第57話 天界の争乱(1)
「な……何だ貴様は!?」
戦いに割って入るように倉庫の中に姿を現わしたアドラメレクに、驚いたフサインが蒼ざめながら叫ぶように問いかける。傍に立っているレオゼノクやレオパルドスゼノクらには目もくれず、フサインの方だけを睨むように鋭く見据えたアドラメレクは無言のまま彼の元へ迫って行った。
「う、動くな! この娘がどうなってもいいのか!」
柱に縛りつけられているミリアムに短刀を向けて必死に脅すフサインだったが、アドラメレクは構うことなく近づき、右の肩に見える古傷を片手で撫でながら氷のように冷たい声で告げた。
「憎きダーウードの血筋を滅ぼし絶やす。我が目的は今やそれだけだ。――変身」
呪文と同時にアドラメレクの体から光が炎のように湧き上がり、それが鱗の上に吸着して厚く頑丈な鎧と化す。魔法で生成された外骨格の装甲に全身を包まれ、竜人の姿からより禍々しさを増した赤いサラマンドラの魔人へと変身したアドラメレクは魔力を爆発的に高めて唸り声を上げた。
「まさか、あれが伝説に出てくる勇者ダーウードに倒されたサラマンドラ……?」
「アドラメレクが化けた魔獣の肩を、ダーウードが剣で斬りつけて退治したっていうあれね」
カリームとハミーダが互いに顔を見合わせて息を呑む。およそ三百年前、勇者ダーウードは堕天使アドラメレクと戦い、サラマンドラの姿となって火を吐いて暴れるアドラメレクの肩に聖剣の一撃を浴びせて天に追い払ったという。今、彼女たちの目の前にいる炎のような赤一色の怪人は、まさにその伝承とぴったり一致する姿と言動を見せているのだ。
「やはりそうか。連続放火事件の犯人はこいつだったんだ」
サラマンドラゼノクと化したアドラメレクの凶悪そうな横顔を見やって、ようやく事件の真相が掴めたレオゼノクは納得したように言った。どの火災でもダーウードの末裔が犠牲となっていた理由もこれで明らかになった。アドラメレクは過去に自分を倒したダーウードを恨み、その子孫を皆殺しにしようと放火殺人を繰り返していたのだ。
「父上、早くお逃げ下され!」
牙を剥いてフサインに襲いかかろうとするサラマンドラゼノクに、素早く後ろから飛びかかったケンティペダゼノクはムカデのような無数の脚を絡ませ、相手を押さえつけながら叫んだ。
「貴様もダーウードの血を引く人間……先祖の罪の報いを受けよ」
羽交い絞めにされた状態のまま、サラマンドラゼノクは全身から赤い超高熱の炎を立ち昇らせてケンティペダゼノクを攻撃した。炎に包まれ、たまらず相手を放して後退したケンティペダゼノクに、振り向いたサラマンドラゼノクは指先から火炎を発射して追い討ちをかける。
「ぐぁぁぁっ!」
「ナジュド!」
火炎魔法の直撃を受けたケンティペダゼノクは炎上しながら仰向けに倒れ、大爆発して砕け散った。息子を目の前で殺されて愕然とするフサインの方へ再び向き直ったサラマンドラゼノクは、指先を彼に向けて再び処断の炎を放つ。
「息子の後を追って地獄に落ちるがよい。大いなる苦しみを味わいながらな」
「や、やめろ。助けてくれ。うわぁぁっ!!」
サラマンドラゼノクの火炎を浴びせられて、たちまちフサインは火達磨となる。悲痛な叫び声を上げ、炎に包まれながら床を転げ回ったフサインは積まれていた麦俵の山にぶつかり、そのまま動かなくなった。
(フサインおじさん……!)
猿轡を噛まされていて声を出せないミリアムの目の前で、壮絶な焼死を遂げたフサインの屍から麦俵の山へと火が燃え移る。倉庫内に貯蔵されていた大量の小麦に次々と引火し、見る見る内に火災は辺り一面に広がっていった。
「ミリアム!」
柱に拘束されて身動きできないミリアムの足元にも、火は徐々に迫ってくる。妹を助け出そうとするレオゼノクだったが、サラマンドラゼノクは彼を睨むとその進路を遮るように立ちはだかり、先ほどまでフサインに向けていたのと同じ強い殺気を両眼から放って言った。
「魔王の子レオナルド……貴様も生かしてはおかぬ」
「またその話か。いい加減、どういう意味なのかきちんと説明してくれたらどうなんだ」
皮肉げに軽口を叩くレオゼノクに、サラマンドラゼノクは猛然と突進して襲いかかる。灼熱の魔力を拳に集めて殴りつけられたレオゼノクの装甲が焼け焦げ、不言色に輝く鎧の表面が白煙を噴いた。
「レオ様が、魔王の子……?」
レオパルドスゼノクにも、サラマンドラゼノクが発した言葉の意味は分からなかった。メリッサが幼い頃に領主である父親から聞いていたのは、レオナルドは国王ジャンマリオ三世がある女性に手をつけて産ませた私生児だということである。つまりラシードはリオルディア王家の落胤のはずで、神の子などという神秘めいた話は耳にした覚えがない。
「十年前にあそこで死んでいた方がずっと楽だったな。魔王の子よ。我が炎に焼かれて灰と化す死に方はなかなかに苦しいぞ」
「くっ……!」
サラマンドラゼノクが指先から放った炎はレオゼノクを取り巻いて燃え盛り、地獄の業火の如き苦痛を彼に味わわせる。レオゼノクの窮地を見て我に返ったレオパルドスゼノクは魔剣アウレリウスを構え、急いで救援に入った。
「レオ様はこの私が守るわ!」
気合と共に大上段からアウレリウスを振り下ろしたレオパルドスゼノクの一撃が、サラマンドラゼノクの右肩に炸裂する。かつてダーウードに負わされた古傷のある肩に不意打ちを受けて、サラマンドラゼノクは激痛に呻きながらよろめいて地面に膝を突いた。
「手応え……あったわね」
「……貴様ッ!」
弱点である右肩を攻撃されたサラマンドラゼノクは逆上し、レオパルドスゼノクに激しく攻めかかった。炎を帯びた魔法の拳撃をアウレリウスの刃で受け止め、すかさず長い脚を活かした得意の蹴り技を繰り出してレオパルドスゼノクも懸命に反撃する。
「まずいわ。ミリアムちゃんが……!」
戦いの間にも炎はどんどん広がり、柱に縛りつけられて逃げられないミリアムのすぐ傍まで迫ってくる。ハミーダが声を上げた時には、ミリアムはもはや普通の人間には突破不可能なほどの激しい猛火に四方を取り囲まれてしまっていた。
「ミリアムちゃん!」
ミリアムの危機に気づいたレオパルドスゼノクが救助に向かおうとするが、先ほどの一撃で激怒したサラマンドラゼノクは彼女を逃がすまいと猛攻を浴びせてくる。その隙に立ち直ったレオゼノクは背後からサラマンドラゼノクに組みつき、腕を回して首を絞め上げながら動きを押さえ込んだ。
「早く! 今の内に行ってくれ!」
「レオ様……分かったわ!」
ミリアムを助けに行くよう促されたレオパルドスゼノクはすぐに駆け出そうとしたが、サラマンドラゼノクは絞め技をかけられた体勢のまま口から火炎を噴いて彼女を攻撃し、更に凄まじい怪力でレオゼノクを振りほどいて殴り倒す。
(苦しい……お兄ちゃん、助けて!)
「ぐっ……ミリアム……!」
倉庫内は既に辺り一面が炎に覆われ、全てを焼き尽くさんばかりの大火災となっている。炎と煙に巻かれて苦しみながら、ミリアムは涙ぐんだ目で必死に助けを求め続けた。




