16.私が、本当に求めていたモノは…
「晴花は、胸元だったね」
「うん」
髪と身体を洗い終え、二人は小さい方の浴槽へと一緒に浸かる。
その時、晴花の胸元で光る肌と同化した石に気づいた。
胸の谷間の入り口とも言えるような位置。
晴花のそこで、青い宝石が輝いている。
天候核。
シグレの左手の甲についたそれと同じ。この地球人がこの世界で生きていくのに必要な、外付けの外部器官。
もっとも、それを取り付けたのが神を自称するミラリバスなので、外すことは不可能――どころか肉体と完全に融合してしまっている。
「普段は首飾りのフリをさせてるかな。
揺れないから怪しいけど、服の中だからそこまでおかしく思われないし」
自分の核に触れながら、晴花はそう説明した。
見た目は、この世界の生活を支えるエネルギー結晶――前世のサブカル的な言い方をするなら魔石的な存在――、天候石と酷似しているのが幸いというべきか。
シグレが手甲の装飾に見えるようにしているのと同じように、晴花も夫が作ったチェーンと装飾の組み合わせで、首飾りのように見せているらしい。
天候核は、クラスメイトごとに融合位置が異なっているので、それぞれがバンダナやサラシ、装備などで誤魔化している。
「そっか。これを受け入れてくれる人が晴花の旦那さんで良かった」
「うん。わたしもいつもそう思ってる」
ある意味で、この核はシグレたち地球人がどこまでいっても、この世界にとっての異物であると訴えてくるようなシロモノだ。
受け入れてくれない人を伴侶とし、共に過ごすのは難しいだろう。
会話が途切れて、二人の間に僅かな沈黙が流れる。
二人で横並びになって、浴槽の縁に背を預けていた。
その沈黙の中で、晴花はちょっと横に動いて、シグレと肩を密着させる。
「あのね、志紅」
「なに?」
「……うーんとね」
「どうしたの?」
自分からくっついてきて、声を掛けてきたのに、煮え切らない返答をする晴花をシグレは訝しげに見る。
「色々話したいコトはあったんだけど、なんか上手く言葉にできないや」
そう言って晴花はコテンと首を倒して、シグレの肩にその頭の重みを預けた。
「――そう」
シグレはそれだけ答えると、髪をアップにしてタオルを巻いた頭を晴花の方へと傾ける。
「……実は、わたしも」
「そっか」
日本にいた時から親友同士の二人は、久々に再開した友との時間を味わうように、噛みしめるように、特に何かしたり喋ったりすることも少なく、お互いの体重をしばらくの間、預け合うのだった。
会わない間に、お互いが背負ってきた様々な荷物を、この場で分け合うように――
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「志紅ってお風呂好きだったんだねぇ」
二人でのんびりとお風呂に浸かり終え、脱衣所で身体を拭いていると晴花がそんなことを言ってきた。
「え? なんで?」
身体を拭く手を止めて思わず聞き返すと、彼女は笑う。
「お風呂に浸かってあんな幸せそうな、嬉しそうな顔しておいて、何でも何もないでしょ~」
左手を口元にあて、右手をパタパタ動かす仕草はどことなくおばさんくさい。かつてはあまり見たことのない晴花の動きだ。
まぁそれはともかくとして。
指摘されて思い返す。もうとっくに忘れてしまっていたことだったけれど。
「……そうか。私、お風呂好きだったっけ」
「志紅……」
しみじみ呟くと、さすがに晴花の顔が曇る。
「ああ、ごめん。深い意味があったワケじゃないんだけど……。
こっち来てからシャワーばかりだし、そのシャワーもいつも浴びれるワケじゃなかったから」
「まぁそうよね」
お互いに苦笑を交わして、髪を拭く。
「アップにしてた髪、解くの? そのままじゃなくて平気?」
「この世界に来る以前ならともかく、今は大丈夫。さっと拭いて放置しとけば、想定の数倍の速度で乾くから」
「そういうのも不変の影響?」
「さぁ? もうそういうモノなんだってコトにしてるわ」
身体についた水滴も似たようなものだが、それは乾くのを待っていては服を着るのに支障があるので、さっさと拭き取る。
「そうだ。志紅の着ていた服は汚れてたから洗濯してるわ。なので、代替えで悪いんだけど、これ着てて」
出てきたのはワイシャツとジーンズだ。
意外とこの世界にもこういう格好が存在している。
「一応、下着も用意してあるから」
「ありがと」
用意された下着もワイシャツも、少し胸回りが窮屈に感じるが、着れないほどのものではないのでありがたく身に纏った。
ワイシャツに関しては完全にボタンをすると苦しかったので、上の方は開けたままにした。やや胸元が開いて恥ずかしいが、この世界でもファッションの範疇だろう露出なので、大丈夫なはずだ。
晴花に確認しても問題ない――と言われたので、安心だ。
「さて、ずいぶんと長湯しちゃったけど、まずは晴花の旦那さんに挨拶しなきゃ。晴花を独占しちゃってたしね」
「律儀だね~」
「そのあとは、レインとリーラにも謝らなきゃね」
「んー……そこは謝罪よりお礼の方が喜ぶと思うけど?」
「そうかな?」
「そうだよ」
晴花がそう言うので在れば、謝罪よりもお礼にするべきだろう。
こういう人の感情が絡む話の時は、自分よりも晴花の方が正しい判断をする場面が、日本にいた頃からあったのだから信用できる。
「分かった。そうする」
最後に左手へ、包帯を雑に巻き付けて白い天候核を隠す。
「そんな乱暴に隠してるんだ」
「聞かれたら呪いで見目が悪いから隠してるって答えてるの。手袋付けづらいしね」
「もしかして、あのちょっと大きめの厳ついガントレットって」
「ええ。晴花の首飾りのようなモノよ。あの装備についている天候石に見えるようになってるのよ」
「手に付いていると大変だねぇ……」
そんなやりとりをしながら、晴花の案内で、リビングへと向かう。
リビングには、テーブルについて新聞を読んでいる男性がいる。彼が晴花の旦那さんなのだろう。
「ずいぶんと長風呂だったねぇ」
こちらに気づいたのか、男性は新聞から顔を上げて、笑みを浮かべる。
ボサついた灰色の髪に、緑の瞳、やぼったいメガネをかけた、何となくうだつのあがらなさのようなものを感じる男性の姿を見て――シグレは首を傾げた。
見覚えのある風貌だ。
それも、比較的最近。
僅かな逡巡のあと、シグレは顔を上げた。
「もしかしなくとも、血染め爪の時の」
「ええ。そうです。商人クラウズ・スプールです。改めてあの時はありがとうございました」
「あれ? 二人ともすでに知り合いなの?」
今度は晴花が首を傾げる。
それにクラウズが答えた。
「以前、危険な魔獣に遭遇して危なかった話をしただろう。その時に助けてくれた通りすがりの流旅行者さんが、シグレさんなんだよ」
「そうなんだ」
はえ~……偶然ってあるもんだ――と口を開ける晴花。
それから、たたたたっと駆け足で動き、クラウズの横に立つと、シグレに笑いかける。
「じゃあ私も改めて名乗るね。
春樹 晴花改め、セイカ・ハルキ改め、今はセイカ・スプールです。これからもよろしくね志紅」
幸せそうな笑顔だ。
自分が求めていたものは――地球に戻って見たかったモノは、セイカたちのこういう顔だったんだろう。
「ええ。改めてよろしくね、晴花。それからクラウズさんも。
奥方の友人のシグレ・トネザキです。この度は助けて頂きありがとうございました」
シグレの言葉に、クラウズはにへらっと締まりのない顔をする。
「気にしないでおくれよ。困ったときはお互いサマさ。
特に、キミたちの場合は事情を知る者のいる、遁走神殿があった方がいいだろう?」
「否定しません」
遁走神殿――この世界特有の言い回しだが、意味はそのまま駆け込み寺だ。
「あと、あんまり堅くならなくていいよ。
セイカさんの友人なら、ボクの友人ってコトでさ。ね?」
やはりにへらと締まりのない笑顔だ。
恐らくこれが彼なりの笑顔なのだろう。
笑顔で、自分を受け入れてくれる人がいる。
レインもリーラもそうだ。
ギルドでチンピラを押しつけて来たヴァイスや、その相棒のランドだって、自分に笑いかけてくれていたな……と思い出す。
この世界の人たちの多くはシグレを受け入れようとしていたのだ。
その抱擁を避けてきたのは、他ならぬ自分である。
けれど、地球への帰還を諦めたからこそ、この世界での地盤を固め、人脈をちゃんと増やしていく必要があった。
(いいえ。そんな堅苦しく考える必要は無い。
晴花の旦那さん。人が良さそうで、晴花を大切にしてくれていそうな人。そんな人と、わたしは友達になりたいと思った。ならそれでいい)
僅かな時間の僅かな逡巡でそこへと至ったシグレは、クラウズにうなずいた。
「じゃあ、お言葉に甘えて。よろしくクラウズ。
それと結婚する時に言えなかった言葉をここで言わせて貰ってもいいかしら?」
「もちろん。なんだい?」
「結婚おめでとう。でも、晴花を泣かせたら承知しないから」
「あはははは! うん! もちろん! それはセイカにも言われてるからね!」
「そうなの?」
大きく笑った勢いでズレたメガネの位置を戻してから、彼は嬉しそうに告げる。
「そうだよ。セイカさんが言ってたんだ。
『私を泣かせたら、親友のシグレが承知しないわよ』ってね!」
「あ、ちょッ! クラウズ!?」
晴花が顔を真っ赤にしてるのを見るに、本当に言ったのだろう。
慌てふためく親友と、それを楽しそうに見ているクラウズ。
その二人を眺めながら、シグレは憑きものが完全に落ちきったような表情で、笑みを浮かべるのだった。




