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第五話 雨宮雛子【二】



 雛子が連れて込まれたのは、幽かに照明が点いた薄暗い一室の中だった。

 どうやらそこは空き部屋らしく、だだっ広い空間だけが広がっていた。ともすれば、倉庫として使うつもりが、そのまま持て余していると言った風でもある。調度品もなにも置いていないせいか、不気味さがより際立っていた。

 しかし決して使われていないわけでもないようで、埃一つ見当たらないほど掃除が隅々まで行き届いていた。かなりの豪邸なので、おそらくこの家の使用人たちの手によるものなのだろう。豪邸もそうだが、使用人たちも何十人と雇えるだなんて、どれだけお金持ちだというのか。中流階級の雛子にしてみれば、夢のような世界だ。

 などと、普段の雛子ではあれば、そんな風に羨ましがっていたことだろう。まるで少女マンガの登場人物にでもなった、甘い気分に浸れていたのかもしれない。

 だが現状はそんな生易しいものでは決してなく、むしろ状況としては考えうる限り最悪な方向に進んでいた。

 雛子は今、使用人たち(内一人は拳銃を所持していて、抵抗仕様もなかった)に無理やり裸に剝かれて、尚かつ狭い檻の中に入れられて監禁されていた。拘束自体は解かれているので、それに比べれば幾分体の負担は減ったが、どのみち自由がないのに変わりはない。こんな危機的状況にも関わらず、精神的な疲労も相俟って怒鳴り声一つ上げる気にもなれなかった。

 いや正確には、ここに連れて込まれた時点で、それなりに心構えができていたせいもあるかもしれない。

 なんせ雛子が来る前からすでに、三人ほどの男女が裸にされて、それぞれ別々に檻の中に入れられていたのだから。

 それを目の当たりにして、雛子はすぐに自分と同じように誘拐されたのだと察した。終始怯えたように体を震わせている若い女性。雛子たちが現れた途端、しきりに喚き出したふくよかな女性。不気味なほど落ち着いた様子で正座している青年。皆、性別も体格も違っているが、自ら望んでこんな仕打ちを受けているわけではなかろう。でなければ、好き好んで檻の中などにいるはずもない。

 そうした経緯もあって、檻の中へと抑留されてしまった雛子ではあったが、他の被害者たちと会話するようなことは特になかった。まあそれは、ここまで来る道中につい取り乱して、喉を潰してしまったというせいもあるが──今思い出してもまったく無意味な行為だった──これから行われるかもしれない残虐極まりないシーンを想像してしまい、だれかと話す気分にもなれなかったのだ。

 というより元来、雛子はそれほど社交的な人間ではない。むしろ内気な方であると自分でも理解しているし、いくら同じ状況に置かれている被害者同士とはいえ、協調意識めいたものはまるで芽生えなかった。しかも相手は大人だ。子供の自分がどうやって会話を試みろというのだろう。ただでさえこんな人間としての尊厳もなにもない、屈辱的環境に置かれている身でだ。

 どうやらそれは他の者も似た考えのようで、新参者である雛子に対し、だれもなにも話しかけてくることはなかった。これまで励ましの言葉すらない。子供である自分に意識も向かないほど余裕がないのだろう。無理はない。

 あるいは、ここで子供らしく鳴き喚けば、だれか一人くらいは声をかけてくれるのかもしれないが、そんなことをしたところで状況が好転するとも思えないし、そもそも恐怖の割合が占め過ぎて泣く気分にもなれなかった(若干涙は滲んでしまっているが)。

 どうにか恐怖を少しでも和らげようとしても、あの時誘拐犯たちが話していた内容が頭にこびり付いて、

どうしても悲観的な妄想ばかりに捉われてしまう。

 誘拐犯たちが言っていた、「食材」というキーワード。

 そして、あの肉食獣じみた獰猛な瞳。

 あれは完全に、雛子を食材として見ている目だった。人を食材として見ているだなんて、どう考えても狂っている。



 あれは人間なんかじゃない。化け物だ。

 人の皮を被っているだけの化け物だ。



 まさか自分がそんな恐ろしい化け物に連れ去られてしまうだなんて。今日の朝になっても一切危害を加えてこなかったものだから、誘拐犯が身代金かなにかを受け取れさえすれば、すぐに解放してくれると思っていたのに。悪夢ならすぐに覚めてほしい。代わり映えしない日常ではあったけれど、平穏だったあの毎日に帰りたい。

 だがそんな願いも虚しく、時は刻一刻と過ぎていく。

 そして、しばらく時間が経った後、あの執事服の──雛子を台車でここまで運んできた男が、扉を開け放って姿を現した。

 そして執事服の男は、とある一点だけを見つめ、雛子には目もくれずスタスタと歩き出した。

「ひっ!」

 執事風の男が近づいて来たのを見て、細身だがグラマラスな女性が小さく悲鳴を上げた。

 そんな女性の反応に構うことなく、執事服の男は檻に付随している車輪のストッパーを手で外して、無言で彼女を運んでいく。

「な、なに? どこに行くつもりなの?」

 胸や恥部を隠しながら若い女性が問いかけるも、執事服の男はなにも答えず、扉へと近づいて行く。途中ふくやかな女性が「ちょっと待ちなさいよ! いつまであたしをここに閉じ込めるつもりなのよ!」と怒鳴るも、執事風の男は振り向きもしなかった。

「もうやだあ。どうして私がこんな目に。お母さんが私を売らなかったら、こんなことにはならなかったのに……」

 最後、女性の涙ぐんだ悲壮な声が、雛子の耳元にいつまでも残った。




 四人から三人だけとなって、再び重苦しい沈黙が下りた。

 いや、あのふくよかな女性だけは、執事風の男が出ていった後もグチグチと恨み節を呟いていたが、やはり他の者と話すつもりはないようだった。というかなんだか怖いので、雛子としてもあまり話したいとも思わなかったが。

 なぜ犯罪者にあれだけ強気でいられるのだろう。勇気があると言えば聞こえはいいが、はっきり言って命知らずにしか見えない。究極的な意味で自分だけしか見えていないというか、危機管理能力が薄いようにも思えた。ひょっとすると、怒りで恐怖を誤魔化しているだけなのかもしれないが。

 一方、この中で唯一の男性被害者はと言うと、終始一貫として瞑想するように瞼を閉じて正座していた。女性ならまだしも、男性に裸なんて見られたくなかったので、そういった意味ではありがたい限りだが、しかしこんな状況に置かれてあれほど落ち着いていられるなんて、どれだけ神経が図太いなのだろう。恐怖が麻痺しているのか、はたまたすでに諦めがついてしまっているのか。彼も口を開く気配がないので窺い知れないが、なんにせよ異様な光景ではあった。

 連れて行かれた女性はというと、あれ以降、帰ってくることはなかった。

 悲鳴みたいなものは聞こえてこなかった。かなり離れた場所にいるのか、はたまた連れて行かれた先が防音室かなにかなのか。最終的にどうなったかは定かではないが、雛子の想像通りならば、誘拐犯たちに喰われてしまったのだろう。

 ともすると、こうして裸にされたのも、手間暇をかけないで雛子たちを食すための工程だったに違いない。一体なんのために裸にしたのかと怪訝に思っていたが、そう考えると余計真実味が増して全身に怖気が走った。まさかこんなにも早く殺されてしまう日が来てしまうなんて……。



 果たして、次はだれが選ばれるのか。

 端にいるあの気の強い女性の方か。それとも隣りにいる青年の方か。はたまた雛子の番か。



 怖い。怖くて仕方がない。ここから逃げたい。死にたくない。

 だが、どれだけ檻のドアを掴んで揺すっても、まるでビクリともしなかった。鍵は外側から南京錠で施錠されているのだが、道具も無しに素手でどうにかできるような代物でもない。文字通りの八方塞がりだ。

 それでもどうにかして抜け出そうと必死に檻を掴んでいると、またしても扉が開かれて、執事服の男が再び姿を見せた。それを見て、雛子はぶるっと体を震わせた。きっと次の獲物を連れに来たのだ。

 思わず自分の肩を抱いて、狭い檻の中を座ったままの状態で後ずさる。

 がたがたと怯えながら、執事服の男の動向に注視していると、今度はまっすぐふくよかな女性の元へ向かい始めた。

「なによあんた! さっきの子みたいにあたしもどこかに連れて行くつもり?」

 その問いに、相変わらず執事服の男はなにも答えず、淡々と腰を屈めてストッパーを外し始めた。

 が、執事服の男が近寄ってきたのを見計らったように、女性がいきなり鉄格子の隙間から手を出して、ガシャンガシャンと檻を鳴らしながら怒気を放った。

「無視してんじゃないわよ! 早くここから出しなさいよ! 聞いてんのあんたっ!」

 そんな女性の凄まじい剣幕に、執事服の男はとっさに立ち上がって距離を取り、そのまま冷静沈着に足を使ってストッパーを外していく。元々鉄格子の隙間が狭くて、子供の手でも手首すら入らないことを熟知しているのだろう、なんら動揺を見せなかった。

 しかしながら、このままだと素手で運べないと判断したのか、執事服の男は懐から小型のリモコンのような物を取り出した。そして訝しむ女性に対して、執事服の男はリモコンを向けてボタンを押した。

 その瞬間、女性の檻から稲妻が走った。たまらず、女性は「ぎゃっ!」と悲鳴を上げて檻から手を離した。電圧自体は大したものでないようで、目立った外傷はなさそうだが、どうやらこの檻、電流が流れる仕組みになっていたらしい。つまりあのリモコンは、電流を発生させる装置だったというわけだ。

 それを理解してか、女性は忌々しそうに形相を歪めながらも、檻に手を触れるようなことはしなくなった。まだ痛みが残っているのか、先ほどから仕切りに両手を擦り合わせている。死ぬほどの電流ではなかったが、あの分だともう一度挑む気にはなれないだろう。少し前まで必死に檻から出ようとしていた雛子も、今しがたの光景が頭に過って、ほぼ無意識に中心部の方へと避難していた。こちらにリモコンを向けられているわけでもないが、たとえ執事服の男がいなくなったとしても、下手に触って電流が走ったらと思うと、近寄る気にもなれない。

 女性がおとなしくなったのを見て、執事服の男は片手にリモコンを持ちながら、平然とした顔で檻を運び始めた。妙な真似をしたら、またボタンを押すぞという脅しに違いない。

「あんた、今に覚えておきなさいよね。あんたもあたしを誘拐した奴も、絶対地獄に落としてやるんだから……!」

 そう最後まで呪詛じみた言葉を吐き捨てつつも、結局なにも抗えることはできず、女性は執事服の男に運ばれて行ってしまった。



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