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第八話 雨宮雛子【四】



 檻から脱出した雛子は、豪邸の中をしゃにむに駆けていた──。

 最初は人に見つからないよう物陰に隠れながら走っていた雛子であったが、どこかに出払っているのか、どこにも見受けられなかった。これ幸いと人目を気にせず全裸で通路を走り、途中忍び込んだ部屋からシーツを拝借して体に巻き付けたりしつつ、雛子はだれもいない通路を走り抜けていた。

 一時は全裸姿を大勢に晒すことになるのかもしれないのかと羞恥心が働いてなかなか全力で走れなかったが、人がいないおかげもあって、今は気兼ねなく走れている。命がかかっているとは言え、第二次性徴が始まる年頃の女の子としては、やはり裸なんてだれかに(特に異性には)見られたくなどない。さすがに、本当に命が危なくなった時は、シーツも恥も捨てて逃げる心構えはできているけども。

 一応周りの気配に注意を払いつつ、雛子は走りながら、檻から脱出した時のことを振り返っていた。

 どうしてあの人、わたしを助けてくれたんだろう……。

 こうして無事脱出することができた雛子ではあるが、決して自力で出られたわけではない。青年が執事服の男に連れて行かれ、絶望感に打ちひしがれていたその時に、ある人物によって助けられたのだ。



 雛子を檻から出してくれた人物。それは雛子を誘拐した実行犯その人だった。



 最初、誘拐犯が監禁部屋に現れた時、雛子は恐怖で震え上がった。どうして執事服の男ではなく誘拐犯が現れたのかという疑心と、これから自分はどうなってしまうのかという不安とで頭がいっぱいだった。

 そんな雛子に対し、誘拐犯はにこりと人当たりの良い笑みを浮かべた。なまじ美形なのでとても様になっているのだが、雛子の目には天使の面を被った悪魔の笑顔にしか思えなかった。背後から受ける光源のせいもあって、前身が影に隠れて余計不気味さが目立つ。

 そうこうしている内に、誘拐犯が悠然と雛子に歩み寄ってきた。その姿を見て、雛子は「ひっ!」と悲鳴を漏らしかける。

「しーっ」と、誘拐犯が口許に人差し指を立てて、ウインクするように片目を瞑った。

「まだ近くに坂木さんがいるから静かにしててね。今騒がれると、色々面倒なことになるから」

 その言葉に、雛子はわけがわからず眉をひそめた。

一体どういう意味なのだろうか。坂木(脈絡から察するに執事服の男のことだろう)とは共犯だったはず。なのになぜ、坂木の目を盗むような真似をするのだろう。ひょっとしてこれは、誘拐犯の独断専行ということになるのだろうか。

 疑問が脳内を渦巻く中、誘拐犯が檻の扉付近で屈み込み、懐から工具のような物を取り出した。そして鍵穴にそれを突っ込み、ガチャガチャと音を立てていじくり始める。

 してみると、どうやらそれはピッキングで使う道具のようだった。テレビの特集などで目にしたことはあるが、生で見るのはこれが初めてだ。

 やがて、カチャという鍵が開くような音が聞こえた。そして扉の縁に手をかけ、ゆっくりと開け放つ。

 一連の動作を見て、雛子はびくっと肩を震わせた。そして胸と恥部を隠しつつ、座ったままの状態で後退する。だが背後には、当然のように鉄格子で囲まれて退路などどこにもない。悪あがきもいいところだった。



 ──わたし、ここで殺されちゃうのかな……。



 もっと後だとばかり思っていたのに、こんなにも早く死んでしまうとは。遅いか早いかの違いでしかないのだろうが、しかしながら、せめて心中だけでも両親や友達に別れを告げるだけの時間はほしかった……。

 いずれ襲ってくるであろう激痛に、瞼をぎゅっと閉じてその時を待つ。

 が。



 いつまで待っても、なにも起こらなかった。



「………………?」

「なにしてるの? 早く出てきなよ」

 内心戸惑う雛子に、誘拐犯が何気ない調子でそう声をかける。

 そう言って油断させておきながら、残忍に殺すつもりなんじゃなかろうかと恐々としつつ、薄目を開く。

 そこには檻に手も入れず、雛子の正面に屈んだままの誘拐犯がいた。変わらず嘘くさい笑みを浮かべているが、少なくとも危害を加える気はなさそうだった。

 一体どういうつもりなのだろうか。独断でこんな場所まで来たかと思えば、雛子を殺すわけでもなく、あまつさえ檻から出ろとまで言う。一体誘拐犯がなにを考えているのか、皆目見当もつかなかった。

「ほら、早く」

 微動だにできずにいる雛子に対し、誘拐犯が手招きして急かす。

「…………………」

 どうしたものかと逡巡しつつ、どのみちここにいたところで助かるわけでもなしと考え、猜疑の目を向けつつも誘拐犯に言われた通りに檻から出る。

「うん。お利巧だ」

 素直に出てきた雛子を見て、誘拐犯が満足そうに頷く。今さらではあるが、あまりこちらを見ないでほしい。ただでさえ生まれたままの姿を隠す物もなく晒しているのだから。

 だが、そんな雛子の感情を知ってか知らずか──いや、当初から雛子の裸になんて眼中になさそうな感じだったし、十中八九興味がないだけなんだろうけれど──誘拐犯は不意に立ち上がって、



「それじゃあ、僕はもう戻るから。頑張って逃げてね」



 と、いけしゃあしゃあと宣った。

「え……? どうして……?」

 思わず、そんな疑問が声となって漏れる。考えてもみればそれが誘拐犯にかけた初めての言葉だったのだが、誘拐犯は特に気にした様子もなく、「ちょっと事情が変わってね」と少し困った風に苦笑を零した。

「ああ。心配しなくても、しばらくの間は見つかる心配はないよ。みんな、今は下の階のパーティー会場に集まってて、上の階は手薄だから」

 どうやら雛子たちは、現在上階にいるらしい。そういえばここに運ばれる途中、エレベーターみたいなものに乗ったなと記憶を掘り返しつつ、誘拐犯の言葉を聞いてますます眉をしかめた。

 本当に、この男はなにを考えているのだろう。雛子を誘拐して、こんな異常者が集まるところに連れて来ておきながら、一転して逃げろと言ってきたり。誘拐犯の意図するものがまるで見えてこない。

 果たして、このまま言われた通りに逃げていいものなのだろうか。なにかしらの罠ではないのか。罠だとして、一体それはなんなのか──

 様々な疑念が脳内を駆け巡る中、誘拐犯は目的は済ましたと言わんばかりに踵を返して、「頑張れ~」と能天気な顔で手を振った。

 結局、その後ろ姿を呼び止めるでもなく静かに見送り、一人ぽつんと残されて色々と熟慮した結果、こうして逃げることを選択した雛子ではあるが、やはり誘拐犯に対する不信感は未だ胸中で疼いていた。

 結果的には……本当に過程を除いて結果だけみれば、こうして檻の外に出してもらえただけでも幸いだったと言えなくもないのだが、命の保証をされたわけでもなし、誘拐犯がこれまでしてきたことを考えれば、とてもじゃないけれど許すつもりにはなれなかった。

 が、こうして助けてもらえたのもまた事実だ。ちょっとくらいは下方修正してもいいかも思う雛子なのだった。誘拐犯の言葉を少しだけなら信用してもいいかな、と考えるくらいには。

 そう思えるだけの証拠として、誘拐犯の言っていた通り、周りに人影らしきものは、今のところ一人として見当たらなかった。誘拐犯の証言を信用するならば、階下で行われているというパーティーとやらにほとんどの人が出払っているせいなのだろうが、それも雛子が脱走したと気付かれるまでの話だ。いずれは必ず発覚するだろうし、あまり猶予はない。早くこの危険な場所から逃げ出さねば。

 とは言え、具体的にどうすればいいのか。玄関を目指そうにも、まず間違いなく一階部分にあるだろうし、誘拐犯たちが集中している以上、迂闊には近寄れない。

 じゃあいっそ窓から逃げたらどうかとも考えたが、今いるところは三階のようで、とてもそんな高さから飛べないし、それに裏庭が真っ暗で下になにがあるのかわからず、行く先に有刺鉄線の壁や警報装置があったらと思うと、怖くて窓から出る気にはなれなかった(ちなみに、正面の窓からなんて鼻から論外だ。あんなライトアップされているところを出歩くなんて、見つけて下さいと言っているようなものだ)。

 一体ここからどう脱出したものかと、一旦物陰に隠れつつ、必死に思案を巡らせていると──

「あ。そうだ、電話……」

 ふと過った考えに、雛子は無意識の内に呟いた。

 今や携帯電話が主流となって当たり前の時代ではあるが、これだけの豪邸ならば固定電話の一つや二つ──むしろそれ以上の数が備わっているはずだ。さすがに、ここのどこにあるかまではわからないが、そこから警察に通報さえすれば、位置情報からここまで助けに来てくれるはずである。昔、父親と一緒に観た刑事ドラマで、確かそんなことを言っていたような気がする。

「でも警察の人が来るまで、逃げきれるからな……」

 いや、どのみちこの豪邸から出られたところで、ここがどこかもわからない状態だ。なんだか森の中にあるみたいだし、最悪、二度と出られない可能性だってある。考えうるかぎり、これが一番の方法のはずだ。

 大丈夫だ。絶対助かる!

 そう己を鼓舞して、雛子は固定電話を探すべく、再び通路を駆け始めた。



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