ペガサスと辺境伯(クロディオ)
『心の中。ぽかぽかして、あったかい……』
辺境伯の許可なく領城から抜け出した天使と侍女を連れ戻したクロディオは、愛する少女が嬉しそうに目元を綻ばせた瞬間――ハートを射抜かれた。
(これは、セロンも……。俺に好意をいだいていると考えていいのか……?)
彼は信じられない気持ちでいっぱいになりながらも、機嫌がよくなるのを止められない。
膝上に座る小さな身体をいだく手を強めたクロディオは、彼女との会話を楽しんだ。
(夢のようだ……)
幸せそうに口元を緩め、腕の中で目を閉じて眠る天使の姿は、まるで絵画のように美しく神々しい。
クロディオは恐る恐るセロンの銀髪に触れると、これが現実だと確認するために優しく撫でつけた。
「旦那様……っ。よかったですね……!」
そんな2人の姿を目にした侍女が、涙を浮かべて歓喜する一方――。
「ペガガガ……」
天使と辺境伯が心を通わせるのに、納得のいかない様子を見せるものがいた。
それは先程、彼女が手懐けたばかりのペガサスだ。
不気味な鳴き声を上げた神馬は、セロンとクロディオが触れ合っているだけでも苛立ちが隠せないらしい。
その目は虎視眈々と、彼女を奪い取る機会を窺っていた。
「ペーガァ!」
「お、落ち着いてください! 旦那様は、セロン様の味方ですよ!?」
「ペガッ!」
セロンを抱きしめた彼に突進していこうとするペガサスを、ルセメルはすぐさま止めようとした。
しかし――神馬は侍女に身体を触られるのを嫌がる。
(セロンはよくて、俺達が駄目なら……。人間嫌いと考えるべきだろうな……)
空気を読まないルセメルは、一度拒絶されたくらいではへこたれない。何度か手を伸ばすが、翼で叩かれるのを繰り返す。
「もー! どうして駄目なんですか!? セロン様とは、あんなにも仲良くじゃれ合っていたのに!」
その場で地団駄を踏みながら悔しがった侍女の叫びを耳にした天使が、クロディオの腕の中で身動ぎをしたからだろう。
彼は眉を顰めると、静かにルセメルとペガサスに向けて諭す。
「静かにしろ。セロンが起きる」
「ペーガァン……ッ」
「あっ! 駄目ですってば……!」
それに反発した神馬は、侍女の静止を振り切ってクロディオの元までやってきた。
(セロンの様子が、気になるようだな……)
ペガサスの瞳は、不安そうに揺れている。
先程まで苛立ちを隠せない様子で慌てていたのは、本当に寝ているだけなのか判断がつかなかったからなのだろう。
「心配いらない。眠っているだけだ」
クロディオは愛しき天使を起こさないように気遣いながら、優しく彼女を抱き上げて神馬に無事を確認させる。
「ペガァス……」
セロンの身体に触れたペガサスはようやく彼の言葉に嘘偽りがないと信じたようで、クロディオのそばで大人しくなった。
(これでようやく、腰を据えて話ができそうだな……)
彼は天使を再び膝上に座らせると、
神馬に向けて重い口を開いた。
「俺は君が、何を話しているかまではわからん」
「ペフンスッ」
「だが、セロンを大切に慈しむ気持ちは――俺と同程度だと察せる」
「ペガッ。ペガァ!」
ペガサスはクロディオに向けて、心外だと言わんばかりに鳴き声を響かせる。
『僕のほうが、セロンを好きに決まっている!』
そんな叫びが、どこからともなく聞こえてきそうだ。
辺境伯はどこか呆れたように肩を竦めると、ペガサスをまっすぐ射抜いて告げた。
「ならばこの領城で力を合わせ、彼女を幸せにしてやればいいだけの話だ」
「ペガァン……?」
「なぜ君は、セロンを天界へ連れて行こうとする」
クロディオに問いかけられた神馬は、しばらく不思議そうに思案する様子を見せていた。
だが――その後高らかに、鳴き声を響かせた。
「ペーガァン!」
「旦那様……。今のは、質問が悪いですよ……」
「いや。大体わかった」
「ええっ!? これで、ですか!?」
主と獣の会話を見かねた侍女が、鳴き声だけではペガサスの言いたいことは伝わらないのではと呆れたような視線を向けた。
しかしその直後クロディオは小さく頷くと、驚くルセメルを無視して神馬へ向き直り――懇願した。
「俺がほかの人間とは違うと、君が見極めるためにも――時間をくれ」
「ペガ……ッ」
「それが嫌だと言うのなら、仕方あるまい。その翼を毟り取るしかないな……」
「ペーガァン!?」
辺境伯に脅されたペガサスは、大きな翼を縮めて自らの身体を覆い隠す。そして、全身を震わせて怯えた。
その姿は、セロンとよく似ていて――。
愛する天使の姿を思い浮かべた辺境伯は、口元を綻ばせるのを止められない。
「ペーガァ……」
神馬はクロディオの姿を信じられないものを見るような視線を向けたあと、セロンを取り戻そうとする気も起きなかったようだ。
先程までの勢いは、どこへやら。
呆れたような鳴き声を上げたあと、大人しくなった。
「旦那様……! 凄いです! 神馬を、手懐けるなんて!」
そんなペガサスの様子を窺っていた侍女は、キラキラと瞳を輝かせてクロディオを褒め称えたたえる。
「――忘れるな。俺からセロンを引き離そうとするのなら。たとえ神であろうと、傷つけるのには躊躇しないと」
「ペガァ……」
神馬は納得できない様子を見せていたが、翼をもがれたら自由に羽ばたくことすら困難になると恐れたのだろう。
ペガサスは渋々床に伏せると、目を瞑って大人しくなった。
(これでしばらくは、時間を稼げるか……)
クロディオのやることは、山積みだ。
パロニード辺境伯の治める地に聖女天使が現れ、ペガサスを手懐けたという話はすでに知れ渡っている。
彼はいずれ、自らの口でロセアガンム王国の国王に事情を説明する必要が出てくるだろう。
(ルユメールにまで話が回れば、間違いなく……神殿とあの男が口を出して来るはずだ)
聖女天使を一括管理したい神殿と、いずれ少女達の開放を目論むフラティウス――。
彼らだけを相手にするだけなら造作もないことだった。
クロディオの根ざす地は、四方八方から攻め入られる戦争が盛んな地だ。
辺境伯領に聖女天使の聖なる力を求める人々が押しかけ、これから慌ただしくなるのは間違いなかった。
(あの男は一体、何を考えているんだ……?)
セロンはまだ、気づいていないが――すでにその前触れは、彼の元へと齎されている。
フラティウス・ベグリーは、セロン宛に手紙を送ってきていた。
それも、一通だけではない。
1日24通。彼女に対する愛が一通1行程度ではあるが、びっちりと認められている。
(気味が悪い……)
中身を確認した彼はそれらをすべてグシャリと丸めて握り潰すと、勢いよく暖炉の中へと投げ込んだ。
(君は絶対に、俺が守る……)
轟々と燃え盛る炎によって跡形もなく消失した手紙の行方を観察し終えた彼は、セロンの額にかかった前髪を除ける。
その後、そこを愛おしそうに撫でつけ――優しい口づけを落とすと、つかの間の休息を享受した。




