幼き日の会話(クロディオ)
「僕は聖女天使が、安心して暮らせる国を作りたいんだ!」
ルユメール王国の王太子、フラティウスの宣言を耳にしたパロニード辺境伯の息子、クロディオは――満面の笑みを浮かべる親友を無表情で見つめていた。
(こいつの頭の中には、聖女天使しかいないのか……)
物腰柔らかで心優しい王太子と、無口で無愛想な辺境伯令息。
2人の組み合わせを目にした人々は、誰もが距離を取る。
(四六時中引く手あまたなこいつにも、たまには休息が必要なんだろうが……)
他人に邪魔されない環境で好きなだけ話を聞いてもらえると、学習されては堪らない。
――だからこそ。
彼はいつだって王太子が喜々としてその話題を口にするたび、フラティウスを睨みつけていた。
「今、僕には無理だって思っただろう? 酷いなぁ。大きくなったら、立派な王になってみせるよ。だから、クロディオ。ずっと一番近くで、見守ってほしい」
王太子からそう望まれたクロディオは、否定も肯定もせずに黙り込む。
(この国の暗部を知らない殿下は、毎日楽しそうだ……)
自分はフラティウスが羨ましくて、堪らなかった。
辺境伯は四方八方から隣国が攻め込んでくる、戦場の最前線だ。
領地に戻れば大剣を振るい、敵を屠る。
すべては、領土を守るために。
(口先だけの人間に、一体何ができる……)
フラティウスは王城の外に出たことがないから、クロディオにとっては夢物語としか思えない願望を口にするのだ。
ルユメール王国の悪評や、2人の両親が険悪な仲になりつつあると知れば、こんなふうにお花畑ではいられない。
(こんな話をしている場合ではないと、わかるだろうに……)
戦地に出て実際敵国の兵士達が口々に叫ぶ内容を耳にしたクロディオは、よく理解していた。
『我が国の聖女天使を、返してくれ!』
『祝福を独占するだけでは飽き足らず、彼女達を慰み者にする人間のクズどもが……!』
ルユメール王国は騎士に命じ、戦利品として――他国の聖女天使すらも奪い取り、私腹を肥やしている。
(その事実が、ある限り……)
――フラティウスの願いは、何があっても叶わないのだと。
「聖女天使を神殿から開放したら、彼女達がこの国に居着く……。本当に、思っているのか……」
「違うのかい?」
重たい口を開いたクロディオの言葉を耳にしたフラティウスが不思議そうに首を傾げた時点で、長々と話をする気にもなれない。
(神殿に集められた聖女天使は、誰1人例外なく傷ついている。彼女達の開放は、少女達を愛する人々の悲願ではあるが……)
フラティウスの一言でそれが達成されれば、苦労はしなかった。
「フラティウス」
クロディオは王太子と距離を取り、友人の名を呼ぶ。
フラティウスは不思議そうな顔をしながら、それに応えた。
「なんだい? クロディオ」
「俺はいつか……。君に剣を向けるだろう」
「なんだって!?」
王太子は大袈裟に、驚きの声を上げる。
その様子を観察していた辺境伯令息は、どこか遠くを見つめながら考えを巡らせた。
(天真爛漫な殿下を、心の底から親友だと思えたら……。どれほどよかったことか……)
クロディオは硬い表情で覚悟を決めると、今までずっと隠していた本心を口にする。
「俺は君を、親友だと思ったことなど一度もない」
「え……?」
「お人好しで、純粋。考えたらずの君が、この国を治める良き王となるよう――お祈り申し上げる」
「クロディオ? 一体、何を……!」
戸惑うフラティウスの声を無視した辺境伯令息は、こうして王太子と決別し――そこから、坂を転がり落ちるようにして不幸に見舞われた。
「もう、付き合ってられぬ! 聖女天使を虐げる国など、滅びるべきだ……!」
王のやり方に疑問を感じていたパロニード辺境伯はルユメール王国を裏切り、ロセアガンム王国に寝返った。
当然母国の王は、それを許すはずもなく――長い戦いの末、クロディオの父親は戦死。
「ルユメール王国が聖女天使を、神殿に閉じ込めなければ……」
辺境伯夫人は夫を亡くしたショックで心を壊し、あとを追うように命を絶った。
(俺が殿下と仲がよければ、母国を裏切らなければ、両親は死なずに済んだのだろうか……)
1人残されたクロディオは、清々しいほど晴れ渡る空を忌々しそうに見つめ――背中に背負った大剣を手に取る。
「俺の命は、パロニード辺境伯領に捧げる」
その切っ先を上空に掲げた青年は人知れず静かに宣言すると、父の爵位を継ぐ。
こうして――家族を失ったクロディオ・パロニードは、心を閉ざした。
(俺には、大切なものを作る資格がない)
自らを律して、感情を殺す。
ただひたすらに迫りくる敵を屠り続けたのは、領民達を守るためだった。
(聖女天使は、救えないが――。せめて、彼らだけは……)
まだ若いクロディオがたった1人でできることなど、限られている。
辺境伯は領民達の安全を最優先に考えて戦地で戦い続けた結果――少しだけ、やりすぎてしまったようだ。
「パロニード辺境伯は血も涙もない男だと言う話は、本当だな……」
「騎士を斬り伏せても、顔色一つ変えやしねぇ。心が壊れているんじゃないか?」
「あんなのに任せて、大丈夫なんかね……」
――いつの間にか領民達は、彼を残忍酷薄な辺境伯と呼ぶようになっていた。
(たとえ忌み嫌われようが、俺のやるべきことは変わらん……)
クロディオは誰とも深い仲になることなく、ただひたすらに己の使命をこなす。
(これから一生、なんの楽しみもない人生を歩み続けるのか……)
それがとても悲しい、と。
生きる意味を見失っていた辺境伯を、神が不憫に思ったのか――。
――天から遣わされた天使が戦地に降り立ち、クロディオの手を取った。




