第四話 裂島
首尾よく網台車の中へと安置されていく肉の残骸を見届けながら──捨てるにはもったいないので、後で冷凍保存でもするのだろう──ワインで口の渇きを誤魔化していると、
「ちょっと! なんなのよここは! 早くここから出しなさいよ!」
という金切り声が、どこからともなく聞こえてきた。
ややあって、先ほどの若い女同様、坂木が鉄格子の檻を押しながら姿を現した。
檻の中には、性別こそ同じものの、最初の食材に比べてだいぶふくよかな女が顔相を険しくして坂木に犬歯を剝いていた。頭に血が上っていて全裸であることを失念しているのか、胸や他の大事な部分を隠そうともせず、坂木に対して口汚い罵声を浴びせている。強引に誘拐された身の上を思えば無理もないが、かなり激昂しているようだった。
だが、宗睦たちや使用人たちの好奇の視線に晒され、女は「えっ?」と目を白黒させた後、「きゃあああああっ!」と今さらのように悲鳴を上げた。大勢の目に触れ、羞恥心が蘇ってきたのだろう。
「あら、随分と丸々とした方なんですのね。歳は若そうではありますけど。あれは日本でさらってきた方なんですの?」
「おう。街中で一人歩いているのを偶然見かけてな。ナンパして自宅まで連れ込んで、この日が来るまでずっと監禁してたんだよ。どうだ? 脂の乗った良いブタ女だろう?」
来見の問いかけに、裂島は朗々と答えて邪悪に口端を歪めた。
「裂島さん、いつもはああいった肉を食べているんですか?」
「いんや? ああいうのはたまにしか食わねぇよ。本当はあのデブみたいな食べごたえのあるのがいいんだが、連れ去るのも移動するのも手間がかかるしな。海外に行ってた時も、なるべく貧弱そうなのとか単純に子供とか、さらいやすい奴ばかり狙ってたよ」
そういった意味では、お前が普段食べているのと変わらねえかもしれんな。
言って、裂島はフォークの先を宗睦に向けた。世界中を回るとなると宗睦みたいに拠点も持てないし、誘拐して人食するのも一苦労だろう。その代わり様々な種類の肉を味わうことができるので、そう考えるとなかなか楽しそうではあった。もっとも、人肉にありつける機会が減りそうだし、事前に入念な順番をしておくタイプの宗睦にとっては、裂島のような生き方は性に合いそうにないが。
「あっ。あんた、あたしを誘拐した奴! ちょっと! 早くここから出しなさいよっ!」
裂島の姿をみつけたブタ女(裂島に便乗してみた)が、先ほどの勢いを取り戻すように怒号を飛ばした。第一声からなんとなく把握はしていたが、かなり気性が激しいらしい。この状況であんな強気に出られるなんて、どうやら危機管理能力がだいぶ薄いようだ。
「騒がしい食材ね~。ここに連れて込まれた時は気絶していてから気にならなかったけれど、こんなにうるさいとは思わなかったわ」
「まあまあ。活きがいいと思えば食欲も沸いてこようというものじゃないか」
顔をしかめる美奈に、津山が苦笑しつつ宥める。その間にもブタ女はぎゃあぎゃあと獣のように吠えていた。確かに活きはいいと思うが、これでは騒音そのものだ。それを証左するように、坂木を除いただれもが疎ましげに眉間を寄せて深いシワを刻んでいた。
「……すまねえ、みんな。こんなことなら喉の一つでも潰しておけばよかったな」
「まあ、気にすることはないよ裂島くん。断末魔の絶叫が聞けないというのも、それはそれで興が削がれるからね。だがしかし、ずっとこのままというのも苦痛ではあるな。坂木、準備はまだか?」
「お待たせしました。たった今終わりました」
ブタ女を運び終えた後、何やら忙しなく使用人たちに指示を出していた坂木が、宗睦たちの正面に向き直って恭しく腰を曲げた。
「え? なによ? なんなのよこいつら?」
それまで罵詈雑言をまき散らしていたブタ女が、困惑を露わに周囲を見回した。
そこには、檻にいるブタ女を囲むように、数人の男女入り交じった使用人たちが規律正しく直立していた。
俗にレイピアと呼ばれる、刺突用の片手剣を携えて。
「……? なんですあれは?」
「なに、また坂木に解体させるのも芸がないと思ってね。少し趣向を変えようと一計を案じてみたんだよ」
まあ、後は見てからのお楽しみということで。
宗睦の疑問に、津山はそう詳細を敢えてぼかして、使用人たちに向けて顎をしゃくった。
すると使用人たちは、それを合図に次々と流れるような動作でレイピアを抜刀した。
一方の坂木はというと、彼ら彼女らに混ざる気はないらしく、数歩離れた位置で憮然とその様子を眺めていた。憮然というか、彼にとってはそれが平素なのだが。
「あ、あんたたち、まさかあたしを殺そうとしてんじゃないでしょうね? 冗談じゃないわよ! あたしがなにしたって言うのよ! いきなり誘拐されて殺される理由なんて全然ないんだから! 出しなさい! ここから出しなさい! 警察だって黙ってないわよ!」
物々しい雰囲気に、ブタ女はより苛烈に怒声を飛ばした。だがその顔は滑稽なほど青ざめており、傍から見ると家畜が命の危険を感じて鳴き喚いているようにしか見えない。
そんなブタ女に、使用人たちはレイピアを構えて標的を見据えた。だれもがブタ女を冷酷に見下ろし、戸惑いの表情すら浮かべていない。さながら機械のごとく、坂木の命令を待つようにその場でじっと静止していた。
「あんたたち、頭がおかしいんじゃないの! これは重罪よ重罪! 誘拐だけでも罪が重いのに、人殺しだなんて死刑になっても仕方がない──」
「やれ」
ブタ女の言葉を遮って、坂木は無慈悲に命令を下した。
直後、使用人たちはレイピアの切っ先を向け、数秒のズレもなく一斉にブタ女の体を貫いた。
──ぎぃいやあああああああああああああああああああああああああっ!
まるで獣の咆哮のようだった。耳をつんざくような絶叫が周囲に轟く。まるで会場全体を暴れ狂うように叫び声が反響し、キーンと耳鳴りが鼓膜の中で残響する。
だがブタ女が現れた時と打って変わって、絶叫に眉をしかめることもなく、皆一様にして眼前の串刺しショーに酔いしれていた。正直、前の解体ショーよりも釘付けになっている。それだけ、感動を覚える光景だった。
なんと言っても、あの血の量だ。ブタ女の体には何本ものレイピアが刺さり、そこから血潮が止まることを知らずに噴出し続けている。赤いワインの入った樽に剣が刺さるシーンを映画かなにかで見たことがあったが、それとはまるで比にもならない勢いだ。
血は檻の内部を汚し、外にいる使用人たちの服まで飛び散っていたが、だれも気に留めていないようだった。津山家の使用人なだけあって、血など見慣れているのだろう。むしろ血が苦手な者が、人食鬼に仕えるはずもない。
しばらく目の前の美しい光景に見とれていると、血もだいぶ少なくなってきたせいか、だんだんと勢いを失いつつあった。使用人たちもこれ以上の血は望めないと考えたのか、順にレイピアを抜き取っていく。
ずぶり、どばばっ、ずぶずぶずぶ──
レイピアを抜くごとに、再び鮮血が飛び出して檻を血で満たしていく。ブルーシートの上は、前回の血の分も相俟って、辺り一面に色濃い赤が侵食している。あたかも水面に大量の血液が広がっているようだった。
「はー、思わず言葉も忘れて見入っちまったわー」
串刺しショーを見終えた裂島が、感嘆の吐息を零してそう評した。
「あんな派手な真似、自分だけじゃできないからなー。一生もんの記念になったわ」
「そうですわね。とても芸術的でしたわ。画家に先ほどのシーンを描かせていつでも悦に浸りたいくらいに」
「肥満体型だったおかげもあって、見栄えも最高でしたね。どうせなら携帯で撮影して記念に残しておくべきでしたよ。うっかりしてたな~」
「どうだい。なかなかのものだったろう」
陶然とする三人を見て、津山は満足そうに目笑して言の葉を紡ぐ。
「私も最近とある拷問好きの友人に見せてもらったことがあるのだがね、あまりの素晴らしさに惚れ惚れとしたものだよ。いつか私も真似してみたいと考えるまでにね」
「あの時は本当に良かったわよね~」
津山の言葉に、美奈も過去の情景を思い返すように瞑目して言う。人を食べることしか興味がないと思われがちな食人鬼ではあるが、自分たちにだって芸術を愛でるだけの精神はあるのだ。
などと会話に華を咲かせている内、坂木がブタ女を檻から引きずりだそうとしていた。
ビチャっという水っぽい音と共に、ブタ女の体が血の池に沈む。遠目から見ても、すでに事切れているのが容易に把握できた。
続いて坂木は、前回のように刀で解体することもなく、包丁を手にしてそのまま腹に刃を突き立てた。
串刺しされた後だからか、血は大して出なかった。しかしながら、その刃にはねっとりと血が付着し、柄にまで届きそうだった。
そうして、上下に刃を滑らせながら、腹を縦一文字に切り開いていく。てっきりすぐ腸などが出てくるものかと思っていたが、脂身が多いせいか、まだ肉の部分しか見えない。牛でたとえるならば、まだバラ肉の部分と言ったところか。
が、どうやら切り込みを入れただけのようで、指で両の肉壁を開いた後、再度刃を突いて深く刺し込んだ。
刃を根元まで沈ませ、のこぎりの要領で引いてはまた刺し込む動作を繰り返す。するとグチュグチュという音が耳朶を打った。刃が肉に挟まれてこすれている音だというのが、経験者である宗睦にはわかる。あの音を聞くのが、また格別なのだ。
やがて、腹は完全に開かれ、でろでろと内蔵の各器官が露わになっていた。成人女性なだけあって、子供より膵臓も肝臓も大きい。実に食べごたえがありそうだ。
坂木はそれらを慎重に切除して、使用人が持つ銀色のトレーに乗せた。そして最深部にあった、一番脂の乗った肉を手のひら大に切り取って、それを調理台まで運んだ。どうやら、お目当てはあの部分だったらしい。
調理台に立った坂木は、ひとまず包丁を新しいのに代えて、まな板の上に乗せた肉の塊を一口大に切り始めた。
最後まで肉を細かく切り終えた坂木は、その上に塩胡椒を振り、それからコンロを点火させてフライパンを熱し始めた。前の痩せぎすな女は生肉で食したが、次は火を通して調理してくれるらしい。新鮮な生肉もいいが、個人的には加熱調理した方が好きなので、宗睦としては大いに歓迎だ。
胸を躍らせながら一挙一動に注目していると、今度は細かく切った肉を掴み、熱したフライパンの上に投下していった。
ジュワ~という肉が焼ける音と共に、芳醇な香りが辺りに漂った。思わずその香りに意識が奪われる。頭の中ではもう、肉を食べる想像でいっぱいだ。
どうやら他の皆も同じだったらしく、辛抱たまらないと言った表情で坂木の調理姿を見やっていた。裂島などは、椅子から腰を浮かして身を乗り出しているほどだ。
ややあって、数分ほど肉を焼き続けた後、坂木は火を止めて用意していた皿に取り分けた。
肉をすべて皿に置いたのを見て、使用人が小走りに寄って皿を取り、宗睦たちの元に運び出した。
「熱した肉に軽く塩胡椒を振って簡単に調理しました。どうぞご賞味下さいませ」
言って、使用人の一人が代表して一礼し、そのまま後ろに引き下がった。それを見送ることもなく、宗睦たちは皿に盛られたサイコロステーキ風の人肉に視線を注ぐ。
「ふむ。これは美味しそうだ。照り具合も非常に良い。見ているだけで口内に味が広がるようだ」
「だろ? 俺も色んな人間を食べてきたが、中でもあのブタ女はトップクラスだと思うね。見た目の肉重感もポイントの一つだが、あの色艶の良さ! 一目見た瞬間から、あれは絶対美味いに違いないって確信したね」
津山の感想に、裂島が妙に熱の入った口調で語り出した。
「前の女も、あれはあれで美味かったけど、やっぱ栄養の詰まった奴が一番だ。その点、これは味の保証だけはするぜ? なんせ、あのぶくぶく肥え太った女から取れた肉だからな。まだ若いのもあって、かなり柔らかいだろうし。ぶっちゃけ、もうこれが優勝でいいんじゃないか?」
「裂島くん、それはまだ気が早いんじゃない。来見さんや月城くんも後ろに控えているんだし。ねえ、公一さん?」
「そうだな。まだ食べてもいないし、勝敗を決めるには早い。さっそく食してみようじゃないか」
美奈にそう返事しつつ、津山はフォークを手に取った。倣うように宗睦たちもフォークを手に取り、肉に突き立てた。そして、香りを楽しみつつ口に放り込む。
すると重厚な汁が口内で弾けた。それは噛みしめるほどに溢れ返り、塩と胡椒だけの簡素な味付けにも関わらず、旨味が喉の奥まで広がっていく。なるほど、このジューシーさは普段食している幼い子供たちからは味わえないものだ。実に美味である。
「まあ、これはすごいですわね。噛む度に肉汁が溢れてきますわ」
「それに、肉も柔らかくて食べやすいのがいいですよね。前の女性に比べたら若干硬い気もしますが、でも全然気にならないレベルですね」
先に肉を咀嚼し終えた来見と宗睦が、感じ入ったように頬を緩ませて味を評価する。まだ口の中に余韻が残っていて、このまま消えてしまうのがもったいなく思えてしまうくらいだ。あのブタ女の見た目からして、もっとくどい味になるかもと思っていたが、予想を裏切って喉越しも良い。さすが、優勝候補と豪語するだけのことはある。
「うむ。確かにこれは美味だ。上品な味というわけでもないが、舌に心地良く残る肉の旨味がまた素晴らしい。なあ美奈?」
「ええ。私、本当は生肉の方が好きなのだけれど、これは熱を加えた方がいいタイプの食材ね。生肉ではこの肉汁の量は生み出せないわ」
「ははは! やっぱ俺の見立てに間違いはなかったな!」
皆の好評さを受けて、気を良くした裂島が呵々大笑した。よほど嬉しかったらしい。
「ですが、坂木さんもすごいですわね。これは焼いた方が美味しくなると、あらかじめ見抜いていたんですの?」
「大したことではありません。料理人として当然のスキルでございます」
来見の賞賛に、坂木は驕るでもなく至って謙虚に言葉を返した。執事としても有能そうであるし、本当によくできた人だ。
「坂木さん! もっとくれよ! まだまだ喰いたりねえや!」
「申しわけございません、裂島さま。旦那さまから少量のみをお出しするよう指示されていますので」
「坂木さんの言う通りですわ。これ以上満腹にでもなって食べ比べに支障があっては困りますもの。パーティーの趣旨を忘れないで下さる?」
「えー? だったら早く次の肉を用意してくれよ。あれだけじゃ空きっ腹に全然埋まりやしねえ」
「かしこまりました。それでは少々お待ちを」
不満そうに眉間を寄せる裂島に坂木は頷いて、使用人たちにブタ女の死体を片付けるよう指示を促した。
着々と次の準備が進む中、宗睦は不意に席から立って「少し、お手洗いをお借りしてもいいですか?」と津山に訊ねた。
「ん? ああ、構わないよ。場所は分かるかね?」
「ええ。一度使用人さんに案内されているので」
準備が終わるまでには帰ってきます。そう津山たちに伝えて、宗睦はその場から離れた。