21.レディ、レディセイバー!
普段と異なる騒がしさが広がっていくクロス・ソーサーを背に、シグレはレンタルした流旅行座車を降りる。
スタンピードが近づき、騒がしくなっているからこそ、少しばかり町を出入りする検問が厳しくなっているようなのだ。
流旅行座車を引きながら、門番をしている警邏兵に身分証を見せる。
「逃げるのかい?」
それを確認した警邏兵に問われた。
嘲るような様子はなく、純粋に心配をしての声かけだろう。
「いいえ」
キッパリと否定した上で、シグレは少し考えてから答えた。
「騒動の影でこの町を狙う、実在するおとぎ話がいるのよ」
「実在するおとぎ話?」
「ええ。わたしはそいつの首を刎ねに行ってくるわ」
訝しむ警邏兵に、シグレはそれ以上のことは口にせず、小さく微笑む。
「退治して戻ってきたら、町が無くなってましたとかはゴメンよ?」
「それはこっちもゴメンだな。
何か事情がありそうだし、追求はしないさ。でも、そっちの用事が終わったら、こっちを手伝ってくれよ?」
「もちろん。まぁ、わたしが戻ってくる頃には終わってるかもね。上級ライセンサーである流旅行者が、結構滞在してるようだし」
「頼もしい話だ。それじゃあ、ご武運を」
「そっちもね。行ってくるわ」
告げて、シグレは門を抜けると、流旅行座車に跨がって、発信させる。
今までなら、こんなやりとりはしなかっただろう。
だけど、今はもう――この町クロス・コーサーはシグレが戻ってくるべき場所なのだ。
シグレは改めてそれを心の内で確認してから、流旅行座車を加速させていくのだった。
流旅行座車を飛ばして、スタンピートとは逆方面へと進んでいくシグレの背中を見ながら、門にいた警邏兵たちが言葉を交わす。
「今の、蹴り姫か?」
「あー……言われてみればそうだな」
「随分と雰囲気が変わってたけど」
「あの子、美人だけど取っつき辛い感じだっただろ?」
「確かに。ふつうに話が出来たな」
「首を刎ねるとか、内容は物騒だったけど」
「実在するおとぎ話ねぇ……」
「よくわからんが、魔獣の一斉暴走の影で町を狙うやつにソロで向かうなんて、二つ名持ちはさすがって感じだよな」
「正面の一斉暴走から町を守るのに手が必要だから、優秀なやつがソロで向かうって感じだと思うぜ」
「向こうの門はともかく、こっちは暴走の影響は少ないだろうが、キッチリ守らないとな」
「そうだな。悪さ目的のやつがどさくさに紛れて町に入り込むのは見逃さないようにしないとな」
「蹴り姫が戻ってきた時、ダメでした……ってのは格好が悪い」
スタンピードの気配が迫る緊張の中、それでもいつも通りこの門を守るため、警邏兵たちは気合いをいれるのだった。
走る。走る。走る。
長い黒髪をたなびかせて、シグレは街道を疾走する。
スタンピードの影響か、こちら側の街道には魔獣たちの気配がない。
誰にも邪魔されることのないのを良いことに、流旅行座車のスピードを上げ、より速くより速くより速く突き進む。
候力技術によって作り出された高馬力のエンジンが、気持ちの良い唸り声を上げて回転する。
日本にいた時には味わえないだろう速度で進むバイクが、日本では余り見ないような悪路を、その走破性の高さにあかせて、強引に踏み越えていく。
この世界で鍛えた肉体が。
この世界で鍛えた体幹が。
この世界だからこそ使える候力技能による身体強化が。
この世界だからこそ使える候力の制御能力が。
振り落とされても可笑しくないほど暴れるバイクの上でシグレの身体を安定させて、暴れ馬のごとき流旅行座車を制御する。
地球ではバイクなんて運転したことはなかった。このバイク操作すらも、この世界で身につけたものだ。
(肉体も精神も変わらないかもしれない……それでも、わたしはこの世界で生きる為に、技術や能力を身につけ、使いこなせるように習熟してきた……それは嘘でも偽りでもない)
今になってシグレは気づく。
不老不変の身になれど、決して不老不変ではなかったのだと。
(見聞きした体験は知識になっている。繰り返した鍛錬は血肉になってる……それは、少なくとも完全な不変じゃあないってコトよね……)
勉強すれば知識が身につく。
鍛錬をすれば技術が身につく。
当たり前のようで、大事な気づき。
転移前からの友がいた。
転移前には片恋していた彼がいた。
この世界で知り合った友がいた。
この世界で良くしてくれた人たちがいた。
不老不変であるが故に何も変わらないなんていうのは、ただの思い込みだった。
自分は常に、変化する世界の中にいた。
自分を含めて、変化しない世界は無いのだ。
そのことに、ただ気づけなかった。目を背けていただけだ。
街道から途中で逸れて、林の中を突き進み、その奥にある小高い丘――そこにある遺跡を目指す。
高速で流れていく風景は、けれど見知った風景のはずだったはずなのに、新鮮な風景に感じた。
(……ここってこんなにも綺麗な場所だったのね……)
世界が色づいて見える。
今までだって世界の色を認識していなかったワケではない。
だけど、これまでのシグレの目にはセピアの写真に無理矢理色を乗せたような世界に見えていたのだ。
それが今――ふつうの写真のよりしっかりと色鮮やかに世界が映る。
クロス・コーサーは、大変な騒ぎになっているだろうことは分かっている。
だというのに、シグレの心は色づいた世界に気づき、十五年間抑えられていた好奇心がうずき出している。
(あの馬鹿を斬って捨てて、スタンピードを終わらせて、色づいた世界を見て回りたい……)
シグレの中にある思いはそれだ。
(レインやリーラ、ヴァイスやランド……剣ヶ淵くんとあちこち回って……疲れたら晴花のところに帰ってきて、時々クラウズの仕事を手伝ったりして……他のみんなの顔も見に行きたいし……うん、今からでも充分に、新しい生き方ができるはず……)
だからもう、邪魔なのだ。
路傍の石ころ程度の邪魔さながら、どかさなければ進めないなら斬るしかない。
ミラリバスなんていう存在は、今のシグレにとってはその程度。
斬らねば前に進めないから斬るだけで、斬る必要がないなら、もう完全に無視して良い存在となっている。
決着を付けるなんて大層な存在じゃあない。
ただ邪魔なところに転がってるから斬るだけだ。
バイクを――流旅行座車を飛ばして風を切るだけで、こんなにも楽しい。このまま、全てを無視してどこかへ飛び出していってしまいたいくらいに。
だけど、それは出来ない。
大事な人たちの為に、まずは道化の首を斬る。
構える前から、対峙する前から、道化の首はすでに落としている。
その軌跡は見えていて、あとはそれをなぞるだけの状態だ。
この世界へ来て、初めて訪れたもっとも完璧なコンディション。
心身共に万全で、目的も目標も決意も、そして斬るべき軌跡も――ブレることなく心にある。
遺跡が見えてくる。
どうやらミラリバスは、遺跡の中ではなく、表層にある都市跡のような開けた場所にいるようだ。
それは大変、ありがたい。
まずは挨拶をしてやるとしよう。
クラウズに依頼されたこともあるし。
アクセルを全開にした状態で、シグレはハンドルから手を離して座席の上に立つ。
「!?」
ミラリバスがこちらを見て、何やってるんだアイツ――という顔をする。
そのことにいい気味だと感じながら、シグレは口の端を吊り上げた。
足から内候力を発し、流旅行座車全体を覆って、それ自体が弾丸になるようにオーラを纏わせていく。
直線。
この大きな都市跡に残る、石壁や石柱などの障害物が、ライン上にない。とても好都合だ。
そして、ミラリバスを完全に射程に捉えたところで、シグレは大きくジャンプした。
同時に疾走する流旅行座車が、地面を滑るミサイルかなにかのように、ミラリバスへと向かっていく。
「――――ッ!」
完全な不意打ちだったからか、ミラリバスは弾丸となった流旅行座車を躱すのではなく受け止めた。
「――――ッ!」
道化の神が何かを叫んでいるが、シグレは無視して空中から流旅行座車へと向けて大きく離れた間合いから居合いを放つ。
体内に流れる内候力を剣に乗せて放った剣圧が、空中を駆けて流旅行座車を切り裂き――爆発を引き起こす。
爆音と共に火柱があがる。
遺跡に残る建物のあとだと思われる石壁や石柱のいくつかが爆発で吹きとんで砕けていく。
もちろん、この程度でミラリバスが倒せるとは思っていない。
爆炎から飛び出してくるミラリバスに狙いを付けて、シグレは空中でチカラを溜めるように身体を丸める。
右足の内候力を高める。光輝く。
背中のあたりでチカラを弾けさせて身体を加速させつつ、右足を真っ直ぐ伸ばす。
気分は、有名な特撮ヒーローだ。
「天駆蹴輝刃ッ!」
空中から急降下するように放たれた、強烈な槍の如き蹴り。
それはミラリバスを完全に捉えた。
「トネザキッ、シグレ……キミはアァァァァ……!」
わずかな間だけ、ミラリバスが咄嗟に張ったバリアと拮抗していたが、すぐにシグレのチカラが勝ってバリアが砕ける。
そのままミラリバスを突き抜けるような勢いで、その背後に着地。
道化の神は、シグレの着地に刹那遅れてから、その勢いと光の候力の炸裂によって弾き飛ばされた。
これで倒せるとは微塵も思っていないが、それでも多少の溜飲は下がった。だけど、それはおくびにも出さずに、胸中で留める。
べちゃりとミラリバスが地面に落ちる音を聞きながら、シグレは振り返った。
「さて、町が心配だし、とっとと終わらせましょうか」
不敵に不遜に自然に、シグレは気負いどころか、ミラリバスそのものに何の興味もないかのようにそう告げて、面倒くさそうに身体に纏わり付く後髪を払うのだった。




