11.瞬抜刃・白刃一閃
このまま何もせずに動かなければ、確実に死ねる。
頭に思い浮かんだのはそんなことだった。
同時に、いつもの思考といえばいつもの思考とも言えた。
シャワーを浴びて、少しばかり楽しく仕事して、それでも、自分の根幹にあるのはやっぱりそれだ。
この世界への諦観。あるいは生きることへの諦観。
それでいて、地球への望郷だけは残り続けている。
レインとリーラは仕事ができる。腕も良い。
この鋼甲変玉蟲くらいならどうにでもできるだろう。
これまで遭遇してきた自分が死ぬことで壊滅的な被害が想定される状況とは決定的に違う。自分が死んでも被害が出ないというこれ以上ない望み通りのシチュエーション。
このまま動かなければ、自分は鋼甲変玉蟲に押しつぶされる。
だというのに――自分が、鋼甲変玉蟲を見据えている理由は、斬る為だというのだから、矛盾する。
背中をぶつけて息が詰まっている? YES。
身体が動かすのが億劫なくらい痛い? YES。
このまま諦めてしまえば全てが終わる? YES。
でも二人を困らせたりするのは少しイヤ? YES。
……ああ、そうか――と、気づく。
二人に慰めて貰う前の自分であれば、ここで死ぬのを躊躇わなかっただろうに。
だけど、そうではなくなった。
もしかしたらずっと前から、色んな人に良くして貰っていたのかもしれないけれど、それはそれとして、良くして貰えたと――そう自覚したのは昨日だ。二人と一緒に行動したからだ。
そうなってしまえば情が湧く。
あるいは、そうなってしまえば死ぬことも地球へ帰るにも、躊躇いが生じるのではないかと、無意識にでも考えていたから人を遠ざけていたのか。
どうあれ、懐に入れてしまったのが運の尽きという奴だろう。
自分の愛剣――その本来の持ち主の言葉を思い出す。
この剣の持ち主であり、剣の師でもある老人とのやりとり。
…
……
………
『お前さんは諦めが悪いやつだな、シグレ。だからこそ苦しむ』
『悪いコトなの?』
『ダメじゃねぇよ。だが諦めの悪さが矛盾しても、どちらも諦め切れないお前は、いずれ諦めるモノを選択せにゃならん時がくるだろうよ』
『諦めるモノの選択?』
『リンゴを食えばイチゴを食えない。イチゴを食えばリンゴを食えない。そういう話だ。だが、諦めの悪いお前さんは、いつまでも両方を食おうとがんばり続けるだろうってな。
リンゴを食うには階段を昇れ。イチゴを食うには階段を降りろ。そうであるなら、どちらも諦めきれないは通じねぇだろ?』
『選ばない――はダメ?』
『それはどちらの選択肢も諦めるっていう第三の選択だ。お前にそれが選べるのか?』
『………………』
『その場で選んでも回収に戻れる状況ならいいさ、だが選んでしまえば引き返せない選択肢が現れた時、お前はどうする?』
『どうって……今から考えておけってコト?』
『いいや? いつかくるから覚悟しとけってな。
《諦めない覚悟》ってなぁ大事だって話は良くされるがな、同じくらい《諦める覚悟》って奴も大事だって――これは、そういう話だぁよ』
『意味が分からないわ』
『今はそれでいいんだよ。だがいつか来るってコトだけは覚えとけって』
………
……
…
(師匠の言っていた、選んでしまえば引き返せない選択の時というのが近いってコトなのかしらね?)
走馬燈というほど、色々思い浮かばなかった。
ただただ、当時のやりとりだけ鮮明に思い出したというだけ。
連鎖するように別の話も、思い出していく。
「シグレッ!?」
「シグレちゃんッ!?」
呼びかけには応じずに、それを思い出すことを優先する。
(剣で岩を斬る――師匠は、木刀で岩を斬れる。
師匠はそれをするのに候力技能を使わない)
天候才も、武候技も、魔候術も、究極的には己の肉体や精神の延長にすぎない。
元々人間が持っている基礎能力に、それらのチカラを上乗せするのが、候力技能だと、師匠は言っていた。
だから師匠は、武候技を可能な限り――それどころか内候力すら使わずにやってのける。
それらを使わず放った技が充分な威力を持っているなら、それに内候力を乗せればもっとすごい威力になるだろ――というのが持論らしかった。
武器も同様だ。
木刀やナマクラで岩が斬れるなら、ちゃんとした剣を使った時、鉄も斬れるようになってるだろ――と。
(そういえば、この剣を手にしてから、斬鉄――挑戦してなかったな)
思い出した上で思いついたことといえば、それだった。
幸いなことに、鉄より硬い塊がこちらに向かってくる途中だ。
(諦めが悪い、か。
案外、まずはそれを認めるべきなのかもしれないわね)
だってまさに今、死にたがりの自分が、目の前の鉄の塊のような魔獣を斬ろうだなんて思っているんだから。
立ち上がる。
時間にして僅かな動作であるが、迫る鋼甲変玉蟲に対しては、緩慢に見える動きかもしれない。
何せ立ち上がって剣を構えた時点で、もう内候力を練り上げる時間はないのだ。
レインとリーラの表情が険しくなる。
こちらを慮ってくれているのだろう。こんな死にたがりに対して向けるには、本当に勿体ない優しさだ。
だからこそ、さすがにちょっと二人の表情を真に曇らせるのは気が引けた。
(足止めしてくれていたおかげで、目が覚ます余裕があったのは幸いね)
二人の天候術で鋼甲変玉蟲はその身体に霜がおり、動きを鈍らせていた。
だが、それも時間の問題。
いや――もう今すぐにでも、鋼甲変玉蟲は霜を振り払って動き出すだろう。
それを見据えながら、シグレは師匠と共に旅していた時のことを思い出す。
師匠とともに旅した時間は短い。
それでも、この世界に存在し、地球にも……日本にも似たような技が存在する剣術を習えたのは非常に大きい。
瞬抜刃――
それは、日本において居合いや抜刀術などと呼ばれる技。
発動する際に内候力を用いると、肢閃抜刀と名称が変化するが……今回使うのは瞬抜刃。つまり内候力を使わずに繰り出す技だ。
構えると同時に、鋼甲変玉蟲も霜の呪縛から抜けだして、勢いよくシグレに向かって転がってくる。
シグレは迫り来る鋼の球体を見据え、ただ斬るべき場所のみを注視する。
極限まで研ぎ澄まされた集中力がシグレの在り方をただ斬るだけの存在へと昇華させていく。
同時に、内候力とは異なる何かが自分の中で渦巻き、チカラに変わっていくような錯覚を覚える。
やがて――
シグレの世界から音が消える。
シグレの世界から色彩が消える。
シグレの世界のすべての動きが緩慢になる。
あるのは――ただ斬るという意志のみ。
視えるのは――ここを斬るべきという直感が示す太刀筋の軌跡のみ。
斬れる。直感ではなく確信。
瞬抜剣をメインに使う瞬抜剣士として生きるのであれば、鞘から剣を抜く前に相手を斬っておけ――そんな師匠の教えを守って、敵を見据える。
そんなシグレの目には、決着が見えていた。
教えの通り、鞘から剣を抜く前に、その確信を得ている。
あとは、それをなぞるのみ。
シグレは自分を含めたあらゆるモノの時間経過が緩慢になった世界で、いつもと変わらぬ速度で動く。いや変わらぬ速度で動くべく無理矢理身体を動かしている。
一歩、踏み出す。
刮目せよ。これが――
「疾ァャッ!」
刃を鞘に納めたまま構え、踏み出しながら振り抜く。
気合いと共に、喉の奥より息吹が抜ける。
シャラ――――ンと、刃が鞘走る涼やかな音が響き始め……
勢いのまま振り抜かれた。
――白刃一閃の煌めき也。
木々の枝葉の隙間からこぼれ落ちる陽光浴びたシグレの剣の刀身が、白刃に輝く。
だが光り輝いていた時間は刹那よりも短い。
……刃が鞘走る音が収まろうとする時、チンと刃が鞘に戻ることを示す小さな音が鳴る。
同時に世界に流れる時間は戻り、音も色彩も戻ってきた。
瞬間、シグレに迫り来る巨体は真っ二つになる。
それでも転がる勢いそのものはなくならない。半球状になった鋼鉄の装甲が勢いのまま宙を舞う。
だが、シグレは動かない。
残心の姿勢のまま、ふぅ――と、息を吐くだけだ。
二つになった鋼鉄の肉塊はシグレにはぶつからない。
そういう風に吹き飛んでいくところまで、斬る前に見えていた。いや直感していたというべきか。
シグレを通り過ぎた鋼鉄の肉塊は、木々をいくつかヘし倒し、地面をえぐるように激しく転がってようやく止まる。
その時になって、ようやく気づいたかのように、鋼甲変玉蟲だった物体は、体液を吹き出しはじめるのだった。
(出来ちゃったわね、内候力を使わない斬鉄。それなりに難易度が高そうな場面で……。
でも、何か別のチカラが乗ったような感じもあった……何だったのかな?)
ピンチを乗り切ったという感覚よりも、何ともいえない感慨の方が強いな――そんなことを考えながら、シグレは二人の方を見やる。
すると、レインとリーラはポカンとした表情でこちらを見ていた。
「二人ともどうしたの?」
シグレが首を傾げると、二人は互いに顔を見合わせる。
「どうしたのって……」
「ねぇ……」
戸惑ったような二人は、それでもシグレに訊ねてきた。
「シグレちゃん、今内候力を使った? 全然感じ取れなかったけど」
「使ってないわよ」
「え? 候力技能って内候力無しで使えるの?」
「使えるわよ。必須なモノもあるけど、術技のように候力技能が必ずしも必要というワケじゃないもの」
シグレはリーラとレインからの質問に淀みなくなく答える。
とはいえ肉体の動かし方がメインの天候武ならともかく。
さすがに、自身の内側にある内候力で大気中に混じる候力に干渉し、特定の現象を引き起こすと言われている天候術を内候力ナシで使用するのは不可能だろうが――そこは敢えて口にする必要はないだろう。
「初めて聞きました」
「むしろ余計解せなくなったんだけど」
それに対してリーラは目を輝かせ、レインは眉を顰めた。
「なんで内候力ナシでアレを斬れるんだよ」
「斬鉄って技よ。
天候力などのチカラを使わない純粋たる自前の技術。
候力技能を上手に使う為の技能ではなく、それらを下支えする土台――肉体そのものの強さや、その肉体を効率よく使う為の技能。それを用いて繰り出す技巧ってところかしら?」
「うーん……納得できるような……出来ないような……」
腕を組みウンウンと唸り始めるレインに、シグレはクスリと笑う。
シグレ本人は無自覚の本心からの素の微笑み。
しかしその表情以上に、斬鉄のインパクトが強すぎて、二人はそれに気づいていなかった。
「あの装甲は魅力的だけど、重いから放置でいいわよね?
これまで通りコアだけを回収して、奥に行きましょう」
二人ともそれに異論はない。
そこに異論はないのだが、シグレの繰り出した技への納得は良かれ悪しかれ出来そうになかった。




