第1話:始まりは、資料室事故
俺の人生に「始末書」という単語が登場したのは、入社して半年経った頃のことだった。
理由は──資料室で、直属の上司であり、あの“御影さん”を受け止めたからだ。
文字通り。
御影さんは、仕事ができる。冷静沈着で、無駄口を叩かない。
無愛想と評されることもあるが、社内では密かに「アイスビューティ」なんてあだ名まである。ま、陰でだけど。
……でも、実際に一緒に仕事してみると分かる。
この人、意外と抜けてる。
何かにつけて書類を忘れるし、意地でも人に頼らないもんだから、自分で抱えてミスを増やすタイプ。
そんなわけで、俺は最近ほぼ“専属付き”みたいな形で御影さんのフォローにまわっている。
別に、嫌じゃない。
美人で気が強いくせに、どこかドジっ子。
そりゃ……まあ、嫌いになる要素なんてないだろう。
──で、その日もいつものように、資料室での作業だった。
「……っと。確かこの棚に前月の契約書が……あれ? 届かない……」
小さな声でそんなことを呟いた御影さんは、俺を呼ぶこともなく、備え付けの簡易脚立に足をかけた。
背伸びすれば届くかどうかって位置。無理しなきゃいいのに。
俺はその様子を見ていたから、何かあったら支えるつもりで脚立の下で資料探しをしていた──までは、良かったんだ。
「っ──きゃっ!」
次の瞬間、脚立がわずかに揺れ、バランスを崩した御影さんの身体がこちらへと傾いてきた。
反射的に、腕を広げる。
そして──
「んっ……!?」
ドサッ!
受け止めた。と思ったら、俺の顔の真上に──御影さんのスカート。
正確には、スカートの内側。赤い、控えめなレースの──いや、そんな話じゃなくて。
「なっ……な、なにしてるのよっ!? どこ見てんのよ、アンタっ!」
「いや、見たくて見たわけじゃ──あ、いやそうじゃなくてっ!」
「変態! 痴漢! セクハラ! 絶対に訴えてやるから!!」
「訴えないでぇぇぇぇっ!!」
最悪だった。
……いや、最悪っていうのは誤解があるな。
人生で、あんなに柔らかい感触と、あんなに強烈な怒鳴り声を同時に味わったのは初めてだ。
そして、そこからの一連の流れで俺は御影さんに睨まれながら“始末書”を書く羽目になった。
いや、助けようとしたんだよ? 正義感から来る反射行動だったのに……!
それでも、その日以来。
御影さんの態度が、少しだけ変わった気がする。
もちろん、普段は今まで通り──冷たいし、厳しいし、ツンツンしてる。
けど、たまに視線がぶつかった時、目を逸らしたり。
俺が無言で資料を差し出すと、ほんの一瞬だけ、表情が緩んだりする。
……あれは、俺の勘違いじゃないと思いたい。
たぶん、あの日を境に──
俺と御影さんの、“何か”が始まったんだ。