表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/21

第15話 御影先輩、やけに優しい日


「……顔色、悪いわよ」


朝、デスクに座るなりそう言われた。


御影先輩が、こっちをじっと見つめていた。腕を組んだまま、ほんの少し眉をひそめている。


「え? あ、そうですか?」


とぼけたつもりだったけど、声が妙にかすれていたせいで、即バレだった。


「……やっぱり。声も変。体調、悪いんじゃない?」


「いや、大丈夫ですよ。ちょっと寝不足なだけで」


「寝不足って、何時に寝たのよ」


「……3時、くらい?」


御影先輩の目が、静かに細くなる。


「あのね……そういうの、ちゃんと自分で管理しなさい。社会人でしょ?」


「はい、すみません……」


いつもなら、ここで怒られて終わり――のはずだった。


でも今日の御影先輩は、少し違った。


「……後で、温かいの淹れてくるわ。ほうじ茶でいい?」


「え?」


思わず顔を上げると、御影先輩はそっぽを向いたまま、そそくさと席に戻っていった。


ツンツンしてるようで、どこか優しい。そんな背中を、ぼんやり眺めていた。


──それから三十分後。


御影先輩が、静かに俺の席にやってきた。


手には社内備品のマグカップ。立ちのぼる湯気と、香ばしい香り。


「ほら、ほうじ茶。熱いから気をつけて」


「……ありがとうございます」


俺が受け取るとき、一瞬だけ指が触れた。思ったよりも、その手は冷たかった。


「……先輩のほうが冷えてません? 手、冷たいですよ」


「私は冷えても大丈夫なの。そういう体質だから」


そんな理屈あるのかな、と思いながらも、何も言えなかった。


御影先輩は何か言いたげにこちらを見ていたけど、結局何も言わずにそのまま自分の席に戻っていった。


*

昼休み。


いつものように、御影先輩は自席でお弁当を広げていた。


静かに箸を動かしながら、時折スマホをチェックしている。


そんな様子を遠目に見ながら、俺はコンビニのおにぎりをかじっていた。


「……それだけ?」


突然、御影先輩が声をかけてきた。


「え?」


「お昼、それだけなの? おにぎりとお茶?」


「いや、まあ……今日はちょっと食欲なくて」


「……そう」


それきり何も言わなかったけど、お弁当の蓋を閉じたあと、なぜか小さな個包装のチョコを1つ、俺の机に置いていった。


「……糖分、足りないと頭まわらないでしょ。集中できなかったら意味ないから」


照れ隠しなのか、すぐに背を向けて自席へ戻る。


その背中を見つめながら、そっとチョコを手に取った。


甘かった。けど、それ以上に、胸がじんわり温かくなった。



昼休み終了時。


小さくくしゃみをした瞬間、背後から気配がした。


「……はい、これ」


渡されたのは、グレーのブランケット。社内で仮眠用に使っている備品のやつ。


「これ、先輩のじゃ……?」


「使ってないから。返すときはちゃんと畳んでおいてよね。汚したら許さないから」


言い方はツンツンしてるけど、それでも俺のためにわざわざ持ってきてくれたことが、ちょっと嬉しかった。


*

午後。


熱はない。でも少しだけ頭がぼんやりしていた。


それでも、御影先輩は何も言わなかった。


さっきから何度か視線を感じていたけど、目が合うたびにすっと逸らされてしまう。


俺のほうも、なんとなく話しかけるタイミングを逃していた


*


終業チャイムが鳴る。


今日は定時で帰れる日だったけど、俺はまだ少し仕事が残っていた。


ふと顔を上げると、御影先輩がこっちを見ていた。


「まだ終わらないの?」


「あとちょっとで終わります。先輩は?」


「……私は、もう終わったわ」


その言い方には、どこか“待ってる”空気が混じっていた。


でも、それを確認する勇気がなかった。


「じゃあ、お先に失礼します」


そう言って、御影先輩は自席に戻った……ように見えた。


でも、それから五分後。


「まだ終わらないの?」


また来た。


「ええと、あと……三分ください」


「……はあ、わかった」


そっぽを向いて、小さくため息。


それでも、隣に立ったまま、俺の作業が終わるのを待っていた。


*


帰り道。


エレベーターを降り、ビルのエントランスまで来たところで、御影先輩が不意に立ち止まる。


「……少しは、感謝してくれてもいいのよ?」


「えっ」


「今日の私、いつもよりずっと優しいと思わない?」


たしかに、そうだった。


でもそれを口にした瞬間、きっと彼女は“ツン”を出してごまかす。


だから俺は、少しだけ間を置いて、言った。


「ありがとうございます。すごく助かりました」


御影先輩は、一瞬だけ固まったあと、目を逸らした。


「……べ、別に。そういうんじゃないのよ」


「いや、でも優しかったですよ。正直、ちょっとびっくりしました」


「うっさい……!」


*


駅へ向かう途中、空を見上げる御影先輩がぽつりと言った。


「……明日、雨らしいわよ」


「えっ、マジすか」


「天気予報くらい見なさいよ。ほら、アプリあるでしょ?」


「あるにはあるけど、あんまり開かないですね……」


「はあ……。ほんとに、もうちょっと自分に興味持ちなさいよ」


「それ、褒めてます?」


「褒めてない!」


そんな何気ない会話も、今日は少し楽しかった。


無理に繋ごうとしなくても、自然と交わせる言葉がある。


そういう時間が、なんだか嬉しかった。

そのあと、駅までの道を一緒に歩いた。


沈黙が続いたけど、嫌な空気じゃなかった。


駅に着く直前、信号待ちのタイミングで、御影先輩がぽつりと言った。


「……本当に、大丈夫?」


「え?」


「体調、悪いのに無理してない?」


「ああ……大丈夫ですよ。先輩のおかげで、なんか元気出ました」


そう言った瞬間、御影先輩は顔を背けた。


「……ふん、ならいいけど」


そして、声のトーンを少しだけ落として。


「……ちょっとだけ、心配したんだから」


それは、風に流されそうなくらい小さな声だった。


*


その“ちょっとだけ”が、どれくらいなのかは分からない。


けど俺の中では、きっとそれは“すごく”に等しい言葉だった。


御影先輩の“優しさ”は、気まぐれみたいに見えるときがある。


けど、そうじゃない。


たぶん、彼女なりにすごく考えて、勇気を出してくれてるんだと思う。


普段の言い方や態度がツンツンしてる分、ちょっとした気遣いが余計に心に刺さる。


言葉じゃなくて、行動で伝えてくれる人。


照れ隠しに怒鳴るくせに、隠しきれてない人。


そういうところが、俺は――


「……何、こっち見てニヤニヤしてんのよ」


「え? あ、いや……なんでもないです」


「……気持ち悪い」


そう言いながらも、御影先輩は俺と同じ方向の電車に乗った。


帰るタイミングなんていくらでもずらせたはずなのに。


同じ車両、同じドアの側。


並んで立つその距離が、今日はなぜか少し近かった。


*


電車に揺られながら、さっきの言葉を思い出す。


「……ちょっとだけ、心配したんだから」


あの小さな声。


本当に聞き取れたのかさえ怪しいほどだったけど、たしかに届いていた。


俺の中で、ちゃんと残っていた。


いつもより少しだけ、優しかった一日。


だけど、その“少し”が、たぶん一番嬉しかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ