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第十一話 月城宗睦【三】



 唐突に立ち止まった来見に、宗睦も足を止めて後ろを振り返る。

 そこには、来見が回答を待つようにじっとこちらを見据えつつ、妖艶に目笑していた。

 猛禽類のような、今にも獲物を狩ろうとしている鋭い双眸で。

 間違いない。この女、宗睦を完全に犯人として疑っている。ともすると、来見は最初からこれが目的で宗睦に接近してきたのかもしれない。一度は津山に付こうとしたのも、あえてそうすることで宗睦に不審に思われないようにするためだったと仮定すると、来見の行動にも得心がいく。つくづく計算高い女だ。

 とにもかくにも、目的は子供の行方か。はたまた脅しをかけて別のなにかを要求するつもりなのか。

 前者は生憎と宗睦もわからないので期待には応えられないが、後者だとしたらなにかと厄介だ。それ以前に、弱みを握られるというのは面白い事態ではない。

 だったらここは、こう対応するのがベストだろう。

「それはそれは、あまり穏やかな話ではありませんね」

 来見の猜疑に満ちた目に、宗睦はさも無関係者を装って受け流す。

 ここで無理に否定すれば、さらに疑心を持たれるだけ。それならいっそ来見の話に耳を傾けて、知らぬ存ぜぬを演じた方が無難だ。

 それに、こうして宗睦を揺さぶりに来たということは、まだ確信を抱けていないなによりの証左でもある。なら、動揺を露わにした時点でこちらの負けだ。ポーカーフェイスには自信があるし、追求された時は適当にはぐらかせばいい。



 さあ、化かし合いの始まりだ──。



「しかしながら、その仮説が真実だとして、犯人の狙いはなんなのでしょうね。無意味に場を混乱させただけで、これといったメリットがないように思えるのですが」

「さあ。それはわたくしにもわかりませんわ。ですがメリットが微塵もないということもないでしょう。皆さんが混乱するところをただ見たかっただけかもしれませんし」

「愉快犯というわけですか。そんな頭のおかしい人が自分たちの中にいるとは思いたくないものですね」

 まあ、食人鬼の自分が言えたセリフではないが。

「ただそれだと、比較的だれにでも言えてしまいそうですよね。使用人さんのだれかかもしれませんし、僕や来見さんといったパーティーの参加者かもしれない」

「ですわね。だからひとまず不確定な動機はさて置いて、まずはだれだったら犯行が可能だったかを考えましょう」

「フーダニットというわけですね。わかりました。考えてみましょう」

 頷いて、宗睦は考える素振りを見せる。考えるもなにも自分が犯人なのは言うまでもないのだが、それはそうとして宗睦による犯行だと気付かれないよう、他の者に疑いを逸らす必要がある。ここからどう誤魔化すかが肝心だ。

「やはり一番怪しいのは、坂木さんじゃないですかね。鍵を管理していたのは坂木さんだけだったみたいなので」

「それはどうでしょう。鍵を持っている以上、脱走が発覚した際に一番疑われるのは坂木さん本人ですし、なにかしら自分が犯人でないという策を打っているはずだと思いますわ。たとえば、鍵が無理やり壊されていて、鍵が無くても犯行は可能だったとかですわね。けれど、檻も鍵も壊されている形跡はなく、結果的に坂木さんの不手際とみなされて、あまつさえ津山さんに殺されてしまった──彼が本当に犯人だったとして、これほどお粗末な最後はありませんわね」

「案外、本当に抜けた人だったのかもしれませんよ? 津山さんに日頃不満を覚えていた坂木さんが、恥を掻かせてやろうと食材を故意に逃がしたまでは良かったものの、その後のことはなにも考えていなかったとか」

「ですが津山さんに対する反応を見るに、そういった嗜虐めいたものは一切見受けられませんでしたわよ? むしろ心底申しわけそうみ思っている印象でした」

「演技という可能性だってありますよ。申しわけなそうにしておいて、内心ざまあみろとほくそ笑んでいたのかもしれません」

「そこまで演技の上手い方には見えませんでしたわよ? それに自分の仕事にプライドを持っていた感じでしたし、津山さんを陥れるような小汚い人には見えませんでしたわ」

「ふむ。どうやら来見さんは、坂木さんのことを高く買っているようですね」

「ええ。これでも、男性を見る目はありますもの」

 だてに長年男性を食べてきていませんわ、と艶然に微笑み来見。なかなか説得力のある言葉だ。

「では、来見さんはどう考えているんです?」

「そうですわね。まず、使用人は除外できると思いますわ」

「それは、またなぜ?」

「津山さんと一緒にいた時に色々聞いたのですけれど、檻の鍵は坂木さんが常に携帯していて、だれかに盗まれるようなことはあり得なかったはずだと仰っていましたの。また檻そのものが今日の朝に届いたばかりの品みたいで、合鍵を作る余裕すらなかったはずとも話しておられましたわ」

「でもそれは、僕たちにも言えることですよね? まして僕らは今日この家に招かれた客人──合鍵を作る時間なんて、それこそ皆無だったんですから」

「無論、それだけではありませんわ。他にも根拠はありますの。アリバイという根拠が」

「アリバイ……ですか」

「ええ。パーティーが始まって以降、単独行動を取った使用人は一人としていなかったらしいですの。少なくとも三人以上で行動していて、坂木さんだけを除いてだれも三階に上がった方はいなかったそうですわ」

 津山さんに頼んで確認してもらいましたのよ、と薄く笑む来見。随分と手回しがいい。ひょっとすると割と始めの段階から、来見は宗睦のことを疑っていたのかもしれない。

「同様の理由で、わたくしや津山夫妻、そして裂島さんも除外されますわ。パーティーが始まってから一度も席を立っていませんもの」

「………………」

 場の雰囲気が変わった。それまで虚構ながらも友好的だった雰囲気が、一気に張り詰めた空気に包まれる。

 まるで、犯人を断罪するかのように。

「ですがこの中で唯一、パーティー中に席を立ったアリバイのない方がいますわ。ねえ月城さん?」

 その言葉に、宗睦は笑顔を絶やさないまま「あれはお手洗いを借りに行っただけですよ」と一切動じずに返す。

「理由としては弱いですわね。それとも、他に同行者がおられましたの?」

「いいえ。僕一人でした」

「なら現状、月城さんが一番怪しいということになりますわね」

「いやいや、それはこじつけでしかありませんよ。だいいち、まだどうやって檻の鍵を外したかという謎が解けてませんよ」

「そうですわね。さすがにわたくしもそこまではわかりませんわ」

 ですが、と来見は焦らすように間を空け、それからスッと狐面のような不気味極まる表情を浮かべて、言葉を繋いだ。

「もう正直に言ってしまいますが、わたくしは月城さんこそ犯人ではないかと疑っておりますの。だから居場所を知っているのなら、わたくしにだけ教えてほしいんですの」

 やはりそうきたか。宗睦はそう心中で呟いて、「はて、身に覚えもないことを答えるのは無理がありますね」としらばっくれた。

「心配なさらなくとも、他の方には秘密にしておきますわよ?」

「来見さんと秘密の関係を持てるというのはとても魅力的な話ではありますが、残念ながらご期待に添えるようなものはなにもありませんので」

「まあ、強情な方。素直な方が好感を持たれますわよ?」

「ご助言ありがとうございます。今回の事件に関しては身に覚えがありませんが、今後の参考にでもさせていただきますよ」

 なかなか馬脚を見せない宗睦に焦れてきたのか、「ちっ」と小さく舌打ちする音がわずかに聞こえた。宗睦を追い込んで白状させてやろうなどと目論んでいたのだろうが、そんな簡単に折れるほど宗睦は甘くない。これでも何度も警察の捜査網を掻い潜ってきたエキスパートなのだ。人を騙すなり煙に巻くのは十八番である。

「なら、このまま同行してもなにも問題はありませんわよね? 同盟関係はまだ生きていると考えても?」

 どうやら今度は、宗睦を監視して脱走した子供のところへと誘ってもらう作戦らしい。

 逃がしはしたが行方までは知らない宗睦のそばにいたところで漁夫の利を得られるチャンスなど薄いのだが、まあここで断ったところで理由をあれこれ訊かれるのも面倒だ。津山らと合流して良からぬことを吹き込まれるのも癪(まあ、美奈あたりは信用しないだろうが。かなり宗睦のことを気に入っているので)なので、一緒に付いて来てもらった方が都合がいいかもしれない。

 なので、先ほどの舌打ちをなかったように微笑する来見に、宗睦も「はい。まだ続行と捉えてもらっても構いませんよ」と快く受け入れた──ように見せかけた。

「まあ、良かったですわ。疑うような真似をして不快な思いをさせてしまいまし、正直なところあまり期待はしておりませんでしたけど、月城さんが心優しい方で安心しましたわ」

 よく言う。本心では宗睦に対して毒づいているくせに。

 だがまあ、今日のパーティーで良い収穫もできた。それは、この女は油断も信用もならないという大きい収穫だ。

 いや極論、ここにいる人間なんぞだれ一人して信用なんてしていないし、あくまで同じ食人鬼としてパイプを繋いでおいた方がなにかと得そうだと考えた上で今のような関係を築いたのだが、今後来見とは距離を取った方が良さそうだ。こんな奴といたところで、損な目に合う未来しか見えてこない。

 などと来見に対して警戒心を強めていると、通りの向こうから広間のような空間が見えてきた。そしてその先に一室だけ「当直室」とナンバープレートがかけられている一室が見える。どうやら使用人の共有スペースとして使われている場所らしく、ソファーや自販機などが置かれていた。

 まだここは見ていないのか、広間に到着した時にはだれもいなかった。広間には子供が隠れられそうなところがいくつか散見できたが、ひとまずそこは保留して、当直室のドアノブに手をかける。

「先にこの部屋から調べますの?」

「ええ。隠れるとしたら見通しのいいところより、こういった外からは見えない場所の方かと思いまして」

 なるほど、と来見は頷いて、宗睦の後に続く。

 中に入ると、そこには高級マンションの一室かと見紛うばかりの内装が広がっていた。こんな大豪邸だし、夜勤する者の人数を考えれば妥当な広さかもしれないが、冷蔵庫やテレビなどは当然として、オーブンレンジやマッサージチェア──はてはスポーツ器具まで用意してあるのはどうなのだろう。はっきり言って、そんじょそこらの安いホテルより充実している。その他の一般的な当直室を使う者が見たら羨ましがること必死だ。

 驚くべきところは、そんな一室が不用心なことに鍵もかけずに解放されている点だ。それだけ使用人たちを信用しているということなのか、はたまたなにか盗まれたとしても痛くも痒くもないということのか。津山の性格からして、後者のような気もする。

「どうやら、ほとんどマンションと変わりない間取りのようですね。そうだな……ひとまず僕は、このリビングみたいなところを探してみますよ」

「ではわたくしは、浴室の方を調べてみますわね。いかにも子供が隠れそうな場所ですし」

 お願いします、と言葉通り浴室へと向かった来見の背中を見送って、宗睦は一人、リビング全体を見回す。

 液晶テレビや観葉植物の物陰、戸棚の中など子供でも隠れられそうなところはいくらでもあったが、目下気になったのは、隅の方にあるクローゼットだった。

 来見は気づかなかったようだが、クローゼットの開閉部分から、白い布切れのような外からわずかにはみ出していた。一見は使用人……特にメイドが使うエプロンがたまたま挟まっただけという感じもしなくもないが……。

「………………」

 無言で歩を再開した宗睦は、そのまままっすぐクローゼットの前へと向かい、取っ手に手をかけた。そして──



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