第67話 謎を秘めた力(1)
「じゃあゼノクのことは、以前からターリブ卿はご存じだったんですか?」
アピスゼノクらとの交戦から一夜明けた、六月二十三日の朝。ラシードは部下のカリーム、ハミーダ、ダーリヤの三人をエスティム城の私室に集め、先日ターリブから聞かされたきりずっと話せずにいたゼノクに関する秘密を遂に打ち明けた。
「そういうことだな。サディクの奴もかなり前からゼノクの力に目覚めていて、戦力として用いられていたそうだ。隠し事をしていたつもりが、もっと巨大な真実を隠されていたのはこっちだったってオチだ」
自分がゼノクになったことについてはどう報告したものかと悩んだままなかなか言い出せずにいたラシードだったが、ゼノクの存在は既にアラジニアの上層部に認知されており軍の計画にも組み込まれていた。狡猾さではあの老人にはやはり勝てないと、ラシードは呆れ気味に溜息をつく。
「でも、これで事の概要は大体掴めましたね。聖典に書かれている神話の時代のように、今も天使たちが地上に降臨して人々に神の啓示を伝えているというのは驚きでしたが……」
納得とまだ信じられない気持ちとが混在したような顔でカリームが言うと、ラシードは重々しくうなずいた。
「一応ジュシエル教に改宗した身として、神や天使の実在を疑ったりは俺もしたことがなかったが、現にこうして自分たちにも直接関わってくるとなると、どうにも実感が湧かないな」
現在このエスティムで起きているゼノク同士の戦いは、神々とその配下の天使、そして信徒である人間たちが争っている天地にまたがる壮大な宗教戦争のほんの一端である。いくら信心深い者でもにわかには現実味を持てない話だが、神の命令と称して破壊活動をしていた人間のゼノクや、自らを天使と名乗っていた竜人のゼノクとこれまで実際に戦ってきたラシードたちにとっては、ターリブの説明は目の前の事象と何ら矛盾しない。
「あの、私がもう一つ気になるのは……」
これを訊いてもいいのかどうかと迷ったハミーダが口ごもりそうになると、ラシードは気にすることはないから言ってみろと鷹揚に視線で促す。ハミーダは感謝するように小さくはにかみつつ、サラマンドラゼノクが口にしていた謎の科白を話題に出した。
「あのアドラメレクという天使は隊長のことを魔王の仔、って呼んでましたよね。あれは一体どういう意味なんでしょう」
「あいつだけじゃないぞ。昨夜戦った針鼠みたいなゼノクは、俺を魔王ロギエルの仔と呼んでいた」
「ロギエルの……?」
異教の神を魔王や悪魔などと悪しざまに呼ぶのは、宗教戦争の世界ではよくある話ではある。子供の頃に記憶を失ってしまったラシードは己の出生を知らないが、それにしても人間ではなくロギエル教の神が親だなどというのは戸惑いを隠せないところであった。
「まあ、それについては謎が残るにせよ、カリームの言う通り事のあらましはこれでほぼ見えた。俺たちがゼノクになれるのはレオニダスっていう先祖からの遺伝のせいで、今はそのレオニダスの血を引くゼノクが各宗派に分かれて戦いを繰り広げてるって訳だ。あまり愉快な話じゃないがな」
愉快な話じゃない、と付け加えたラシードの内心を察して、三人の部下たちは互いに顔を見合わせた。ヨナシュ人の家庭でザフィエル教徒として育ったラシードにとって、今は信ずる神が違うからと言って彼らを相手に戦うのはかつての同胞との殺し合いを意味する。
「つらいですよね。差別や迫害を受けているヨナシュ人たちの気持ちは、隊長もよくご存じでしょうし」
ハミーダが気遣うように言うと、ラシードは苦笑した。確かに、弱く蔑まれる立場にあるヨナシュ人たちの不満や苦しみはラシードも子供の頃に自分自身が感じていたものだから共感できるが、だからと言ってサイノプスゼノクやフォルミカゼノクらがしていたような残忍な殺戮が許されるものではない。
「俺が改宗してからザフィエル教も変わっちまったのか知らんが、いくら昔の仲間でも無差別に民を殺すような輩を庇う気はないから心配するな。ザフィエル教徒の過激派がまた街で暴れたりすれば、俺がレオゼノクになって退治する。今までもそうしてきたようにな」
あまり深刻に考え過ぎるなと、敢えて軽い調子でラシードはその場の重い空気を一蹴した。状況が俯瞰できるようになったところで、彼が当面やるべきことは今後も特に変わらない。エスティムの平和を乱す凶悪なゼノクから、この国とそこに暮らす人々を守るために戦うだけの話である。
「でも、隊長は」
話がまとまりかけたところへ申し訳なさそうに、カリームが更に問いかけを発した。今すぐにではないかも知れないが、いずれラシードが非常に厳しい選択を迫られることになる危険性をこの状況ははらんでいる。
「異教徒のゼノクがジュシエル教徒の人々を襲ったりしていれば、隊長もそのような悪者を倒すのに躊躇はないでしょう。ですがもし万一、我々ジュシエル教徒の側から無辜の民も含めた異教徒を攻撃して殺せという話になったら、隊長はそれでも神の言葉に従えますか?」
同じ屋根の下で育ったシメオンやミリアムも、幼馴染のスザンナやルツも今のラシードにとっては異教徒である。もし宗教間の紛争が更に激化すれば、彼らもラシードが神の名の下に殲滅すべき対象となり得るのだ。
「さあな」
考えるのを敢えて拒むように、ラシードは素っ気なく答えた。
「そんなことにならないように、神に祈ってるよ」
いつも饒舌で頭の回転が速く、こういう時には鋭い指摘や質問を発してくるダーリヤがずっと口を閉ざしたままうつむいているのがラシードには妙に気になったが、視線に気づいた彼女のどこか困ったような愛想笑いを見ると、どうしたのかと皆の前で訊ねてみるのは憚られた。
「老師ヒゼキヤよ。何とぞお聞かせ願いたい」
松明の火が揺らめく、薄暗い地下室。神ザフィエルの姿を象った巨大な竜神像の前で一人静かに座禅を組んでいるヒゼキヤ派のラビの長老ヒゼキヤ・ベン・アハブに、弟子の一人であるザクル・ベン・ラダンは問いかけた。
「我らヨナシュ民族の悲願は、長きに渡るアラジニア人どもの支配を脱してこの聖地に自分たちの国を再興すること。これまでに行なってきた破壊工作は皆、そのためのものと心得ております。されど……」
「今の状況でこの街を内部からかき乱すのは、聖地を攻め取らんとするロギエル教徒を利する結果になるのではないか、と申すのであろう」
疑問を口に出す前に正確に言い当てられて、ザクルは崇敬するこの老人の相変わらずの慧眼にぎくりとする。彼の内心を見透かして面白がるように、ヒゼキヤは呵々と笑った。
「それで良いのじゃ。アラジニア人たちを動揺させ、籠城の守りに綻びを生じさせてこのエスティムを陥落へと導く。一旦はロギエル教徒どもにこの街を譲り渡す形となるが、大事な聖地を敵に奪われたとなればアラジニア王の権威はたちまち失墜し、国内は混乱して各地で戦火が燃え出すであろう」
「なるほど……その動乱の間隙を縫って、我らが兵を挙げ独立を勝ち取ると」
仮にアラジニア軍が神聖ロギエル軍を撃退してこの聖地を守り抜いた場合、戦勝で意気上がる彼らを相手にヨナシュ人が独立戦争を起こしても勝つのは難しい。それよりも内部からアラジニア軍を弱体化させてロギエル教徒のエスティム攻略を手助けし、聖地を異教徒に奪われるという失態によって支配体制が揺らいだ時を狙って蜂起した方がずっと得策である。民族の故郷でもある聖地を取り返すのは、別の土地を足場に十分な軍備を整えてからでも遅くはないとヒゼキヤは気長に戦略を練っていた。
「老師のご深慮、恐れ入りましてございます。しかし陥落となれば、この街に住む大勢のヨナシュ人の仲間が凶暴なロギエル教徒どもの刃にかかることになりかねませぬが」
「卑しき下賤の民がいくら死のうと、我らが民族の悲願達成の前には些細なことよ。むしろ彼らも、栄光あるヨナシュ王国の再建に役立てたと思えば本望であろう」
同胞たちの犠牲も想定内だと、どこまでも冷淡にヒゼキヤは哂う。貧しく無学な同じ民族の平民たちを蔑む思考はヒゼキヤ派の聖職者の間ではごく普通に見られるものだが、計画のためなら彼らが敵に大量虐殺されても構わないと平然と言い切ってしまえるこの老人はその中でも一線を越えているとザクルは寒気を覚えた。
「そのようなことよりも、我らの計画の邪魔となるのはあの獅子のゼノク……十年前に討ち漏らした魔王の仔レオナルドじゃ。だがエスティムの市内で事件を起こせば、奴は必ず民を助けに現れるであろう」
「御意。計画のついでに奴を誘き出し、抹殺するよう配下の者たちを既に動かしております。この聖なる都市に、あの男の墓標が間もなく建てられることになりましょう」
待ち焦がれた勝利と解放の日は近い。そのためならば、この聖地での宗教対立が激化して多くの血が流れることもヒゼキヤは全く厭わなかった。




