15.叶わぬ夢を詰め込んだお風呂
「…………」
ぼんやりと、目が覚める。
少し前の強引に意識を覚醒させるような辛さはない。
自然と、ゆっくりと、正しいと感じる目覚めだ。
お世辞にも爽やかとは言えない気分であるけれど、心はかなり凪いでいた。
見慣れない天井、見知らぬ和室……だからこそ、夢ではない。
ここは晴花の家の、晴花の部屋。
見回すと、部屋には誰も居ない。
窓の外はだいぶ明るくて――恐らくは、一晩以上は経っているようだ。
特に何も考えず布団から身体を起こす。
畳の上に敷かれた布団に寝ていたのを自覚すると、なんとも不思議な気分だ。
こんな風に、ベッドではない足下に敷かれた布団と掛け布団に包まれて眠ったのなんて、何年ぶりだろうか。
シグレが妙な感慨に耽っていると、ガチャリと音がした。
そちらへと顔を向けると、障子柄の扉があり、そこが開いた。
「起きたね、ねぼすけ」
「うん……おはよ、晴花」
「ええ、おはよう! 志紅!」
かつての日常を思い出す晴花の笑顔に自然と顔が綻ぶ。
どうして地球に帰りたかったのか。
どうしてクラスのみんなを必死に守っていたのか。
初心に返るではないけれど、晴花の笑顔を見ているうちに、シグレはそれらをぼんやりと思い出していた。
「はい。まずはお水。声、だいぶひどいよ」
「ありがと」
差し出されたグラスを受け取って、すぐにそれを傾ける。
なんてことのないただの水のはずなのに、喉を通って胃に落ちていく水は、そのまま全身を巡っていくような錯覚を覚えた。
よほど喉が渇いていたのだろう。
「お風呂も準備できてるけど、どうする?」
「……入る」
少しだけ悩んで、けれども全身にいやなベタつきを感じるので、素直にお湯を貰うことにした。
晴花に案内されてやってきた脱衣場は、想定以上に広かった。
奥にある曇り硝子を使った扉の向こうには、浴槽らしきものも見える。
「お風呂、あるんだ」
「この辺りだとシャワーが主流だけど、私が入りたかったんだー」
ニコニコと口にする晴花に、シグレが思わずうめく。
「旦那さんのお金で好き放題してる?」
「失礼な! 二人で稼いだお金だし! 旦那様から許可貰ってるからね? わたしのワガママじゃないよ!
それに私が入りたかったっていうのもあるけどさ――一緒にこの世界に来たみんながお風呂に入りたくなったときに、うちにあれば顔をだしてくれないかな……て」
「晴花……」
この世界に定住を決めたとはいえ、晴花もやはり郷愁はあるのだろう。むしろ、無いわけがない。
このお風呂は晴花の郷愁の現れであると同時に、同窓たちへの思いの表れなのだろう。
例えそれぞれにの道を選び、離ればなれになっても、時々は顔を合わせたい。
日本でそのまま生活していたらそんな感情は薄かったかもしれないけれど、この世界へと共に迷い込んできたという連帯感は、同窓としての繋がりと思いと合わさり強い。
それはシグレも同様だ。
地球に帰りたいと思うと同時に、けれども一緒に転移してきたクラスメイトたちのことを考えずにはいられない。
「シャンプーもボディソープも好きに使ってね。うちの新商品だから、むしろちゃんと使って感想もよろしく」
「晴花……強かになったわね」
「商人のお嫁さんになったので」
「商人……?」
ふと、脳裏に何か過るものがあったのだが、それが形になる前に、別のことへと意識が逸れてしまった。
「晴花? なんであなたまで脱いでるの?」
「一緒に入ろうかなって」
学生時代に何度か見たことのある――何を言っても無駄な時の笑顔を浮かべる晴花。
つまるところ、最初から一緒に入る気まんまんだったのだろう。
「二人で入るくらいなら余裕の広さはあるから大丈夫だよ?」
「別にそういう話をするつもりはないんだけど」
転移する前の日常を思い出すような会話だ。
「……まぁいいけど」
「許可を貰ったので改めて脱ぎまーす」
「そういう宣言はいらないから」
実際――日本では一緒にお風呂に入るようなことはなかったけれど――会話のテンポや、気持ちの流れは、まさに望郷を念を抱くほどに懐かしい。
脱衣場をあとにして、お風呂場の扉を開ける。
そこは日本の銭湯を小規模化したような雰囲気のお風呂場になっていた。
小規模化とはいえ、かなりの大人数が入れるような形だ。
大人数で入れる大きい浴槽が一つと、恐らくは日常使いしているだろう二~三人用の小さな浴槽が一つ。
洗い場も大きく場所が取られていて、シャワーと蛇口がセットになったものがいくつか並んでいる。バスチェアーと風呂桶がそこに連なって設置されている光景は、まさに日本の銭湯だ。
「随分と広いのね」
「自宅がお店と直結してるし、従業員の人も入れるようにってね」
「それと、私たち?」
「……うん」
「そう」
従業員も入れるように――というのも本音だろう。
けれど、晴花がこのお風呂を作った一番の理由は、クラスのみんなと入れるように……なのだろう。
「なんか夢見ちゃってさ。みんなで入れたらなぁって」
「いいと思うわ。さすがに裸はアレだけどね。男子共が無駄に騒ぐだろうし」
「そこはさすがに水着着用ってコトにしたい」
そう言って晴花は笑う。
叶うとは思えない夢。
けれども、それはきっと大事なことだ。
「集まれる人だけでも集まってそういうコトができるといいわね」
「うん!」
随分と大人になった晴花だけれど、うなずいて笑う顔は昔のままだ。
この笑顔を見ていると、どうして自分は彼女を避けて旅をしていたのだろうと、不思議に思う。
「まずはシャワーを借りるわ」
「どうぞ」
森の中で転がってた髪で、湯船に入る気にはなれない。
それを思うと、泥だらけの姿で晴花の布団で寝てしまってたことになるのだが――
「晴花、布団って汚しちゃったりしてない?」
「気にしないで。一応寝てるときに軽く拭かせてもらったし」
「そう」
晴花が良いというなら、必要以上に気にするのも悪いだろう。
銭湯や温泉で良く見たような形のバスチェアーに腰を下ろして、シャワーを出す。
それで髪を濡らしていると、背後に晴花がやってくる。
「髪が長いと大変でしょ? 手伝わせて」
「単に晴花が私に触りたいだけでしょ?」
「正解。まさにスキンシップ!」
「まぁいいけど」
晴花はシャンプーを手に取ると泡立たせ、シグレの髪に馴染ませるように滑らせていく。
「志紅の髪は相変わらず綺麗だね。何か手入れしてるの?」
「何もしてない」
「そうなの?」
「……というより、出来ない――が正しいかも」
「どういうコト?」
「私のギフト……『不老』らしいんだけど、恐らく『不変』みたいな要素も混ざってる」
「不変? 変わらないってコト?」
「そう。髪の毛をバッサリやっても一晩明けると元に戻ってるんだ」
「…………」
「どれだけ食べても苦しくはなるけど太らない。その逆もそう。どれだけ栄養が不足しても身体が痩せたりするコトはない。
ケガの治りは早いし、食中毒とか猛毒なんかに中ってもしばらく苦しんでるうちに、身体から毒素が消えていく。
私の身体は、時の流れを否定している。それは大きな変化の否定でもあるのかもしれない」
「……志紅……」
髪を洗ってくれていた晴花の手が止まる。
顔は見えないけど、沈痛な表情をしていそうな晴花に、シグレは微笑むように語りかける。
「もう理解して受け入れてるから大丈夫。
ただ……自分だけが転移してきた時のままの姿で、歳を取ったみんなの姿を見てると、どうしようもなく苦しい時期があったのは確か」
「……うん」
「だからみんなから逃げてた。晴花に会いに来れなかったもそれのせい。
みんながこの世界を受け入れて、この世界で生きていこうとしている中で、姿が変わらず地球への望郷の念は薄まらず、私だけ感情も精神も心の在り方すら子供のまま不老不変であるかのようで……苦しくて苦しくて仕方なかったんだ」
ゆっくりと動く晴花の手が、けれども強ばったり緩んだりを繰り返す。
その感触から、彼女が涙を流しているというのに気づいて、シグレは小さく笑う。
「泣かないで晴花。わたしが馬鹿だっただけなんだから」
「でも、でも……ッ! みんなを守ってくれていた志紅が、そんな風に悩んで苦しんでるって……わたし、全然知らなくて……どうして会いに来ないんだ馬鹿としか思ってなくて……」
「みんな、それだけ必死だったんでしょう。仕方ないって」
「……そうかもしれない、けどぉ……」
思うことは色々ある。
湧き上がる感情だって色々だ。
それでも、突然異世界に連れてこられて、必死に生きてきて、少なくともみんながそれぞれの生き方を見つけだして解散するところまでは、脱落者はいなかったのだ。
それはきっと、とても幸運なことで――今改めて考えても、とても喜ばしいことだった。
「変わってしまったみんなと会うのが怖かった。だけど変わった晴花とこうやって話をして、確かに変わったところはあるけど、根幹はやっぱり晴花のままで。
うん。そういう意味では、晴花とこうやって話が出来て良かった。色々と吹っ切れそう」
きっとみんな晴花と同じだ。
色々と変わってしまった人も、きっと、根幹はそれぞれのままなのだろう。
「晴花。わたし――今からとても今更なコトを言うね」
「なぁに?」
「わたし、地球を諦める」
「志紅……」
「日本へ帰りたいという思いは変わらないと思う。だけど、帰れないモノとして今後は活動しようと思う」
「志紅は、それでいいの?」
「うん。今までが色々と中途半端だったからね」
この世界を捨てて帰ろうとする覚悟。
日本を諦めてこの世界で生きる覚悟。
シグレは――今の今まで、どちらの覚悟にも踏み切れなかった。
だけど、その気持ちがようやく定まった。
みんなよりも、随分と遠回りしてしまったけれど。
イチゴもリンゴも選べず、踊り場の片隅で膝を抱えてうずくまっているのはもうおしまいにするべきだ。
「例え、もう遅いとか今更だとか言われても、諦めるって決めたから。
だから――私は、晴花を、みんなを……大切なモノを守る為に旅をするよ。
この世界で生きながら、わたしがこの世界で出来るコトを探しながら」
晴れ晴れとした気持ちでそれを口にすると、晴花が背後からシャンプーまみれの髪ごと抱きしめてくる。
「髪の毛シャンプー塗れなんだし、泡だらけになるわよ」
「ならないよ。汚れすぎてて泡立ち悪いし」
「それはそれでダメだと思うんだけど……晴花も汚れちゃうでしょ?」
「汚れていいから……しばらく、このままでいさせて」
「……うん」
晴花がどういう顔をしているのか分からない。
けれど、抱きついてくるその両腕は優しくて、こちらを気遣うようで、それでいてまるでこちらを逃がさないように拘束しているようでもあって。
彼女の心情が分からずとも、けれどそれで構わないとシグレは思う。
自分もまた、しばらくこのままでいたいと思ったのだから――
こうして二人は、しばらくのまま動かないでいた。
身体が冷え始めて、どちらともなく、くしゃみをするまで。
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