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第二話 雨宮雛子【一】



 雨宮あまみや雛子ひなこという少女を表すのに最も適切な表現は、「普通」の一言に限ると思う。

 容姿は普通。成績も普通。これといった特色もなく、性格だって少し内気なのを除けば、これといって問題も起こさない真面目な少女だと、周りも自分もそう認識している。両親は中流階級の一般市民で、決して裕福な家庭というわけではないが、生活に困るほど金銭に不自由はしていないし、家族仲も至って良好。親子揃って病知らずの健康家族で、これといって特筆する点もない、どこにでもある一般家庭だ。

 それなりに不満はあったし、怒りを覚えることもこれまでの人生で何度かあったが、この年代の少女ならばありふれた些事で、別段不幸だと思ったことはなかった。代わり映えしない平々凡々とした毎日ではあったが、実感はなくとも幸せだと言ってもいいだけの日常を過ごしていた。

 それは、きっとこれからもずっと続くもので、普通に学校に通って、いつか大人になって、就職して、好きな人と結婚して、子供も生んで──そんな当たり前の人生がずっと続くものだと、漠然とそう思っていた。



 ついこの間、見知らぬ男に突然誘拐されるまでは。



 狙われたのは、小学校からの帰り道だった。その日はいつも一緒に帰る友達が委員会の仕事で学校に残ることとなり、仕方なく一人で帰路を歩いていた。なにかと物騒な世の中なので、担任の先生などになるべく友達と一緒に帰るよう言われていたが、通い慣れた道であるし、特に心配などしていなかった。

 そんな慢心が仇となったのだろう──夕暮れ時の土手を歩いていた際、後ろから密かに近付いていた男に口を塞がれ、そのまま近くに停めてあった軽自動車へと無理やり連れ込まれてしまった。

 その後のことは、あまりよく覚えていない。車に連れ込まれた後、すぐに麻酔かなにかを首に打たれてしまい、そのまま意識を失くしてしまったのだ。

 気付いた時には、薄暗い部屋の中だった。申し訳程度の豆電球に、必要最低限の生活設備(水道やトイレなど)はあったが、お世辞にも人が住める環境とは思えなかった。

 周りには窓一つなく、出入り口と思わしきドアは固く施錠されており、どうあっても抜け出せるような隙間はなかった。

 ここへと連れ込まれた当初、雛子は羞恥も忘れて泣き喚いた。しかし、雛子の泣き声に駆け付けてくる者はだれもおらず、それどころか、不気味なほど外界からの音がなに一つして聞こえてこなかった。

 きっとわたしは、どこかに監禁されてしまったんだ。そう理性が働くようになった時には、雛子の喉は見事なまでに枯れ果てて、ろくに発声もできない状態になってしまった。

 不幸中の幸いにも──誘拐された上、こうして監禁すらされているのに幸いもなにもないと思うが──自由に水道が使えたので喉の渇きは癒せたし、手足も特に拘束されていなかったので、いつしかほんのわずかながらでも平静を保てるようになっていた。もっとも、どれだけ平静になったところで、この危機的状況を逃れるだけの手段なんて、なにも思いつきやしなかったけれど。

 ちなみに、こうして監禁されるようになって以降、誘拐犯から接触してくるようなことはなかった。いや、正確には朝と夕方だけ軽食を運んでくることがあったが、いずれもドアに設えてある小窓から食事を出し入れするだけで、話しかけてくる素振りは一切なかった。また、雛子自身も誘拐犯に会話を試みるだけの勇気はなかった。

 そうして、警察が助けに来ることもなく、虚しくも四日ほど過ぎた頃、初めて誘拐犯が雛子にその姿を露わにした。

 そこには、およそ犯罪者とは思えないほど、柔和な笑顔を浮かべた好青年が立っていた。

 しかし、その手には雛子を拘束するための縄とガムテープが握られており、彼がまとも人間でないことをなによりも証明していた。

「なるべくおとなしくしててね。縛るのに手間取りたくないから」

 平然とそう宣った誘拐犯に、雛子は恐怖を感じて、言われずとも抵抗する気にはなれなかった。

 しかしながら、またどこぞへと連れて行かれるのは容易に想像できたので、隙あらば暴れてでも逃げ出す算段でいた。

 ところが、今回は誘拐犯だけでなかった。口を塞がれ、手足を拘束された後、黒服の男たちが雛子のいる部屋に乗り込んできたのだ。そして逃げる余裕すら与えてもらえず、結局雛子はろくに抵抗もできないまま拘束されてしまった。

 せめて周辺にいるだれかに気付けてもらえればと、数日ぶりに出た外に視線を巡らせてみるも、鬱蒼と生える木々だけが視界に広がっていた。どうやらひと気のない山奥かどこかにずっといたらしく、救助はまったく望めそうになかった。

 そして今まで自分が監禁されていたのだが、一見しただけではわからないよう木の葉などでカモフラージュされた地下室の中だったと、この時初めて知ったのだった。




 三、四人ほどの黒服の男たちにワンボックスカーの中へと強引に押し込まれた雛子は、恐怖で震えながらも、彼らの動向を静かに観察していた。

 誘拐犯は、ワンボックスカーには乗らず、別に用意された車で移動したようだった。誘拐犯とこの黒服たちがどういった関係なのかはわからないが、少なくとも善良な一般市民だけではないことはすぐに理解できた。誘拐犯に加担している時点で善良であるはずもないのだが。

 外の景色は、四隅をカーテンで囲まれていて窺うことはできなかった。対向車などに雛子の姿を見られようにするためなのだろうが、どこに連れて行かれるかもわからない状態が余計不安を募らせた。もう一生分の怖い体験をしたと思っていたが、一言も発せず、数人の男に囲まれているという状況もかなり恐ろしいものがあった。

 そうして絶え間なく襲う恐怖に耐え続け、ようやく車が停車して外に出た時には、空は夜闇に染まっていた。

 そこは、見たこともない大豪邸の前だった。周りの景色にも馴染みなく、それどころか色彩豊かな庭園が雛子の背後に広がっていた。こんな時でなければ、嬉々として庭園中を駆けずり回っていたことだろう。

 やがて豪邸の中から、執事服みたいな格好をした男が、手押し台車を引いて姿を現した。

 執事服の男は、黒服の男数人となにかしらやり取りをした後、黒服たちに雛子を担がせ、台車の上へ寝かすように指示を飛ばした。どうやら、これで雛子を豪邸の中に運ぶつもりらしい。

 そして言われた通りに雛子を台車に乗せた後、黒服たちはこれで用は済んだとばかりに執事服の男に頭を下げ、早々にワンボックスカーへと乗り込んで庭園から走り去ってしまった。豪邸から出ていったということは、ひょっとすると、だれかに雇われた者たちだったのかもしれない。

 執事服の男と二人っきりにされ、雛子はより緊張に身を固めた。黒船たちの手によって強引にここへと連れてこられたわけではあるが、道中手荒に扱われることはなかった。

 だが、ここからどうなるかはわからない。地下室に閉じ込められていた時も、外の様子が窺えない不安といつ解放されるともわからない状況に精神を病みそうだったが、危害を加えるつもりがないと把握できていただけ、まだマシだとも言えた。こうして安全圏(命の危険だけはなかったという意味で)であったはずの地下室から、わざわざだれかに見つかるかもしれないリスクを冒してまでここへ連れてきたということは、絶対なにかしらの裏があるに違いないのだから。

 それこそ、生死に関わるようななにかが。

 なので、この執事服の男がこれからなにをするつもりでいるかは定かでないが、以前として気を緩める気にはなれなかった。なにをしてくるかわからないだけあって、肝も縮んでいく一方だ。

 などと改めて警戒を強めている間に、執事服の男が台車を押して豪邸へと移動し始めた。

 がたがたと体を揺らされながら、なされるがまま豪邸の中へと入っていく。

「ひょっとして、あれのことかしら?」

 不意に前方から聞こえてきた女性らしき高い声。

 そこには見知らぬ男女と、あの誘拐犯が楽しげにこちらを見つめていた。地下室で別れた後、一体どこへ行ったのだろうと思っていたが、誘拐犯もこの豪邸へと来ていたようだ。

 よく見ると三人共スーツやドレスで着飾っていて、今からパーティーでも開くような装いだった。もしかしてここが誘拐犯の実家なのだろうかと思っていたが、他人行儀な雰囲気からしてそうでもなさそうだった。どちらかというと誘拐犯の方がかしこまっている風に見えるし、きっとあの夫妻と思われる中年層の男女がこの豪邸の主なのだろう。

 いずれにせよ、拘束されている雛子を見てなんとも思っていないあたり、この夫婦もなにかしら犯罪に手を染めている者だと捉えて間違いはなさそうだった。

 一体雛子をこんなところに連れ出して、なにをするつもりなのか。いつになったら解放してくれるのだろうか。早く父と母に会いたい。家に帰りたい。

 そんな涙目ながらに三人を恨みがましく睨め付けていると、

「ほう。これが月城くんの用意した食材かね?」

「ええ。なかなかの物でしょう?」

 その言葉に、雛子は最初理解が追いつかなかった。



 今、なんて言った?

 食材? ここのどこに食材があるというのか。



 周りには絵画や彫刻品などで豪奢に設えた壁や、通路という通路にくまなく敷かれた真っ赤な絨毯ぐらいしか目に入らなかった。

 だが三人共、さもそこに食材あると言わんばかりに雛子だけを見つめていて……。



 えっ。ひょっとして、わたし──?



 その想像に、背筋が一瞬で凍った。

 もしも本当に雛子を食材として見ているのなら、これから行われるのは間違いなく──

 止まっていた車輪が再び動き出し、キュルキュルと音を立てながら誘拐犯たちの横を通り過ぎる。

 三人の姿が見えなくなった後、雛子は悲鳴にもならない呻き声を上げながら、台車の上をのた打ち回るようにもがいた。



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