第11話「議場の写し――“発言を生活に変える”挑戦」
翌朝、窓口に届いた文を開いたとき、私は思わず息を飲んだ。
『夏の議場にて発言の機会を得よ。家の威信を守るため、具体的な答弁案を十日以内に提示せよ』
黒々とした文字が、まるで石を胸に落としたかのように重く響く。指先から力が抜け、紙が小さく震えた。昨日は婚姻調整の札で心を削られたばかりだというのに、今日は答弁案を迫られている。家は、私たちの歩みを認めながらも、同時に「揺さぶり」を止めないのだ。
視界の端で、レオンが黙って文を読み、唇を結んだ。彼の横顔は硬いけれど、その奥にわずかな迷いが透けて見えた。家という壁は、彼にとって血肉の一部であり、切り離せない痛みなのだろう。だが彼は、短く言った。
「……答弁も、“今日”に落とせばいい」
その声に、胸の中の緊張がすこしだけ解ける。彼はいつも、私の視界を「今日」に引き戻してくれる。
食堂に人々を集め、札を掲げる。
「王都は議場での発言を求めています。ですが私たちにできるのは、“写し”を作ること。答弁を生活の言葉に変えて、それを王都へ渡す」
最初に反応したのはヘーデだった。煤で黒くなった手を上げ、低く言う。
「議場に立って火花を散らすより、鍛冶場の火を見せたほうがいい。火をどう扱うかが、俺たちの答えになる」
ローレンが頷く。「粉袋の山を数えるより、粉をどう回すか。数字より仕組みですな」
マルタは腰に手を当てて笑った。「菓子だってそうよ。甘さをどう分けるかが肝心。全部自分で食べれば胸やけする」
場に小さな笑いが広がり、緊張が少し和らぐ。私はその笑いの温度を胸に吸い込みながら、ゆっくりと宣言した。
「議場に行くのは家。けれど、その言葉を支えるのは砦の生活です。――答弁は“写し”で渡しましょう」
午後、執務机に広げた紙の前で、私は深呼吸をした。
「私は今日、砦で暮らしています」
「私は今日、導水の仕組みを動かし、兵の休息を守っています」
「寄進は金貨ではなく、仕組みそのものです」
ペン先が紙を滑る音に合わせて、自分の心の鼓動も落ち着いていく。未来の約束を書かなくていい。ただ、今ここで起きていることを写すだけ。それなら、怖くない。
隣でレオンが腕を組み、私の手元を見つめていた。ふと視線が重なり、彼は短く言った。
「頼む。俺の声も写してくれ」
その一言には、彼が抱える矛盾が凝縮されていた。家の血を引く者として、議場に立つべきは彼自身なのに、彼はここに残ると選んでいる。罪悪感と決意、その両方を抱えた声。私は余白に記した。
彼は議場に立たない。だが今日、生活を写しに変えると決めた。
ペンを置いた瞬間、指輪が淡く光り、インクの文字を照らした。その光を見ていると、紙の上の言葉が少しだけ勇敢に見えた。
夕刻、王都の使者に写しを渡す。使者は紙をざっと眺め、低く言った。
「金貨でもなく、数字でもなく、仕組み……これを答弁にするつもりか」
声は冷たいが、その奥には動揺が混じっていた。
「はい」私は真っ直ぐに答える。「金貨は一度で尽きます。仕組みは続きます。今日ここで続いていることを写して渡す。それが発言です」
レオンが一歩前へ出た。
「俺は議場に行かない。だが、この写しを持っていけ。俺の半分は、今日ここにある」
使者は何も言わず、しかしわずかに眉をひそめてから封を抱え、足早に立ち去った。背中を見送りながら、私は深く息を吐く。恐れは消えていない。けれど、言葉を渡したという手応えが確かに残っていた。
夜の一時間。食堂の隅で記録帳を開き、今日の三行を写す。
〈議場答弁の写し作成〉
〈仕組みを答弁に変換〉
〈王都使者に送付〉
声に出して読むと、胸の奥がじんわりと温かくなる。言葉は石のように重くもなるが、書いて残せば灯にもなるのだ。
「今日の好き」と私は書いた。〈あなたが“俺の半分は今日ここにある”と言ったこと〉
「今日の好き」とレオンが返す。〈君が答弁を“生活の写し”に変えたこと〉
指輪が長めに光を放ち、部屋の隅に淡い灯が生まれた。その灯を見ていると、不安よりも安心が胸を満たしていく。
寝台に戻る前、記録帳に一行を追記する。
〈恋は、議場を生活に写すこと〉
離縁まで、二十二日。議場は遠い。だが“今日”を積み重ねた写しは、確かにそこへ届く。光はまだ小さい。けれど、確かに揺れている。




