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読書中の天使

「これ」

「上から5冊目……緑色の本ですね! このままスルスルって、抜いちゃってください!」

「スス……?」

「セロン様、やったことないですか? こう、両手を使って……ずずずいって! うまく、抜けますかね?」

「やってみる……」


 ルセメルは不思議そうに首を傾げる少女の前で、片手を使って1冊の本を引き抜いた。

 天使は目当ての書物を手にするため、お手本通りに両手で緑色の背表紙を掴み――ゆっくりと手前に寄せる。


「そうです! とってもお上手ですね!」

「……わたし、凄い?」

「はい!」

「ルセメル、ありがとう……」


 セロンは目当ての本を両手で抱きしめると、その喜びを全身で言い表すかのように優しく口元を綻ばせた。

 真正面から天使の笑みを受け止めた侍女は、すぐさまクロディオへ視線を移して叫ぶ。


「旦那様! 今の、見ました!?」

「俺は仕事が忙しい」

「聖女天使が! 私に笑いかけてくださったんですよ!? ああ、もう! なんで見てないんですか!?」

「二度も言わせるな」

「こんなに可憐で、かわいらしく、小動物のような女性が……! 優しく口元を綻ばせると、まるで女神のように神々しく……!」

「騒がしいぞ」

「名だたる画家をお呼びして、姿絵を残すべきです!」

「そんなくだらんことに、金は使えない」

「旦那様……!」


 ルセメルは声を荒らげて主を非難したが、辺境伯は駄目の一点張り。

 どれほど駄々をこねられようとも、侍女の提案を受け入れる気はないらしい。


(侍女って……。雇い主の命令、絶対じゃ……ないんだ……?)


 ――セロンはその様子を、不思議そうに観察していた。

 義母や義姉から聞いていた話と、180度異なる光景が目の前に広がっているからだ。


(わたしも……。あんな風に。かあさまと、ねえさま……。仲良し、出来たら……)


 これほど苦しくつらい目に合わなくて済んだのではないかと過去に想いを馳せたセロンは、そうして脳裏に浮かんだ言葉を否定するように首を振った。


「騒ぐ暇があれば、彼女を椅子に座らせろ」

「へ? セロン様!? そこは、本を読むところじゃないですよ!?」

「わたし、ここがいい」

「せめて、布を敷きましょう? ドレスが汚れてしまいます……!」

「ルセメル。俺の命令が、聞けないのか」

「ですが、旦那様……」


 2人の間で板挟みになった侍女は、おろおろと視線をさまよわせて狼狽える。


「麗しき聖女天使を無理やり抱き上げるなんて……! そんなの、私には無理です……!」

「使えんな……」


 彼は渋々椅子から立ち上がると、コツコツと足音を響かせてセロンに迫った。


 ただでさえ2人の間には、30cm近い身長差があるのだ。

 少女が座っている状態では、その差はさらに広がり――セロンは恐怖で震え上がった。


(叩かれる……っ)


 再び床の上に全身を震わせて丸まった天使は、胸元に1冊の本を抱きかかえて怯えた。


(あ、れ……?)


 しかし、いつまで経っても痛みはやってこなかった。


(悪い人じゃ、ない……?)


 セロンは恐る恐る、上半身をゆっくりと起こして彼の姿を見上げる。

 すると――。

 金色の瞳が、どこか苦しそうに揺らいでいると気づいた。


(どうして……。そんな目で、わたしを見るの……?)


 そう問いかけたいのに、うまく言葉が出てこない。

 そのため2人は暫く、見つめ合っていたが――クロディオが天使の腰元に両腕を回し、強い力で抱き上げたことで終わりを告げる。


「ゃ……っ」


 少女はバタバタと四肢を動かして暴れたが、彼は冷静に侍女へ指示を出す。


「ルセメル。布を」

「はっ、はい! ただいま……!」


 クロディオはいつまで経っても椅子に座る様子のないセロンに、痺れを切らしたのだろう。

 抱き上げただけでも、これほど嫌がるのだ。

 間を取って侍女の提案を受け入れると決めた彼は、ルセメルが汚れてもいい布を床に敷いたあと、暴れていた天使をゆっくりと布の上に下ろして身体を離した。


「まるで手のかかる、小さな子どものようだな」


 こちらを見下しながらポツリと呟かれた言葉を耳にしたセロンは、胸元に握りしめていた本を開いて活字を目で追いかける。


(黙って素直に従えば……。好きになって、もらえたのかな……)


 そんな後悔の念を胸にいだきながら――セロンは物語の世界に没頭しようと試みる。

 しかし、彼のことが気になってしまってどうにも集中できない。


「なんだ」


 チラチラと何か言いたげに見つめられると、気が散るからか。

 クロディオから問いかけられた天使は、今にも消え失せそうな声でぽつりと呟く。


「呆れてるよね……。わたしが、不出来だから……」


 彼は相当仕事が立て込んでいるのだろう。

 書類の山を片づける手を止めぬまま、こちらに哀れみの視線を向けている。


「ごめんなさい……」


 それに居た堪れなくなって謝罪をすれば、クロディオは低い声でこちらに向かって問いかけた。


「君は、一体何に責任を感じている。床に座ったことか。本すらも集中して読めないことか」

「どっちも……」

「気にするなと言っても、難しいのだろうな」

「うん……」


 彼は書類の束を抱えて席を立つと、大きな音を立てて床の上に敷かれた布の上に置く。

 その後、セロンと背中合わせになるようにどっしりと腰を下ろした。


「どうして、近くに着てくれたの……?」

「椅子に座ると、どうしても座高が高くなってしまう。君を見下すことになり、恐怖心が増す」

「わたしとあなた。身長差、ある。あんまり、変わらない……」


 クロディオと目を見て話したいと思ったら、見上げる必要がある。


(首、痛い……)


 寂しそうにぽつりと呟いた天使の声を耳にした彼は、不機嫌そうに眉を顰めて低い声を発する。


「……とにかく。そんなに警戒しなくていい。それを、伝えたかった」

「ん……」


 辺境伯はセロンの2倍の近く体重があり、鍛え抜かれた体躯を持つ美丈夫だ。

 剣術の腕もピカ一ともならば、暴行を受けた際の痛みは義母や義娘の比ではない。


(距離が近いの、怖い、けど……)


 天使は必要以上に怖がる必要以上はなかったのかもしれないと考えたあと、本を読むのに集中した。

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