戦場にて
セロンはペガサスとともに、上空で剣を振るうパロニード辺境伯の姿を見守っていた。
『あの人間、やればできるじゃないか。太刀筋に迷いがない』
大剣を振り回して迫りくる敵を斬り伏せる彼の姿を目にしたペガサスは、感心した様子でクロディオの様子を見つめる。
(よかった……。ペガサスも、クロディオ……。好きになれそうで……)
セロンに好意をいだく2人が啀み合う姿など、見たくないのだろう。
ほっと胸を撫で下ろした天使はいつ自身の出番が来てもいいように、
気を抜くことなく、全神経を地上へ集中させた。
『人間って、本当に愚かだ。同じ種族同士で戦うなんて……。天界では考えられないよ』
「そう、なの?」
『うん。そりゃ、ボク達だってちょっとした口喧嘩くらいはするけどね。力比べなんて、野蛮人のやることさ」
「ペガサス、辛辣……」
『ボクは事実を述べているだけだよ。あいつは、根っからの戦闘狂みたいだ。牙を向けてくる奴らには、容赦がない。その証拠に……』
ペガサスは地上で戦う、クロディオの姿を視界に捉えた。
「辺境伯! 危険です!」
「無茶ですよ! 撤退しましょう!」
「いや。まだやれる」
彼は部下にこれ以上の無茶はやめてくれと懇願されても、けして剣を振るうのを止めない。
何度倒れたとしても、目の前にいる敵すべてを打ち取るまで、けして屈することなく立ち向かう。
その精神は、簡単に真似できることではなかった。
(ああいう素振りが……。わたしが彼に、興味を持った理由)
たとえ神馬がそれに難色を示していたとしても――セロンは誇らしいと思うことはあっても、獣と同じように呆れの色を見せる様子はない。
むしろ恍惚とした表情を見せるくらいだった。
『身体はとっくに限界を迎えているのに、涼しい顔で大剣を振るい続けている。どう考えたって、異常だよ』
ペガサスの呆れた声を耳にしたセロンは慌てて胸元で両手を組むと、祝詞を紡ぐ。
「フォルツァ・コンソラーレ。天使の祝福を、あなたに」
天使を起点として天から光が降り注げば、パロニード辺境伯騎士団の面々は士気を高める。
「聖女天使の加護だ!」
「力が漲ってくる……!」
「団長に続け!」
セロンは無理をしているクロディオを、癒やすつもりで加護を授けた。
しかし――。
天使の聖なる加護の余波を受け取ったのだろう。
先程まで地面に倒れ伏していたはずの騎士達も、やる気に満ち溢れて剣を振るい始めた。
「力のコントロール……。できて、ない……?」
『気にすることはないよ。彼らは、味方だからね』
「ん……」
その様子を目にしたセロンは不安になって、悲しそうに目を伏せた。
しかし、身を寄せるペガサスとじゃれ合えば、すぐさま普段の調子を取り戻す。
(ペガサスは、クロディオのことが嫌い。でも、一緒にいてくれてよかった……)
セロンは自分と同じ純白の翼を持つ神馬がこうして上空にいてくれることを心強いと感じながら、辺境伯が剣を振るう姿をじっと見守る。
『あいつがいないと、楽でいいな。誰に遠慮する必要もなく、セロンと触れ合える……』
「みんなのため。必死に戦ってる……。そんなこと、言っちゃ駄目……」
『セロンは本当に、彼が好きだね』
「ん……。クロディオ、優しいから……」
『どうだか……。ボクには、本心とは思えないけど……』
ペガサスが口にする不穏な声は気がかりだが、そんなことに意識を集中している場合ではない。
クロディオは今もなお、敵を制圧するために剣を振るっているからだ。
セロンはその様子を、じっと観察し続けた。
(大剣を振り回す時、クロディオ……。すごく、真剣な表情をしてる……)
普段、領城で自分を見つめる優しい瞳とのギャップに驚き、ぜひともその瞳を真正面から覗き込みたい気持ちに駆られた。
しかし、そんなことをすれば己の命はあっという間に刈り取られてしまうだろう。
(戦い、終わるまで……。我慢……)
彼は戦場へ天使がやってくるのに、かなり難色を示していた。
セロンが勝手な行動を起こして傷つこうものなら、父親のように小さな身体を地下室へ閉じ込めて誰にも手が届かないところで独占しようと目論む危うさが、クロディオにはある。
(わたし、守りたい。そう、思うからこその……暴走……)
世間ではそれを、執着と呼ぶのだが――。
そうした感情に疎いセロンは、神馬のもふもふとした毛並みに顔を埋めながらぼんやりと考える。
(たとえ、大好きな人だとしても……。1人ぼっちで静かに暮らせと言われるのは……。嫌、かも……)
クロディオ、ペガサス、ルセメル。
彼らのぬくもりを知ってしまったセロンはもう、1人ぼっちには戻りたくないと強く願っている。
こんな状況でそんなふうに辺境伯に命じられたら、天使は壊れてしまうかもと恐れていた。
(みんなと一緒に、いたいから。我慢……)
天使はペガサスの背中に両腕を回す力を強めると、ゆっくりと目を閉じた。
『聖なる力を使って、疲れたのかい?』
「うんん……。クロディオの戦う姿。もっと近くで、見たくなるから……」
『だったら、僕と目を合わせていればいいじゃないか。このままだと、眠ってしまいそうだよ』
「ん……平気……」
『大丈夫じゃないから、提案しているんだ。意識を失えば、翼も消失してしまう。危ないよ。ボクの背中に乗って』
優しい言葉で諭すペガサスの声を耳にした天使には、神馬を頼りたくても頼れない事情がある。
瞳を潤ませたセロンは、獣に問いかけた。
「そのまま、わたし……。天界に、連れていかない……?」
『う……。それは……』
「クロディオと引き離されるのは、嫌。だから……。終わるの、待ってる……」
セロンはゆっくりと瞳を見開くと、ゴシゴシと目元を拭ってペガサスから身体を離す。
神馬は明らかに嫌そうな表情で少女を見つめたあと、渋々天使の隣に佇んだ。
「セロン」
――それから、どれほどの時間が経過しただろう。
永遠とも呼べる空中での待機時間が終わりを告げたのは、クロディオが最愛の少女の名を呼んだからだった。
『行こうか』
「ん……」
ペガサスと天使は2人揃って純白の翼をはためかせると、辺境伯の元へ降り立った。
「聖女天使だ!」
「ペガサスもいるぞ……!」
「我らパロニード辺境伯騎士団の勝利は、神々の愛し子が癒やしの加護を施してくださったおかげだ!」
「聖女天使! 今日も我々の命をお救いくださり、感謝いたします!」
セロンが彼へ話しかける前に、ペガサスと天使は騎士団の面々から熱烈な歓迎を受ける。
(怖い……)
天使はそれにどこか怯えの色を隠せない様子で背中の翼を消失させると、大剣を鞘に収めてセロンに向けて両腕を伸ばしたクロディオの胸元へ飛び込んだ。
「待たせてすまない」
「うん……」
「戦闘中の加護、助かった」
「どう、いたしまして……」
「帰ろう」
天使は辺境伯に返答をする代わりに、彼の胸元をしっかりと掴む。
離れないように、強く。
「辺境伯へ、帰還する!」
聖女天使とペガサスが現れたと浮足立っていた騎士達はクロディオの宣言を受けた直後、ぴたりと口を閉ざして彼に向けて敬礼をする。
その後、一糸乱れぬ隊列を組んで領地に向かって歩き出す。
(男の人の怒声って、ずっと恐ろしいと思ってた。けど……。彼の声だけは、心地いい……)
どうしてそう思うのかまでは、答えを導き出せないまま――クロディオに抱き上げられた天使は、ペガサスとともに領城へ戻った。




