9.森緑帯、その前に
広域に広がるヴェルナ森緑帯には、入り口と呼ばれる場所がいくつかある。
もちろん、森ではあるので入ろうと思えばどこからでも入れる。
だが、ほとんどの場合、鬱蒼とした木々や草花が道を邪魔し、危険な虫や花など魔獣以外からの脅威にさらされやすい場所だ。
しかし入り口と呼ばれる場所から入ると、獣道程度ながら道になっているし、森の調査や開拓の為に色んな人が出入りに使っていることもあって、踏み固められてもいる。
その入り口の一つ。
クロスプリンド街道の中央付近に存在する森の入り口のすぐ近くには、野営広場と呼ばれる空間がある。
名前の通り、街道を進む者たちや、森の奥へ挑む者たちが、野営できるように作られた空間だ。
もちろん天然のものではなく、この辺りの利用者が切り拓いて作った場所である。
そこに一台の小型旅行車が止まっていた。
一見すると、地球の小型軽自動車を思わせる小さな車体だ。
だが、車体に追加装甲が装備させてあり、タイヤなどの細かい部分はオフロード仕様に改良されている。
元々高価な旅行車にこんな改造をするのは、趣味の者でなければ同業者くらいだろう。
「先客がいるね」
「ここ最近、妙に強い魔獣が街道に出てくるから。調査依頼とかあっても不思議じゃないわ。
クロス・コーサー側で見かけてなくても、シュト・スプリンド側のギルドが依頼を出してるかもしれないし」
「シュト・スプリンドは王都ですしね。案外、国からの依頼を受けた専門調査隊とかかもしれません」
先客の小型旅行車の持ち主が困らない場所に自分たちの流旅行長車を停め、三人は準備を始める。
シグレは左手に雑に巻き付けた包帯をはずして、大きめのガントレットを左手にだけ付ける。
助手席などに座るときにこのガントレットを付けていると邪魔なので外していた。
このガントレットは特殊な構造をした特別製だ。
ガントレットの甲には特殊な穴が空いていて、左手に付けると、手にフィットしつつも手の甲についている天候核がその穴から顔を出す。
これなら、端から見ればガントレットの装飾の一部などのように見える。
一見すると危険ではあるのだが、この肉体と同化している天候核――下手な金属よりも丈夫なのだ。
どうやったら傷つくか見当もつかないほどに頑丈なので、ガントレットの中にいるよりは、外に露出しててくれた方が便利なのである。シグレとしては主に敵の攻撃を受け止める的な意味で。
ガントレット以外は装備済みだ。
肘と膝を守る最低限のガード。この二つは軽いながらも非常に丈夫な魔獣の革で出来たものだ。
シグレの場合、単に関節を守るためだけでなく、肘や膝を使った体術を繰り出すにあたり、その負担を軽減させる意味もある。
そして臑とつま先とカカトに鉄板が仕込まれた流旅行者御用達の編み上げブーツ。
履きづらく脱ぎづらいことが欠点だが、その欠点に目を瞑れば非常に優秀な装備だ。
実はただの鉄板仕込みブーツではなく、流旅行者家業で稼いだ金でオーダーメイドした一品である。
内候力を流すことにより、つま先とカカトから隠れた刃が顔を出す。
最後に愛用の東方式長剣を携える。
この世界で剣を教えてくれた師匠から借りている剣だ。返す必要はないと言われているが、いつか機会があれば返しに行きたいとは考えている。
神剛鉄ニンカシカルという、この世界の伝説上の金属を少量混ぜて造られたという貴重な剣だと聞いていた。
今は、ニンカシカルを削ったり溶かしたりできる職人はいないそうで、師匠の友人の遺作なんだそうである。
どうしてそんなものを貸すのかと問うた際、この剣は持ち主を選ぶのだと言っていた。自分はそろそろ持ち主で居られない、とも。
その結果、不出来な弟子である自分に貸し与えるというのだから、何とも酔狂な師匠だと思う。
この剣の銘は、『颯典水鏡』。
これを打った鍛冶師が、その一生涯を掛けた伊達と酔狂で作り上げた剣だそうで、名前の由来もそれなのだそうだ。
つくづく、自分には勿体ない剣である――と、シグレは思っている。
レインの武器は刃の付いた二丁拳銃だ。
天候術と銃撃がメインのレインにとって近接戦闘は鬼門に近い。その為、彼女は保険としてダガーとしても使えるブレード付きハンドガン――天候銃刃――を二丁、鞘付きのホルスターに入れ、いつでも抜けるよう腰に携えている。
服装は丈の短いタンクトップにホットパンツ。
ヘソ出しの露出度も高い格好で、彼女の健康的な肉体美をこれでもかと見せつけるような姿だ。
露出した肌にはところどころ術式の入れ墨が施されており、それがどこか煽情的に見える。
そのせいか、マニッシュさとコケティッシュさを併せ持った美しさを醸し出していた。
とはいえ、見た目だけなら頼りない服装だ。
だが、共に身につけている腕輪やアンクレット、グローブや、靴下、ブーツに至るまで、魔獣素材や特殊加工が必要な高級素材をふんだんにつかった上に、術式加工による特殊効果が付与されている為、見た目以上に攻撃力や防御力などが高くなっている。
虫除けなどの術式加工も施されているので、この格好で森の中に入っても問題はない。
そんな格好の上から、トーレドマークとも言える赤いロングジャケットを羽織るのが、レインのいつものスタイルだ。
リーラは比較的シンプルだ。
彼女は白――というか白を基調にした寒色の組み合わせを好む。
雪の結晶を思わせるデザインのモノにこだわりもあるようである。
白地に青糸で刺繍された上着に、薄い灰色のキュロットのようなズボン。
どちらも要所要所に金色の糸で術式が刺繍されている。
その上に羽織るローブは、白い髪と白い肌に合わせたように、雪のように白い。よく見れば雪のような意匠が随所に施されている。
このローブは、軽くて肌触りがよく、それでいて丈夫で、しかも熱や冷気から使用者を守ってくれるチカラを秘めているらしい。
彼女が愛用している武器は、古めかしい樹氷を思わせる杖だ。
その杖には、宝石のように煌めく雪の結晶と、愛らしい白兎の人形が、長めの紐で結び付けられ、揺れている。
元々杖には付いてなかったものを、リーラが自分で結びつけたものだ。
それぞれに装備の点検や武装などを行って、流旅行長車の外へと出る。
「さて、場所はわかるか、シグレ?」
「ええ。私たちがミラリバスに呼び出された場所の手前みたい。ちょうど良いわ」
シグレたちがかつて召喚された場所は、未開区画と呼ばれる場所だ。
そこは獣道すらまともに繋がっていないのだが、何度も足を運んでいるうちに、シグレはその場所をだいたい把握できるようになっていた。
ターゲットの魔獣がいるのはその未開区画の手前。
ちょうど獣道などが途切れる間際のような場所だ。
「未開区画って近くまですら行く機会はあまりありませんから、ちょっとドキドキしますね」
「別にそんな大した場所じゃないわよ。
ただまぁ、それなりに奥地にはなるし、強い魔獣も少なくないから気をつけて」
「はい!」
力強くうなずくリーラに、シグレは自分でも気づかないほど小さな笑みを浮かべて森の入り口を見やる。
「それじゃあ案内頼むよ」
「ええ。帰りか途中か……ちょっと未開区画を覗きたいのだけど」
「構わないよ。な、リーラ?」
「うん。いつも見に来てるんですよね? 近いなら問題ないです」
「ありがと」
小さな声で礼を告げると、シグレは森の入り口へ向かって歩き出す。
「分かってると思うけど、森の中は魔獣が少なくないから」
二人を気にかけるようにシグレはそう告げ、そうして森の中へと足を踏み入れていくのだった。