第5話 御影先輩のストッキング
(御影視点)
……破れてる。完全に、伝線してる。
給湯室でお湯を注ごうとして、ふと足を組み替えた瞬間。
右脚に走る“ビッ”というあの感触。慌てて視線を下にやると、黒いストッキングに見事な筋。
「うそでしょ……っ」
声が漏れそうになるのを押し殺し、私はとっさにスカートの裾で隠した。
誰にも見られてない。見られてない、はず──
「……あの、御影先輩」
振り返ると、そこにはテシヲさんがいた。
最悪だった。
よりによって、なんであんたなのよ。
「……ストッキング、少し……破れてる、かもです」
気まずそうに、でも目は逸らさずに言ってきた彼に、私は心の中で絶叫した。
(見たの!? どこまで!? どれくらい!?)
表情には出さない。出してたまるか。私は社会人。秘書課の看板を背負ってるんだから。
「……っ、そ。気づいてたなら、黙っててくれればいいのに」
「す、すみません……でも、予備、ありますよ」
「……は?」
彼はスーツの内ポケットから、小さなパッケージを取り出した。
黒のストッキング。未開封。
……なにそれ、なんで持ってるのよ。
「……なんでそんなもの、持ってるのよ!?」
「えっ、ええと……以前、ノベルティで余ったやつが引き出しにあって……一応、予備として……」
「……まさか、あんた……女装癖……」
「ちがいますちがいますちがいますっ!」
彼が勢いよく首を振ったので、私はそれ以上追及するのをやめた。
なんだか、こっちが恥ずかしくなってきたから。
……でも。
(なにこの柄……なんか、レース?ちょっとだけ……かわいくない?)
なんでこういうときに限って、攻めたデザインなのよ……っ。
「……だ、誰にも言わないでよね」
「もちろんです」
私はストッキングをつかみ、そそくさと女子トイレへ向かった。
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鍵をかけて、ドアにもたれた瞬間。
「……うぅ……最悪……」
ため息がこぼれる。制服をたくし上げ、破れたストッキングを脱ぎ捨てる。
伝線の先端が、ちょうど膝上。……見えてた。あいつに、絶対見えてた。
恥ずかしい。死にたい。でも、言わなかったら……気づかないふりされてたら……それはそれで、たぶん傷ついてた。
(……って、なに考えてんのよ私。もう……)
彼からもらったストッキングを開封する。思ったより柔らかくて、フィット感も悪くない。
……柄も、そこまで派手じゃない。けど、ちょっとだけ──かわいい。
(でもこれ、完全にあの子が選んだやつじゃない……?って、なに考えてるのよ私!)
頬が熱い。化粧、崩れてないといいけど。
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席に戻ると、隣の部署の後輩女子がニヤニヤして近づいてきた。
「先輩〜、今日のストッキング、かわいいですね〜。それってもしかして、テシヲくんが?」
「違う!!!!!!!!」
即答してしまった。
「え、えっ!? ちが、違うからっ! 別にそういうんじゃないからっ!」
顔が熱い。視線の先に、静かにPC作業してるテシヲくんの後頭部がある。
(あんたのせいよ……全部……!)
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それでも、仕事は普通に回る。
なにもなかった顔で、なにもなかった一日を演じる。
だけど、定時前。
ふと、テシヲくんのデスクに缶コーヒーを置いた。
「……これ、変な意味じゃないから。さっきのお詫びだから」
「はい?」
「なんでもないっ!ばか!」
逃げるように自分の席へ戻る。
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翌日。
私はストッキングを選ぶのに10分迷った。
結局、似たようなデザインの、少しだけおしゃれなやつを履いた。
「おはようございます、御影先輩」
「……おはよう、テシヲくん」
昨日より、少しだけ距離が近く感じた。気のせい、かもしれないけど。
彼がふと、私の足元に視線を落とした。
「……今日のストッキング、似合ってますね」
──。
「ば、ばかっ!あんたにだけは言われたくないっ!!」
顔が、火のように熱かった。
でも、なんとなく。
心の中だけでは、ちょっとだけ──嬉しかったのは、秘密。