辺境伯の愛
(全部、わたしの……。勘違い……?)
ようやくクロディオの気持ちに気づいてセロンは、信じられない気持ちでいっぱいになりながら――彼に問いかける。
「好きになって、くれるの?」
「ああ」
「みんなと違う、わたしを……?」
「俺は君のように、特別な力を持って産まれた訳ではない。しかし、他人から忌避されているという意味では、似たようなものだ」
「そう……?」
セロンは首を傾げながら、どこか納得できない様子で不思議そうな声を響かせた。
そんな天使の姿すらも愛おしくて堪らないと言わんばかりに口元を綻ばせた彼は、言葉を重ねる。
「周りの雑音に惑わされたところで、損をするだけだ。他人の言いなりになど、なる必要はない」
「でも、そうしなきゃ……。みんな、わたしをいらないって……」
次に続く言葉を耳にしたセロンは、どこか焦ったように声を発した。
クロディオは金色の瞳で少女の目を真っ直ぐと射抜き、はっきりと宣言する。
「俺は、君を愛する。その言葉だけでは、不安か?」
「うんん。すごく、嬉しい……」
セロンは胸元がじんわりと暖かく、ぽかぽかとした喜びでいっぱいになるのを感じた。
そんな天使の姿を目にして機嫌をよくしたクロディオは、優しく口元を綻ばせて少女に諭す。
「とにかく……自分本位に、生きてみろ。世界が変わるぞ」
彼に背中を押された天使は、しばらくぽかんと口を開ける。
(わたし、らしく……。わがままに……)
セロンはクロディオの言葉に込められた意味を悟って、我に返る。
その後ポツリと、彼に向かってある疑問を投げかけた。
「わたし……。もっと、望んでいいの?」
「ああ」
「自分らしく、生きるの……。許される……?」
「俺のそばにいる限りは、誰にも文句は言わせない」
「好きになって、ほしいって……」
「君が望むのなら。いつだって、愛してやる。だから――どこにも行くな。俺には君が、必要だ」
「本当?」
「ここにいろ」
――天使はずっと、愛に飢えていた。
ようやく自身に好意をいだいてくれる存在を見つけて、愛してもらえるかもしれないと期待したのに……。
フラティウスは義姉のものになってしまった。
(クロディオは、あの人とは違う……)
誰からも恐れられている彼には、女性の影がない。
ルセメルとは仲がよさそうではあるものの、あくまでそれは主従関係が築かれているだけだ。
男女の関係には発展しそうにはなかった。
(あんな悲しい結末は、二度と起きない……。そう、信じたいから……)
天使は瞳の奥底に確かな決意を宿らせると、小さく頷く。
「うん。わかった……」
こうしてセロンは、背中から生やしていた純白の翼を消失させると――彼の背中に両腕を回して、抱きついた。
『卑怯だぞ! 人間! さっきまで、気にする素振りすら見せなかったくせに!』
「ペガサス……。落ち着いて……」
『お前なんか、嫌いだ! セロンを離せ!』
「こいつは何を言っている」
そんな2人の成り行きを見守っていたペガサスは、まさか天使と辺境伯が心を通わせるなど思っても見なかったのだろう。
苛立ちを隠せない様子で、彼に突進した。
「天界に、帰ろうって……」
「君は俺と神馬。どちらの言葉を信じるんだ」
「クロディオは、わたしの手。取ってくれた。衣食住も、提供してくれる。だから……」
「それでいい」
よく鍛え抜かれた体躯を持つクロディオは、どれほど神馬の攻撃を受けたところでびくともしない。
涼しい顔をして獣を手で制した彼は、愛しい天使の解答を満足そうに受け入れた。
「俺は君を、離さない。何があっても、絶対に」
クロディオの決意を耳にしたセロンは、嬉しそうに彼の胸元へ顔を埋める。
「不満がないなら。神馬に唆され、逃げようとするな」
「うん……。クロディオと、一緒にいる……」
「ああ」
幸せそうに微笑み合う2人を引き裂くのは難しいと、神馬もすぐに悟ったのだろう。
ペガサスはショックを隠せない様子でうろたえると、情けない悲鳴を上げた。
『そ、そんな……! こんな奴の、どこがいいんだ!?』
「……クロディオは、優しい」
『どこがだい!? 口を開けば辛辣なことばかり言うし、態度だって最悪じゃないか……っ!』
「うん。わたし、最初は怖かった。あなたのこと……」
神馬の話は一理あると頷いた天使は、目元を潤ませて語る。
クロディオはそれに反論したい気持ちをぐっと堪えると、セロンの主張に耳を傾けた。
「でも……。酷い人は、きっと怒鳴りつけてくる。叩いたり、引っ叩いたり。クロディオは、それをしなかった」
「暴力で他人を屈服させたところで、なんの意味がある」
「うん。わたしも、そう思う。暴力は、悲しみしか生まない……」
セロンは辺境伯の姿をじっと見つめたあと、淡々と言葉を紡ぐ。
「そういうことをしそうな、外見ではあるけど……。クロディオは、まとも。ルセメルに話を聞いて、よくわかった」
「あの女の話は、真に受けるな」
「駄目だった……?」
「どんな法螺を吹いているか、わかったものではない」
「わたしに、気を許している。それも、嘘?」
首を傾げた愛しき天使の頬にそっと触れたクロディオは、セロンの耳元で甘い言葉を囁いた。
「そうであれば、こうして君と触れ合ってなどいない」
「ほんとだって。信じても、よかったんだ……」
「意外そうだな」
「うん。ずっと、疑っていた。不安で、苦しくて、つらかったのは……。クロディオに、嫌われているかも知れないって思ったから……」
セロンは胸の奥底に感じていたもやもやが晴れていくのを感じ、嬉しそうに口元を綻ばせる。
そんな少女の姿を見守っていた彼は、硬い表情で嫌そうに告げた。
「俺は嫌悪している人間には、手を差し伸べない」
「残忍酷薄な辺境伯、だから……?」
「まぁな」
「そうやって呼ばれるの。嫌だった……?」
「誰にどう思われようが、気にするだけ無駄でしかない。どんな呼び方をされていたとしても、俺の本質は変わらん」
クロディオは自分を持っているからこそ、時折傲慢にも見える言動をする。
だからこそ、セロンにとってはとても頼りになる男性として映るのだろう。
(そう思えば、よかったんだ……)
彼から、聖女天使と呼ばれることに、必要以上に拒否感を抱く必要はないと遠回しに言われた。
少女は目元を緩めて穏やかな表情で自分を見つめるクロディオへ問いかけた。
「嬉しそうだな」
「うん。心の中。ぽかぽかして、あったかい……。どうして……?」
「俺に、聞くな……」
「駄目だった……?」
「――それはセロン様が旦那様と心を通わせて、幸福感でいっぱいに満たされている証拠ですよ!」
彼は照れているのだろうか? どこか嫌そうに眉を顰めると、視線を逸す。
そんな2人の姿を見かね――勢いよく扉を開けて入室してきた侍女が、元気よく天使の疑問に応える。
「旦那様ったら、やっと素直になったんですね~。ここにセロン様を連れ込んで、仮眠室のベッドで寝かせるくらいですもん! 誰がどう見ても、好意をいだいているのは明らかでした!」
『神の愛し子が人間の男に穢されるなんて……! 僕の目が黒いうちは、絶対に許さないからな!』
セロンの意思が固く、納得できないながらも天使の主張を受け入れるしかなかったペガサスは、ここぞとばかりに2人の仲を反対する。
それを見かねたルセメルは、慌てて神馬を押さえつけようとした。
「きゃあっ。お、落ち着いてください! 駄目ですってば!」
『こんな男に、心を許すなんて……。いつか絶対に、後悔するよ』
「そうならないように、願ってる」
もぞもぞと彼の腕の中から飛び出したセロンは、背中に翼を生やしてペガサスの元へと飛んでいく。
その姿を見守っていたクロディオとルセメルは、不思議そうに言葉を交わし合う。
「旦那様。セロン様は、神馬と意思疎通ができているみたいです」
「ああ……」
「聖女天使が、神の愛し子だからでしょうか?」
「だろうな」
「なんのお話をしているのか、気になって仕方がありません……!」
侍女はウズウズと神々の使い達の会話へ割って入りたそうにしていたが、クロディオはそれを手で制しながら愛する天使の名を呼んだ。
「セロン。こいつの言葉は、信用するな。何かを提案されたら、必ず俺に相談しろ。いいな」
彼に凄まれたセロンはコクリと頷いたあと、目元を小さな手でゴシゴシと擦りつける。
(一段落ついたし……。お話、もう終わり……)
――いろんなことがあったため、疲れてしまったようだ。
「ゆっくり、身体を休めろ」
「ん……。おやすみなさい……」
クロディオの許可を得た天使は背中の翼を消失させてから彼のもとへと舞い戻り、逞しい胸元に身体を委ねると、幸せそうに口元を綻ばせ――ゆっくりと目を閉じた。




