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騒がしい侍女

「君の過去は、こちらで調べさせてもった」


 パロニード辺境伯家のクロディオから低い声でそう告げられたセロンは、ゴシゴシと目を擦って見慣れない男性の姿を認識する。


(辺境伯って、なんだっけ……?)


 少女にとって彼の第一印象は、どれほど窮地に追い込まれても戦場で剣を振い続ける剣士だ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 だから、目の前の人物がそう呼ばれていることにいまいち納得が出来ないまま、思考を繰り返す。


(貴族、なのは……。わかる、けど……。それがどのくらい偉いかは、不明……)


 セロンは自身の知識の無さを痛感しながら、目線を合わせるためだろうか?

 体勢を低くしたクロディオを見上げ、ぼんやりと生気の籠らぬ桃色の瞳を向けた。


「君に同情する気はない」


 天使の意識が夢の世界から現実に戻って来たと、確証を得たのだろう。

 辺境伯はそう吐き捨て、セロンに厳しい声をかけた。


「俺に利益を齎せないのであれば、すぐに出て行ってもらう」


 生きるか死ぬか気抜けない戦地と、ある程度羽目を外せる領城であれば、後者のほうが安心できる環境のはずなのに――。


(なんか、今は……。すごく、ピリピリしてる……)


 彼がセロンを警戒しているようにも見えるのは、なぜなのだろうか。


「それだけは、心に留めておけ」


 それを不思議に思った少女は、その先に続く言葉を右から左へと受け流した。


「質問はあるか」


 そんなセロンの姿をじっと見つめていた辺境伯にも、思うところがあったのだろう。

 クロディオに問いかけられた天使は、思い切って先程いだいた疑問を投げかけた。


「辺境伯って、偉い人?」

「それを聞いて、何がしたい」

「態度、変えなきゃ。失礼、かもって……」

「どうでもいいな」


 だが――彼の反応は思わしくない。

 セロンが一生懸命口にした質問へ関心を持てぬ様子を見せた青年は、少女を睨みつけながら告げる。


「俺に気を使う必要はない。好きにしろ」

「いい、の……?」

「ああ」


 強い口調で命じられた天使は、不安そうに問いかけた。

 しかし――辺境伯はしっかりと頷いて肯定し、眉を顰めて続きを促した。


「ほかには?」

「わたし、これから……。どうしたら……」


 どうしても彼の口から聞きたい疑問は、それくらいしかない。


(自分で考えろって、言われるのかな……)


 セロンが恐る恐る問いかければ、辺境伯は真顔で、はっきりと宣言した。


「俺の、そばにいろ」


 金色の瞳が、天使を射抜く。

 それは狙った獲物に噛みつく機会を伺う、獰猛な獣のようだった。


「それ、だけ……?」


 少女はその視線を受けても物怖じすることなく、こてりと首を傾げた。

 クロディオが事前にセロンに対して好意的な内容を口にしたため、怯える必要がなかったからだ。


 そんな天使の反応を目にした辺境伯は、どこか遠くを見つめながら告げた。


「今のところはな。戦争が勃発すれば、嫌でも君の力を借りる羽目になる」


 セロンは今まで、なぜ彼が自身を受け入れたのか不思議で堪らなかったが――。


(利益って、聖なる力のことだったんだ……)


 戦地で初めて使った天使の加護に利用価値を見出したからこそ、自分が辺境伯に連れてこられたのだと気づいたからか。

 セロンは明らかに落胆の色を隠せない様子で、肩の力を抜いた。


(わたし、この人に……。どうして欲しかったんだろう……?)


 クロディオから視線を逸らした少女は、戦場での出来事を脳裏に思い浮かべる。


(差し伸べた手を取ってもらえて、すごく嬉しかった。この人なら、信じられる。王太子とは、違うって……)


 そうして、セロンは気づいてしまった。

 少女は心の底からフラティウスを愛していたわけではない。

 自分を助けてくれる人であれば、誰でもよかったのだと。


(勝手に信じて、期待して。馬鹿みたい……)


 王太子は義姉の嘘に惑わされ、ルイザを選んだ。

 クロディオはセロンを、自分のいい時に呼び出し聖なる力を発動させられる道具としか思っていない。


「何を迷っている」


 どちらも違って、どちらも信頼するに値しない存在であることは、明らかだった。


「はっきり、言えばいい」


 2人の男性を脳裏で比べていた天使が気持ちの整理をつけられず、今にも泣き出しそうな表情をしていると気づいたからだろう。

 クロディオはセロンの言葉を促した。


(本当に、伝えてもいいのかな……)


 少女はゴシゴシと目元に溜まった涙を指で拭い取ると、彼の顔色を窺いながら恐る恐る問いかける。


「なんか、雰囲気。違う……から……」

「これが俺の、平常時だが」


 何か文句でもあるのかと睨みつけられたセロンは、ビクリと肩を震わせて怯えた。


(怒った時の、とうさまみたいで……。怖い……っ)


 そんな天使の姿を目にしたクロディオは、これ以上の会話は無理だと悟ったのだろう。ため息を零すと、聞き慣れない名を呼んだ。


「ルセメル」

「はーい!」


 壁際に控えていた可憐な女性が元気な返事とともに、2人の前まで踊り出る。

 それを不機嫌そうに見つめていた彼は、セロンに視線を移し――ルセメルを紹介した。


「ルセメル・ゼグレマムス。これから君の、手足となる。好きに使え」

「初めまして! 聖女天使の侍女になれるなんて、夢のようです! これから、よろしくお願いしますね!」


 ぼんやりと焦点の合わない瞳でルセメルを見つめた天使は、小さく頭を下げて挨拶をする。

 態度の悪いセロンの姿を受けても満面の笑みを崩さずに、侍女は元気いっぱいな声を響かせた。


「聖女天使様! どうぞこちらに! いつまで経ってもそのような薄汚れたお召し物を身につけ続けるなんて、よくないですよ!」

「わたし、セロン。その呼び方、あんまり……」

「それでは、旦那様! 失礼いたします!」

「話を……」


 ルセメルは天使の細い腕を強引に掴むと、そのまま少女を水場へ連れて行く。


(得体の知れない女性と2人きりになるのは、嫌だ……)


 セロンは助けを求めるような視線をクロディオに向けたが、侍女に己を任せた以上は自分の手を離れたとでも考えているのだろうか。

 彼は何事もなかったかのように涼しい顔をしてその様子を見逃すと、女性たちを見送った。


 新2


「セロン様って、猫ちゃんみたいですね!」


 怯えるセロンの身ぐるみを剥いで身を清め、清潔なドレスを着せてから清潔な布を使って髪に付着した水気を拭き取っていたルセメルは、己に笑顔でそう告げた。


「ね、こ……?」

「はいっ。警戒心の強い、野良猫さんです!」


 地下室で暮らしていた天使は、猫を直接目にした覚えがなかった。

 だから、そんな指摘を受けてもうまく想像ができない。


(どんな、の……?)


 セロンが三角形の耳と、揺れる長い揺れる尻尾を思い浮かべられないなど、知りもせず――。

 困惑する少女の姿を観察していた侍女は、満面の笑みを浮かべて告げた。


「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよー。わたしはセロン様の、味方ですから!」


 そんな天使の様子を目にした彼女は、自分が傷つけられるかも知れないと怯えているからこその反応だと受け取ったのだろう。

 ルセメルは明るい声で続ける。


「旦那様を恐ろしいと感じるのは、当然ですよ! なんてったって彼は、残忍酷薄な辺境伯ですからね!」

「酷い、人……?」


 聞き馴染みのない単語を自分のわかる単語に変換してから繰り返せば、侍女は歌うように、噛み砕いて説明を始めた。


「敵味方関係なく、いつもあんな感じなんです。冷徹無慈悲。情け容赦なく、人との関わりは最小限……」

「でも……。わたし、ここに……。連れてきて、くれたよ……」

「それがみーんな、不思議で堪らないんですよねー。それだけセロン様を、気に入られたのか……。あるいは……」


 思わせぶりなルセメルの発言を受け、少女は不思議そうに首を傾げてポツリと呟いた。


「あの人にとって……。わたし……。都合のいい、道具……?」

「うーん。それはなんとも言えません。旦那様が何を考えているかは、本人にしかわからないので……」


 先程までの笑顔はどこへやら。

 侍女は表情を曇らせると、声のトーンを落としてセロンに告げた。

 だが、それは一瞬のことだ。

 すぐに本来の調子を取り戻したルセメルは、パンっと手を叩いて大声で提案した。


「セロン様が直接、聞いてみたらどうでしょう!」

「大丈夫、かな……」

「旦那様が女性をお持ち帰りしてくるなんて、初めてのことですからね~。セロン様に気を許しているのは、間違いありません!」

「そ、う……?」

「はい! とーっても仲良くなれば、夫婦になるのも、夢ではありませんよ!」

「わたしと、あの人……。家族……」


 不安そうに瞳を揺らしていたセロンも、夢のような話を耳にして希望をいだいたのだろう。

 少しだけ乗り気な声を響かせれば、どこか遠くを見つめながら侍女が告げた。


「旦那様も、ご両親が生きていた時は……。今とは全然違ったんですよ。優しくて、みんなから慕われて……」


 ルセメルの説明を受けた少女は、初めてクロディオの両親が亡くなっていると知る。


「でも、前当主が亡くなって……。奥様が精神を病んで、自ら命を断ってから……。あのお方は、おかしくなってしまいました」


 セロンの父親も、母親が娘と引き換えに命を落としてから奇行が目立つようになってしまった。


(大切な人の死は、人格にも影響を与える……)


 その姿を間近で見ていた天使は――彼に対する同情心を芽生えさせた。


「愛に飢えている旦那様を救えるのは、セロン様だけです!」


 そんなセロンのいだいた気持ちを後押しするように、嬉々として声を上げたルセメルは夢物語のような願望を口にする。


「聖女天使の献身によって、花が綻ぶように心優しくなる旦那様……! きっと、とっても素敵な光景になるはず……!」


 テンションのあがった侍女は少女の髪から手を離すと、胸元を叩いて人当たりのいい笑みを浮かべた。


「僭越ながら。この私、ルセメルが! お2人が仲良くなれるよう、お手伝いさせていただきます! なーんでも、相談してくださいね!」


 セロンが無言でじっとしているのをいいことに、ペラペラと口を動かしてマシンガントークを続けるルセメルには困ってしまう。


(この子と、一緒に……。これから、暮らすの……?)


 静かな場所で1人、ずっと本を読んで暇を潰していたせいか。

 四六時中知らない女性と2人きりで過ごすなど、セロンには考えられなかった。


(あの人のこと、少しだけ……。教えてもらえたのは、嬉しかった……。でも……)


 明るく元気なルセメルは、満面の笑みを浮かべて身支度を終えた天使を見つめている。

 そんな侍女から視線を逸らしたセロンは、物憂げな表情とともに視線を落とした。


(この子と、わたし……。多分、相性は最悪……)


 ルセメルの人となりを把握した少女は一気にここでの暮らしが不安になり、浮かない顔をする。


「セロン様っ。とっても素敵ですよ! さすがは、聖女天使です! なんて神秘的で……。神々しいのでしょう……!」


 キラキラと瞳を輝かせて叫ぶ侍女が必要以上に己を持ち上げて来るのもまた、居心地が悪くて仕方がない。


「さっそく、旦那様にお見せしなくては!」


 ルセメルは喜々として椅子に座っていたセロンを立ち上がらせると、手首を掴んで引っ張った。


(頼る人を、間違えたかも……)


 セロンはクロディオの手を取り合ってここにやってきたのを後悔しながら、侍女とともに水場を出た。

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