いつまでも一緒に
「ぎゅってしたら、悲しくないよ」
「セロン……」
「わたし達、1人から、2人になった。これからは、支え合って、生きていく」
「ああ。悲しみだけではなく、君と喜びを分け合えたのなら……。俺は、このうえない幸福感をいだくだろう」
微笑みをたたえた辺境伯と目線を合わせたセロンは、うっとりと瞳を潤ませて願う。
「クロディオが楽しそうにしているところ、もっと見たい……」
「なんの面白みもないぞ」
「それでもいいよ」
あまり気乗りしていない彼の背中を押した天使は、クロディオのぬくもりを堪能しながら告げる。
「ルセメルから、聞いた。今、ね? 残忍酷薄な辺境伯と、みんなが呼ぶのを止めたって」
「セロンのおかげだ」
「うんん。わたし、何もしてない」
セロンは首を左右に振ると、金色の瞳をじっと見上げる。
彼の美しい目に見惚れた天使は、明るい声を発した。
「いつか。みんなで、笑い合えると、いいね」
「ああ……」
「そのため、にも……。早くあの国、滅ぼす?」
辺境伯の瞳には、さまざまな感情が浮かんでは消えていく。
己に対する恋慕。
フラティウスに対する嫉妬心や憎悪。
どうしてそんな思いをいだいているかわからぬ、罪悪感まで――。
(クロディオの瞳。キラキラ。万華鏡、みたい……)
セロンがうっとりと瞳を潤ませるながら問いかければ、彼はぎこちなく左右に首を振った。
「そうしたいのは、山々だが……。こちらにも、準備が必要だ。すぐには、難しい……」
「わたしとペガサス。待ちくたびれた……」
「もう少しだけ、大人しくしてくれ」
「いつまで……?」
「そう遠くない未来には、実行できるはずだ」
セロンはクロディオの言葉を信じる。
疑わないと、決めたから。
「用意を終えるまでは――俺の腕の中で、翼を休めていろ」
「ん……。わかった。わたし、クロディオと……一緒にいる」
「ああ」
天使は背中の翼を消失させると、彼の胸元に小さな身体を丸めて蹲った。
「セロン様! お待たせしてしまい、大変申し訳ございません! 不足の事態が山程……。あら? 旦那様!?」
「ルセメル。掃除だ」
「は、はい! ただいま……!」
――その直後。
姿を見せたルセメルは、クロディオの許可なく無断でセロンのそばを離れた罰として、床の上に散らばった手紙の残骸を片づけさせれる。
(お掃除、大変……)
その様子を見ていた天使は、侍女の手伝いを申し出ようと試みる。
しかし、辺境伯はそれに待ったをかけた。
「今まで、君が不快になるのではと遠慮していたが――次のステップに、移りたい。いいだろうか」
「内容にも、よる……」
「添い寝だ」
クロディオから思ってもみない提案を受け、セロンは目を丸くする。
(一緒に、おやすみ?)
1人で寝転ぶには大きすぎるふかふかの寝台を占領するのは、いつだって落ち着かない。
仮眠室のベッドを独占していた天使にとって、この提案は願ってみない話だ。
セロンは二つ返事で了承した。
「ん……。いいよ……?」
「ありがとう。ではさっそく、眠るとしよう」
「今、から……?」
「何か、問題でも?」
不敵な笑みを浮かべるクロディオに、反対の声をあげられるはずがない。
彼に抱きかかえられて執務室に連れて行かれたセロンは、辺境伯とともにベッドの上に横たわる。
『僕の目が黒いうちは、密着なんてさせないぞ……!』
神馬は憤慨した様子を見せると翼をはためかせ、2人の間に無理やり身体を滑り込ませた。
(どうにかして、ペガサスを退かせないかな……)
セロンはしばらく神馬の姿を呆れたように見つめ、思考を巡らせた。
しかし、どうにもいい案が思い浮かばない。
「君がここに着てくれて、本当によかった」
「ん……。わたしも、クロディオに会えたおかげで……。毎日、幸せ……」
2人の間に挟まるペガサスの妨害を諸共せず、2人は相思相愛の恋人同士のように互いを愛おしそうに見つめ合う。
『違うだろう!? セロンの幸せは、こいつだけじゃない! ボクも一緒にいたから、実現したことだ!』
自分がいることを忘れて甘い雰囲気を醸し出す2人に憤慨した様子を見せる獣を落ち着かせるため、セロンは純白の毛並みを優しく撫でつけた。
「ペガサスも、ありがとう……」
『ボクをオマケ扱いするなんて……。君が聖女天使でなければ、蹴りつけてやっているところだ……』
神馬は天使の態度に納得がいかないようで、ふてくされたようにセロンの胸元で丸まり目を閉じた。
「今は、ペガサス……。クロディオ、嫌ってる……。でも、いつか……。好きになってもらえると、いいな……」
「ああ。俺もこいつの信頼を、勝ち取る努力が必要なのかもしれん……」
「今度一緒に、戦場で戦う? 有能さ、アピールチャンス……」
何かと騒がしいペガサスが大人しくなったのを確認して、2人は雑談を始めた。
しかしセロンの提案を受けても、クロディオの顔は優れない。
彼はどこか困ったように眉を伏せ、ぽつりと呟く。
「今まで散々、情けないところを見せてきたんだ。近くで確認しても、認識が変化することはないだろう」
「難しい……」
「ああ。神獣と交流を深めるのは、聖女天使以外は無理なのかもしれん」
戦場では自らの命よりも勝利を優先する彼は、領地に戻ってくると及び腰になる。
(わたしは恐れることなく、果敢に挑むクロディオが好き。その気になれば達成できることを、無理だと結論づける彼に、魅力は感じない……)
自分が辺境伯をどう思っているのかについて結論を出したセロンは、ゆっくりと細い両腕を伸ばす。
「どうした」
「触りたい」
「どこを」
「頬……?」
こてりと首を傾げて疑問形で口にしたセロンの声を受け、クロディオは己の身を乗り出す。
「いいだろう」
セロンは小さな両手を、辺境伯の頬に触れた。
髭の剃り残しがあるのか、顎の周りは撫でつけるたびにチクチクとした鈍い痛みが走る。
「これで、満足か」
「うんん……」
くすぐったそうに金の瞳を細めた彼の声を聞いたセロンは、ペチンと弱い力で挟み込んだクロディオの頬を叩く。
何が起きたかさっぱり理解できないとばかりに嫌そうな顔をする彼を至近距離で見つめた天使は、攻撃を仕掛けた理由を口にする。
「クロディオ、不可能を可能にする男。弱音、似合わない……」
「どんな困難な状況においても諦めずに立ち向かう。それは自分だけではなく、部下の命を守る必要があるからだ。こいつと仲良くならなくとも……」
「もっと、自分。大切にして」
「それは……」
「約束」
天使は辺境伯の口答えを、けして許さなかった。
桃色の瞳に有無を言わせぬ光を宿したこちらの姿を見れば、彼も拒絶などしようという気にならなかったのかもしれない。
彼はどこか困ったように目元を和らげると、ぽつりと吐き出した。
「セロンはおとなしいように見えて、強引なところがあるな……」
「控えめなほうが、いい?」
「いや……。俺はありのままの君が好ましい」
クロディオの口から好意的な言葉が紡ぎ出されたことに、セロンはこのうえない喜びに満たされた。
(嬉しい……)
天使は満面の笑みを浮かべて、彼に己の気持ちを伝える。
「わたしと、一緒」
「ああ……」
辺境伯は金の瞳を優しく和らげると、己の頬を挟んでいた手を大きな指先で掴む。
そのあと口元まで持ってくると、薬指に口づけた。
まるで、セロンは自分のものだと態度で表すかのように――。
(王子様、みたい……)
光の届かぬ地下室で、天使はずっと待っていた。
白馬に乗った王子様が、自分を迎えに来てくれる日を。
その時は、ついぞ訪れることはなかったが――己の背中に純白の翼をはためかせて自ら大空を羽ばたいたおかげで、天使は大切にしたいと思える人に、巡り会えた。
(いつまでも、ずっと……。一緒に、いられますように……)
多幸感に包まれたセロンはゆっくりと目を閉じ、彼に見守られながら眠りについた。




