たくさんの手紙
――セロンがクロディオと出会い、1か月が経過した。
新たに加わった仲間のペガサスとともに、天使は何不自由なくパロニード辺境伯の領城で暮らしている。
(ルセメルと一緒にここを抜け出して、遊びに行ってから……。クロディオは、とっても優しくなった……)
クロディオはセロンを膝の上に乗せて書類整理をするのが気に入ったようで、どうしても外出の必要がある時以外はずっと自分と触れ合っている。
(全身で、わたしが好きだって……。訴えかけているみたい……)
最初のうちは、それが鬱陶しいと思うこともあった。
しかし――毎日当たり前のように触れ合っていれば、だんだんと慣れてくる。
(クロディオ、ルセメル。ペガサス……。わたしの周りは、いつもみんなが一緒……)
――今日もセロンはクロディオの腕の中に抱きしめられ、騒がしく言い争う侍女と神馬の姿を物珍しそうに観察していた。
「セロン様と旦那様が、こうして仲良しになったんですから! 私達だって、交流を深め合いましょうよー!」
『誰が人間なんかと、交流を深めるもんか!』
「もう。神馬さんったら、わがままなんですから~」
『近づくな! ボクに触れていいのは、セロンだけだ……!』
ルセメルはペガサスと少しでも交流を深めようと何度もスキンシップを試みているが、神馬にとって人間はどれほど甘い言葉を囁いていたとしても信頼のおけぬ存在だ。
獣は頑なに天使以外の触れ合いを拒否する。
そのため、どうにもうまくいかないようだ。
『なんでセロンの周りにいる人間達は、変な奴らばっかりなんだ……?』
「ペガサス。ルセメル、まだいいほう。もっと悪い人、いっぱいいる……」
『これでいい奴ら判定するなんて、信じたくない……』
ぐったりと項垂れたペガサスは床に四肢を投げ出し、ゆっくりと翼を休める。
そんな姿を目にした侍女は、指先をワシャワシャと動かしながら神馬に触れる機会を窺った。
「私達は、セロン様守護隊ですからね! 神馬さんも、ぜひその一員に……!」
『君達と手を取り合ってセロンを守るなんて、冗談じゃない』
「うーん。この感じは、嫌がってます? いつになったら、心を開いてもらえますかねぇ……?」
『一生無理だ! 諦めるんだな』
ふんっと鼻息荒くそっぽを向いたペガサスは、侍女と言い争いなど続けたくないとばかりに目を閉じる。
そんな彼らの姿を見捉えたクロディオは、ルセメルに厳しい言葉を投げかけた。
「ルセメル。話し相手がいないからと、ペガサスにちょっかいをかけるのはやめろ」
「で、ですが……! 私だって……!」
「騒がし過ぎて、仕事が進まん。少しはセロンの大人しさを、見習ったらどうだ」
「うーん……。無理ですね!」
「君を侍女として雇ったのは、間違いだったかもしれんな……」
満面の笑みを浮かべてセロンをお手本にするのは無理だと騙った侍女の姿を目にした彼は、何度目かわからぬため息を溢して大きな手で頭を覆い隠すと、肩を落とす。
(ルセメルらしい、解答……)
――クロディオが呆れて、物が言えない様子をみせたからか。
天使はポツリと、か細い声でルセメルを褒めた。
「ルセメルが侍女で、よかった」
「セロン様……! お姿だけではなく心までも清らかなんて! 本当に、とても素敵なお方です……!」
「調子のいい奴だ……」
侍女は目の奥にハートをちらつかせながら、天使を褒め称えたたえる。
その様子を目にしたクロディオは、付き合っていられないとばかりに書類へ視線を落とした。
「クロディオと仲良くなれたの。ルセメルのおかげ。褒められるようなこと、してない……」
「私、ですか? いえ。それは、旦那様の――」
「辺境伯! お届け物です!」
「あっ。はーい!」
侍女の何かをいいかけた言葉は、クロディオの執務室に姿を見せた男性によってすべてが紡がれることなく霧散する。
「クロディオ……?」
「どうした」
「ルセメル、言いかけた。なんだろ……?」
天使はどうやら、それが気になって仕方がないようだ。
セロンは不思議そうに、クロディオへ問いかけるが――。
「気にするな」
「いい、の?」
「ああ。ただの、世間話だ」
クロディオにそう諭された天使は渋々納得すると、手にしていた本に視線を落として文字を読み進める。
――そんな中、男性から大量の手紙を受け取ったルセメルが満面の笑みを浮かべて戻ってきた。
「セロン様ー! 見てください! 今日も、こーんなにたくさん! 聖女天使宛の貢物が!」
クロディオはその声を耳にした瞬間、露骨に嫌そうな顔をする。
しかし侍女は、いつものことだと気にも止めない。
当然のように小包を床の上に置くと、中身を確認し始めた。
「わぁ。これ、ルユメール王国の有名ブランドですよ! ロセアガンムだと、なかなかお目にかかれないんですよね~」
「ルセメル」
「もう、隣国まで噂が回っているなんて……」
「クロディオ、呼んでる……」
セロンが自国に恨みをいだいていると知るクロディオは、その名を耳にするだけでも不愉快で堪らないのだろう。
天使宛の真っ赤なドレスを手で掴んでキラキラと光り輝く瞳で見つめていた侍女は、彼の咎める声など聞こえていないとばかりに次の荷物に目を光らせる。
「あれ? 荷物に、手紙が貼りついてます。これ、王家の紋章です!」
「それ以上は、言うな」
「親愛なる聖女天使へ。フラティウス・べグリーより、愛を込めて……」
クロディオの静止を振り切って手紙の裏面に描かれた文字を音読したルセメルは、それが天使の憎悪を引き出す魔法の呪文であると気づけず――その名を口にしてしまう。
『なんだって!?』
「きゃあ!? 神馬さん!? どうしたんですか!?」
『忌々しい男の名を、セロンの前で発するな! これだから人間は、嫌いなんだ……!』
いち早く反応を示したのは、天使を守るために天から遣わされてきたペガサスだった。
先程まで大人しくしていたのが嘘のように、神馬は怒りを隠しきれない様子で暴れ回る。
「ペガサス。落ち着いて……」
『冷静でなんか、いられるか!』
「名前聞いたくらいで、取り乱さない。大丈夫……」
『だけど……! こいつは! セロンを傷つけた! 酷い奴だろ!?』
「セロン様? フラティウス殿下と、お知り合いなんですか……?」
セロンの発言を耳にした侍女は、ようやく天使と王太子が知り合いだと気づいたようだ。
少女は不思議そうにこちらを見つめるルセメルの視線から逃れると、悲しそうに瞳を逸らした。
「ルセメル、手紙を」
「は、はい……」
愛する天使を気の毒に思ったのだろう。
クロディオは当然のように侍女へ手を差し出し、手紙を回収する。
それを耳にしたセロンははっとした様子で顔を上げ、その様子を確認しようと試みる。
「わたしも、見る」
しかし――その中に描かれた内容を知っている彼が、それを許すはずもない。
「駄目だ」
「見せて」
「やめておけ」
神馬が浮かび上がったのを見計らい、セロンは背中に翼を生やしてクロディオの腕の中から飛び出て行こうとする。
(かくなる、上は……)
このままでは身長差の関係で、手紙の内容を確認できないからだ。
「ペガサス」
天使の呼びかけを受けたペガサスは、すぐさまクロディオの後方に揺蕩う。
「大人しくしていろ」
「わ……っ」
腰元に強い力でしがみつかれたセロンは、どれほど浮上したいと願っても彼の腕から抜け出せない。
(翼が……っ)
純白の翼をバサバサと羽ばたかせれば、自分を好いてくれている彼に怪我をさせてしまう。
それを恐れた結果、天使は辺境伯に抱きしめられたまま固まった。




