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第一話 月城宗睦【一】


 それは、ちょうど今日収穫したばかりの肉を解体していた時だった。



 台所で黙々と牛刀包丁をふるっていた月城つきしろ宗睦むねちかは、不意に鳴り響いた軽快なメロディーに手を止めた。

 ちょうど良いところだったのにと眉をしかめつつ、手を流水で洗浄した後、音源であるズボンのポケットから携帯を取り出し、番号を確認しないまま通話ボタンを押した。

「もしもし」

「やあ、月城くんかい?」

 鼓膜に触れる、重低音ながらも気品を滲ませるその声に、宗睦は「ああ、津山つやまさんですか」と眉間のしわを緩めてそう答えた。

「お久しぶりですね。一年ぶりくらいでしょうか」

「それくらいになるのかな。はっきりと月日までは覚えていないが。この歳になるとどうにも記憶力が落ちてしまってね。君のような若者が羨ましくて仕方ないよ」

 声に苦笑を滲ませながらそう呟いた津山に、

「ご冗談を。二十代の僕が言うのも嫌味になるかもしれませんが、四十過ぎなんてまだまだ若い内ですよ」

 と返した。

「それで、今日はまたどういった用件で?」

「うむ。実は近々、我が家で品評会……というより、パーティーと言い換えた方がいいかな? とりあえずそれを開きたいと思っていてね」

「パーティー、ですか? それは、具体的にはどういう?」

「以前、来見くるみくん主催のパーティーに参加したことを覚えているかい?」

「ええ、裂島さきしまさんも一緒に食事をした時のことですよね? それがどうかしましたか?」

「うむ。口に出しにくいことかもしれないが、あの時出された食材について、君の正直な意見を聞きたくてね」

「正直な意見、ですか……」

 その言葉に、宗睦はしばし考え込む。なぜそんなことを訪ねるのかは不明瞭だが、津山とはそれなりに長い付き合いだ。陰口を叩くようなことはあまり趣味ではないが、同じグルメ仲間として、なにか相談したいことがあるのなら、協力するのもやぶさかではない。

「……そうですね。本音を言えば、自分で調達した食材の方が美味しかった気がします。いえ、来見さんが用意してくれた食事も、まあ、あれがあれで美味だったんですが、自分のよりは少し劣るのかなというのが正直な感想ではありますね」

「やはりか。いや実を言うとだね、私もまったく同じ感想を抱いていたのだよ。本人の手前、あの時は正直には言えなかったのだがね。この際だからもっと本音を明かすと、他のパーティーで出された食材に関しても、どうしても同じような考えを持ってしまうのだよ。美味いことは美味いのだが、自分で調達した食材が一番美味いとね。察するに、月城くんも似たようなことを思っていたんじゃないのかい?」

「んー、どうでしょうね……」

 津山の問いに、宗睦は明言を避けて口を濁す。宗睦自身、津山家のホームパーティーに招かれて何度かご馳走になってもらったことがあるし、機嫌を損ねるようなことは言えなかった。ここで迂闊に肯定してしまえば、今まで津山が出してくれた食事を批判とは言わずとも自分のよりも下だと評価することのなってしまうからだ。

 だが、津山はそんな宗睦の心中を見抜いていたようで、

「はは。気にすることはないよ。だれだって自分が一番と思いたいものさ。君や私に限らず、きっと他の人もね。だからこそ私は考えた。一度、自分たちの自慢の食材を持ち寄って、皆で食べ比べてみるのもいいんじゃないかってね」

「それで、僕たちを招いてのパーティーを開こうと?」

「その通りだ。改めて、相互理解を深めるという意味を含めてね。どうだい? 面白そうだとは思わないかい?」

 なるほど。確かに面白そうだ。単に津山が自慢話をしたいだけなんじゃないかという気もしないではないが、興味をそそられる話ではあった。

「ええ。とても面白そうですね」

「では、参加ということでいいんだね?」

「はい。ぜひとも」

「そうか。色よい返事が聞けて嬉しいよ」

 言葉通り、電話口から津山の弾んだ声が聞こえる。どうやらかなりの自信のあるようだが、宗睦とて津山たちに負けるつもりはない。自分こそ最高の食材を提供できると自負している。それと同時に、他の皆がどんな食材を用意してくるのか、とても興味深かった。

 これは、いつものパーティーよりも気を引き締める必要がありそうだ。

「詳細はまた追って知らせるよ。こちらとしても色々と準備があるんでね」

「わかりました。楽しみに待っています」

 最後に軽い挨拶を交わした後、宗睦は通話を切った。

 携帯をポケットにしまい、再び牛刀包丁を手にして、目の前にある肉の塊を眺める。

 正確には、人間の──それも年端もいかない子供の片足を。

「さて、続きといこうか」

 そう呟いて、宗睦はふくらはぎに刃を入れた。



 ■ ■



 月城宗睦は殺人鬼である。



 それも食人鬼と呼ばれる、人としての三大タブーを二つも犯している猟奇殺人犯だ。

 別に人を食べるのに異様な快楽を覚えるとか、そういった変態的嗜好で食人鬼になったわけではない。幼少の頃から味覚障害を持っていた宗睦は、普通の食事がどうにも口に合わなかったのだ。

 皆が当然のように、さも美味しそうに口にしている肉や野菜といった物に対し、なんら味を感じなかった。宗睦にしてみれば、ティッシュでも食べているも同然の感覚だったのだ。実際にティッシュを食べたことがあるわけではないので、どういった味なのかはさっぱりわからないが。

 さすがに両親も宗睦の異変に気が付いて、何人かの専門医に診てもらったこともあるのだが、そのどれもが原因不明の味覚障害という診察結果に終わった。有効な治療方なんて、なに一つとして見つからなかったのだ。



 そんな彼が唯一美味しいと思ったのは、あろうことか母親の血だった。



 血と言っても、決して母親を殺してその生き血を啜ったわけではない。その頃はまだ小学校に上がったばかりの子供だったし、自分の倍はある体格の大人に敵うはずもない。

 ならどうやって母親の血を口にしたのかと言えば、至って単純な話で、母親が台所で包丁を使っていた際に指を切って流れ落ちた時の血を、宗睦が舐めとったことから端を発している。

 より正確に語ると、絆創膏を取りに行った母親の目を盗んで、まな板に付着した血を舐めとったわけではあるのだが、あの時どうしてあんな真似をしたのか、宗睦自身、今でもよくわかっていない。



 ただその血を見た時、なぜか舐めてみたいという衝動に駆られたのだ。



 自分の血を見た時はこんな欲求は抱かなかった。止血をするのに何度か口にしたこともあるが、他の食事同様、美味しいとは思えなかった。

 しかし、母親の血だけは別格だった。舌で舐めた途端、脳髄に走り抜けるような美味が口内に広がった。どんな食材でも味を感じなかった宗睦が、母親の血を舐めて、初めて美味しいと感じたのだ。

 あるいは、それも必然だったのかもしれない。もし仮に宗睦が先天性の味覚障害だったのなら、母親の母乳を飲んだ際に拒絶していたはずなのだから。

 母乳は母親の血液から出来ている。つまりは、人の血だ。宗睦が人の肉や血にしか味覚を感じないのだとしたら、母乳を飲めたとしてもなんら不思議なことではない。

 だがそれは同時に、宗睦の異常性をなによりも証左することにもなった。人間しか受け付けない体なんて、どう考えてもまともであるはずがない。

 だから宗睦も、そのことをだれかに明かす気にはなれなかった。こんなことを話そうものなら、間違いなく病院に閉じ込められるに決まっている。

 この頃から、宗睦は周りの子供たちに比べて聡明であり、そしてなにより狂っていた。自分が人しか美味しく食べられないと知って、宗睦は冷静にそんな自分を受けとめていた。悲観などせず、まして将来に絶望することもなく、今のままだと人を殺して食べるのは難しいから、もう少し大きくなってからにした方がいいかな、などと常軌を逸したことを常日頃から考えながら淡々と生きていた。当然のようにいつか人を殺して食すことを夢想しながら、平然と周囲に溶け込んで何気ない日常を過ごしていたのだ。



 そうして十四歳になったある日、宗睦は初めて人を殺すこととなる。



 最初の犠牲者は、まだ四、五歳程度の女の子だった。言葉巧みに女の子をひと気のない場所へと誘導し、首を絞めて殺害したのだ。

 そこは前々から目を付けていたうらびれた公園で、林の奥に住人のいない古びた小屋があり、解体作業をするのにうってつけの場所だった。

 そこで宗睦はあらかじめ小屋に隠していたノコギリで死体を解体し、女の子の生肉を食らった。

 その時の美味と言ったらもう、言葉では表現できないほど素晴らしいものだった。この時の体験は今なお甘美な記憶として鮮明に残っている。

 それから宗睦は、たびたび殺人を犯しては人肉を食べるようになった。特に子供が好物だった。大人とは違い、肉の量はどうしても少なくなってしまうが、あれほど美味しい食べ物は他にない。

 用意周到に準備をし、また細心の注意を払って行動していたためか、警察が嗅ぎ付けてくるようなことは一度もなかった。骨などの食べられない部位は、細かく砕いて事前に作っておいた穴に地中深く埋めていたので、それも功を奏したのだろう。事実、宗睦が殺した子たちは現在も行方不明扱いになっている。

 そうして二十歳を過ぎ、独り立ちしてからますます人食行為にのめり込んでいた頃、宗睦はとある共通の嗜好を持つ者たちと知り合うことになる。

 きっかけは、とあるサイトを閲覧している時だった。一見は普通の広告サイトなのだが、ある部分をクリックすると食人鬼たちが集まる裏ページへと移動する仕様になっていた。管理人によると常人には絶対辿り着くことはできないようになっているという話ではあったが、真偽は定かではない。

 ともあれ、引き寄せられるようにその裏ページへと難なく行き着いた宗睦ではあるのだが、そこに自分と同じ食人鬼たちが──津山や他のメンバーがサイトを通じて集まっていたのである。

 いつしか、宗睦も津山たちと交流するようになり、何度かオフ会を開いてみたりなど、今も食人鬼仲間として良好な関係を築いている。




 森林の奥深く──自然に囲まれた雄大な土地に、それは建っていた。

 夜陰の中でライトアップされた広大な庭園を、客人用の高級車で悠々と通過する。そして、思わず息を呑むような大豪邸の前に停車した後、玄関前に待機していた使用人に招かれて、宗睦は邸宅内へと入った。

するとそこに、四十代くらいのスーツ姿の男が、きらびやかな内装の中で悠然と佇んでいた。この家の党首である、津山公一つやまこういちだ。

「やあ、よく来てくれたね月城くん」

「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」

 笑顔で片手を出してきた津山に、宗睦も笑みを浮かべて握手を交わす。それから、津山の横に並ぶ貴婦人に視線を向ける。

 見た目は津山より十歳ほど離れて見える、実に整った容姿をした女性だった。本人もそれを自覚しているのか、大きく胸元の開いた深紅のドレス姿を惜しみなく晒している。元モデルということもあって体のラインも非常に整っており、彼女の艶やかさをより際立たせていた。

「お久しぶりですね、美奈みなさん。相変わらずお美しい」

「あら、ありがとう月城くん。あなたも十分過ぎるくらいに素敵よ。まるで若い頃の公一さんを見ているようだわ」

 そんな挨拶と共に、再会を祝して軽い抱擁を交わす。初めは慣れなかったが、美奈とは何度か顔を合わす内に──夫婦ということもあって、よく他のパーティーにも付き添いとして一緒にいることが多いのだ──今ではなんら抵抗もなく欧米じみた挨拶を交わせるようになっていた。慣れとは恐ろしいものである。

「おいおい。それじゃあ今の私が全然素敵じゃないみたいな言い方じゃないか」

「やだ、妬いているの公一さん? 安心して。公一さんは今も昔も私の中でずっと一番だから」

「美奈……」

「公一さん……」

 ねっとりと視線を絡ませた後、人目も憚らず熱い接吻を交わす津山と美奈。この夫妻の仲も相変わらずのようだ。

 仲睦まじい姿を見せてくれるのはいいが、このままだと所在なく立ち続けることになりそうだ。

 そう考えて、

「ところで、他の方々はどうされているんですか?」

 と津山に質問した。

「ん? ああ、それなら君より早くここに来て、すでにテーブルに着いているよ」

 美奈から離れた津山が、奥の通路に目線をやってそう言葉を返す。どうやら、自分が一番最後だったようだ。まあ、時間通りであるし、自分も含めて三人ほどしか客はいないし、なにも気後れする必要なんてないのだが。

「じゃあ、食材の方も?」

「全部一室に運んであるよ。君ももちろん準備してあるんだろう?」

「ええ。今回はそういう集まりですからね。ちゃんとこの日のために極上の肉を用意してありますよ。確か、迎えに来た方にお任せしたんですが……」

「ひょっとして、あれのことかしら?」

 美奈が宗睦の後方──玄関口の開かれた大扉を指差す。

 そこには、津山家の執事らしき壮年の男が、台車を引きながら仏頂面で中へと入ってきた。

「ほう。これが月城くんの用意した食材かね?」

「ええ。なかなかな物でしょう?」

「あらあ、確かに美味しそうね。まあ、うちのには負けるでしょうけど」

「はは。それはまあ、皆で食べ比べた後に決めましょう」

 台車に乗っている食材を見やりながら、楽しげに談笑する宗睦と津山夫妻。

 そんな宗睦たちを、台車に乗せられた食材が──手足を縛られ、口にガムテープを貼られた十歳ほどの少女が、怯えた瞳で彼らを見上げた。



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