27.サンセット・スカイ~TADAIMA
シグレが扉を抜けると、そこは森の近くの街道だった。
だが、街道のどの辺りなのかは分からない。
さてどう動く――
そう思った矢先、聞き覚えのある声が大きく響いた。
「どこから帰ってきてんだ刀禰咲ィィィィィ――……!!」
「あれ? 剣ヶ淵くん?」
「シグレ、後ろォォォ――……!!」
「え? レイン?」
とりあえず言われた通り、後ろを見る。
いつの間にか消えていたピンクの扉にも驚いたが、それ以上に――
「あー……」
――目の前に、有翼の緑色のドラゴンがいた。
全身に切り傷があり、羽の片方は切り落とされ、もう片方は半ばまで切り込まれた、逃げ道を失したドラゴンだ。
めちゃくちゃ怒っている。
それはそうだろう。人間にここまでされたのであれば、怒りもする。
(背後にこんなのがいるのになんで気がつかなかったんだろう……。
ミラリバスとやりあってたせいで、感覚バグった?)
ぼんやりとそんなことを思いながら、振り下ろされるドラゴンの前足を大きく飛び退いて躱す。
「シグレちゃん、ボロボロ!」
「あっちこっち血塗れじゃないか!」
「あー……さっきまで内臓とか潰れてたしね」
駆け寄ってくるリーラとレインにそう答えると、二人は思いきり顔を引きつらせた。
「でもまぁ、回復はしてるし。とっととアイツを斬りますか」
鯉口を切る。
だが、それをシュウが制した。
「休んでおけよ、刀禰咲。激闘だったんだろ?」
「そこは否定しないけど、傷も疲労も完全回復してるんだけど」
困ったように首を傾げていると、ヴァイスが駆け寄ってきて笑う。
「男の子ってのはさ、女の子の前でカッコつけたいモノなのよ」
「それってヴァイスみたいな人だけじゃないの?」
訝しみつつ、シュウを見ればシュウも少し照れたように頭を掻いている。
「な?」
「……まぁ、剣ヶ淵くんなら大丈夫か」
シグレは鯉口から手を離す。
正直、怪我や疲労はともかく、メンタル的な部分は完全に回復していないので、任せていいなら任せてしまおう――という面もある。
「可愛い女の子から、がんばっての一言でもあると男の子はがんばれるんだぜー?」
ニヤニヤとヴァイスが口にする。
その言葉を受けて、シグレの中にほんの気まぐれが湧き上がる。
言いたくても言えなかった――十五年前に心の奥底に押し込んで、そのまま消えてしまった淡い思いの残滓。
供養する意味でも、口にしてみるのも悪くない――と、そんな気まぐれだ。
「仕方ないわね……でも、うん。がんばってね、驟くん」
「…………それはさすがに、反則だ……」
シュウはうめくようにそう言ってからドラゴンへ向けて走り出す。
「……恥ずかしいの我慢して言ったのに、なんかミスった?」
「むしろ効果覿面だったかもな」
「シグレちゃんも可愛い顔してたしねー」
「え? なんか変な顔してた……?」
レインやリーラとじゃれている間に、両手持ち用の重量ある長剣を二刀流で構えたシュウがドラゴンへと躍りかかる。
戦っているシュウの右手にある黒い核から、夕暮れを思わせる真っ赤なオーラが溢れてきて、二つの刀身を染めていく。
ドラゴンの前足を切り飛ばしたシュウは、大きく飛び退くと、二つの剣を重ね合わせるように構える。
夕暮れのように真っ赤な刀身に、シュウの核から闇属性の内候力が溢れ、刀身の赤に黒い雲が混ざっていく。
刀身の纏う赤と黒い雲は、膨らみ大きくなり、それを一つの馬鹿でかい大剣のように拡張していく。
それは形こそ違えど、シグレがミラリバスを倒した時のものとそっくりの雰囲気だ。だからこそシグレには分かった。
あれは――
「剣ヶ淵くんも使えるんだ。『気』を……」
誰にも聞こえてはいないだろうシグレの小さな呟きに応えるように、シュウはオーラによって超大剣と化した自分の得物を大上段に構えて、大きく飛び上がる。
「これで仕舞いだドラゴンッ!」
そして、シュウは全身全霊を込めて、それを振り下ろした。
「落陽竜斬刀――チェストォォォォォォ――……!!」
真っ赤な夕日が地平線へと姿を隠していくように、その巨大な刀身はドラゴンの身体の中に沈んでいく。
両断されたドラゴンが、左右に分かれて地面に倒れ伏す。
ズズンと重い音と地響きが起きてから、その僅かなあとで、シュウの持つ剣が纏っていた大きなオーラが消える。
シュウは残心を終えると、剣に残る赤い空と黒い雲の残滓を振り払うように、左右に開くように大きく払ってから、背中へと交差させなながら納めた。
「そんな大技あるならとっとと使えよなー」
シュウを迎えるヴァイスの軽口。
それに、彼はとても嫌そうな顔をしながらうめく。
「使うとすごい疲れるんだよ。それこそ、その日はもう使い物にならないくらいに、な……」
「え? まだ魔獣残ってるのにそんな技使ったのか?」
「……とね……志紅に応援されちゃったから、な」
「恥ずかしがるならいつも通りの呼び方しとけって」
「うるせ」
さすがにシュウとて顔が赤くなっている自覚はある。
そんな男たちの小声のやりとりを遠目に見ながら、レインはシグレに訊ねる。
「ドラゴンはともかく。残りの残党狩りは手伝ってくれるよな、シグレ?」
「もちろん」
「シュウさんの技に感想とか言わないんですか?」
「べ、別に必要ないんじゃない?」
「おお……シグレちゃんの反応がオトメっぽい」
「うるさい……」
リーラが顔を輝かせて言うツッコミに、赤くなっている自覚を持ちながらシグレはそっぽを向くのだった。
ともあれ、シグレを加えた、流旅行者の対スタンピート部隊は、暴走する魔獣たちの残党狩りを開始する。
「あ、シグレちゃんストップ」
「どうしたのリーラ?」
首を傾げていると、そこへヴァイスがやってきてニヤニヤと指を差す。
「破れたところから色々チラ見えしててえろてぃ~っくってな感じなコト、言いたいんじゃないのリーラちゃん」
「は?」
なんだこいつ――と、思ったものの、横でリーラがうなずいているので、確認の為に自分を見下ろす。
「…………」
確かに腹部の服は破れてきれて、おへそ丸出しだ。
胸元も片方は破れ方のせいで、下着どころか角度によっては谷間まで普通に見える。
スカートもあちこち破れていて、あまり衣服の意味を成していない部分もあった。
「…………」
徐々に、色んな意味で顔が赤くなっていく。
どうしようとパニックになりかけたところで、レインが自分の赤いコートをシグレに掛けた。
「あたしみたいに最初から露出度高いのと違って、破けたりなんなりで丸見えってのは恥ずかしいモンな。残る魔獣に危ないヤツは少ないだろうし、それ着とけよ」
「……そういうとこ、同性にやたら好かれる要因じゃない?」
「自覚はあるよ」
「冗談よ。ありがと、レイン」
「いいってコトよ」
レインと笑い合っている横で、ヴァイスが少し口を尖らせる。
「普段お堅くて冷たいシグレちゃんの色々チラ見え姿とか男どもの士気向上に一躍買い……」
「ダメだぞヴァイス!!」
そこへ、いつの間にか近くにやってきたランドが大声を出しながらヴァイスの脳天にげんこつを落とした。
「そういう失礼な物言いはやめるべきだ――と、何度も言ってるだろ!!」
「そうだぞヴァイス。うっかりドラゴンのように二枚に卸そうかと思ったところだ」
「わーお。マッシヴコンビがめっちゃ恐ぇぇぇ!! 助けてリーラちゃん!」
「自業自得だと思うので二人に潰されてください」
「冷たくひどい!?」
氷使いの面目躍如のごとき冷たい対応をしてから、リーラは氷でコップを作り、そこへ水を入れてシグレに差し出す。
「冷たくて申しわけないけど、シグレちゃんこれ。口とか鼻の周り、洗った方がいいよ。真っ赤だし」
「そうね。ありがとう、リーラ。口や鼻からデロデロ血を流してたから……」
「ミラリバスとどんな戦いをしてたんだよ……」
そんな風に余裕をもったお喋りをしながら、シグレたちは残党となった魔獣たちを狩り始める。
ドラゴンの脅威がなくなり、ミラリバスの思考誘導もなくなった魔獣たちの多くは、冷静さを取り戻して森に戻ったり、新しい縄張りを求めて野生へと戻っていく。
町に近づいた魔獣も、うまく町へと入り込んだ魔獣も、町の中に残っていた者たちに討伐されて、大きな被害もなかった。
細々とした後始末などは色々残りつつも、最前線で戦っていた者たちの仕事は、ここまでだ。
前線に出ていた者たちは、その疲れた身体、傷ついた身体をひきずりながら、それぞれの自宅や宿、あるいは治療院へと向かっていく。
そうして、明け方から始まった騒動は、その空がシュウの落陽のオーラと同じような色をした頃には、一通りの終息を見せるのだった。
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シグレはようやく町に戻ってくる。
最後まで一緒にいたレインとリーラも宿に行くと、途中で別れた。
天には夜の帳が落ち始め、地にはまだ赤い夕暮れが残っている。
やがて夕暮れはその間にある黄昏に追いやられ、その黄昏もしばらくすれば、夜の帳に隠されてしまうことだろう。
「ちゃんと、洗って返さないとね」
レインから借りた真っ赤なコートに触れながら、小さく呟く。
向かう先は決まっている。
だけど、そこへ戻ったとしてどんな言葉を口にすればいいのだろうか。
終わったよ? 倒したよ? 無事だったよ?
どれも違う気がして、頭の中で意味のない思考がぐるぐるする。
不安を押し殺して自分を見送ってくれた友人に告げるべき言葉を、シグレは思いつかなかった。
言ってしまえばワガママを押し通した形だ。ならば謝罪が一番いいのではないだろうか。
謝罪といえば、クラウズには謝罪しないといけないことがある。
壊して良いと言われてたとはいえ、本当に流旅行座車を爆破してしまったのだ。
ぐるぐると思考を空回ししながら、もたもたと、その家へと向かう。
家の前にはセイカがクラウズと一緒に立っている。
セイカは不安そうな顔で、泣きそうな顔で、だけど帰ってくることを信じている顔で。
それを見たら、シグレの空回っていた思考はどこかへと消え失せる。
無意識のうちに、地面を蹴って駆けだしていく。
「晴花!」
名前を呼ぶ。
うまく声が出なかった。声も小さかったから、セイカはこちらを見ない。
「晴花!」
今度は大きい声が出た。
声に気づいたセイカがシグレを見る。
「志紅ッ!」
向こうもこちらへと駆け寄ってきて、飛びつくように抱きついてきた。
それを受け止めた時、セイカが涙を流しているのに気がついた。
「良かった、良かった……! ちゃんと、帰ってきてくれた……!」
そんなセイカの姿を見て、シグレはようやく言うべき言葉を思い出す。
報告とか感謝とか謝罪とか――そういう言葉の前に、まずは言うべき言葉があるではないか、と。
「……なんとか帰ってこれたよ」
そう告げて強く抱きしめたあとで、少しだけセイカから身体を離し、彼女の顔を真っ直ぐ見て、今一番口にしたい言葉を口にする。
自然と自分も泣いていて、だけど自然と笑顔で、その言葉が胸の奥から溢れる出るように紡がれる。
「ただいま、晴花」
「……! うん! おかえり、志紅!」
シグレと同じような顔で、晴花も涙と一緒に笑い返した。




