8.おとぎ話の魔人
しばらく外していた席を戻ってきた赤髪のマッチョな相棒が、ヴァイスに声を掛けてくる。いつものように大きい声で。
「何やってんだッ、ヴァイスッ?」
「蹴り姫にチンピラの処理を押しつけられちゃってさぁ」
それに口を尖らせながら答えると、相棒は本当に素直な面もちでうなずいた。
「返しきれない貸しがッ、一つ返せて良かったじゃないかッ!」
皮肉一切なしである。
本当に、良かったな――と思っているのだから、この相棒はタチが悪い。あと声がでかい。
「そのシグレはどこにいったんだッ!?」
「さぁ? さっきまで引鉄の歌姫や白姫と一緒に魔獣討伐の依頼書辺りを眺めてたぜ」
「何か引き受けて出かけたのかッ! 彼女が誰かと一緒に仕事するなんて珍しいなッ!」
相棒――ランドの言う通りだ。
一緒に仕事するにしても凍り付いた顔をしていた女が、今日は割と表情を見せていた。
それはそれとして、ランドの声がでかい。
「少しばかり氷の仮面も溶けてたしな。何か心境の変化でもあったんじゃないか」
「なるほどッ! それは良い兆候、かなッ!?」
「どうだかねぇ……ところでランド。手伝ってくんない?」
「おうッ! いいぞッ!」
声がでかいのが珠に瑕だが、良い奴なのは間違いない。でもでかい声がたまにうざい。
「終わったら魔獣討伐に行くぞッ!」
「りょーかい。しかし、ここのギルド――討伐依頼多くね?」
偶然だとは思うが、シグレたちや、自分やランドといったいわゆる上級ランクを保有している流旅行者が同じ街に滞在しているし、先のシグレとチンピラのいざこざの感じなら、阿呆が少ないのも見てとれた。
それならある程度、討伐依頼が解消されて減っていてもおかしくなさそうなのに、ここ数日減れば増えて減れば増えてを繰り返しているようにも思えるのだ。
「ああッ! 最近ッ、この近隣でどうにも魔獣が増えているようでなッ!」
昨日も一昨日も、何組かの流旅行者が討伐依頼を受けていたいし、話によれば、新人たちが護衛依頼中に想定ランクより大幅に上の魔獣に襲われたという話も聞いている。
「キナ臭ぇコトの前兆とかだったら、勘弁して欲しいところだぜ」
「全くだッ! だがコトが起こればッ、ギルドに手を貸すぞッ!」
「分かってるよ。そこで逃げ出すようなダセェ生き方はしてねぇさ」
どこか不穏なものを感じながら、ヴァイスは軽く天を仰ぐのだった。
☆
レインが操る、レンタルしてきた流旅行長車――オフロードの走破性や日を跨ぐ移動を考慮して居住性を高めたモノ、地球で言うキャンピングカーのような流旅行者向けの旅行車のことだ――の助手席で、シグレは外を見ながらぼんやりと口にする。
「ちょうど良い依頼があって良かったわ」
「ヴェルナ森緑帯――シグレの始まりの場所か」
「ええ。あの場所には半年に一回ほど、覗きに行ってるわ。
行ったところで、元の場所へ帰れないのは分かっているのに、ね」
自嘲気味に笑うシグレに、レインとリーラは何とも言えない顔をする。
「帰れないんですか?」
「ええ……あの場に呼び出されたわたしたち全員、『帰れずの呪い』にかかったのよ」
運転席と助手席の間から顔を出すリーラに、シグレが告げると、彼女は渋面を作った。
「当時、みなさん十五歳だったんですよね?
急に変なチカラで呼び出されて、森に放り出されて、しかも故郷に帰れなくなる呪いって……」
「リーラ……信じてくれるのはありがたいけど、泣かないで欲しいわね」
リーラの目が潤み、目の端に雫が垂れかかっているのに気づいたシグレは、それを人差し指で軽く拭う。
「かなり高く付くが、外洋を越える船だってあるだろ?
そういうの使って外の大陸へってワケにはいかないのか?」
「それで帰れるなら、みんな借金してでも帰ってると思わない?」
「そりゃそうか」
片手でハンドルを操りながら、レインは肩を竦めた。
シグレとしても、これまでの経緯を信じて貰えても、さすがに地球という異世界からきました――という話までが通じるとは思っていない。
それでも――多少ぼかしたり、フェイクを混ぜたりしているものの――こんな荒唐無稽な話を信じてくれる二人は、とてもありがかった。
「わたしたちに呪いをかけた男――自称神の代行者ミラリバス。いつか殺したい相手よ」
「ミラリバス?」
諸悪の権化たる存在の名前を口にすると、レインとリーラが顔を見合わせる。
「おとぎ話にでてくる悪い魔人の名前ですよね?」
「お姫様をさらって、最後は勇者に倒されるあれよね?」
「おとぎ話?」
シグレが首を傾げると、リーラが説明をしてくれた。
「シグレさんの故郷だと馴染みが薄いんですかね?
この大陸ではわりと有名なおとぎ話で、面白半分のイタズラで、結構シャレにならないコトをするので有名な魔人なんですよ。
一番有名なのは、レインの言うお姫様を誘拐して勇者に倒されるお話ですけど……」
面白半分のイタズラでシャレにならないことをする――その言葉に、シグレは眉を顰めた。
不可解なことがあったからではない。むしろ、当てはまりすぎているからこそ、顔をしかめたのだ。
「シャレにならない系で有名なのだと、ケンカした双子の姉妹の片方を鏡に閉じこめちゃうやつですね」
リーラはそう告げてから少し溜めて、謳うように語り始めた。
「姉妹がケンカした日の夜、こっそりと妹に近づいたミラリバスはその妹を鏡の中へと投げ入れちゃいます。
翌朝、鏡の中に妹がいると気づいた姉は、どうにか助けられないかとがんばるんですが、上手くいかず。
二度とお互いに触れ合えないことに嘆き、互いにケンカについて謝罪し仲直りするんですが……。
そこにミラリバスがやってきて言うんです。
鏡の中の存在を、取り出してやろう――って」
イヤなマッチポンプだ……と、シグレはうめく。
そんなシグレの姿に苦笑しながら、リーラは続けた。
「声を掛けてきたのがミラリバスだと気づかない姉は、懇願するんです。
そして、ミラリバスは鏡の中から、女の子を取り出します」
「女の子? 妹じゃないの?」
「ええ。ミラリバスは一言も、妹を鏡から取り出すと口にしていないのが、このお話のいやらしいところです」
「なら、ミラリバスは何を鏡から抜き出したの?」
「鏡に映った姉です」
リーラの答えに、シグレは渋面を作る。
おとぎ話とはいえ、何とも救いのない話ではないか。
「それ以来、姉は鏡を覗くと自分の鏡像のかわりに妹が映るようになりました。
そして鏡から出てきたもう一人の姉は、周囲を誤魔化すように妹のように振る舞うようになったのです。
ですが、その鏡の姉もまた問題を抱えています。彼女は鏡に自分の姿が映らないのです。
ある時、妹の婚約者がそれに気づき、妹のマネをする怪しい女として鏡の姉を剣で斬ってしまいます。
それに気づいた姉が婚約者に泣きながら事情を説明すると、婚約者は自分の過ちに気づきましたが時すでに遅く。
斬られた鏡の姉はバラバラに砕けた鏡になってしまいました。
砕けた鏡に映った自分を見たのか、あるいは妹を見たのか、そこで限界がきてしまったのか、姉の心も砕けた鏡のようにバラバラになってしまいました。
そして、姉が思わず口にした言葉が、もう現実はいや。自分も鏡の中にいきたい。妹と一緒に鏡の中で暮らしたい。
そう嘆いた姉の言葉をどこかで聞いていたミラリバスは、その願いを叶え、姉を鏡の中へと閉じこめてしまいます。
そのことに怒った妹の婚約者はミラリバスに切りかかりましたが、倒すことは出来ずミラリバスは笑いながらその場を去っていきます。
そうして、男はミラリバスを討つための旅にでるのでした。おしまい」
最後まで聞き終えたシグレは、リーラの方を見ながら訊ねる。
「続きは?」
「ありません。
ただ、俗説ですがお姫様を助ける為にミラリバスを討った勇者と、旅に出た男は同一人物なのではないかっていう話はありますよ」
それにしては中途半端というか、物語のプロローグだけ語られたようで落ち着かない。
シグレはそんな感情のままレインの方へと視線を向ければ、彼女は軽く肩を竦める。
「ミラリバス関連のおとぎ話ってそういうのばっかなんだよ。
勇者の話以外、救いらしい救いはないんだ。
だから、子供たちには、よい子にしてないとミラリバスがイタズラしにくるぞって、お説教に使われたりはするんだが」
「教訓モノというよりも、怖い話扱いなのね。
内容を聞く限りだと、よい子も悪い子もミラリバスの標的にされちゃいそうだけど」
「それな」
どうやらレインも同じような感想を抱いていたようだ。
「でも、ですね。
私の一族の伝承に、ミラリバスのおとぎ話に気をつけろ話ってあるんですよね」
「どういうコト?」
「詳しくはわかりませんが、調べる限りだとミラリバスのおとぎ話はただのおとぎ話ではないようなんです」
この手のお話が、ただのおとぎ話でないとしたら――シグレは漠然と予想をつけながら、先を促す。
「だいぶ盛られてはいるようですが、ミラリバス関連のおとぎ話って実話ベースっぽいんですよね」
「実話ベース……ねぇ」
予想はしていた。予想はしていたのだが、実際にそう言われると胸の裡にイヤな感情が湧いてでてくる。
本人であれ騙りであれ、シグレの斬首リストには記載確定だ。
「シグレの話を聞いてると、案外本人な気もしてくるよな」
「そうですね。複数人を面白半分でどこからともなく呼び出して、しかも天候才と帰れずの呪いを与えるなんて……ミラリバス本人の仕業と言われても納得しちゃいそうです」
「本物でも騙りでも、どっちでもいいわよ。
出会ったならッ……機会があるのならッ……! その素っ首を斬り落とす……ッ! ……それだけよ」
殺気を立ち上らせながら口にするシグレ。
その本気度の高さに、レインもリーラも顔をひきつらせるのだった。