯の証として送ります。王都にも、ここにも」
ハーゼが眉を上げる。「灰を?」
「ええ。灯の跡を、形で残すんです。“消しても温かい”ことを、写して見せる」
夕方。砦の中庭で、私は灰を小さな木箱に分けた。
ひとつは王都へ、ひとつは家へ、ひとつは砦に残す。
箱の蓋には、金具で刻む。〈燃えずに残るもの〉。
ローレンが粉袋の紐を切って手渡す。「箱を結ぶ紐はこれで。焦げ跡があれば、火は入りやすい」
マルタが蜂蜜をほんの少し垂らす。「甘さを混ぜると、灰が固まりにくい。風に乗るよ」
サビーナが水をすくい、箱に霧を落とす。「湿り気があれば、火は眠る」
ヘーデが金具を軽く叩く。「音を入れておくと、灰が寂しくない」
ユルクが赤帯を折り、箱の底に敷いた。「兵は呼ばれなくても、見送るくらいはできます」
私は胸がいっぱいになった。
これが“砦の返歌”だ。王都が灯を残し、こちらは灰を送る。どちらも怖いの続き。
夜。
灯が落ち、砦は静かになった。
私は〈今日だけ欄〉の端に書く。〈灰、王都へ〉〈灰、家へ〉〈灰、砦に〉。
レオンは横で筆を動かす。「今日の好き」と記し、〈君が“燃えたあと”を“続き”にしたこと〉と書いた。
私は〈あなたが“消す勇気”を恐れなかったこと〉と返す。指輪が光る。今夜の光は、灰色のように柔らかく、長く残った。
眠る前、私は灰の箱のひとつを手に取った。
中の灰はまだ温かい。掌に乗せると、熱ではなく“体温”のように感じられた。
――灯の跡。燃え尽きても、手の中で消えないもの。
離縁まで、九日。
数字は減っていくけれど、怖さはもう燃えない。
灰が残るなら、灯はいつでも戻せる。
私は恋の定義の末尾に一行を足した。
〈恋は、燃えたあとの灰を、手で包むこと〉。
窓の外で、旗がひとたび揺れた。
半歩右へ――夜の風が通るたびに、灰がきらりと光る。
その光は、まだ“続き”を語っていた。




