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第65話 眠れる本能(2)

「彼に、そろそろ真実を教えてあげるべきです」


 戦いを夜空の高みから見下ろしている、二人の竜人。淡いエメラルド色の鱗を月光に輝かせながら、小柄な女の竜人は訴えるように言った。


「自分が何者なのか、彼は知りたがっています。それは誰しも知る権利があるはずのことです。彼は……」


「奴に感情移入し過ぎるなと、昔から何度も忠告してきたはずだぞ。アルミサエル」


 夜の闇に溶け込むような漆黒の鱗に付着した砂埃を片手で払いながら、もう一人の竜人――バラキエルは遮るように冷たく告げる。


「あの魔王の仔は我々にとっては運命を決する重要な最終兵器だ。それ以外の何者でもない。大事なのは魔王ロギエルとの戦いに役立つかどうかの一点のみであって、奴の権利だの心情だのに配慮してやる義務は我々にはない」


「人間に対するそういう扱い方、ロギエルにそっくりですね」


「何だと」


 アルミサエルと自分が名を呼んだ緑色の竜人に皮肉られて、バラキエルの表情が一瞬わずかに怒りに歪む。だがこの利発な年下の小娘が生意気な口を利いてくるのはいつものことである。バラキエルはすぐに平常心を取り戻して嘲笑うような愉悦を浮かべ、彼女の挑発を軽く受け流した。


「人間に対しては、我らのジュシエル教はロギエル教などよりも遥かに寛大で慈悲深いだろう。些細な罪で信者を異端審問にかけて処刑したりはしないし、学問や芸術を宗教的な理由で弾圧することもない。ジュシエル様を崇めない異教徒にすら改宗を強要せず、大人しく服従さえすれば信教の自由を与えてやっている」


「でも、ただの人間ではない彼は例外だと言うんですか」


 その通りだ、という答えしかないことは、アルミサエルもよく分かっている。だがそれでも、彼女はそれを素直に呑み込むことができずにいた。感情移入のし過ぎだと、バラキエルに指摘されたのは全くの図星である。


「お前に奴の世話係を任せたのは私の誤りだったかな。アルミサエル。一生懸命してくれたのはいいが、いつの間にか情が移って親身になり過ぎた」


「……かも知れません。私自身、まさか自分がこんな気持ちになるなんて思ってもみませんでした」


 アルミサエルは言い返そうとすることなく認め、敗北を噛み締めるかのようにうつむいた。確かに、バラキエルのように冷徹に、ただ機械的に己の仕事をこなしていた方がずっと楽だったのだ。この誤算が自分を底無しの泥沼へと引きずり込む痛恨事となったことを、彼女はよく理解していた。


「まあ案ずるな。反逆して我々に牙を剥いたりしてこない限り、奴を悪いようにはするなというのはジュシエル様のご意向でもある。めでたくロギエルを倒した暁には、存分に褒美を与えて功をねぎらってやらねばなるまいな」


「ただ平和と平穏だけが、彼が心から望んでいるものです」


 眼下で激烈な戦闘を繰り広げているレオゼノクを見つめながら、アルミサエルは彼の理解者を自負する者として精一杯の言葉を絞り出す。バラキエルは鷹揚に笑うと、眼下の戦いにまた視線を落とした。


「やはり劣勢のようだな。限界を強制的に突破させられたアピスゼノクが相手では、さしもの魔王の仔も少々厳しいか」


 潜在能力で言えば、レオゼノクはあの強力なアピスゼノクすらも凌ぐ力を秘めている。だが現時点では、レオゼノクはまだ己の本領の半分すらも発揮できていないのだ。アピスゼノクとゴブリン兵の群れに苦戦しているレオゼノクをしばし無言のまま見つめていたバラキエルは、やがてぞっとするようなことを口にした。


「こちらももう少し、力を引き出してみるか?」




「雑魚とは言え、数は数ね」


「ああ。鬱陶しいな……」


 セイレーンゼノクが召喚したゴブリン兵を次々と薙ぎ倒しながら、レオゼノクとレオパルドスゼノクは忌々しげに呟き合う。グリフォン座ジーマ星の知的生命体であるゴブリンは個々の戦闘力はさほど高くないが、数の暴力で犠牲を厭わず集団突撃を続け、相手をする二人を徐々に疲弊させていった。


「一気に蹴散らしてやるわ!」


 大きく跳躍して高い街路樹の上に着地したレオパルドスゼノクは腕の装甲の一部を赤い光に変えて引き伸ばし、魔剣アウレリウスを作り出して右手に構える。魔力を帯びて燃える剣を振り上げながら地上へ飛び降りたレオパルドスゼノクはアウレリウスを豪快に一振りし、群がるゴブリン兵たちをまとめて斬り払った。


「――抹殺」


 アピスゼノクが再び突進してレオパルドスゼノクを襲い、援護に入ったレオゼノクが後ろから掴みかかったのを振りほどいて投げ飛ばす。すかさず遠くに並んだゴブリン兵たちが二人に槍先を向け、魔石を研いだその刃から光線を一斉射撃した。


「――破壊」


「このままじゃ……殺られる……!」


 アピスゼノクと格闘しながら、レオパルドスゼノクは相手の強さに焦りを覚えていた。体に無理をさせてまで強引に魔力を引き出しているアピスゼノクの腕力は凄まじく、殴り飛ばされたレオパルドスゼノクは倒れて地面を転がる。


「――死ね」


「くっ……!」


 転倒したレオパルドスゼノクに覆い被さるようにアピスゼノクが組みついてくる。だがその時、レオゼノクの横からの体当たりがアピスゼノクを大きく弾き飛ばした。


「レオ様……! いえ、ラシード将軍。助かったわ」


 窮地を救われた礼を言おうとしたレオパルドスゼノクは、魔力を全身から迸らせたレオゼノクの顔を見上げて異変に気づく。彼の紫色の両眼が妖しく光り、燃えるように輝いている。


「ラシード将軍……?」


「ウォォォォッ!!」


 野獣の如く咆えたレオゼノクの左手が発光し、変形して大型の曲刀を生成する。実体化した魔刀サラディンを右手で掴んだレオゼノクはその煌びやかな黄金色の刃を片手で撫で、指先から魔力を伝播させて夜の闇に眩しく輝かせた。


「レオ様……」


 以前バジリスクゼノクとの戦いの時に感じたのと同じ恐ろしさを覚えて、レオパルドスゼノクが背筋を凍らせる。猛獣を目にした草食動物のような本能的な恐怖で動けずにいる彼女の至近距離で、再び咆哮を発したレオゼノクはサラディンの刃を力強く横薙ぎに一閃した。


「きゃぁっ!」


 凄まじい破壊魔法の波動が大気を切り裂き、発生した大爆発がゴブリン兵とアピスゼノクを呑み込んでゆく。周囲に生えていた街路樹が一瞬で灰となり、建物も壁を焼き溶かされて崩壊する中、爆発に巻き込まれたレオパルドスゼノクは熱波に吹き飛ばされながら意識を失った。

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