王太子を懐柔して(ルイザ)
『背中に純白の翼を生やした小さな天使は、銀色の長髪を靡かせ――桃色の瞳で残忍酷薄な辺境伯に捕らわれた』
『そのお姿は、あまりにも神々しすぎる……!』
『癒やしの力を使える聖女天使がいれば、俺達は無敵だ!』
それらの噂が巡り巡って、ロセアガンム王国の元までやってきた結果――フラティウスは少女の保護を申し出た。
それはルイザにとって、ありがた迷惑でしかない。
なぜならば――。
(冗談じゃないわ! あの子を匿うなんて……! この噂の聖女天使は、どう考えてもセロンに間違いないもの……!)
パロニード辺境伯で噂になっている少女こそが、本物の聖女天使だと知っていたからだ。
(もしも、殿下が真実に気づいたら……! あたしは、捨てられるの?)
ルイザがこうして王太子の婚約者になれたのは、彼が勘違いをしているおかげだった。
義妹が再びフラティウスの元に姿を表し、距離を縮めれば――間違いなく、嘘は白日の元に晒されてしまうだろう。
(それだけで、済めばいいけど……。聖女天使を騙った罰として、処刑されてしまうかも……!)
ルイザは最悪の場合を想定し、唇を噛み締めて歯ぎしりをした。
(それだけは、絶対に駄目よ……! どうにかして、防がないと……!)
姉は焦燥感に押し潰されそうになり、冷静さを欠く。
そして――。
「あ、あたしは! 聖女天使として、未来を見える力があるの!」
再び嘘を重ね、彼の説得を試みた。
「そう、だったのか……。聖女天使は翼を生やし、個々に異なる聖なる力が宿っているみたいだからね。教えてくれて、嬉しいよ」
「だから……! ロセアガンム王国には、行っちゃ駄目よ! 不幸になるわ……!」
「たとえば?」
「えっ?」
「僕達の命が、危ぶまれてしまうのかい?」
「そ、それは……」
咄嗟についた嘘を破綻なく成立させるのは、難しい。
(このままじゃ、まずいわ……! なんとかして、知恵を絞り出さないと……!)
ルイザはしどろもどろになりながら、どうにか言葉を重ねる。
「そうよ! 聖女天使が集まると、不幸になるの! 殿下も、知っているでしょう? 神殿で暮らす少女達は、酷い目に遭わされているって……!」
「それは……もちろん。だからこそ、僕達が……」
「野良聖女天使は、1人暮らしが一番幸せになれるのよ! そっとしておきましょう? ね?」
ルイザが無理のある言葉を並べ立て、納得のいかない様子を見せる彼を言いくるめる。
するとフラティウスはか細い声で、少女にある疑問を投げかけた。
「君は、かわいそうだと思わないの?」
「えっ?」
「ロセアガンム王国で産まれた聖女天使は、全員同胞と一緒に身を寄せ合って生きている。でも、ほかの国に産まれた少女達は……。いい話を聞かないと言うことは、短命か……。身分を偽って生きているか……。そのどちらかになる」
「ええ。それが一体、どうしたの?」
「我が国の神殿に集められた聖女天使よりも、もっと酷い扱いを受けているかもしれないんだよ?」
王太子は心が傷まないのかとルイザに迫るが、少女は何も感じない。
(こんなどうでもいいことにも、心を砕くなんて……。殿下は優しすぎるわ……)
バズドント伯爵家の娘になってからは、随分と楽に暮らせるようになったものの――。
長い間スラムでの生活を余儀なくされていたルイザは、よく知っていた。
(情けなんてかけたって、なんの意味もないわ。搾取されるだけですもの)
奪われる側から奪い取る側に生まれ変わった自分は、同情などしない。
(百年の恋も、冷めてしまうかしら……)
一抹の不安をいだきながらも、この感情にだけは嘘をつけないと拳を握りしめた。
その後、フラティウスに本心を伝える。
「だから、なんなの? あたしは同情なんて、しないわ」
「君には、仲間意識がないのかい……?」
「ええ。だって、あたしには関係ないもの」
ルイザがあっけらかんと言い放てば、彼は呆然と目を見開いて固まった。
(ほらね。やっぱり。こいつも、どこにでもいる普通の男と一緒ね……)
内心、彼に蔑みの視線を向けている間――王太子は苦しそうに唇を噛み締め、視線を逸らした。
「そう、か……」
その反応は思った通りの答えが得られず、不貞腐れているとしか思えない。
(仕方ないでしょ? あたしはどこまでいっても、聖女天使を語る偽物。逆立ちしたって、本物にはなれないのだから……)
ルイザはここにはいない忌々しき本物の姿を思い浮かべ、悔しそうに唇を噛みしめる。
(あの子だったら、殿下の望む答えを口に出来たのかしら……?)
どれほど痛めつけ、召使いのように扱っても。
義妹は嫌がる素振りすら見せず、淡々と仕事をこなした。
(あの根性だけは、褒めてやってもいいけど……)
ルイザにとってセロンは、初めて顔を合わせた時から邪魔な存在でしかない。
(母さんも、言っていたもの。セロンさえいなければ、あの人の心を手に入れられたのにって……!)
バズドント伯爵が深く愛した妻の、忘れ形見。
義妹が聖女天使として産まれたからこそ、深い悲しみに包まれた彼は娘以外の拠り所を探した。
セロンが普通の人間であれば、ルイザの母親は再婚して爵位を得られなかった。
そういう意味では、彼女は自分に感謝するべきだが――。
(これとそれとは、話が別よ! せっかく、婚約者になれたんだから! このまま王太子妃まで、なんのトラブルまで進んでいけると思ったのに……!)
フラティウスが俯いてこちらの表情を確認できないのをいいことに、ルイザは悔しそうに歯ぎしりをしながら、聖女天使に憎悪を滲ませた。
(このままで、終わるわけにはいかないわ……!)
少女は誰からも羨望の眼差しを向けられるほど美しく可憐な聖女天使の仮面を被り直すと、婚約者の腕に絡みつく。
「野良天使なんか、見ないで! あたしがいるでしょ? ねっ?」
「ああ……」
明らかに自身へ興味を失っているとしか思えないフラティウスの姿など見て見ぬふりをしたルイザは――束の間の幸せを享受した。




